第50話 青面
青い仮面をつけたものが、再び身を沈めた。
砕けた机を挟んで向かい合った時から、狙いを隠すつもりはないらしい。小屋の外まで押し出されたガルムはすでに大盾を立て直し、ニルスもその右後方から短弓を引いている。セルマとクラリスは火と結界を使えるだけの距離を取り、リュシアだけがエルディアスのすぐ横へ残って、右手で鞘を押さえたまま左手の剣を低く構えていた。
青い面が床を蹴った。
――右へ来ます。
リュシアの声が届くのとほとんど同時に、エルディアスは杖を下げた。入口の外へ伸ばした土の術式が地面を斜めに盛り上げ、全力で踏み込んだ右足の着地点をわずかに狂わせる。身体が流れたところへガルムが横から大盾を差し込み、真正面から止めようとはせず、盾の縁を肩へ当てて突進の勢いごと外へ逃がした。
それでも衝撃は重く、ガルムの両足が土を削った。だが、先ほどのように盾ごと小屋の外まで弾き飛ばされることはなく、そのわずかな停滞をニルスが逃さない。ガルムの背後から抜けた矢が青い面の上腕へ刺さり、半ばまで鏃を沈めた。
「通る!」
「浅い! 次は脚を狙え!」
エルディアスが返した直後、青い面は腕に刺さった矢を気にすることもなく、大盾を殴って強引に押し開こうとした。その動きへリュシアが斜め後ろから重なり、左手の剣が脇腹を走る。灰色の表面には傷が残ったものの、普段ならそのまま断てる肉を硬い革のような抵抗が押し返し、刃は深くまで入らなかった。
リュシアは無理に押し込まず、相手が振り返るより先に剣を引いて離れた。
――かなり硬いです。ただ、斬れないわけではありません。動きを止めてもらえれば、もう少し深く入れられます。
――分かった。
エルディアスが返したところへ、セルマの火が青い面の進路を横切った。敵そのものを焼くのではなく、次に踏み込める場所だけを細く潰している。狭い木造の小屋で炎を広げるわけにはいかず、青い面も火を無視して突っ込むことはせず、大きく外側へ進路を変えた。
「ここじゃやりづらいわ! 通りへ出して!」
「俺もそうしたい!」
ガルムは大盾を押し込みながら外へ下がり、ニルスも射線を取るため通りへ回る。セルマとクラリスがそれに続き、エルディアスも青い面を引きつけたまま小屋から離れた。
そこでようやく、戦闘とは別の異変に気づいた。机が砕け、大盾が何度も鳴り、すでに矢まで飛んでいる。それなのに、周囲から悲鳴も呼び声も聞こえてこない。女が青い面を現す直前まで小屋の外には村人がいて、少し離れた通りにも騒ぎを見ていた者がいたはずなのに、家の前にも鐘楼へ続く道にも人影がなかった。
「……人は?」
セルマも気づいたらしく、杖頭に火を保ったまま周囲へ目を走らせる。
後ろにいたクラリスが村の奥まで見渡した。
「少なくとも、ここから見える範囲には誰もいません。先ほどまでは何人もいらしたはずです」
「逃げたんじゃないのか?」
ガルムは盾を押し返しながら言ったが、ニルスがすぐに首を横へ振った。
「全員が一斉に家へ入ったなら、もっと音がする。それに窓にも誰もいない。……本当に人だけいなくなったみたいだな」
家も、鐘楼も、道端へ置かれた桶も荷車も残っている。消えたように見えるのは人だけだった。
エルディアスはそこまで確認すると、考えるのをやめた。女が人の姿を捨てたのと同じ頃に起きている以上、無関係とは思えないが、原因を探している間にも青い面は動いている。
「後だ。今はこいつを止める」
「分かってるわよ!」
セルマもすぐに視線を戻し、青い面が戻ろうとする側へ火を走らせた。反対側にはガルムの盾があり、その間へニルスの二本目の矢が低く飛んで腿へ刺さる。足の運びがわずかに鈍ったところへエルディアスが横から風を当てると、青い面の身体は大きく流れた。
それでも倒れない。
ガルムの盾から抜けた青い面は、最も近いガルムへ攻撃を続けることも、矢を当てたニルスへ向かうこともなく、もう一度エルディアスへ顔を向けた。先ほど剣を届かせたリュシアにも一度しか視線を向けず、そのまま真っ直ぐ距離を詰めてくる。
エルディアスは正面から風を押しつけながら横へ退き、伸びてきた腕を外へ逸らした。拳が胸元を掠めて外套の表面を裂いたところへリュシアが入り、今度は肩口へ剣を走らせる。
傷は増えたが、青い面は彼女を追わなかった。振り払うように腕を一度振っただけで、またエルディアスへ向き直る。
――私を見ていません。
――ああ。
