第四話
人間の肉を食らった効果は、すぐに現れた。
次の日、目が覚めると、明らかに体が大きくなっていたのだ。
オークの肉によるものかもしれないが、人間の肉を食らった結果だという確信があった。本能でわかるのだ。
走る速度が上がった。嗅覚がさらに良くなった。体調もすこぶる良い。今思い出しても、食べていた時間は幸福だった。全てに満たされていた。この瞬間のために、生まれ変わったのだという気持ちにすらなっていた。
また、あの肉を食べたい。そう思っている自分がいた。
昨日より強くなったとは言っても、まだ人間に勝てるとは思っていない。昨日はあの鬼が人間たちを倒していたが、俺なら最初の炎を食らっただけで丸焦げになって終わりだ。攻撃を避けるビジョンが思い浮かばない。スピードで撹乱するにも、あの剣士が敵ならば、速度が速すぎて、気がついたら斬られて終わりだろう。
人間を狩るのは、まだ早い。じっくりと力を蓄え、戦い方を考える必要がある。
この世界の訓練された人間は強い。魔法という俺にとって未知の力もあるし、昨日見た剣士も前世の人間の誰よりも強く、速かったように思う。そして、彼が別に世界最強の人間だとも思えない。あの剣士よりも数段は強い人間がゴロゴロいると考えたほうが良いだろう。
弱そうな匂いのする獲物を狩る。今日の目標はこれだった。昨日のように人間の肉を漁夫で奪うことも考えたが、そう都合よく強い生物が人間を倒してくれるとも限らないし、女を攫っていった鬼からはとても奪う気にはなれない。何の目的で攫ったかはわからないが、食料にするつもりなら、もう食べ尽くしていておかしくない。そもそも、人間を食すのなら、安定して自分で狩れるようにならないといけない。人間よりも弱い生き物は狩れて当然なのだ。
倒せそうな獲物の匂いを探しながら森の中を進んでいく。自分で言うのも悲しいが、俺は森の中ではかなり弱い方の生き物だ。鼻の性能がいいので致命的な強敵との接敵は避けられているが、自分より強そうな生き物の方が圧倒的に多い。やたらでかい生き物の匂いも多いし、しつこいぐらいにマーキングで縄張りを主張するものもいる。こういった危険なサインを避けないとこの森では生きていけないのだろう。
ときおり母親の匂いも探してみてはいるのだが、一度も感じたことはない。相当遠くに捨てられたようである。匂いで辿り着かせないためか。今となっては、どうしようもないことなのだが。
微かな、獲物の匂いを見つけた。
初めて感じた、自分でも狩れそうな動物の匂いだ。匂いを辿りながら追う。匂いが近づいてきたところでゆっくりと移動をすると、見晴らしの良い草原のような場所で餌を食べている一匹のウサギの姿があった。こちらに気付いている様子はない。
(さて、どうしたものか)
今の自分の能力と比較しても、あのウサギは戦闘力という意味でなら間違いなく倒せるだろう。問題は、狩りに成功するか、失敗するか。戦闘力のない動物は、当然ながら逃げに特化している。ライオンの狩りの成功率も単独では二十%に満たなかったはずだ。
ウサギの様子を観察する。ウサギが見晴らしの良い草原で食事をしているのは索敵のためだろう。少しでも敵の気配を感じたら一目散に逃げ出すはずだ。
風下の方に回り込み、腹這いでにじり寄り始める。草原を移動する際にはどうしても音がしてしまう。そこで考えたのは、風の音と移動の音とを同化することだった。穏やかに晴れた日だが、草が風で大きく揺れる瞬間はたまにある。揺れるたび、少しずつウサギに近づいて行く。正直、苦し紛れの案だと思っていたが、気付かれずに済んでいる。音を出さないように細心の注意を払ってるのも大きいのだろう。
近づいていくごとに、ウサギの匂いもはっきりしていく。小さく、温かく、薄い肉の匂い。人間のそれとは比べものにならない。
それでも、獲物の匂いだった。ウサギまでの距離が五mほどに迫ったとき、ウサギがどの方向からやってきたのか、なんとなく推測ができてきた。足跡は見えないが、草の乱れ方と匂いの筋で、おおよその位置が見当がついたのだ。おそらく、巣穴がそちらの方向にある。
その瞬間が迫っていた。思い切り飛び出し、ウサギに襲いかかる瞬間が。俺は捕食者になるのだ。あのウサギは、餌なのだ。
一つ、静かに、それでいて大きく深呼吸をした。頭の中でシミュレーションを繰り返す。大丈夫だ、ウサギがこちらに気付いている様子はない。
次に草むらが風に揺れた瞬間、一気に地面を蹴り出した。
食事をしていたウサギは一瞬こちらを見た後、一目散に逃げ出す。
(予想通り!)
案の定、ウサギは巣穴があるであろうと推測した方向に走り出していた。一気に加速するが、トップスピードは俺の方が早い。
ウサギは小柄な分、小回りが効く動物だ。しかし、逃げる方向が予めわかっていれば、追いつくのも容易である。
(捕まえた!)
真っ直ぐ逃げ出したウサギの身体に、俺の牙が突き立った。もし撹乱されていれば、わからなかった。方向がわかったからなんとか当てられたものの、狙いを定めて牙を立てるのは思いの外難しい。次、同じことをしても成功する保証はない。
口の中に血の味が広がりながら、ジタバタと、ウサギは必死になって逃げ出そうとしている。
命の躍動を感じながら、俺は容赦なくウサギの骨を噛み砕いた。一気に身体から力が抜け、ビクビクと痙攣するウサギ。人間の肉とはまるで種類の違う味だ。あれほど甘く濃くはない。それでも、自分の力で仕留めたという事実が、味を何倍にも膨らませていた。初めて狩った獣は、とても、とても美味しかった。




