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第66話 定着

 修道院を訪れると、一昨日厨房で一緒になった修道女が庭にいた。


 干していた布を取り込んでいたところらしく、籠を抱えたまま二人に気づいて足を止める。庭では何人かの子供が水を運び、畑の端では年長らしい少女が小さな子に何かを教えながら草を抜いていた。


「また来てくださったのですね」


「はい。少し相談がありまして」


「厨房のことでしょうか?」


「よく分かりましたね」


「一昨日から、ずっと食べ物のことを気にしていらっしゃいましたから」


 言われてみればその通りだった。


 リュシアは否定せず、修道女とともに建物の中へ入った。


 通されたのは厨房の手前にある小さな食堂だった。昼にはまだ早く、長机の周りに子供の姿はない。修道女が向かいへ座ると、リュシアは昨日まとめた紙を机へ広げた。


「昨日、市場を見て回ってから、宿の厨房を借りて一つ料理を作ってみました。小魚と豆、粗い麦、それから根菜を使った煮込みです」


「もう作られたのですか?」


「一度だけです。時間を置いた時にどう変わるかも今朝確認しました。こちらでも使えるかもしれないと思っています」


 紙には使った食材と、大まかな手順が書かれている。


「小魚でも汁に味が出ますし、豆と麦を使えば魚の身が少なくても食べた感じは出せます。材料も、こちらで普段使っているものから大きく外れてはいません。ただ、人数分を作るのであれば、いくつか道具があった方が楽です」


 もう一枚の紙を見せる。


 大きな漉し網。豆を潰すための丈夫な木の棒。まな板。それから、下拵えした食材を分けるための浅い桶。


「こちらは?」


「神殿が提供してくださるそうです」


 修道女が驚いたように顔を上げた。


「神殿が?」


「必要であれば、ですが。勝手に送るのではなく、こちらで使うかを先に確かめてほしいと言われました」


「それは……ありがたいです。漉し網は小さいものしかありませんし、まな板も一枚はかなり薄くなっています。桶もあれば使います」


 すぐに喜ぶだけではなく、修道女は紙をもう一度確かめる。


「ですが、本当にいただいてしまってよいのでしょうか?」


「ローデン神殿長は、そのつもりでした」


「あなたがお願いしてくださったのですか?」


「相談しただけです」


 リュシアがエルディアスを見る。


「エルが、買う前に神殿へ行ってみればよいと言ったので」


「そうでしたか。ありがとうございます」


 今度はエルディアスへ頭を下げられた。


「俺は何も出してない」


「それでも、きっかけを作ってくださったのでしょう?」


「まあ」


 昨日の神殿長との話まで説明する必要はない。


 リュシアもそれ以上触れず、最初の紙へ戻った。


「では、道具については神殿へ必要だと伝えます。それとは別に、まず少ない量をこちらで作らせていただきたいと思っています。味を見ていただいて、作る手間にも問題がなければ、その次に子供たちへ出せる量を試します」


「もちろんです。厨房も使ってください」


「ありがとうございます。では、市場へ行って食材を買ってきます。昨日見つけた魚が今日もあればよいのですが、なければ似たものを――」


「待て」


 エルディアスが止めた。


 リュシアが振り向く。


「何ですか?」


「また全部やるのか?」


「まず私が作らなければ、こちらで使えるか分からないでしょう」


「作るところだけじゃない。市場へ行って、お前が魚を選んで、豆も麦も野菜も買って、ここまで運んで、下拵えして、鍋に入れるんだろ」


「はい。そのつもりです」


「それでうまくいったら?」


「手順を残します」


「紙で?」


「もちろん、作り方も説明します」


「誰に?」


 リュシアの返事が少し遅れた。


 エルディアスは机の紙を見る。


「昨日、お前が魚を買った時、安い小魚なら何でもよかったわけじゃないだろ」


「骨が柔らかくなるものを選びました」


「豆も、一番安いのを適当に買ったわけじゃない」


「煮れば潰せる種類を選びました」


「麦もそうだ。野菜もそう。作り方だけ残しても、次に市場へ行った奴が何を買えばいいか分からなかったら同じものは作れない」


 リュシアは黙った。


 市場で何を選んだかだけなら書ける。


 だが、昨日と同じ品がいつでも並んでいるわけではない。魚は日によって水揚げが違い、野菜にも季節がある。安いものには安い理由があり、その理由を調理で補えるかを考えて選んだ。


