第三話
結論から言うと、オークやゴブリンの肉は相当不人気なものらしい。
昨日埋めた死体はそのまま残っていた。何匹かの肉食獣と思われる獣がその後に訪れていることが匂いでわかったのだが、彼らは何もせずに去っている。おそらく、ゴブリンやオークの死体は食料とは見なされていないのだろう。もしそうなら、ゴブリンやオークを倒せるようになれば、彼らを倒して食えばいいということだ。
今日はオークを食うと決めていた。これを食べられるかどうかで今後の道は変わる。今のところ、ゴブリンを食べた後から現在に至るまでに体調不良は起きていない。
周りを飛びまわる虫は気にせず、オークの腹に牙を立てる。
(……っ、クソ不味い……!)
昨日のゴブリンの肉と同じぐらい、酷い味だった。吐瀉物を腐らせて泥水とシェイクしたような味だ。
いくら食べないと生きていけないと言っても、これを主食にするのは勘弁したい。そんな弱い心を振り払いながら、昨日のように無の心で食らう。
オークは体が大きい。腹と胸の部分を食べるだけで腹が膨れてしまった。まだかなりの量が残っている。
これ以上無理に食べると満腹となり行動に制限がかかってしまう。一部の肉を持ち帰ることも検討したが、昨夜から一晩置いただけで、すでにかなりの腐臭を放っている。昼間の湿った熱気も相まって、明日にはもう完全に腐っているだろう。
今後、そんな肉でも食わないといけない状況は来るかもしれないが、二日連続で味はともかく満足に肉を食べられたことで、身体には活力がみなぎっている。
行動を起こすなら今だと思った。森の中へ潜み、嗅覚を頼りに進む。
この辺りでも強そうな匂いのする動物は多い。匂いには比較的新しいもの、古いものがあるので、それらを嗅ぎ分けることで他の動物との接敵はなんとか回避できている。
(見つけた)
ゴブリンの肉を食らってからずっと考えていたことがある。それは人間の匂いを追うことだった。ゴブリンの耳を切り取っていたことからもわかるように、人間はこの森の魔物を狩っている存在だ。
ゆっくりと、慎重に人間たちを追う。仮に見失っても匂いで再び追いつける。見つからないことを第一に、彼らの観察を試みる。この世界の人間の強さを知っておくことは重要だ。仮に人間が強いのなら敵対する動物を倒してくれるだろう。
ゴブリンやオークを見逃したのは彼らにとって食料とは見做されていないからだと推測を立てた。つまり、人間の後を追うだけで食料が手に入る可能性がある。
今回見つけたのは昨日見かけた男女二人とは違う人間たちだった。匂いが違う。男二人、女一人の組み合わせである。
男一人は剣を、もう一人の男と女は杖を握っている。魔法使いと思われる二人は動きやすそうな軽装だが、剣士と思われる男は重そうな鎧を身にまとっている。
しかし彼自身は全く重いとは感じていないのか、むしろ軽快そうに歩いているように見える。
素直に見るのなら、剣士一人と魔法使い二人のパーティーなのだろうか。何か話しながら歩いているようだが、声は聞こえてこない。昨日の男女二人もそうだが、この森には何をしに来ているのだろう。
(彼らに近づく匂いがある)
一匹の動物が彼らに気付いたのか、猛スピードで近づいていくのが匂いでわかった。かなり強そうな匂いである。強そうというのは、なんとなく、そんな直感が働くというだけなのだが。
彼らも敵に気付いたのか、それぞれが剣と杖を構えている。再び魔法を見られるチャンスかもしれない。
「グオオオオオオオオ!」
一匹の巨大な獣が、彼らの前に現れていた。
(なんだあれは!?)
昨日のオークとも違う。黒色の肌に、鋭く生えた牙。筋骨隆々のたくましい肉体。呼吸をするたび、口からは蒸気のようなものが漏れているのが、この距離でも見えた。
右手には棍棒をにぎり、餌を見つけた獣のような目で、人間たちを眺めていた。
(鬼!?)
そう思ったのもつかの間、魔法使いの男の杖から炎が放たれる。昨日見たものよりも大きく、早い。
ほぼ同時に、魔法使いの女の杖からは眩い光が放たれていた。距離があったので目を細める程度で済んでいるが、もし俺があの鬼の距離で直撃していたら、間違いなく視界を奪われていただろう。
鬼も同様だったようで、明らかに光に怯んだ。
そこへ、魔法使いの男の炎が直撃していた。
さすがに倒したと、俺も思った。しかし炎が消えた後、何事もなかったかのように鬼は立っていた。毛先が焦げ、皮膚が黒くひび割れているのに、迫力というか、生命力と呼べるものはほとんど揺らいでいない。表情からは余裕すらも感じさせる。
(あれが効いていないのか!?)