ニルスの矢を受け、リュシアにも斬られ、正面ではガルムが何度も邪魔をしている。それでも攻撃した相手へ執着せず、障害を退けるたびにエルディアスへ戻ってくる以上、単に近い者から狙っているわけではない。
その間にも、エルディアスは土を二度、風を三度走らせていた。どれも中級までの小さな術式だが、青い面の速さに合わせて切らさず置き続ければ、自分のオドだけでは長く保たない。セルマの火とニルスの矢に合わせながら、リュシアの足場まで作るならなおさらだった。
左手薬指から伸びる黒い糸へ意識を向ける。
――借りる。
――どうぞ。必要なだけ使ってください。
ためらいのない返事とともに、糸の向こうからオドが流れ込んだ。
最初に死別契鎖を導線として使った時のような、扱いきれない量ではない。エルディアスが必要な分だけ入口を開き、リュシアもそれに合わせる。深いところから流れてきた力を土と風へ振り分ければ、それまで残量を気にして一つずつ切っていた術式を、そのまま複数維持できる。
扱える術式そのものが強くなるわけではない。中級までしか組めないことも変わらなかった。ただ、必要な場所へ必要な術式を置き、それを切らさず維持できる。
エルディアスは足元に残していた土の術式を保ったまま、青い面の右側へ薄い風を流し、さらに黒い糸を通じてリュシアの靴へ風を付与した。
――足へ通した。前より伸びる。
――どのくらいですか。
――一歩分まではいかない。半歩くらいだ。
――十分です。
――使う時は言う。
――エルが合わせてください。
以前にも聞いた返しだった。
エルディアスは念話を切り、青い面を見る。
「ガルム、一回俺の前を空けろ」
「何だと?」
「狙いを確かめる。俺だけに来るなら、その後は使える」
ガルムは大盾越しにエルディアスを見た。
「もう十分お前ばかり見てるだろうが」
「位置を変えても同じなら確定できる」
「確定した時に殴られてたら笑えんぞ」
「クラリスがいる」
「一撃だけなら止めます。ただし、同じものを続けて受けることはできません」
クラリスも意図を理解したらしく、白い杖の先へ光を集める。
ガルムは納得していない顔をしたが、青い面から視線を外さないまま右へ動いた。
「来たらすぐ戻るぞ」
「ああ」
ニルスとセルマも左右へ広がり、リュシアはエルディアスから数歩離れた。正面から盾が消え、六人の間隔が広がっても、青い面は周囲を見比べて迷うことさえしなかった。
エルディアスへ向かって走る。
「本当にエルだ!」
セルマの声が飛ぶ。
ニルスの矢が肩へ入っても止まらず、エルディアスが左へ動けば同じ方向へ軌道を変える。そこへガルムが横から戻って大盾を当て、ようやく突進を外へ流した。
「何でこいつなんだ!」
ガルムが盾を押し込みながら叫ぶ。
仮面の下から、女の声が返った。
「決まってるだろう?」
灰色の腕が盾を殴り、金属の表面が大きく鳴る。
「観測者だからさ」
エルディアスは杖を構えたまま尋ねた。
「俺の役目を知ってるのか」
「知ってるよ」
「何をする役目だ」
「本人が私に聞くのかい?」
「受付じゃ、前に出たこともないって言われた」
「あの子が知らなくても困らないからねえ」
青い面はガルムの盾を押しながら、細い穴の向こうからエルディアスを見ている。
「なら、お前は何で俺を狙う」
「ほかの連中には、今目の前にある続きしかない。それで何も困らないのさ。昨日があって、今日があって、そのまま明日になればいい」
横から飛んだニルスの矢を青い面が身体を捻って避け、その先へセルマが火を置く。逃げ道を削られて足を止めたところへ、ガルムが盾を押し込んだ。
「でも、あんたは違う」
「何がだ」
「比べられる」
その一言に、エルディアスは返さなかった。
「あんたが何をどこと比べたのか、私は知らないよ。けど、それで私まで見つけた。それだけで十分厄介なんだ」
「何と何を比べる」
「そこまで私に言わせるつもりかい?」
女の声に、先ほどまでとは少し違う笑いが混じった。
「見えてるのはあんただろう?」
それ以上を聞く必要はなかった。
この女は観測者という役目を知っており、他の者にはできない比較をエルディアスが行えることも知っている。しかし、何を見て、どこまで辿り着いたかまでは把握していない。
赤、黄、青がそれぞれ別に続いていることも、三神と石碑の三王を重ねていることも、こちらから渡す必要はなかった。
――今の話。
――はい。エルが何を知っているのかまでは、分かっていないようです。
