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第94話 乗船

 ラウルは、乗船路へ向かう列を横切らずに、その手前に設けられた案内台へ歩いた。ガルムもすぐ後を追う。並んでいる者たちの肩越しでは、船の入口は見えるのに、その中を進む人の姿までは分からなかった。


「この船は、どこへ行く」


 案内台の係員は、机に積んだ札を揃えていた。ラウルの声に顔を上げ、まず九人の方を見る。


「セレイスです」


 ラウルは返事ができなかった。ガルムも案内台へ身を寄せたまま、係員の顔を見ている。


「セレイスだと?」


「はい。今夜出る便の行先です」


「どうやって行く。この河はダンジョンの中だぞ」


 係員は眉を寄せた。


「ダンジョン、ですか?」


 ラウルの言葉を聞き返し、背後の河へ目を向ける。何を尋ねられたのか分からないようだった。


「ここはハディルの港です。この船は河を下って海へ出ます。その後、セレイスへ向かいますが」


「この河が、海まで続いているのか」


「はい。セレイスまでお乗りになるなら、こちらの便です」


 係員は船を指した。桟橋に張られた綱の向こうでは、乗客の列がまだ続いている。船の上からは、出航の支度をする音が届いた。


「セレイスまで、歩いて戻るにしたって塔と転移紋を通るんだ」


 エルディアスが仲間にだけ聞こえる声で言った。第二層へ戻る転移紋は砂漠のオアシスにあった。そこから塔を経て黒い入口を通る以外に、彼らが知る帰り道はない。


「船がその道を通るわけないですよね」


 ノンノは船腹を見上げた。桟橋の建物より高い船が、塔の転移紋に収まるはずもない。


「俺たちがダンジョンに入ったことは間違いない。海まで続いていても、その先がセレイスにつながるとは思えない」


 ラウルはそう言ってから係員を見た。相手は次に案内台へ来た客へも同じように行先を答えている。その客はセレイスと聞いて頷き、乗船の列へ戻っていった。ほかの客は、ここからセレイスへ行けることを疑っていないらしい。


