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閑話 2頁

 セレイスは、戻ってきてもいい街だった。


 海から吹く風は少し湿っていて、港へ続く道には荷車が行き交い、冒険者ギルドへ入れば昼間から酒を飲んでいる人までいる。何日も同じ村の中で朝と夜を繰り返していたせいか、昨日ここへ戻った時には、その全部がひどく久しぶりに感じられた。


 第一層を終えた時にも、私はこの街をいいと思った。


 今もそこは変わらない。


 ただ、今度は七人で帰ってこられなかった。


 ニルスさんとクラリスさんは、まだ行方不明ということになっている。


 今日の聞き取りでもそう話したし、ラウルさんたちもそう思っている。王都から来た人たちは二人の捜索を続けていて、村まで人を送っているらしい。ラウルさんは何か分かればすぐ知らせてほしいと何度も念を押していた。


 たぶん、明日になっても気にするのだと思う。


 明後日も、その次も。


 けれど、私は知っている。


 二人はもう戻らない。


 村長さんから直接聞いた。


 自分が殺したのだと。


 あの時のことは、今でもうまく考えられない。


 前の晩、村長さんは私たちと一緒に二人を探していた。鍵の掛かった場所を開け、村の人たちへ声を掛け、昔使っていた場所まで教えてくれた。朝になってからも、二人は見つかったかと普通に尋ねてきた。


 その人が、二人は死んでいると言った。


 自分が殺したから、探しても見つからないのだと。


 嘘をついていたようには見えなかった。


 探していた時も、殺したと話した時も。


 それが一番気持ち悪かった。


 やがて村長さんから赤いものが抜けて消えると、今度は二人を殺したことだけを忘れた。使徒だったことも、自分が何をしていたのかも知らない。それなのに、昨夜皆で二人を探したことは覚えているから、また心配そうに二人を探そうとする。