――俺もそう思う。
――では、こちらからは言わない方がよいですね。
――そのつもりだ。
青い面がまた踏み込もうとする。
「ガルム、左へ流せ!」
今度はニルスが先に声を上げた。
「分かった!」
ガルムが盾を斜めへ構え、正面で受けずに肩へ当てて力を左へ逃がす。その先でニルスの矢が踏み込む腿へ入り、戻ろうとする側へセルマが細く火を走らせた。
エルディアスはリュシアから流れ込むオドを使い、すでに残していた風をそのまま強めた。盾、矢、火で狭められた進路へ横から風が入り、青い面の重心が大きく外へ流れる。
――次、足を使え。
――はい。
リュシアが動いた。
青い面もこれまでの速度なら間に合うと見たらしく、肩口へ向かう剣に合わせて腕を上げた。しかし、風を付与された靴が最後の一歩だけ踏み込みを伸ばす。予想した位置より半歩深く入ったリュシアは、守りへ上がった腕の下へ身体を滑らせ、途中で剣筋を落として脇腹を斬り抜けた。
今度は明らかに深い。
青い面はガルムを押すことをやめ、自分から数歩下がった。リュシアも追わず、風に押された勢いを殺しながら間合いの外へ戻る。
「入った!」
ニルスが傷を見る。
「深いです。ただ、まだ動けます」
リュシアは剣を構え直しながら答えた。
「さっきより踏み込みが伸びなかったか?」
ガルムが尋ねた。
「エルの付与です」
「いつの間に」
「今です」
それだけ答え、リュシアは青い面へ視線を戻した。
女も気づいたらしい。初めてエルディアスではなく、リュシアを長く見る。
「ようやくそっちも警戒する気になったみたいね」
セルマが杖を構えたまま言った。
「喜ぶところじゃないぞ」
ニルスが次の矢をつがえる。
「分かってる。でも効いてるってことでしょう?」
「次は同じ動きが通らんってことでもある」
「それも分かってるわよ」
エルディアスも同じことを考えていた。青い面はこちらの攻撃を見ている。リュシアの速さも、ガルムが力を横へ流すことも、ニルスとセルマが進路を削っていることも、すでに覚え始めている。
なら、同じ速さをもう一度見せる理由はない。
――剣にも通す。
リュシアの左手薬指へ伸びる黒い糸を導線に、借りたオドの一部を風の術式へ組み替える。遠くから付与を当てる必要はなく、二人を繋いだ導線を通して左手から握られた剣へ薄い風をまとわせた。
――刃の周りだけだ。斬る時の抵抗を減らす。
――先ほどより深く入りますか。
――入れてみないと分からん。
――では確かめます。
――お前まで観測者みたいなことを言うな。
念話の向こうで、ほんのわずかに間が空いた。
――エルに言われたくありません。
そのやり取りをしている間にも、二人の表情は変わらない。
青い面はリュシアを見た後、再びエルディアスへ顔を向けた。
「随分と面倒なのを連れてるねえ」
「本当なら、もう一人いた」
ガルムの声が低くなる。
女が小さく笑った。
「そうだったねえ。あの男も、随分と勇ましかった」
ガルムの表情が変わった。
「ラウルを見てたのか」
「見てたよ」
「お前が殺したのか」
青い仮面がわずかに傾く。
「私が?」
「青へ剣を振ったことまで知ってた。あの夜、広場にいたんだろ」
「ああ」
「なら答えろ。何をした」
「何もしてないよ」
ガルムの大盾を握る指に力が入った。
「何もしてないだと?」
「私は見ていただけさ。あの男は一人で来て、青の前で剣を抜いた。それから、自分で振った」
「その後だ」
「その後?」
「何で死んだ」
ガルムの声が一段低くなる。
女はすぐには答えなかった。青い面がわずかに横を向き、広場の方角を確かめるような間を置く。
「さあねえ。少なくとも、私が触るより先だったよ」
「何?」
「あの男の剣は青へ届かなかった。刃が欠けて、それで終わった」
「それで人が死ぬか!」
「だから私に怒鳴られても困るんだよ。私が殺したわけじゃない」
ガルムが何か言い返そうとしたところで、エルディアスが先に尋ねた。
「ラウルは、剣を振った直後に倒れたのか」
「ああ」
「誰かが術を使った?」
「見ていたのは私だよ。何か飛んできたなら気づくさ」
「青い像が何かしたのか」
女はそこで少し笑った。
「神様が、あの男一人のために手を動かすとでも思うのかい?」
エルディアスは黙った。
女が嘘をついている可能性まで消えたわけではない。だが、少なくとも彼女は自分がラウルを倒したとは考えておらず、青そのものがラウルと戦ったという言い方さえしていない。
