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第58話 報告

 森を戻る足取りは、来た時よりずっと速かった。


 ニルスが残した主要道標を辿れば、方角を測り直すために何度も立ち止まる必要はない。木の低い位置へ付けた色、根元から少し離して打ち込んだ杭、分岐にだけ残した目立つ印。その一つ一つがまだ残っており、先頭を歩くラウルとガルムは見つけるたびに迷わず進路を選んでいった。


 それでも村を出たのは昼を過ぎてからだった。歩くうちに頭上から差し込む光は弱まり、木々の間には少しずつ夕暮れの影が溜まり始めている。


「次は右だったな」


 ラウルが幹へ残された印を見た。


「ああ。その先でもう一度戻す」


 ガルムが答えると、後ろを歩いていたセルマも同じ印を見上げた。


「よく覚えてるわね。私はニルスに聞けばいいと思ってたから、順番までは覚えてないわ」


 言ってから、セルマは口を閉じた。ラウルも何も返さず、そのまま歩き始める。


 村を出てから、似たようなことが何度かあった。ニルスなら記録板を開いていたところで誰かが記憶を頼りに道を選び、そろそろ休んだ方がいい頃になっても、クラリスのように一人ずつ顔色を見て回る者はいない。必要なら自分から言えば済むことばかりなのに、いなくなった二人が担っていたものは、村を離れてからの方が目についた。


 エルディアスは最後尾に近い位置を歩きながら、一度だけ後ろを振り返った。追ってくる足音はなく、ニルスとクラリスがこの道を追ってくることもない。それを知っていても、確認することまでやめる気にはなれなかった。


 隣を歩いていたリュシアの声が内側へ届く。


 ――私も、さっきから何度か見ています。


 エルディアスは横目で彼女を見る。リュシアは前を向いたままだった。


 ――来るはずがないと分かっていても、です。


 ――そうだな。


 それ以上、二人とも何も言わなかった。


 赤の使徒だった村長から、ニルスとクラリスを殺したと聞いている。戦闘の後には二人の身体が残らなかったことも、その使徒としての役割を失った村長が、自分のしたことを何一つ覚えていないことも知っている。


 ラウルたちは知らない。だからこそ二人が戻る可能性を捨てず、村人へ捜索を頼み、自分たちも人を連れて戻るために村を出た。エルディアスもリュシアも、その希望をわざわざ否定するつもりはなかった。


 さらに道標をいくつか越えた頃、木々の向こうに灰色の輪郭が見え始めた。


「塔だ」


 ラウルの声にも、僅かに力が戻った。


 夕暮れの薄い光を受けた外壁は、来た時よりも黒ずんで見える。往路では塔から少しずつ経路を延ばし、時間を掛けて森の奥へ進んだ。今は一度作った道を逆に辿っているだけだから、同じ森とは思えないほど進みが早かった。


「これなら暗くなりきる前には――」


 ガルムが言いかけたところで、リュシアが足を止めた。


「待ってください。人がいます」


 五人の動きが揃って止まる。リュシアは塔ではなく、その手前に広がる森の左側へ顔を向けていた。


「複数です。十人以上だと思います。こちらへ向かっています」


 ラウルが剣へ手を掛け、ガルムも大盾をすぐ前へ回せるよう革帯を外した。セルマは白木の杖を持ち直し、エルディアスも周囲へ意識を向ける。


 ほどなく、前方から金属の触れ合う音が聞こえた。


「そこで止まれ! 所属を答えろ!」


 王国語だった。


 ラウルの肩から少し力が抜ける。


「《暁星》のラウルだ! 五人いる! 塔から森へ入った調査組だ!」


 向こうが急に騒がしくなった。


「五人?」


「待て、確認しろ!」


 木々の間から現れたのは、王立迷宮査察隊の装備を着けた騎士たちだった。その後ろには軽装の冒険者と治癒役もおり、食料や野営具まで背負っている。森の端を少し見て戻る人数ではなく、必要なら何日か捜索を続けることを前提に組まれた隊だった。


 先頭の騎士はラウルの顔を確認すると、その後ろにいる四人を順に数えた。


「五人しかいないのか」


「ああ。先に聞かせてくれ」


 ラウルが一歩前へ出る。


「ニルスとクラリスは、塔へ戻ってないか?」


「戻っていない。少なくとも、あんたたちより先に塔まで戻った者はいない」


 ラウルはしばらく黙った。


「……そうか」


「二人とはどこで別れた?」


「森の先に村がある。そこで二人がいなくなった」


「村?」


「ああ。岩壁に囲まれた人族の村だ。入口は一つしかない。俺たちの道標を辿れば行ける」


 隊の後ろにいた記録係らしい男が、すぐに板と紙を取り出した。


 ラウルは村までの経路を説明した。主要道標を外さないこと、途中に丸太橋があること、その先から人の使う道がはっきりすること。村へ着けば入口近くに鐘楼があり、ニルスとクラリスが最後に向かったのは村の北側だというところまで伝える。