「今、二人連れが乗ったはずだ。男がニルス、女がクラリス。二人はこの船にいるか」


 ガルムが言うと、係員は困ったように列を見た。


「こちらの案内台には、乗客の名簿はありません。乗船の受付は、あちらの窓口です」


 係員が指した先には、乗船路へ上がる者を通す窓口があった。ガルムはそれを見て、今にも歩き出しそうになる。セルマが横から腕に触れた。


「待って。私も二人に会いたい。でも、勝手に列へ入っても乗せてもらえないわ」


「……そうだな。まず俺たちが乗れるか聞こう」


 ガルムは唇を閉じた。ラウルが係員へ向き直る。


「九人いる。今から乗船の手続きはできるか」


「皆さん、同じ行先ですか」


「九人とも、セレイスから来た。まず、今からでも乗れるか確かめたい」


 係員は机の下から一枚の帳面を出した。九人を指で数え、武器を持つ護衛たちの荷にも目をやる。


「一緒に乗るのであれば、人数をまとめて窓口へ伝えてください。手続きを終えた方から乗船路へ。出航の知らせが出たら、受付を閉じます」


「今はまだ乗れるんだな」


「はい。荷物は、ご自分で運べるものに限ります」


 ラウルは礼を言って台から離れた。乗船路の先には人の背ばかり見える。先ほどの二人はとっくに船内へ入ったはずだった。


「河を下って海へ出る。それだけなら普通の航路だ。だが、この河はダンジョンの中にある」


 ラウルの言葉に、女性の調査員は抱えた記録板を見た。


「係員は、ここをダンジョンだと思っていないようでした。私たちと、話の前提が違います」


「街に残って、明日から調べ直すこともできる。宿がなくても、夜を明かす場所は探せるだろう」


 ラウルが言うと、ガルムは首を振った。


「俺は乗りたい。この船が出たら、また二人の行方が分からなくなる。今なら、会って確かめられるんだ」


「危ない船かもしれない」


「分かってる。だが、あの二人を見たまま、行かせることはできん」


 ガルムは乗船路を見た。次の客が入口を抜けていく。その背中が隠れるまで、こちらへ視線を戻さなかった。


「私もよ。クラリスの顔を確かめて、どこにいたのか聞きたい」


 セルマが背負い袋の紐を握った。


「行先の話は、おかしいと思ってる。でも、船に乗らないと二人に会えない」


 エルディアスは彼女に返す言葉を探したが、すぐには見つからなかった。


 ――死んだはずの二人が乗っていて、行先はダンジョンの外にあるセレイス……。どういうことなのか、分かりません。嫌な予感がします。


 リュシアの声が頭の内へ届く。


 ――ああ。船も、乗っている連中も、何かがおかしい。だが、ラウルたちだけを乗せるわけにもいかない。


 ――今、二人の死を伝えますか。


 エルディアスはガルムとセルマを見た。二人は確かにニルスとクラリスを見たという。ここで死を告げれば、それでも船にいる二人は何者なのかと聞かれるだろう。答えられないまま引き止めれば、ガルムだけでも船へ向かうかもしれない。


 ――今ここで話しても、船にいる者の正体までは説明できない。ラウルたちが行くなら、俺たちも一緒に乗ろう。


 ――はい。船に乗ってからも、二人を探す時は一緒に。


 エルディアスはラウルへ向き直った。


「この船でセレイスに帰れるとは、俺は思わない。それでも二人を確かめるために乗るんだな」


「ああ。俺も二人の顔を見たい。行先の話を信じて乗るわけじゃない」


 ラウルは答え、エルディアスをまっすぐに見た。


「お前たちはどうする」


「一緒に乗る。船の中で一人ずつ動くのはやめてくれ」


「私も行きます。二人を探す時は、皆で」


 リュシアも答えると、セルマは袋の紐を緩めた。


 ノンノは乗船路と三人の顔を交互に見た。ニルスとクラリスの名は、これまでラウルたちの会話で聞いていた。探している二人が現れたことに、驚きながらも口を挟むべきではないと思ったらしい。


「わたしも乗ります。エルさんたちと一緒にいます」


 ラウルは頷き、調査員と護衛二人にも顔を向けた。


「無理に付き合わせるつもりはない。街に残るなら、今ここで分ける」


「私も同行します。ここからセレイスへ向かうという船を、調べずに帰るわけにはいきません」


 女性の調査員が答えた。護衛二人も目を合わせ、一人が口を開く。


「我々も乗る。船内で記録と荷を守れるよう、そばにいよう」


 ラウルは全員の顔を見てから、船へ向き直った。


「なら、九人で乗ろう。手続きを済ませる」


 ガルムがすぐに荷を持ち上げた。セルマもその隣へ並ぶ。エルディアスとリュシアは二人を追い、九人が揃って窓口へ向かった。


     ◇


 窓口へ向かう列は、船の大きさに比べれば細かった。急いで並んでも、動くのは数歩ずつだ。乗船路を上がる人々の靴音が板を伝い、桟橋にいる九人の足の下まで響いてくる。


 灯りが順にともるたび、船の側面に並ぶ窓の数が増えたように見えた。下の窓だけではない。頭上の甲板にも、そのさらに上にも明かりがある。窓越しに人が行き来する姿が見え、その隣の窓ではもう誰かが腰を下ろしていた。


「上に何階あるんでしょう」


 ノンノが数え始める。船腹に近い場所は暗く、どこまでが船室なのかは分からない。


「こんなに部屋があったら、二人を探すのも時間が掛かるな」


 エルディアスが言った。


「人が集まる場所から見ましょう。船室へ勝手に入るわけにはいきません」


 リュシアは階段へ向かう客と、外から見える甲板を順に見た。ガルムがそこで初めて船から視線を戻す。


「客が行けるところだけでも、皆で見て回ろう」


 ガルムの言葉に、ラウルも頷いた。


「まず通路、その後に甲板だ。出航前にどこまで見られるか分からない」


「分かった。俺も勝手に奥へ入ったりはしない」


 ラウルはもう一度船の入口を見た。ノンノも窓を数えるのをやめ、乗っていく人の顔を見た。


 セルマがその視線に気づき、ノンノへ小さく頷いた。


「二人が見つかったら、あなたにも紹介するわ。離れずについて来てね」


「はい」


 ノンノは頷き、ガルムの横に並んだ。


 列の前では、係員が乗客の紙札を受け取り、印を押して返していた。家族らしい四人が通り、杖を持つ老人が続く。どの人も急ぎ足には見えない。桟橋に立つ者同士が低い声で話し、船の中からは荷を置く音や笑い声がときおり漏れた。門の外の静けさを思い出せば、同じ人々がここを通っているとは思いにくい。


