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第五話

 初めて自分で獲物を狩ってから二週間ほどが経った。

 今は倒せそうな獲物に絞って狩りを続けている。とにもかくにも経験のためだ。数をこなすことで見えてくるものは多い。時折失敗することはあったが、反省して狩りのやり方を改良することで、初めての頃に比べたらだいぶ安定するようになってきたと思う。よくあったのは、音を発してしまうミスだ。地面を踏む音、枝のしなり。風下に立つことを意識しすぎて微かな音を立ててしまうことがあった。すると獲物には瞬時に逃げられてしまう。慌てて一気に距離を詰めようとするのだが、身体が小さい動物しか通れないような、足場の悪い道にでも逃げられたらもうおしまいだ。気配遮断とは呼吸と筋肉の使い方なのだと理解した。

 獲物の観察、そして練習。シンプルだが、これに勝るものはない。地形工作を行ってみたりもしたが、野生動物は餌場に変化があったら基本警戒して使わなくなる。小手先の工作は通用しないとわかった。


 初めて人間を食べたときから、この森で人間の姿は見ていない。

 どころか、匂いすらもない。二日連続で見たのはたまたまだったのか。

 そろそろ、次のステージに進むべきだろう。仮の宿にしている古木の幹にある穴の中で、先ほど狩ったばかりのウサギの肉を食べながら考えていた。


 明日、俺はゴブリンを狩る。


 ゴブリン。狩りの練習をしながらも、時間があるときは彼らの観察に勤しんでいた。ゴブリンは匂いが強烈なのですぐに見つけることができる。わかったことはいくつかある。

 彼らは薄暗い場所を好む。また、基本的には夜行性だ。洞窟の中、深い穴の中。そういった場所を拠点にして生活している。つまり、今俺が住んでいる場所も、ゴブリンに見つかれば奪われる可能性がある。

 そういう意味でも、ゴブリンよりは確実に強くならなければならない。

 また、俺ほどではないだろうが、鼻が利くと思われる。特に血の匂いには敏感だ。

 俺がウサギを食べた直後に近づいた途端、気付かれたことがある。何十メートルか離れたところにいたはずが、何匹かが匂いに反応し、こちらを向いた。速さが違うので逃げることに問題はなかったが、その後は川で血をよく洗い流す必要があった。

 そして、彼らは集団で生活する。単独で行動することはあれど、基本的には十匹前後の群れで動いている。

 また、一匹だけ異様に大きなゴブリンがいた。

 前世の知識に当てはめるなら、あれはホブゴブリンというやつだろうか。通常のゴブリンの大きさが身長百二十センチほどなら、その大きなゴブリンは百八十センチはある。

 蜂でいう女王蜂のようなものなのだろう。タイマンでもあれを倒すのは、今の俺では骨が折れそうだ。

 以上の情報をもとに、作戦を考えた。ゴブリンを倒せずして、人間を倒せるわけがない。


 翌日、俺はゴブリンの巣の前にいた。

 ゴブリンたちは皆粗末ながら武器を持っている。素手の個体はいない。人間から奪ったものか、自分たちで製作できるのかは不明だが、弓矢を携えているゴブリンもいた。あれが飾りとは思わない。弓矢が機能するような開けた地形でゴブリン複数を相手にするのは厳しいだろう。

 そこで考えた作戦は、罠を仕掛けるというものだった。

 ゴブリンたちは夜になると群れで狩りに出かけており、昼間は洞窟内で休息していると思われる。昼間も見張りが一匹いるのだが、交代制は取っておらず、四日連続で偵察したときは常に同じ個体が見張っていた。その個体は粗末な棍棒を握り締めている。また、他の個体には見られない、耳に特徴的な裂けた跡がある。匂いも同じだ。見張りをしているのは同一個体とみて間違いない。

 よって、この個体は群れの中でも下位であり、雑用兼番犬のような存在……と推測した。

 また、洞窟から離れることもほとんどない。試しに木の実を近くに置いてみたところ、その木の実をこっそり自身で食しており、奥の洞窟に運ぶ様子はなかった。他の個体からは軽んじられているものと思われた。

