第79話 所在
ノンノがエルディアスたちと一緒に依頼を受けるようになってから、数日が過ぎた。
朝になれば三人で宿の食堂へ下り、そのまま冒険者ギルドへ向かう。第一層へも何度か入り、今のところ、そこで出会った魔物にはニペクの使役が通用していた。ノンノのマナ酔いも軽くなり、入口付近で少し歩調を落とせば、そのまま依頼をこなせる程度には慣れてきている。
一方で、姉を探す方は進んでいない。ラゼンへ問い合わせを出してから、すでに一週間以上が経っているが、ノンノの姉とその師匠について新しい知らせはなかった。レムノアへ送った書簡については、いつ返事が来るのかすら分からない。
「今日は何を受けます?」
その朝も、冒険者ギルドへ向かう途中でノンノが尋ねた。
「昨日は採取だったから、今日は討伐でもいいですよね。ニペクも使えますし」
「依頼を見てからだ」
「またそれですか」
「昨日もそれで採取になっただろ」
「だから今日は討伐がいいんです」
「結局、希望はあるんですね」
隣を歩いていたリュシアが笑う。
「危なくない相手ならいいじゃないですか」
「それを決めるために依頼を見るんだろ」
「エルはこういうところだけ妙に堅いですよね」
「こういうところだからだ」
ノンノが何か言い返そうとしたところで、冒険者ギルドへ着いた。
朝の広間にはすでに人が多い。ノンノが依頼板へ向かおうとすると、受付の奥にいたミュリカが先にエルディアスを呼んだ。
「エルさん。レナートさんが来ています」
「レナートが?」
「はい。奥で待っています。エルさんに話があるそうです」
リュシアが僅かに首を傾けた。
「私ではなく、エルだけですか?」
「そう聞いています」
ミュリカが答えた。
――第二層でしょうか。
リュシアの声が内側へ届く。
――たぶんな。
――終わったら教えてください。
――ああ。
「行ってくる」
「はい。依頼は見ておきます」
リュシアはそれ以上聞かなかった。
「じゃあ、わたしもリュシアさんと依頼を見てますね」
「ああ」
エルディアスはミュリカに案内され、受付の奥へ向かった。
小さな打ち合わせ部屋では、レナートが何枚もの記録を卓へ広げていた。
「来たか。座れ」
エルディアスが向かいへ腰を下ろすと、レナートは一枚の紙を滑らせてきた。
そこには、黒碑へ新たに刻まれた一文が写されている。
幸せを選んだ者に、帰る場所はない。
「これか」
「ああ。既存の記録と照らしてみた」
「何か見つかった?」
「いや。勇者や魔王に関する記録、過去の迷宮碑文、古い伝承まで当たったが、直接つながるものはない」
レナートは写しへ視線を落とした。
「ただ、第二層を越えたあとに現れた以上、次の階層に関わる文と見るのが自然だ」
「第三層のルールか」
「おそらくな。だが、その第三層がどこにあるのかは、まだ分かっていない」
王都の調査は今も続いている。第一層は改めて確認され、第二層でも塔から村までの経路だけでなく、村の周囲へ測量範囲が広げられていた。
「村の先も調べてるのか」
「ああ。お前たちが使った道を基準に、そのまま先へ伸ばしている」
レナートは卓上の地図を引き寄せた。
塔から森の中へ線が伸び、その途中に村が記されている。さらに村の先にも細い線が続き、森が途切れる位置で止まっていた。
「ここまでは測量が済んでいる」
「森の端まで?」
「ああ。村からほぼ同じ方向へ進めば、やがて森が終わる。そこまでは確認できた」
「その先は?」
「まだ詳しく調べていない。今は村の周辺と、ニルスとクラリスの捜索を優先している」
「まだ続けてるんだな」
「ああ。止める理由を外へ出せないからな」
「そうだな」
それだけで話は通じた。
レナートは地図を置き、別の記録を開いた。
「それとは別に、一つ結果が出ている。村人を塔の方まで同行させてみたらしい」
「村人を?」
「何人かに頼んで、調査班と一緒に村を出てもらった。村の外へ出ること自体は、もう問題ない」
エルディアスは続きを待った。
「だが、塔へ向かう途中で進めなくなった」
「道が塞がった?」
「何もない。調査班はそのまま先へ進めるし、見た目にも境界らしいものはない。村人だけが、ある場所から先へ足を出せなくなったそうだ」
エルディアスは、自分たちが村から出られなかった時のことを思い出した。
「俺たちが村から出られなかった時と似てるな」
「現象だけ見ればな。ただ、俺は既知の別の事例に近いと思っている」
「何だ」
「ダンジョン由来の生物は、ダンジョンの外へ出られない」