「二人の痕跡は?」


「血と争った跡が残ってた。ニルスの矢とクラリスの治療道具もあったが、本人たちは見つかってない。村の中は俺たちも村人も探した」


「村の外へ出た可能性は?」


「ある」


 ラウルは迷わず答えた。


「俺たちが村へ入った後、しばらく外へ出られなくなった。今朝確認した時には通れるようになってたが、いつからそうなってたのかは分からない。その間に二人が外へ出た可能性は捨ててない」


 騎士は説明を聞きながら、記録係の書いた経路を確認した。


「日が落ちる。このまま初めての道を村まで進むのは避けるが、道標の始点までは確認する。そこで夜営して、明けたら先へ進もう。塔にも追加の人員を頼む」


「なら俺も行く」


「まず戻れ」


 ラウルの言葉を騎士が遮った。


「何日も連絡がなかった五人を見つけて、そのまま奥へ連れ戻すわけにはいかない。経路が分かったなら、こっちは人数を増やせる。あんたたちは塔へ戻って、ほかの隊にも同じ道を伝えてくれ」


「二人は俺たちの仲間だ」


「だから探す。五人で捜し続けるより、人数を増やすために戻ってきたんだろう」


 ラウルは答えなかった。


 ガルムが横から言う。


「戻るぞ。ここまで来てまた引き返したら、人を呼びに来た意味がない」


「……分かってる」


 ラウルは一度だけ村の方角を振り返り、改めて騎士へ向き直った。


「北側から先に見てくれ。血が残ってた場所を中心に、岩壁沿いまでだ。入口へ向かった足跡は見つからなかったが、見落としがあるかもしれない」


「ああ。明けたらそこから始める」


「頼む」


 捜索隊の一部が森の奥へ向かい、残った者たちと五人は塔へ戻った。


     ◇


 塔へ着いた頃には、森の中はほとんど夜になっていた。


 入口近くには王都が持ち込んだ灯具がいくつも置かれ、兵や冒険者が交代で周囲を警戒している。五人が姿を見せると待機していた者たちが集まり、名前と人数、負傷の有無を確認した。


 詳しい聞き取りは後へ回され、まず水と温かい食事を渡された。その間に捜索隊へ引き継ぐ経路だけを改めて確認し、ラウルとガルムが主要道標の位置を伝え、セルマは村の入口と鐘楼、リュシアは途中の橋や人の道へ変わる場所を補足する。エルディアスも、魔物と遭遇した位置や森の中で注意した方がいい場所だけを付け加えた。


 一通り終えたところで、連絡をまとめていた男が言った。


「そうだ。王墓側から、あんたたちが戻ったら伝えるよう言われてることがある」


 ラウルが顔を上げる。


「何だ?」


「黒碑に新しい文が増えた」


 五人の視線が男へ集まった。


「『幸せを選んだ者に、帰る場所はない』。王墓側で確認された文は、それだ」


 ガルムとセルマが、ほとんど同時にエルディアスを見る。


「……同じだな」


 ラウルが言った。


「ああ」


「昨日、エルが言ったのとまったく同じじゃない」


 セルマは困ったように眉を寄せた。


「なら、やっぱりあれは黒碑に刻まれる信託だったってこと?」


「そうだろうな」


「でも、どうしてあの時だったの?」


「分からん」


 ラウルも腕を組んだ。


「その信託と、俺たちが村から出られるようになったことは関係あるのか?」


「それも分からん。通れると確認したのは今朝だ。それより前から境界がなくなってた可能性もある」


「ああ。だから二人が外へ出た可能性も残ってる」


 ラウルはすぐにそちらへ考えを戻した。


 エルディアスは何も付け加えなかった。いつ境界がなくなったのかは、本当に知らない。ただ、第二層で起きたことと信託が無関係だとは思っていなかった。


 一通りの引き継ぎを終えると、五人は塔から戻るための経路を進み、転移紋を使って王墓側へ戻った。


 黒い入口を抜けた瞬間、夜の冷たい空気と、宿営地に焚かれた幾つもの灯りが視界へ入る。


「帰還五名!」


 帳場から声が上がり、待機していた職員や治癒役が駆け寄ってきた。七人で出たことは記録に残っているため、人数を数えた職員はすぐに二人足りないことへ気づいたが、第二層側ですでに捜索隊へ経路を引き継いでいると伝えると、その場で詳しく問い詰めることはしなかった。