 今回はこの個体を仕留めるため、シンプルに餌を用いて誘導することにした。

 使用するのは、ウサギの肉。美味なので勿体無いが、匂いが強く、血も乾きにくいという観点で餌にするのはかなりいい素材だと思う。

 作戦はシンプル。洞窟から少し離れた場所にウサギの生肉を置いておき、その匂いで見張りを誘き寄せる。彼の独占欲を刺激すれば、仲間を呼ばずに近づくはずだ。そもそも今は昼間であり、基本的に夜行性のゴブリンは休んでいる時間だ。ご馳走があれば独占しようと思っておかしくない。

 もし怪しまれて洞窟の中に入られるようなことがあれば撤退。これならば安全性は高いと思う。


 早速、風上の方にそっとウサギの肉を置く。わざわざ内臓を抜いてあるのだ。うまくいかないと困る。

 匂いに釣られてもっと強そうな魔物が来たら、その時も撤退だ。ただ、ゴブリンの巣周辺は異様に臭い。巣の周辺は腐肉、泥、またゴブリンの排泄物で覆われている。ゴブリン目当てに襲う魔物はいないようで、この強烈な臭気がゴブリンの危険を排除する魔除けのようなものになっているのだろう。

 五分もしないうちに、見張りのゴブリンが肉の匂いに気付いたようだ。眠気があるのか、やる気なく洞窟の前に立っていたところ、突然背筋が伸び、辺りを見渡し始める。最初はただ空腹を刺激されたようで、首をかしげ、口端に唾を垂らしている。やがて空中をクンクンと匂いを探るような仕草を見せると、真っ先に肉のある方へと駆け出した。

 ここまでは順調だ。草むらの影で身体を固め、筋肉に力を溜める。狙うのは喉だ。

 ゴブリンが近くまでやってきた。匂いに釣られ、草むらの中を探し回っている。狙うは肉にたどり着いた瞬間だ。

 順調に肉を見つけ、ゴブリンは躊躇なく、それを手に取った。うまく行った。頭だけは冷静になるように努めながら、俺は獲物目掛けて跳躍する。獲った、と思った。目の前のゴブリンはこちらに気付き、驚愕の表情を浮かべている。

 予定通り、喉元に噛みつき、血が噴き出す。このゴブリンはもうすぐ頸椎を折られるか、窒息で死ぬ。そう思った瞬間だった。

 突然、背後に悪寒が走った。

 どうして咄嗟に横へジャンプできたのか、自分でもわからない。あるいはこれが、野生の勘というやつなのか。

 ともかく、俺が数秒前にいたところ、そして首から血を流しビクビクと痙攣するゴブリンの身体には、三本の矢が突き刺さっていた。


 (狙われていた!)


 信じられないが、瞬時に理解する。俺は罠に嵌められたのだ。すぐに現場から距離を取ろうとして、再び悪寒が走る。

 囲まれている。ゴブリンたちは下卑な笑みを浮かべながら、こちらを眺めている。

 その中心に、警戒すべきだと判断した、あのホブゴブリンがいた。


 (あいつ、俺が嗅覚を使って索敵をすると知っていたな)


 視界に入ったゴブリンたちの身体は、泥や排泄物と思われる液体で覆われている。わざわざこんなことをするのはホブゴブリンの命令だろう。自らをゴブリンの巣と同じ匂いをまとわせ、嗅覚による索敵を無効化しようとした形跡だ。よほど意識して嗅がない限り、この工作は見抜けない。

 また、風下の方向に立っているのもそのためだろう。そもそも風上方向はゴブリンの巣だ。ちらりと巣の方に目をやると、ゴブリンが何匹か出てきている。俺の逃げ場をなくすためだろう。あのゴブリンに、完全に罠にかけられた。

