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第81話 林間

 翌朝、冒険者ギルドの前には、荷を積んだ背負い枠がいくつも並んでいた。革袋の口を確かめる者、巻いた布で測量具を包む者、その脇で剣帯を締め直す者。それぞれの手元にあるものは違っても、出発を待つ者たちに無駄な動きは少なかった。


 ノンノはその様子を見てから、自分の背負い袋の肩紐を握り直した。昨夜のうちに荷物は揃えたが、まだ一緒に行けると決まったわけではない。いつもなら先に広間へ入っていくところを、今日はエルディアスの半歩後ろについてくる。


「エルさん。こちらです」


 受付脇からミュリカに呼ばれた。隣には、外にいる者たちと同じ装いの男が立っている。胸元に留めた王都の徽章を見て、エルディアスは足を止めた。


「第二陣を預かっている者だ。追加の同行者については、昨夜の申し出を確認した」


 男の視線がノンノへ移る。ノンノは背を伸ばし、自分から一歩進み出た。


「ノンノ・ミーゴです。今はエルさんとリュシアさんと、一緒に依頼を受けています」


「第一層での活動についてはギルドから聞いている。マナ酔いが出ることも含めてな」


 立っていた耳が僅かに傾いたが、ノンノは言い訳を挟まなかった。男は手元の書類へ目を落とし、確かめてから話を続ける。


「同行は認める。ただし、第二層へ入った時点で継続できるかを判断する。難しいようなら、塔から戻る連絡員と一緒に帰ってもらう。それでよいか」


「はい。具合が悪くなったら、隠さずに言います。途中で無理だと言われた時も、勝手なことはしません」


「リュシア殿たちと離れずに行動してくれ。個人での採取や討伐も、今回は控えるように。必要があればこちらから頼む」


 ノンノが頷くと、男は書類の末尾へ短く書き加えた。ミュリカがその横から小さな包みを差し出す。


「ノンノさんの分の携行食です。追加できるように用意してもらっていました。水と合わせて、出発前に重さを確認してくださいね」


「ありがとうございます」


 包みを受け取ったノンノの指が、布の両端をしっかりと掴んだ。男が外の者に声を掛けに行くまで見送ってから、ようやくこちらを振り向く。


「……行っていいんですね」


「今、そう言われただろ」


「聞いてました。でも、もっと色々聞かれると思っていたので。ニペクを見せてくれとか、何ができるのか説明してくれとか」


「昨夜、必要なことは話した」


 ノンノは少し意外そうにエルディアスを見た。


「反対だったのに、話してくれたんですか」


「申し出るって言っただろ。できることも、できないことも伝えた。それで向こうが決めたんだ」


「そこはちゃんと言ってくれるんですね」


「何だと思ってたんだよ」


 リュシアが笑いながら、ノンノの荷物を置けるよう卓の端を空けた。


「喜ぶのは、これを詰めてからにしましょう。背負えないと、ここから動けませんよ」


「背負えます。昨日、ちゃんと減らしましたから」


 そう言って袋を開いたノンノは、携行食を収める場所をしばらく探した末に、一番上の布包みを取り出した。中には宿を出る前に買ったらしいパンが二つ入っている。


「それは?」


「途中で食べる分です。これは荷物に入れなくても持てます」


「持てるかじゃなくて、歩く時に手が空くようにしろ」


「……じゃあ、一つ食べます」


 リュシアが顔を背けた。笑うのを堪えているのは、肩を見れば分かる。


 結局、パンは潰れないよう袋の上へ収まった。ノンノが荷を背負い直している間に、エルディアスも支給品と自分の持ち物を確かめる。第一層への往復なら要らなかった量の食料が、背中に重みを増していた。