 簡単な診察と装備の確認が始まる。大きな負傷をしている者はいない。細かな擦り傷や疲労はあっても、自力でセレイスまで戻れる程度だった。


 エルディアスは順番を待っている間、黒碑へ目を向けた。


 以前から刻まれていた三文の下に、四つ目の文字が増えている。


 勇者が魔王を倒す。


 リュシア・フェル・ノルディアが勇者を選ぶ。


 三王、勝者の歴史のみが続く。


 幸せを選んだ者に、帰る場所はない。


 間違いなく、自分が白い光の中で口にした言葉だった。


 隣へ来たリュシアも、しばらく黙って読んでいる。


 ――同じですね。


 ――ああ。


 ――これで、信託だったことだけは間違いありません。


 ――そこだけはな。


 なぜ自分に下ったのか。何をもって第二層の終わりとされたのか。なぜ、あの言葉でなければならなかったのか。


 ラウルたちには分からない。


 エルディアスには、その大半へ繋がるものがあった。三つの歴史。三人の使徒。青と黄の消失。最後まで残った赤。そして、黄で自分が選んだもの。


 それでも、今ここで話すつもりはなかった。


 帰還確認を終える頃には、セレイスへ戻る荷車も用意されていた。王墓前には治療所も天幕も十分に揃っているが、重傷者でもなく、翌日には街で詳しい聞き取りを受ける五人を前線へ泊める理由はない。


 ラウルは荷台へ乗る直前まで、第二層側から戻ってくる連絡員がいないか気にしていた。


「明けたらすぐに村へ向かうと言ってたな」


「ああ」


 ガルムが答える。


「今夜中に探せとは言えん。あの森を知らない奴らに、暗闇で道標を追わせる方が危ない」


「分かってる」


「なら座れ。お前まで探される側になるぞ」


「それは困るな」


 ようやくラウルが荷台へ上がった。


 荷車が動き出す。


 王墓の灯りが少しずつ後ろへ遠ざかり、代わりにセレイスの明かりが近づいてくる。何日も村の中だけで朝と夜を繰り返していた後では、街へ近づくほど増えていく人の声や荷車の音が、ひどく久しぶりのものに感じられた。


 セレイスへ着いた頃には、宵の鐘もとうに過ぎていた。


 それでも、冒険者ギルドの灯りは消えていなかった。


     ◇


 扉を開けると、潮と湿った革、古い紙の匂いが混じった馴染みの空気が流れてきた。


 夜も遅いというのに、大広間にはまだ何人もの冒険者が残っている。普段なら酒を飲みながら依頼の話をしている時間だが、五人が入った途端、入口に近い卓から順に声が小さくなった。