 してやられた。絶体絶命のピンチだ。生まれ変わって初めて、本当の危機に相対している。

 ホブゴブリンが叫んだ。


「ウオオオオオオオオオオオオオ!!」


 咆哮と同時に、前列のゴブリンが一斉に飛び出した。錆びた剣と、刃の欠けた斧と、血のこびりついた棍棒が見える。後ろで弓を持った数匹が、矢を番えていた。


 逃げ場はない。


 一匹が、斧を振り回しながら真正面からぶつかってくる。振り下ろした瞬間に足を滑らせることで、俺はその刃のすぐ脇をすり抜けた。


 風が耳を裂く。


 斧の柄が地面に突き刺さるよりも早く、喉に噛みつく。

 骨と軟骨の感触が歯にかみ合った瞬間、温い血が口の中に溢れる。鉄の味がした。

 背後で剣が振り上げられる音がした。振り向きもせず、半歩だけ身を捻る。金属音が空気を裂く。さっき噛み千切ったゴブリンの死体に、剣が深々と突き刺さった。


(遅い)


 剣を引き抜こうともがいているその頭に、横から飛びつく。視界の端で棍棒を構えた別のゴブリンが動いたが、無視だ。まずは目の前の敵だ。肉と皮と筋をまとめて噛み砕く。歯の間にこびりついた肉片を、舌で押し込むようにして飲み込む。


 頬を何かがかすめた。矢だ。自分の顔から少しずつ血が垂れるのがわかった。

 棍棒の一撃が地面を抉った。土と石が跳ね上がり、目の前が土煙で覆われる。咄嗟に体勢を低くし、棍棒の持ち主の膝に噛みついた。骨の砕ける鈍い感触。崩れ落ちる喉に、もう一度牙を差し込む。

 右から剣。

 左から斧。

 正面から棍棒。

 後ろから矢。

 匂いは泥と血で潰れている。

 音も怒号と足音で混ざっている。

 見えるものだけを頼りに、俺は動いた。

 低く潜り、喉へ跳ぶ。

 飛び退き、足首を噛む。

 振り下ろされた棍棒を、倒れたゴブリンの身体で受ける。

 矢が肩を掠める。

 熱い。

 だが、止まれない。

 止まれば死ぬ。

 そこから先は、数えるのをやめた。

 噛みちぎる。

 血が喉を焼く。

 爪を振り抜く。

 骨が鳴る。

 刃を避ける。

 矢が頬を裂く。

 喉へ跳ぶ。

 噛みちぎる。噛みちぎる。噛みちぎる。


 気がついたときには、足元一面が緑色の肉塊と黒ずんだ血で覆われていた。その向こう側に、ただ一体、ホブゴブリンだけが立っている。何匹かは、乱戦のどさくさで逃げ散っていたようだ。

 

 (満身創痍だな)


 無我夢中で殺している間に、肉体はとうに限界を迎えていたらしい。足がガクガクと痙攣している。傷口に触れる風が熱を帯びた身体を冷まそうとしてくる。肩で大きく呼吸をする自分の様子が、我ながら死にかけの獣に思えた。無我夢中の状態から自我を取り戻したことを後悔するほどの疲労感が全身を覆っていた。


 (それでも、こいつだけは倒さねば)


 牙をむき出しにし、低く唸りながら、目の前のホブゴブリンを威嚇する。ホブゴブリンにも余裕の表情はない。数を頼りに蹂躙するはずが、まさか仲間が全滅するとは思ってもいなかっただろう。

 瞬間、後ろから殺気が放たれるのを感じた。軽く身を捻ってかわすと、矢を放った小柄なゴブリンの姿が見えた。ひと睨みをすると、ゴブリンは緑色の顔をさらに青くしながら一目散に逃げ出した。

 再び、ホブゴブリンと相対する。俺は動かない。低く唸りながら、威嚇を続けるのみ。ホブゴブリンは足元に転がる死体を一瞥すると、顔を歪め、踵を返した。巨体に似合わぬ速度で、森の奥へと消えていく。

 足が動かない。仮に追う意思はあったところで、筋肉がそれを許さなかっただろう。


(助かった)


 心から安心しているのを誰にも悟られないよう、俺はただ低く唸り続けた。

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