 何を考えればいいのか分からなかった。


 恨めばいいのか、責めればいいのか、それすら分からない。


 目の前にいるのは間違いなく二人を殺した人なのに、その本人はもうそのことを知らない。


 サイアクだと思う。


 第一層の時にも何度もそう思ったけれど、このダンジョンは本当に性格が悪い。


 戦って負ければ死ぬ。罠に掛かれば死ぬ。判断を間違えても死ぬ。それなら冒険者をしている以上、嫌でも受け入れるしかない。


 けれど、第二層で起きたことは、そういう話ではなかった。


 死んだはずの人が別の日には普通に生きていて、自分が経験したはずのことを自分だけが覚えていない。誰かを殺した人間が、そのことだけを失って、殺した相手を本気で探す。


 自分が何をしたのか。


 誰と話したのか。


 誰が生きていて、誰が死んだのか。


 そんなものまで、自分のものではなくなる。


 それが嫌だった。


 私にも、覚えていない日がある。


 青の私がいた。


 黄の私もいた。


 エルからそう聞いた。


 最初は信じられなかった。自分の記憶には何もないのだから当然だと思う。けれど、子供の頃に作った木剣の話をされた時には、信じるしかなかった。


 折れた木剣を家の裏へ埋めたことは、父にも母にも話していない。


 今の私は、エルにも話していない。


 それなのに知っていた。


 別の日の私から聞いたのだと言われて、ようやく、自分が覚えていない自分というものを認めるしかなくなった。


 変な感じだった。


 怖い、とは少し違う気がする。


 気持ちが悪い、の方が近い。


 私がいたはずなのに、私にはその私が何を考えていたのか分からない。何を食べて、誰と話して、何を怖がったのかも知らない。


 それをエルだけが知っている。


 青ではラウルさんが死んだことも聞いた。


 その話を聞いた時、本人はすぐ近くにいた。普通に食事をして、いつものように皆へ指示を出していた。


 その人が死んでいるところを、別の私は見たらしい。


 実感なんてなかった。


 たぶん、これからもない。


 黄については、もっと知らない。


 何かがあったことだけは分かっている。


 ニルスさんとクラリスさんがいなくなった次の朝、エルは明らかにおかしかった。


 最初に私を見た。


 そのあと、自分の左手を見た。


 黒い糸を確かめるように。


 何かあったのかと尋ねても、すぐには答えなかった。


 エルが黙ること自体は珍しくない。何か考えている時は必要なことしか話さないし、確かめてもいないことを適当に口へ出す人でもない。


 だから、最初はそういうものだと思った。


 けれど、あの朝は違った。


 私を見た時のことも、黒い糸を見たことも、そのあとほとんど口を開かなかったことも、いつものエルとは少し違って見えた。


 黄で何があったのか。


 私は知らない。


 村長さんから青と黄がもう続いていないと聞いたあとで、それだけは確かめた。


 ――黄でも、何かあったのですね。


 エルは答えなかった。


 だから、今は聞かないことにした。


 それでいいと思った。


 村へ来る前の夜にも、似たことがあった。


 見張りをしながら家族の話になり、私がエルにも尋ねた。すると、遠い昔のことだから、もうあまり憶えていないと答えた。


 その直後、エルは左手を見た。


 私へ繋がる黒い糸を。


 私が余計なことを聞いたのだと思って謝ると、今度は何かを否定しかけて、途中で言葉を止めた。


 あの時には分かった。


 エルは、一度だけ使える嘘を使った。


 本当は何を憶えているのかは知らない。


 どうして隠したかったのかも知らない。


 聞かなかったからだ。


 それからも聞いていない。


 あの一度を使った以上、もうエルは私へ嘘をつけない。尋ねれば、本当のことを答えるか、黙るしかない。


 だからこそ、聞かない方がいいこともあるのだと思う。


 答えさせることができるからといって、何でも尋ねていいわけではない。


 黄についても同じだった。


 知ろうと思えば、たぶん聞ける。


 けれど、エルが話さないものを、今すぐ私が知る必要はない。


 今日、エルはヴァイス研究官と話すと言っていた。


 今朝の聞き取りでは話さなかったことも、あの人には伝えるつもりらしい。


 何をどこまで話すのかは聞かなかった。


 それも、今はそれでいい。


 第一層が終わった時、私はエルのことを、印象がよくない奴だと思っていた。


 今も同じだ。


 勝手に変な呪いを使ったし、必要だと思ったことしか話さない。自分一人で抱えられると思えば何も言わないし、家族のことでは一生に一度しか使えない嘘まで使った。


 印象がよくない奴。


 そこは変わっていない。


 どうせこの先も変わらない。


 死別契鎖《しがふたりをわかつまで》が、そういう呪いなのだから。


 ただ、知らなかったことは増えた。


 エルがどういう時に黙るのか。


 戦っている時に何を見ているのか。


 分からないことを、分かったふりはしないこと。


 危ないと思えば迷わず止めること。


 私が前へ出れば、それに合わせて術式を使うこと。


 それから、話したくないことまで無理に話す人ではないこと。


 だから私も、聞かないことにした。


 別に、エルのことを好きになったわけではない。


 嫌いになったわけでもない。


 そういうところは、最初から動かない。


 なのに、知っていることだけが増えていく。


 少し変な関係だと思う。


 もっと変なのは、エルの方が私について知っていることがあることだ。


 青の私。


 黄の私。


 今の私にはない記憶を、あの男だけが持っている。


 自分のことなのに、聞かなければ分からない。


 随分と意地の悪い呪いだと思う。


 しかも第二層が終わったあと、今度はエルへ神託が下った。


 白い光に包まれた姿を見た時は、第一層の自分を見ているようだった。


 意味は分かっているのに、それを言葉へしようとすると上手くいかない。私にも覚えがあったから、受け取ったものを無理に別の言葉へ変えなくていいと伝えた。


 第一層で私が困っていた時、エルがしてくれたことを返しただけだ。


 それから、エルは言った。


「幸せを選んだ者に、帰る場所はない」


 幸せ。


 随分と嫌な言葉だ。


 第一層では、勇者を選べと言われた。


 今度は、幸せを選んだ者は帰れないと言われる。


 勝手に選べと言っておいて、選んだら帰る場所がなくなるらしい。


 何なの、それ。


 そもそも、何を幸せと呼ぶのかも分からない。


 誰かと一緒にいることかもしれない。


 故郷へ帰ることかもしれない。


 好きな仕事をすることかもしれない。


 何もしないで昼まで寝ていることだって、その人がそう思うなら幸せなのかもしれない。


 そんなもの、自分で決めるものだと思っていた。


 少なくとも、ダンジョンに決めてもらうものではない。


 私はただ自由に生きたかった。


 第一層が終わった時にも、そう思った。


 仕事を選んで、行きたい場所へ行って、嫌になれば別の街へ移る。そのくらいは自分で決めたかった。


 けれど、勇者を選べと言われた。


 エルとは一生切れない黒い糸で繋がれた。


 今度は、幸せを選べば帰れないと言う。


 選ぶことまでルールにされるのは、本当に気に入らない。


 第一層が終わった時、私は自分のものではない物語に、名前だけを書き込まれてしまったようだと思った。


 第二層を終えた今も、その感じは残っている。


 ただ、今度は名前だけではない。


 私自身にも読めない頁がある。


 青の頁。


 黄の頁。


 そこには確かに私がいたはずなのに、何が書かれていたのかは知らない。


 エルだけが読んでいる。


 消えた頁を取り戻すことはできないし、聞けば全部分かるとも限らない。


 でも、それでいい。


 読めない頁があるなら、全部を無理に読む必要はない。


 聞くかどうかくらいは、私が決めたい。


 左手薬指からは、今日も黒い糸が伸びている。


 一生消えない。


 相変わらず、サイアクな呪いだと思う。


 幸せを選んだ者に、帰る場所はない。


 その言葉が何を意味するのかは、まだ分からない。


 なら、それも今は分からないままでいい。


 少なくとも、何を幸せと呼ぶのかまで勝手に決められてたまるか。


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