 王墓から捜索隊が出たことを知らない者の方が少ないのだろう。


 受付の向こうで帳面を見ていたミュリカも顔を上げた。いつもならエルディアスが戻ってきた程度で手を止める女ではない。そのミュリカが、すぐには何も言わなかった。


 視線が五人を順に追い、そのあとで開いたままの扉へ一度だけ向く。


「……ニルスさんとクラリスさんは?」


 答えたのはラウルだった。


「まだ見つかってない。向こうの捜索隊には場所を伝えてきた。明日の朝から村まで入って探してもらう」


 ミュリカは僅かに目を伏せたが、すぐに手元の帳面を開いた。


「分かりました。お二人は未帰還のまま、捜索継続として扱います。皆さんについては王墓から帰還の連絡も届いていますので、こちらでも処理しておきます」


「こんな時間まで残ってたのか?」


 ラウルが尋ねる。


「交代するつもりでした。でも、王墓から皆さんを発見したという連絡が来ましたので」


「それで待ってたのか」


「受付の仕事ですから」


 いつもの調子に近い返事だった。ただ、そう言ったミュリカの顔は、普段より少しだけ疲れて見えた。


 その時、奥の扉が開く。


「戻ったか」


 バルドだった。


 ギルド長はいつもと変わらない格好だったが、この時間まで執務室に残っていたらしい。五人を見た後、ミュリカと同じように入口へ一度だけ視線を向けた。


「話は王墓から来てる。二人が行方不明で、捜索隊が向かうんだな」


「ああ」


 ラウルが答える。


「俺も明日――」


「駄目だ」


「まだ最後まで言ってないぞ」


「明日、王都とこっちで正式な聞き取りをする。お前ら五人全員だ」


「聞き取りなんて後でもできるだろ」


「捜索隊に渡す情報を、お前が頭の中だけで持ってどうする」


 バルドは受付の脇へ置かれた書類を指した。


「今夜のうちに王墓から経路の写しが来る。明日の朝に追加で出る組にはそれを渡す。お前が森へ戻るより、ここで今日見たものを全部話した方が人数を増やせる」


「……分かってる」


「なら今日は寝ろ。《暁星》の隊長が倒れたら、今度は五人じゃなく四人になる」


 セルマが小さく息を吐いた。


「それ、私たちが言っても聞かなかったのよ」


「俺は聞いてた」


「返事をしたのと聞いたのは違うでしょう」


「今その話をするのか?」


「戻ってきたからできるのよ」


 そのやり取りに、張りつめていた大広間の空気が僅かに緩んだ。


 バルドはエルディアスへ顔を向ける。


「お前ら二人もだ。詳しい話は明日でいい。今日は帰還確認だけで終わらせる」


「助かる」


「お前が素直にそう言うなら、相当疲れてるな」


「なら早く帰せ」


「そのつもりだ」


 ミュリカが帳面を閉じる。


「明日の聞き取りは朝の鐘の後です。こちらの二階を使います。王立迷宮査察隊の記録官と王都の調査担当、それからギルド側も同席します」


「全員で?」


 セルマが尋ねた。


「まずは五名一緒です。個別に確認が必要な部分が出れば、その後に分ける予定です」


「今日は何も聞かないの?」


「聞きたいことはたくさんあります」


 ミュリカは即答した。


「ですが、今から始めると朝になりますので」


「それは嫌ね」


「私も嫌です」


 少し離れた卓で、誰かが笑った。


 大広間に残っていた冒険者たちも、ようやく普段の声量へ戻り始める。それでも五人しか帰らなかったことは見れば分かるため、近づいて事情を聞こうとする者はいなかった。


 ラウルは帰る直前、もう一度ミュリカへ尋ねた。


「二人の捜索で何か連絡が入ったら、すぐ教えてもらえるか」


「はい。夜中であっても、戻ったという知らせなら届けます」


「頼む」


「分かりました」


 ミュリカはそこで少しだけ表情を緩めた。


「まずは、お帰りなさい」


 ラウルが僅かに目を見開いた。


「ああ。ただいま」


 ガルムとセルマもそれぞれ短く返し、リュシアは小さく頭を下げた。


 エルディアスは何も言わずに扉へ向かったが、外へ出る寸前でミュリカの声が追ってきた。


「エルさん」


「何だ」


「明日は逃げないでくださいね」


「報告くらいする」


「前にも似たようなことを聞いた気がします」


「気のせいだ」


「では、そういうことにしておきます」


 エルディアスは返事をせず、ギルドを出た。


     ◇


 翌朝、王都による第二層の聞き取りが始まった。


 冒険者ギルド二階の会議室には、王立迷宮査察隊の記録官と王都から派遣されている調査員、ギルド側の職員が席を並べていた。バルドも途中までは立ち会うらしく、窓際の席へ座っている。


 卓の中央には第二層の経路図が広げられていた。塔から森へ伸ばした主要道標の位置も、昨夜のうちに王墓から送られてきた情報を基に書き足されている。


 部屋へ入る少し前、エルディアスは隣を歩くリュシアへ声を送った。


 ――聞き取りは、ラウルたちに話したところまでで合わせる。


 リュシアは顔を動かさなかった。


 ――村長さんから聞いたことも、ですね。


 ――ああ。二人は行方不明のままだ。


 ――三つの歴史も、使徒も。


 ――出さない。俺が知っていて、あいつらに話してないことは全部だ。


 少し間があった。


 ――観測者については、どこまで話しますか。


 ――今まで話した通りでいい。村全体が階層主の区画じゃないかと考えてたこと、像に触るな、一人で動くなと決めたこと、村の様子を見比べてたことまでだ。


 ――信託については?


 ――見たことだけ話せ。どうして俺に来たのかは分からない。それは本当だ。


 リュシアは小さく頷いた。


 ――第三文も、分からなかったままに。


 ――ああ。


 ――それでは、肝心な部分がほとんど記録に残りませんね。


 エルディアスは会議室の扉へ手を掛けた。


 ――ここにはな。


 リュシアの視線が横へ向く。


 ――別に話すのですか。


 ――ヴァイス研究官には話す。


 ――三つの歴史まで?