 船の綱が軋み、ラウルは河へ目をやった。水は船腹の近くで渦を作っている。岸の石段は下から何段も水に浸かっていた。


「増水した河を、これで下れるのか」


 護衛の一人が低く言った。


「小舟は止まっていたのにな。船が大きければ、この流れでも出せるのか……」


 ラウルが答える。女性の調査員は岸の石段のうち、水に浸かった段を目で数えた。


「あれだけ深く沈んでいるのに、桟橋は使えるんですね」


「船の入口も高い位置にある。水が上がる時に、乗船路を替えたのかもしれない」


 リュシアは幅広い板の接ぎ目を見た。列の重さがかかっても大きくたわまない。船に向かう人は多いのに、降りてくる人とは一度も擦れ違わなかった。


 ――流れも速い。この船だけが動ける理由は、まだ分かりませんね。


 ――乗ってからも河の様子を見ておこう。


 エルディアスは念話を返した。リュシアは何も言わず、乗船路の端から目を戻す。


 ラウルたちの番が来ると、窓口の係員は手元の札から顔を上げた。


「九人、同じ組ですか」


「そうだ。九人で乗りたい」


「皆さん、ご自身の荷だけですね」


 係員の目が調査員の記録板、護衛の剣、ノンノの背負い袋を順に確かめた。ラウルは女性の調査員を示す。


「調査の記録がある。濡れないところへ置けるか」


「手元に置いてください。お持ちの荷を別に預かる場所はありません」


 調査員は包みの留め紐を押さえた。係員が帳面を開く間に、ラウルは河へ目を向ける。


「先日の雨で、河の水が増えている。それでも今夜は出るんだな」


「今夜の便については、船長から変更の知らせはありません。水位は船の者が見ています」


 甲板では綱を扱う者たちが働いていた。港の小舟は岸につながれたままだ。ラウルは窓口へ向き直り、財布を出す。


「九人分で、いくらだ」


 係員が料金を告げると、ラウルは代金を数えて台へ置いた。受け取った係員が帳面に人数を書き込み、一枚の札へ印をつける。ラウルは財布をしまい、差し出された札を受け取った。九人分の人数が記されている。


「九名ですね。皆さん揃って、あちらの乗船路へどうぞ」


 ガルムはラウルが札を受け取るのを待ち、乗船路へ向き直った。セルマも続く。残る六人が揃ったのを見て、ラウルは札を持ち直した。


「行こう」


 九人が乗船路へ足を載せた。


     ◇


 板の上へ出ると、河の匂いが一段濃くなった。


 足の下では水が流れ、向こうから来る船の振動が靴底に伝わる。桟橋を歩いている時には壁に見えた船腹が、今は見上げても上端に届かない。ノンノが顔を上げたまま歩幅を狭め、後ろから来た護衛とぶつかりそうになった。


「すみません」


「足元を見て。もう少しで船だ」


 リュシアが指した先に、開いた大きな扉があった。窓口で札を見た係員とは別の船員が、入口に立って人を通している。船員はラウルの札を見て人数を数え、最後尾の護衛までを確かめた。


「九人。こちらへ」


 扉の先は広い通路だった。床に敷かれた板は乾いており、壁沿いには腰掛けが並ぶ。船外から眺めた大きさに見合う幅があったが、荷を持った人々で今は狭く感じた。船員に促されて、人の流れを妨げない場所へ進む。