     ◇


 黒い入口を前にすると、ノンノの口数が少なくなった。エルディアスが目を向けると、こちらの意図に気づいたらしく、ノンノは先に答える。


「気持ち悪いんじゃありません。少し緊張してるだけです」


「まだ何も聞いてない」


「聞こうとしてましたよね。今は本当に平気です。変わったらちゃんと言いますから」


 先に入った隊の者たちの姿は、もう見えない。リュシアが隣へ並ぶのを待ってから、ノンノも黒い入口へ向き直った。


「第二層を意識して入るんですよね」


「はい。向こうへ着いたら、まずは少し休みましょう。すぐに森へ出るわけではありませんから」


 ノンノが頷き、三人は第二層を意識して黒い入口を通った。

 視界を覆った闇が消えると、白い照明具に照らされた円形石室が現れた。先に到着した者たちは中央の転移紋を避けて壁際へ寄り、人数と荷物を確かめている。ノンノは一度目を閉じ、唾を飲み込むように喉を動かしたが、壁に手をついたり、その場でしゃがみ込んだりすることはなかった。


 リュシアはノンノを壁際の空いた場所へ促し、荷を下ろすのを手伝った。隊の者たちも全員が揃うのを待っており、留まる時間はある。


「第一層に入った時と比べて、どうですか。急いで答えなくてよいですよ」


「少し変な感じはします。でも、目が回る感じはないです。第一層に入った時と、そんなに違わないと思います」


 リュシアは頷き、そのまま傍で待った。ノンノもすぐに平気だと言い重ねず、肩紐を緩めて水を飲む。しばらくして立ち上がった時には、足元へ落としていた視線もいつもの高さへ戻っていた。


 リュシアが近くを一緒に歩き、言葉を交わしてからエルディアスを見る。


 ――今のところ、第一層より悪い様子はありません。


 ――歩き始めてからも見ておこう。


 リュシアは小さく頷いた。責任者へ様子を伝えている間に、ノンノは石室の中央へ目を向けた。先に確認を終えた者が転移紋へ進み、その姿が消えるのを見て、耳が立つ。


「次は、あれを使うんですか。この部屋から森まで?」


「塔の出口へ移れる。そこから外へ出れば森だ」


「じゃあ、もうすぐなんですね。もっと奥まで歩くのかと思ってました」


 自分たちの番が来ると、ノンノは荷を背負い直し、リュシアと共に中央へ進んだ。エルディアスも転移紋へ入り、塔の出口へ移る。


 先に着いた者たちが外へ出ていく後ろを追い、ノンノも明るい方へ足を進めた。ところが、塔の外へ出た途端、ノンノは別の理由で動かなくなった。


「……え?」


 顔がゆっくりと上を向く。頭上で重なった枝葉の隙間には明るい空があり、その下を風が通っていた。葉が擦れる音は一本の木から隣の木へ渡り、遠くへ続いている。塔の足元には草が生え、露出した根の間に積もった落ち葉が、先を行く靴の下で沈んだ。


 ノンノは空から森へ、森から足元へと視線を動かし、最後に今出てきた塔を振り返った。


「ここ、第二層ですよね。外へ出たんじゃなくて」


「そうだ」


「森だとは聞いてましたけど……上が、ずっと空なんですけど」


 首を傾け、枝の少ないところからさらに遠くを見ようとする。壁や天井を探しているのだろう。エルディアスにも覚えのある動きだった。


「俺も最初に来た時は探した」


「あったんですか?」


「見つからなかった」


「じゃあ、どこまであるんですか。この森も、あの空も」


「それを調べてる」


 ノンノの目が、荷物を運び出している調査隊へ向いた。紙の上に線を引いていた一人が顔を上げ、少し笑う。


「見えるところまで全部測れていれば、今日の荷物はもう少し軽くできたんだがね」


 傍らには長い縄が巻かれ、その上へ杭の束が載せられている。ノンノはそれらを見てから、もう一度木々の奥へ目を向けた。


「島の森みたいな匂いがします。木は違いますけど、湿った土とか、葉っぱの下とか。第一層とは全然違うんですね」


「足元も違いますから、上ばかり見ていると転びますよ」


「今は止まってます。……リュシアさんも、初めて来た時は驚きませんでした?」


「驚きましたよ。話を聞いているのと、自分で見るのとでは違いますから」


 リュシアの返事に安心したのか、ノンノは遠慮なく森を見回し始めた。枝の上で何かが動けば耳がそちらを向き、風に草が倒れれば、その先を目で追う。初めて見るものの多さに、どこへ顔を向けるか決めかねているようだった。