 ――そのつもりだ。


 それより先については答えなかった。リュシアも尋ねなかった。


 ラウルたちに口裏を合わせてもらう必要はない。赤のラウル、ガルム、セルマにとって、自分たちが覚えている日々だけが第二層で過ごした現実だった。エルディアスとリュシアがそこへ余計な情報を足さなければ、五人の証言は自然に一本へ揃う。


 聞き取りは、塔を出て森へ入ったところから始まった。


 鐘を聞いて方向を変えた経緯、道標を増やしながら調査範囲を延ばしたこと、予定外の野営を挟んだこと、森の奥で村を発見したこと。村へ入って受付でそれぞれ役目を与えられ、帰ろうとしたところで七人だけが境界を越えられなくなったことまで、五人の証言に大きな違いはなかった。


 村で何を調べたのかという話になると、記録官がエルディアスへ向いた。


「あなたには『観測者』という役目が与えられています。この役目について、最終的に何か分かりましたか?」


「はっきりしたことは分からん。ほかの連中みたいに料理や修繕を頼まれる役目じゃなかったから、村人や村の状態を見る役目だと考えてた」


「具体的には何を見ていた?」


「誰がどこで何をしてるか。前にしたことがそのまま残ってるか。同じ場所に変化がないか。その辺だ」


「何か異常は?」


「はっきり説明できるものはなかった」


 記録官は紙へ書き込んだ。


「村全体が階層主に関係する区域ではないか、という推測もあなたから出ていますね」


「ああ。俺たちだけが閉じ込められた以上、村の中で何かを終わらせないと出られない可能性は考えた」


「その頃から、三神像へ触れないことと、単独で行動しないことを提案している」


「ああ」


 今度はラウルが口を挟んだ。


「そこは俺も確認してる。エルから、像には手を出すな、一人では動くなと言われた。何を根拠にしてるのか全部は話さなかったが、村そのものが階層主の区画かもしれないという話はしてた」


「理由を聞かなかったのですか?」


「聞いたぞ。ただ、こいつは分からないことまで断定して喋る奴じゃない。危険だと思う理由があるなら、確認できるまでは触らない方がいいと判断した」


「実際、三神像へ触れた者は?」


「俺たちはいない」


 エルディアスもそれ以上は補足しなかった。


 青でラウルが死んだことを知っていたからこそ、像に触らせなかった。その理由を、今ここにいるラウル本人は知らない。


 聞き取りはそのまま村での日々へ進み、やがてニルスとクラリスの失踪へ移った。


「二人は村の北側へ向かった後、戻らなかった。捜索の結果、血痕とニルス殿の矢、クラリス殿の治療道具が発見された。しかし本人たちは見つかっていない。これで間違いありませんか?」


「ああ」


 ラウルが答えた。


「村の中は俺たちだけじゃなく、村人にも手伝ってもらって探した。物置も空き家も岩壁沿いも見てる」


「村外へ出た痕跡は?」


「確認できてない。ただ、俺たちが入口をもう一度確かめた時には、境界がなくなってた」


「それは二人がいなくなった後ですね」


「ああ」


「境界が解除された時点は?」


「分からない」


 ラウルが答えるより先に、エルディアスが言った。


「通れると確認したのは昨日の朝だ。それより前には入口を見てない」


 記録官が顔を上げる。


「では、前夜の時点ですでに解除されていた可能性も、それより前から通行できた可能性も否定できない」


「ああ」


「そのため、ニルス殿とクラリス殿が先に村外へ出た可能性も残している」


「そうだ」


 ラウルが頷く。


「だから森も含めて探してもらってる」


 記録官はそこまでを書き留めた。


「現時点では、二名とも行方不明。捜索継続とします」


「頼む」


 ラウルの返事を待ってから、次の紙へ移る。


「続いて、グレイヴェル殿への信託について確認します」


 室内の視線がエルディアスへ集まった。


「信託が下った時の状態については、ノルディア殿からお願いします」


 リュシアが頷く。


「第一層で私が信託を受けた時と、ほぼ同じでした。エルの身体が白い光に包まれ、周囲からの呼びかけには答えなくなっています。しばらくして光が収まった後、受け取った意味を言葉にして宣言しました」