しかし、人間たちの行動も早い。剣士の男が鬼へ向けて駆け出し、魔法使いの男は新しい魔法の発動を準備しているように見えた。
鬼は魔法使いの女に狙いを定めたのか、剣士の男を無視して女のほうに走り出す。
次の瞬間、魔法使いの男の杖からは雷のようなものが放たれた。避けられず、鬼は動きが鈍くなる。鬱陶しそうな表情で魔法使いの男をにらんでいる。
もう剣士の男が鬼の目の前に迫っている。剣士の男が鬼を仕留めんと剣を振りかざし――
鬼の腕が、ただ横に薙いだだけに見えた。
その一撃で、剣士の身体は地面から数メートル浮き上がり、木の幹に叩きつけられた。吹っ飛んだまま、剣士の男は動かない。首や右腕があらぬ方向に曲がっており、全身がわずかに震えている。
圧倒的な力の差。瞬間、魔法使いの男は撤退を判断したのか、走りながら何か魔法使いの女に叫んでいる。魔法使いの女も逆の方向へ走り出した。
しかし、怒りの表情を浮かべた鬼がその体格とは思えないほどのスピードで魔法使いの男に迫っていく。
魔法使いの男は何か魔法を発動しようとしたその瞬間、あっという間に追いついた鬼の棍棒によって地面へとたたきつけられた。
鈍い音がして、男の身体が地面に沈んだ。男が即死したのがわかった。
一人残された魔法使いの女はあきらめたのか、その場に座り込んでいる。鬼はゆっくりと魔法使いの女に迫ると、その匂いを嗅ぎだした。
女はガタガタと震えている。もう抵抗の意思は全くないようであった。
しばらくして鬼は下品な笑みを浮かべ、女を抱えて歩き出した。女は抵抗しても無駄だと思っているのだろう。全く暴れる様子がなかった。
やがて、鬼の匂いが遠くに消えたのを確認すると、俺は男二人の死体を調べることにした。
まずは剣士だ。目を見開いたまま、驚愕の表情で絶命している。見た目は二十そこそこの青年のように見える。服装もなんとなく上品な身なりをしている気がする。剣の良し悪しについてもわからないが、素人目にはよく手入れされた、いい剣のように見える。
服の上からでも鍛えられたいい身体だということがわかる。また、金色のネックレスをつけていた。何か文字と思われるものが刻まれている。もしかしたら読めるかもしれないと思ったが、全く読めなかった。
次に、匂いを嗅いでみた。
(……!)
鼻先をかすめた瞬間、それが何であるかを理屈抜きで理解した。
甘い。濃い。温かい。
他の獣の肉とはまるで違う。人間だけが持つ匂いだとわかった。無意識に唾液があふれてくる。本能が告げていた。俺はこれを求めているのだと。運命そのものが鼻腔を通して身体に流れ込んでくるようで、身震いするほどにうまそうだと思ってしまった。
──これを、食べるのか?
まだ残っていた、自分の中の人間の部分が問いかける。本能で察していた。今は飢えで苦しんでいるわけでも、何か食べなければ死にそうなほどの怪我を負っているわけでもない。今からする行為には何の言い訳もできないのだ。もしこれを口にすれば、もう戻れない。きっと俺は人間の肉を求める獣になる。そうなってしまう確信があった。
だが、俺はもう人間ではない。人間としてはとっくに死んでいる。獣として生きるしかないのだ。
そう考えたのは、本心からだったのか、それとも人間としての俺の弱さだったのか。
少なくとも、この抗えぬほどに甘美な匂いに満たされた瞬間、獣としての俺は歓喜していた。人間を食うことの葛藤など、すぐに吹き飛んでしまっていた。
(いただきます)
口を開いた。いただきますなんて言葉が出たのはなぜだろうか。ああ、俺はこの食事に感謝の気持ちを持ってしまっているんだ。生まれ変わって初めて、食事によって満たされようとしているんだ。
この後、魔法使いの男も食べた。すべて、食べた。
肉も、骨に残ったわずかなものも、血の匂いが染みた土までも。
そうして俺は、人間の肉の味を知った。
もう、知らなかった頃には戻れない。
それだけは、はっきりとわかった。