「この船は、河を下って海へ出るんだな」


 ラウルが確認すると、船員は頷いた。


「はい。河口を出た後は、海を進んでセレイスへ向かいます」


「ほかの乗客も、セレイスまで行くのか」


「はい。皆さん、その予定で乗っていらっしゃいます。ここは入口ですので、先へお進みください」


 後ろから次の乗客が来た。ラウルは通路の端へ寄り、ガルムも呼び戻す。航路の説明は案内台で聞いたものと同じだった。それを怪しむ客はほかにいない。エルディアスはリュシアとノンノが追いつくのを待ち、九人で通路の奥へ進んだ。


「さっき乗った二人を探している。ニルスとクラリスという」


 ガルムは通路へ入るなり尋ねた。船員は人の流れから外れ、少しだけ声を落とす。


「お名前だけでは、居場所までは分かりません。この通路と甲板には乗客がいらっしゃいます。扉の閉じている区画には入らないようお願いします」


「奥は探せないのか」


「ご案内のない場所は、出航の作業に使います」


 船員は通路の先を指す。上へ向かう階段と、外の甲板に通じる扉があるらしい。ガルムはなお何か言いたげだったが、ラウルが彼の肩へ手を置いた。


「まず、客のいるところから探そう」


「……分かった」


 女性の調査員が船員に確かめ、腰掛けの下へ荷を入れてよいと聞いた。九人は離れすぎないよう同じ一角を選び、水袋と紙包みを手元に残して背負い枠を下ろす。護衛二人は荷の番を申し出たが、ラウルは一人ずつ交代でよいと答えた。


「荷はここに置いて大丈夫ですか」


 ノンノが小声で言った。


「船員がいいと言った場所です。二人を探しても、ここなら皆の荷のところへ戻れます」


 リュシアは答えつつ、階段へ向かう人を見送った。どの階へ何があるのか分からないうちに、九人が散るのは避けたい。


 ガルムとセルマが先に通路の人々を見て回り、ラウルも後を追う。エルディアスたちはすぐ後ろについた。旅装の男が荷を置いて水を飲み、女が窓の曇りを布で拭っている。子どもを抱いた父親が空いた腰掛けを探して歩いていた。どの顔を見ても、探している二人ではない。


 前方で別の組が通路へ入ると、エルディアスは道を譲った。ガルムたちと離れないよう、ノンノが彼の袖を軽く引く。


「あの二人を見つけたら、わたしにも教えてください。顔を知っているのは、皆さんだけですから」


「ああ。離れずにいてくれ」


 そう答えた後、エルディアスは人波の向こうを見た。扉のそばにいた男が横を向くたび、ガルムの視線がそちらへ走る。見つけた時のことを、ガルムは疑っていない。


 ――エル。


 リュシアが階段の下からこちらを見た。


 ――二人の姿を見た理由が、まだ分かりません。皆の前では気をつけて。


 ――分かってる。二人が死んだことは疑わない。この船で見えた者が何なのかを確かめる。


 ――はい。


 セルマが戻ってきた。首を横に振るだけで、ガルムも足を止めた。


「この通路にはいない。上の甲板を見てくる」


「一緒に行く」


 ラウルは荷のそばの護衛へ声を掛け、人数が欠けないよう伝えた。甲板へ出る扉を開けると、河からの湿った風と、船の機関が吐く熱が混ざって流れ込む。


     ◇


 外はもう暗かった。


 港には灯具が列になり、街の屋根の向こうまで光が続いていた。甲板には船員も乗客もいる。船員たちは声を掛け合いながら綱を確かめ、乗客は手摺から港を眺めたり、行き先を尋ね合ったりしていた。上流からの水音は、ここまで上がると低く長く聞こえる。


「本当に、セレイスへ行けるんでしょうか」


 ノンノは手摺の隙間から岸を見た。船の高さのせいで、さっき歩いた港の坂は思ったより遠い。


「向こうは普通の船旅のつもりだ。俺たちがダンジョンに入ってきたことは、話が通じてない」


「あの人たちにとっては、ここも外の街と同じなんでしょうか」


「そう見えるな。だが、俺たちまで同じように考えていいわけじゃない」


 ノンノは手摺を掴んだまま答えた。街の灯りが増えるにつれ、河面に映る光も揺れて伸びる。昼には広さばかりが目についた河が、夜にはどこまで続くのか分からない黒い面になっていた。