 完成した料理だけを教えても、その前の部分が抜け落ちる。


「なら、市場での選び方から説明します」


「それを誰に教える?」


「修道院の方に」


 修道女が少し困ったように笑った。


「教えていただけるのはありがたいです。でも、毎日市場へ行ける者が同じとは限りません。厨房も、日によって別の者が入ります」


「そうですよね」


「お前が毎日来れば解決するけどな」


 エルディアスが言う。


「しばらくなら来られます」


「しばらくはな」


 その先は言われなくても分かった。


 二人は今、休んでいる。


 黒碑王墓迷宮へ次に入る日程は決まっていないが、セレイスへ定住して修道院の厨房を任されたわけではない。


「お前がここにいる間だけ飯が変わって、お前がいなくなったら元に戻る。それでいいなら好きに作ればいい」


 言い方は相変わらずだったが、否定したいことは分かった。


「よくないです」


「なら、お前がいなくても続くようにしろ」


「具体的には?」


「料理を作ってやるんじゃなくて、作れる奴を増やす。食材を買ってくるんじゃなくて、何を見て選ぶのか教える。道具も、どう使えば手間が減るかまで残す」


 エルディアスは庭の方へ目を向けた。


 窓の外を、先ほどの子供が水桶を抱えて横切っていく。


「子供にもできることはあるだろ」


「包丁や火は危ないですよ」


「そこまでやらせろとは言ってない。豆を水へ入れる、野菜を洗う、麦を量る、桶を洗う。できることだけ覚えればいい」


 修道女が頷いた。


「今でも年長の子には、庭の水やりや食器の片づけを手伝ってもらっています。それくらいならできますね」


「その子たちが大きくなれば、今度は下の子に教えられる」


 リュシアは庭へ目を向けた。


 先ほど草を抜いていた少女が、小さな子の持つ籠へ抜いた草を入れている。


「……そうですね」


 少し考えてから、机の紙へ戻る。


「魚を選ぶところから、ですね。どうしてこの魚なのか。豆なら、どのくらい水に浸けるのか。麦を入れすぎるとどうなるのか。香りのある野菜がなければ、何を代わりに使えるか」


「その辺は俺には分からん」


「エルが分からなくても大丈夫です」


「知ってる」


「調理器具も、あるだけでは意味がありませんね。漉し網をどう使えば骨を取りやすいか、豆を潰す時に全部潰す必要はないことも伝えないと」


 考え始めると、必要なことは増えていった。


 一度作って見せるだけなら簡単だ。


 だが、別の人間が翌日にも、その次の日にも同じ考え方で作るとなれば話は違う。


「時間が掛かりますね」


「だろうな」


「市場も何度か一緒に回った方がよいと思います。昨日と違うものが並んだ時に、どう選ぶかも見てもらった方がいいですし」


「それを修道院の人全員にやるのか?」


 リュシアが止まる。


「……難しいですね」


 修道院の者には厨房以外にも仕事がある。子供の世話、掃除、洗濯、畑、外から来る者への対応。何日も一人をリュシアへ付ききりにする余裕があるとは限らない。


「一人いればよいのですが」


「何が?」


「最初に私と一緒に回って、考え方を覚えてくださる方です」


 リュシアは紙の余白へ指を置いた。


「ある程度料理ができて、市場で買い物をしたことがある人。その方に私と一緒に市場を回ってもらって、料理も何度か一緒に作る。私が来られない時は、その方が修道院の皆さんとやってみる」