 その隣で、リュシアも森の奥へ視線を向けていた。ただし、見ている方角はノンノとは違う。塔から村へ向かった時に使った道が、木々の間へ細く続いている。


「リュシア殿、エルディアス殿。経路を確認しておきたい」


 責任者の声で、リュシアが顔を戻した。荷箱の上へ広げられた地図を、三人で覗き込む。


 村へ至る線は、昨日見たものと同じだった。その途中からではなく、塔の近くを起点にして、別の方角へ新しい線が引かれている。線の端には短い書き込みがあり、そこから先はまだ空白が多かった。


「村には寄らないのか」


「今回は、こちらから森の外縁を目指す。先行班との合流も村ではなく、外縁側で行う予定だ。塔にいる班が途中まで経路を確認しているので、そこまでは案内を出してもらう」


 男の指が新しい線を辿った。村へ向かう道とは、出だしから離れていく。


「昨日の地図にはなかった線だな」


「こちらで進めていた測量の分だ。村を経由する道とは別になる。確認済みの範囲を越えたら、先の状態を見ながら進む。早く合流するために無理をするつもりはない」


 エルディアスは線の終わりと、森の外縁として記された位置を見比べた。この道なら、村の周囲で見たものを案内する機会はない。自分たちにとっても初めて進む場所になる。


「こっちは歩いてない。以前との違いを聞かれても分からないぞ」


「承知している。見覚えのあるものが出てきた時だけ教えてくれればよい」


 リュシアも地図を確かめ、頷いた。ノンノは横から線を目で辿っていたが、村の印のところで視線を止める。


「人が住んでる村も、本当にこの森の中にあるんですね。街で聞いていた時は、もっと小さな森の中に家が集まってるのかと思ってました」


「ここからでは見えませんね。歩いていく必要があります」


「お二人はそこまで行ったんですよね。今日は、そっちじゃない方へ行くんだ……」


 ノンノは地図から顔を上げ、二つの方角を見比べた。村のことをさらに聞こうと口を開きかけた時、前方から出発の声が掛かった。


 地図が巻かれ、荷箱が持ち上げられる。休んでいた者たちが立ち上がるのを見て、ノンノも肩紐を締め直した。リュシアが具合を尋ねると、今度は考える間もなく、しかし急いだ様子もなく答えた。


「もう変な感じもしません。ちゃんと歩けます。景色を見ていて遅れないようには、気をつけますけど」


「それなら行きましょう。疲れた時も、早めに教えてくださいね」


 先頭の案内役が木々の間へ入った。護衛が続き、その後ろを測量具と荷物を持った者たちが進んでいく。エルディアスたちにも声が掛かり、塔の傍を離れた。


     ◇


 村へ続く道は、歩き始めるとすぐに木立の向こうへ隠れた。


 こちらにも人の通った跡はあったが、道と呼べるほど広くはない。張り出した枝を避け、根を跨ぎながら、前の者が選んだ足場を辿る。荷の高い者が身を屈めると後ろも速度を落とし、窪んだ場所では短い注意が順に伝わってきた。


 ノンノは初め、聞こえるたびに律儀に前を覗き込んでいたが、やがてリュシアの踏んだ場所を見て歩くようになった。頭上へ目を向けるのは、一団が止まった時だけになっている。


 何度目かに足を止めた時、幹に結ばれた細い布が見えた。前方で案内役が印を確かめ、測量を担当する者が記録へ何かを書き足す。その作業が済むまで、列は動かなかった。


「三人で歩く時とは違いますね」


 ノンノが声を落として言った。


「もっと速いと思ったか」


「人が多いから、どんどん進むのかと思ってました。でも、後ろまでちゃんと来てるかも見るんですね。わたしが立ち止まったら、すぐ分かりそうです」


「分かる前に言えよ」


「分かってます。隠れて休もうとしてるんじゃありません」


 前方で合図があり、列が動き出す。ノンノはすぐにリュシアの後へ続いた。


 しばらく進むと地面が緩く下り、頭の上を覆っていた枝の重なりが薄くなった。木々の向こうまで見通せる場所に出て、ノンノが小さく息を漏らす。そこにもまた森が続いていた。高い幹の間を光が斜めに通り、遠い木の根元まで照らしている。