「文言は?」


「『幸せを選んだ者に、帰る場所はない』です」


「現在、黒碑へ追加された第四文と完全に一致している」


「はい」


 記録官は黒碑の写しへ視線を移した。


「第一層では階層主討伐の直後に信託が発生しています。しかし今回は、皆さんの証言を見る限り、その直前に同様の出来事が存在しません」


「俺たちも分からない」


 ラウルが腕を組む。


「あの時は二人を探してた。何かを倒したわけでもないし、三神像へ何かしたわけでもない」


「グレイヴェル殿自身は?」


「何が直接のきっかけだったのかは分からない」


 エルディアスはそう答えた。


 嘘ではなかった。


 青と黄がなくなり、赤だけが残ったことが第二層の終わりに関係しているとは考えている。しかし、何をもって条件が完全に成立したのかまでは分からない。


「信託が下ったことと、村の境界が解除されたことの前後関係も不明と」


「そうなる」


 ラウルが答える。


「信託の後すぐに入口へ行ったわけじゃないからな。翌朝に初めて通れると分かった」


「分かりました」


 記録官は少し考えてから、卓上に置かれた黒碑の写しへ指を移した。


「最後に、第三文について確認します。村には赤、黄、青の三神像があり、黒碑には『三王、勝者の歴史のみが続く』とあります。三という数が一致していることについては、村にいる間にも考えていたそうですね」


「考えてはいた」


 ラウルが答える。


「だが、それ以上は分からなかった。村で聞いた昔話にも、三柱のどれかがほかを倒すような話はなかったし、勝者が何を指すのかも分からないままだった」


「三神像に変化は?」


「少なくとも俺が見てた範囲じゃ、特にない」


「グレイヴェル殿は?」


 問いが向けられる。


「俺も、意味までは分からなかった」


 答えながら、エルディアスは卓の上の第三文を見る。


 三王、勝者の歴史のみが続く。


 意味は分かっている。


 青は続かなかった。黄も続かなかった。最後まで残った赤だけが、昨日から今日へ続いている。


 だが、それをここで話せば、青で死んだラウルまで説明することになる。使徒の存在を話せば、赤の使徒である村長にも辿り着く。そうなれば、ニルスとクラリスを殺したのが誰なのかも隠せない。


 さらにその先には、リュシアすら知らない黄の最後がある。


 すべてを、この部屋にいる全員へ話すつもりはなかった。


 聞き取りが終わる頃には、卓の上に何枚もの記録が積み重なっていた。


 書かれているのは、塔から村までの経路、村の構造、七人だけを止めた境界、与えられた役目、三神像、ニルスとクラリスの失踪、突然下った二度目の信託。そして翌朝、いつからかは分からないまま境界がなくなっていたという事実だった。


 それだけを読んでも、なぜ第二層が終わったのかは分からない。第三文が何を示していたのかも、第四文がなぜ追加されたのかも、肝心なところだけが抜け落ちている。


 記録官が最後の紙を揃えた。


「本日の合同聞き取りは以上です。追加で確認が必要になった場合は、改めて――」


「一ついいか」


 エルディアスが遮った。


「はい」


「ヴァイス研究官は、今セレイスにいるか?」


「レナート・ヴァイス殿ですか?」


「ああ」


 記録官は隣の調査員と顔を見合わせた。


「今日は王墓側で、追加された第四文の確認をされています。午後にはギルドへ戻られる予定ですが」


「戻ったら会わせてくれ」


「黒碑についてですか?」


「黒碑と信託について、直接聞きたいことがある」


 記録官は少し意外そうな顔をしたが、隣にいたバルドは何も言わなかった。


「分かりました。戻られ次第、お伝えします」


 ラウルがエルディアスを見る。


「何か分かったのか?」


「分かってないから聞くんだ」


「それもそうか」


「ヴァイス研究官なら、前の信託も調べてる。今回との違いも分かるかもしれん」


「なら、何か分かったら教えてくれ」


「ああ」


 エルディアスはそう答えた。


 どこまでを教えるかについては、言わなかった。


 会議室を出ると、受付へ続く階段の下から、いつものギルドのざわめきが聞こえてくる。昨夜のように五人が入っただけで声が消えることもなく、依頼を受ける者も、報酬を受け取る者も、朝から酒を飲んでいる者もいる。


 紙の上にも、街の中にも、第二層から戻った五人の話は残り始めていた。


 三つの歴史も、使徒も、青で死んだラウルも、黄で生きていたニルスとクラリスも、そこにはない。


 それで終わらせるつもりはなかった。


 ただ、話す相手を選びたかった。


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