「料理人を雇うのか?」


「そこまで専門の方でなくてもよいと思います。普通に料理ができて、こちらで使える食材を知っている方なら」


「それならギルドで探せるんじゃないか」


「ギルド?」


「人を雇うなら、そこだろ」


 冒険者ギルドの依頼は魔物討伐だけではない。荷運び、護衛、採集、店の手伝い、街中の雑用まで、金を払う者がいて内容に問題がなければ仕事として扱われる。


「料理のできる人、という条件でも?」


「聞いてみないと分からん。冒険者だって旅先じゃ飯くらい作る。今は危険な依頼を受けてない奴もいるだろ」


 リュシアは少し考えた。


「冒険者である必要はありませんよね」


「ギルドに登録して仕事を受けられるならな」


「家庭で普段から料理をしている方でも構いません。むしろ、毎日の食事を作ることに慣れている方の方がよいかもしれませんね」


 修道女が口を挟む。


「ですが、人を雇うとなれば費用が掛かります」


「それは私が出します」


 返事は早かった。


 エルディアスが横を見る。


「そこは自分で出すんだな」


「今回は私が始めたいことですから」


「神殿へ行く?」


「行きません」


「即答か」


「調理器具とは違います。これは私が、自分の代わりにしばらく手伝ってくださる人を雇いたいのです」


「共同勘定は?」


「使いません。私個人のお金から出します」


「ならいい」


 修道女はまだ少し遠慮しているようだった。


「本当に、そこまでしていただいてよいのでしょうか」


「ずっとではありません」


 リュシアは答えた。


「私がいなくても、こちらで続けられるようになるまでです。手伝う方が必要なくなれば、依頼も終わりです」


「それなら……お願いしてもよいでしょうか」


「はい」


 今度の返事には迷いがなかった。


     ◇


 修道院を出た二人は、そのまま冒険者ギルドへ向かった。


 昼前の大広間は、朝の依頼争いが一段落したあとで、それほど混んでいない。受付にいたミュリカが二人を見ると、少し意外そうに眉を上げた。


「今日はお休みではなかったんですか?」


「休んでいます」


 リュシアが答える。


「依頼を出したいのですが」


「受ける方ではなくて?」


「出す方です」


 ミュリカの視線がエルディアスへ移る。


「何をさせたんですか?」


「俺を見るな」


「では、依頼内容をお願いします」


 切り替えが早い。


 リュシアは修道院で決めた内容を説明した。


 南側の修道院での炊事に関する補助。市場での食材選びから下拵え、調理までを何度か一緒に行い、その後は修道院側が自分たちで続けられるよう手助けすること。必要に応じて子供たちにも安全な作業を教えてほしいこと。


 ミュリカは記録板へ書き込みながら、途中で顔を上げた。


「つまり、料理を作って納品する依頼ではないのですね」


「はい。最終的には、その方がいなくても修道院で続けられるようにしたいです」


「でしたら、料理の経験は必要ですか?」


「少しはあった方がよいです」


「料理人として働いた経験まで?」


「そこまでは求めません。家庭で日常的に料理をしている方でも、旅先で自炊していた方でも構いません」


 リュシアは少し考えてから付け加えた。


「ただ、最初は私と一緒に市場を回っていただきたいです。値段だけではなく、安い理由や、どう調理すれば使えるかを一緒に見てくださる方がよいと思います」


「なるほど」


 ミュリカの筆が少し止まる。


「決められた材料を買う人ではなく、その場で選べる人ですね」


「はい。私がいなくなっても、似たものを自分で探せるようになってほしいので」


「それだと、料理が少しできるだけの新人より、生活経験のある方の方が向いていそうですね」


「私もそう思います」


「元冒険者でも構いませんか?」


「もちろんです」


「危険な仕事を辞めて、今は街中の短期依頼だけ受けている方もいます。家の都合で毎日は働けない方もいますので、そういう条件なら合う人がいるかもしれません」


 リュシアの表情が少し明るくなった。


「それなら、お願いしたいです」


「ただし、最初から長期間で募集するより、何日か一緒に動いてみて、合う方なら続けていただく形にした方がよいでしょうね」


「その方がよいと思います」


「では、まず短期で出します。市場での買い出しと炊事補助。料理経験のある方を優先。依頼人と一緒に数日動いたあと、必要であれば延長する形で」


「お願いします」


 ミュリカは最後に報酬欄へ指を置いた。


「報酬を出すのはリュシアさん個人でよろしいですか?」


「はい。私が出します」


 答えは早かった。


 エルディアスが横から口を挟む。


「共同勘定は使うなよ」


「使いません。私個人のお金から出します」


「ならいい」


 ミュリカは二人を見比べたが、特に追及せず記録板へ戻った。


「報酬は拘束時間と日数を見て決めましょう。料理経験を条件にする分、単純な荷運びよりは少し上にした方が集まりやすいと思います」


「構いません」


「依頼人は、リュシア・フェル・ノルディア殿個人でよろしいですね?」


「はい」


 記録板へ名前が書かれる。


 リュシアはその文字を確認してから、机に広げた紙へ目を落とした。


 最初は、自分で食材を買い、自分で料理を作るつもりだった。


 その方が早い。


 自分がやれば失敗も少ない。


 けれど、それでは自分がいなくなったところで終わる。


 市場で何を見るか。なぜその食材を選ぶのか。どうすれば手間を減らせるのか。誰がどこまで手伝えるのか。


 残すべきなのは料理そのものだけではないらしい。


「依頼名はどうします?」


 ミュリカに尋ねられ、リュシアは少し考えた。


「炊事補助……では少し違いますね」


「そうですね。補助だけなら、料理を手伝えば終わってしまいます」


 ミュリカも記録板を見ながら考える。


「では、『炊事指導補助』では?」


「私が指導する側なのですけど」


「だから補助です」


「なるほど」


「それでよいんじゃないか」


 エルディアスが言うと、リュシアも頷いた。


「では、それでお願いします」


 ミュリカの筆が動く。


 南修道院・炊事指導補助。


 依頼人――リュシア・フェル・ノルディア。


 その下には、料理経験者優先、と一行が加えられた。


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