「まだ、こんなにあるんですね」


 今度は足を止めなかった。リュシアの後ろを歩きながら、ノンノは目だけでその広がりを追う。


「この先に砂漠があるって、ここからだと全然想像できません。さっきまで石の通路を歩いてたのに、今はこんなところで、その先には街まであるんですよね」


「街はまだ確かめてない」


「そうでした。……でも、森の外には出るんですよね」


「そのつもりで来た」


 昼前、先頭の案内役が幹の布印を数え直した。昨日までに確かめられていた経路はこの辺りで途切れ、先へ進むには一つずつ地形を見て道を選ぶ必要があるらしい。責任者が短い休止を告げると、測量具を持つ者が幹の間を測り、別の者が木の根元へ目印の杭を打った。後から来る者がこの道を辿れるようにするためだった。


 ノンノは水袋に口をつけながら、杭を打つ様子を眺めていた。


「この先の道が分からないなら、まっすぐ森を抜けることもできないんですね」


「森の端がどちらかは分かる。でも、荷を持って歩ける場所まで地図からは読めない」


 エルディアスが答えると、近くで記録をつけていた者が顔を上げた。


「今の道だって、最初は木の間へ入ってみて、戻って、また別の場所から調べているんです。獣が通った跡は見つかりますが、人が荷を運べるとは限りませんから」


 示された先には、細い踏み跡が斜面を横切っていた。何も持たずに一人で歩くなら通れそうだが、すぐ脇は落ち葉に覆われて足場が見えない。幅の広い荷を背負った者は、横向きに進むしかなさそうだった。


「それなら、こっちへ行かないんですか?」


 ノンノが少し離れた平らな地面を指した。リュシアも目を向ける。地面は歩きやすそうに見えたが、その先には低い茂みが続き、奥の様子が分からなかった。


「候補にはしている。今、先を見てくるところだ」


 測量の者は記録板を片手に答え、護衛を一人連れてそちらへ向かった。ノンノは手を振りかけて途中で止め、二人の姿が茂みに隠れるのを見送る。


 やがて戻ってきた二人は、茂みの先に浅い溝があり、荷を背負ったままでは越えにくいと報告した。隊は手前で少し回り、木が疎らな場所から進むことになった。歩く距離は延びたが、無理に溝を越えるよりは早い。


「見た目だけじゃ分からないんですね」


「だから先へ行って確かめたんだろ」


「分かってます。わたしがあそこを選んだら、全員を遠回りさせるところでした」


「俺もあそこを見て歩けそうだと思った」


 ノンノが驚いたように耳を立てた。エルディアスは荷を持ち上げ、再び動き出した列へ目を向ける。


「知らない道なんだから、外すこともある。誰かが確かめてから全員で動く。それでいい」


「……はい」


 ノンノは短く答え、リュシアの後ろへ戻った。森に入った時より、足を置く場所だけでなく、その先で何が見えなくなっているかを気にしている。


 ノンノは少しだけ顎を上げ、前を行く者たちの間から進行方向を見た。木々が続き、森の終わりはまだどこにも見えない。


 エルディアスも背負い直した荷の位置を確かめ、歩調を合わせた。後ろからは革の軋む音と、根を踏み越える靴音が続いている。


 前にこの森を歩いた時は、村へ辿り着くことしか考えていなかった。その村を離れ、塔へ戻った時にも、さらに別の方角へ道が続いていることを確かめようとはしなかった。


 測量の者が新しくつけた印は、後ろへ振り向いてもまだ見える。塔を出た時には、数日かけて森の端へ行くという話が遠く感じられた。今は目の前の一本を越え、その次を探しながら進んでいる。何度も足を止め、同じような木立を抜けているうちに、いつの間にか塔は見えなくなった。


 前の隊員から枝を避けるよう声が届くと、ノンノはリュシアへ伝え、荷の後ろまで聞こえたのを確かめてから歩き出した。先ほどは知らせを受け取るばかりだったが、今度は自分も列の一人として次へ渡している。その小さな違いに気づいたらしく、エルディアスと目が合うと、ノンノは何も言わずに少し笑った。


 先頭の姿が大きな幹の陰に隠れ、少し先でまた見えた。リュシアとノンノもその後へ続いていく。


 エルディアスは、まだ踏んだことのない土へ足を下ろした。


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