レナートは記録を指先で押さえた。
「過去にも確認されている。ダンジョン内で生まれた魔物を捕らえて外へ運ぼうとしても、境界を越えられない。眠らせても、縛って運んでも同じだ。ダンジョンに属する生物は、その領域の外へ出せない」
「じゃあ、村人も同じだと?」
「可能性はある」
レナートはそこで言葉を止めた。
「少なくとも、外から来た普通の人間があそこで暮らしているだけ、と考えるよりは妙だ。村人そのものが第二層に属していると考えれば説明はつく」
見た目も、話し方も、暮らし方も普通の人族と変わらない。
それでも、第二層から出ることはできない。
「本人たちは?」
「理由は分かっていないらしい。先へ行けない。それだけだ」
「何度も試してないよな」
「一度分かれば十分だ。繰り返す意味はない」
その答えに、エルディアスは頷いた。
「それで、今日は何を聞きたい」
「お前が第二層を出た時の記憶と、今の調査結果に食い違いがないか確認したい」
レナートが再び地図へ目を落とす。
「村を出られるようになってから塔へ戻るまで、それまでになかった道や構造物は見なかったか?」
「見てない」
「塔の中は?」
「入った時と同じだった。俺が通った範囲では」
「新しい扉や転移紋は?」
「ない」
答えながら当時を思い返す。
村を出て、塔へ戻り、そのまま第二層を抜けた。あの時に周囲を隅々まで調べ直したわけではないが、露骨に何かが増えていたなら気づいたはずだった。
レナートは記録の端へ短く書き加えた。
「今のところ、現地の調査結果とお前の記憶に大きな食い違いはないな」
「じゃあ、まだ分からないままか」
「そうなる」
レナートはあっさり答えた。
「新しい道が現れた形跡はない。ただ、それだけだ。最初からあるものを入口だと認識できていないのかもしれないし、何か条件を満たしていない可能性もある」
「この文が関係してる?」
「可能性はある。だが、第三層へ入るための条件なのか、入ったあとに課されるルールなのかは分からん」
レナートは黒碑の写しを伏せた。
「分からない時は、分からないままにしておけ。推測を事実として扱うと後で邪魔になる」
「相変わらずだな」
「ダンジョンを調べるなら当然だ」
エルディアスは椅子へ背を預けた。
「また第二層へ入ることになるか?」
「俺が決めることじゃない」
レナートは記録をまとめながら答える。
「現地を見直す必要が出る可能性はある。実際にどうするかは、王都側が判断するだろう」
「その時は俺たちも呼ばれそうだな」
「お前とリュシアは、第二層が変わる前と後を両方見ている。必要とされる可能性は高いだろうな」
「ああ」
そこでレナートが少し考える。
「今もリュシアと二人で動いてるのか?」
「今は一人増えてる」
「一人?」
「ノンノ・ミーゴ。臨時で一緒に依頼を受けてる」
「何者だ?」
「ミズナギ島から来た猫人族だ。姉を探してる。今は手掛かりの返事待ちで、その間だけ一緒に動いてる」
「冒険者か?」
「登録はしてる。水の低級術式も少し使える」
「それだけで第一層へ?」
「古い精霊術の魔導書から精霊を呼び出せる」
「古い精霊術……」
「詳しい仕組みは、今も魔術ギルドで調べてもらってる」
「今の精霊術とは違うのか?」
「かなり違うらしい」
レナートは少しだけ興味深そうに眉を寄せた。
「その魔導書は見てみたいな。本人が構わないと言うなら、そのうち見せてくれ」
「ああ」
「第二層へ連れていく予定は?」
「何も決めてない」
「そうか」
レナートはそれ以上、ノンノについて聞かなかった。
「俺から確認したかったのは、そのくらいだ」
「分かった」
エルディアスは立ち上がり、部屋を出た。
広間へ戻ると、リュシアとノンノはまだ依頼板の前にいた。
ノンノが一枚の依頼票を手にし、リュシアへ何かを話している。こちらに気づいたリュシアと目が合った。
――終わりましたか。
――ああ。
――何かありました?
――少し。あとで話す。
――分かりました。
リュシアはそれだけで依頼板へ視線を戻した。
エルディアスが近づくと、ノンノがすぐに手にしていた依頼票を差し出してくる。
「これ、どうです?」
第一層の小型魔物を対象にした討伐依頼だった。
「結局、討伐か」
「ちゃんと危なくないのを選びました」
「私も見ました。これなら問題ないと思います」
リュシアが横から言う。
エルディアスは依頼票へ目を通した。
「なら、これでいい」
「やった」
ノンノの耳が立つ。
三人はそのまま受付へ向かった。