 甲板の向こうでガルムが足を止めた。エルディアスは一瞬、彼が何かを見つけたのかと思ったが、そうではなかった。ガルムは自分たちが乗ってきた扉を振り返る。


「ここにもいない」


「まだ少し時間はあるわ」


 セルマが隣に立つ。


「甲板の奥は見ていない。二人がいたら、気づくはずよ」


「だったら一緒に見てくれ。さっきから、俺だけじゃ人の顔を追いきれない」


「ええ。あの階段の上から、もう一度ここまで見ましょう」


 セルマが歩き出しかけたところで、ラウルも二人のところへ行き、甲板の乗客を一緒に眺める。


「二人を見たら、まず声を掛けよう。追いかけて、別の通路へ一人で入るのはやめてくれ」


「エルにも同じことを言われた」


「なら二度聞いたことになる」


 セルマが僅かに笑った。ガルムは手摺へ腕を載せ、港の方へ顔を向けた。


 エルディアスはその背中を見ていた。見つけたとして、何を聞けばいいのか。生きているはずのない二人が答えた時、ラウルたちをどう守ればいいのか。


「ラウル。二人が見つかったら、まずここへ連れてきてくれ。俺たちにも知らせてほしい」


「ああ。会えたら、皆で話を聞こう」


 ラウルが答える。ガルムは甲板の奥を見ていた。


「どこかの船室にいるのかもしれん。さっき乗ってきたばかりなんだ」


「出航して客の移動が落ち着いたら、もう一度見ましょう」


 セルマが言った。エルディアスはリュシアへ目を向ける。二人を見た理由も、セレイスへ向かうという航路も分からない。それでも、この船に乗ると決めた。今は皆から離れず、船内で何が起きているかを確かめるしかなかった。


 甲板の床から低い振動が上がってきた。


 煙突から上る煙が太くなる。船の内側で大きな機械が何度か息をつき、やがて一定の音で回り始めた。港のあちこちから、最後に乗る者へ向けた声が飛ぶ。


「出るのか」


 ラウルが船員へ尋ねる。


「間もなくです。甲板に残るなら手摺の内側へ。足元に荷を置かないでください」


 ラウルは護衛へ合図し、荷を置いた通路にいる一人にも出航を伝えてもらった。やがてその護衛も戻ってくる。九人が甲板の同じ側へ揃った頃、乗船路が引き上げられた。


 ガルムは船の入口を見つめていた。


「あの二人も、この上にいるんだな」


「見かけた二人が船に入ったのは確かだ」


 ラウルはそれだけ答えた。背中を見ただけの自分には、これ以上のことは言えないのだろう。


 エルディアスも黙って岸を見た。リュシアが隣へ来る。互いに口を開かなくても、同じことを考えているのは分かった。


 ――セレイスへ着けるとは思わない。何が起きても、九人で戻ることを優先しよう。


 ――はい。皆から目を離しません。


 最後の綱が解かれ、船の側面から離れていった。桟橋との間に黒い水が入り込み、岸の灯りを映した波が、船腹に当たって砕ける。ゆっくりと開き始めた隙間を、上流から押し寄せる水が勢いよく抜けていった。


 日が沈んだ辺りにも、もう明るさは残っていなかった。港の灯りが届く範囲を越えると、河も、その両岸も見分けがつかない。ただ、絶えず打ち寄せる水音が、暗闇の向こうにも激しい流れが続いていることを伝えていた。


 ノンノが手摺を握り直した。その隣で、エルディアスも船首の向く先を見た。行く手には、明かりが一つも見えない。


 頭上で、大きな汽笛が鳴り響いた。


 長く、低い音が甲板を震わせ、街の屋根を越えて夜の河へ広がっていく。足元の機関の振動が強まり、巨体が岸から離れた。船首に押し分けられた水が白く盛り上がり、船の両側を激しく流れ去る。桟橋も、その上で手を振る人々も、後ろへ遠ざかり始めた。


 九人を乗せた巨大な蒸気船は、なおも鳴り続ける汽笛とともに、流れの激しい河を下り、真っ暗な闇の中へ出航した。


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