ラウルは剣を振った。青には届かず、刃だけが欠け、その直後に本人が倒れた。
今分かったのはそこまでだった。
「昔にも三神像へ剣を振った旅人がいた」
エルディアスが続ける。
「像には傷がつかず、そいつの剣だけ欠けた。それでも翌朝には普通に村を出てる。ラウルと同じじゃないのか」
「ああ。いたねえ」
「なら、どうしてラウルだけ死んだ」
女は少しの間、答えなかった。
「同じに見えるかい?」
「違いを聞いてる」
「あの頃は、まだ始まってなかった」
セルマが眉を寄せる。
「何が?」
「さっきから、随分答えてやってるだろう?」
「答えになってないわよ」
「十分だよ」
青い面はセルマではなく、エルディアスへ向いた。
「昔の男が剣を振った時は、ただの客が石像へ悪さをしただけさ。剣が欠けて、それで終わった」
「ラウルの時は違う?」
「あんたたちが来た後だ」
ニルスが弓を引いたまま口を挟む。
「俺たちだって受付で役目を貰っただけだ。昔の旅人も同じだったはずだぞ」
「役目を貰っただけならねえ」
女はそこで言葉を止め、またエルディアスを見る。
「観測者か」
「本当に、よく見るねえ」
「俺が来たことで何かが始まった」
女は肯定しない。否定もしなかった。
「その後でラウルが青へ刃を向けたから、死んだのか」
「私が知ってるのは、そこまでさ。始まる前なら剣が欠けて終わった。始まった後で同じことをしたあの男は、剣が欠けて、そのまま倒れた」
「理由は知らない?」
「神様の決めたことを、何もかも私が知ってると思うのかい?」
今度の答えには迷いがなかった。
「ただねえ。あの男は、青そのものへ手を出した。今はもう、昔みたいに何をしてもただの客で済む時じゃない。それくらいは分かるよ」
エルディアスはその言葉を頭に置いた。
青そのものへ手を出した。始まる前なら剣が欠けて終わり、始まった後では、同じことをしたラウルが死んだ。
三王、勝者の歴史のみ続く。
石碑の三文目が浮かんだが、そこで答えにはしない。三神像そのものを傷つけようとしたことだけが死の条件ではなく、ラウルと過去の旅人を分けたのは行為ではなく、それを行った時の状況だった。その先はまだ分からない。
青い面が身を沈める。
「私は、あんたたちに答えを教えるためにいるわけじゃないよ」
今度こそ会話を切るつもりらしい。
地面を蹴った青い面は真っ直ぐエルディアスへ来ず、右へ大きく回ってニルスへ向かうように見せた。短弓の射線が変わったところで急に身体を返す。
狙われたのはリュシアだった。
――こちらです。
――見えてる。今度は靴を使うな。
――速度を戻すのですね。
――向こうはさっきの速さを見てる。
リュシアは通常の踏み込みで横へ抜ける。青い面は先ほどの加速を警戒したらしく、早めに身体を回して進路を塞ごうとした。
その分だけ、位置がずれた。
――今。
エルディアスはその瞬間に靴への風を強めた。
通常の速さに合わせて置かれた灰色の腕の外側を、リュシアの身体が一気に抜ける。青い面が振り返るより先に背後へ回り、風をまとった剣を肩口へ振り下ろした。
硬い抵抗は残っている。それでも刃の周囲へ流した風が押し返される感覚を薄め、剣はそれまでより深く灰色の身体へ入った。
青い面が大きく身体を捻り、リュシアを振り払う。彼女は追わず、すぐにガルムの側まで戻った。
「今のは深いです」
「剣は?」
「問題ありません。付与も残っています」
エルディアスはそこで流していた量を少し絞った。リュシアのオドはまだ深い。それでも、借りられるからと無駄に流し続ける理由はない。土の足場、横へ押す風、靴と剣への付与。必要なものだけを残し、使わない術式は切っていく。
青い面も、もうエルディアスだけを見てはいなかった。ニルスの位置を確認し、セルマの杖先へ目を向け、ガルムの大盾からリュシアへ視線を移している。こちらが相手の性質を見ているのと同じように、向こうも六人の戦い方を覚え始めていた。
「一回離れるぞ!」
ガルムが大盾を前へ押し出し、無理に追わず六人の間隔を戻した。
「ニルスは右。セルマは俺より前に火を置くな。クラリスは結界を残してくれ。抜かれた時だけ頼む」
「分かりました」
「リュシアは?」
ニルスが尋ねる。
「俺が決めても聞かんだろ」
「聞きます」
リュシアが即座に答えた。
ガルムが一瞬だけ彼女を見る。
「なら、エルより前へ出すぎるな」
「必要であれば出ます」
「それは聞いてないだろ!」
「必要がなければ出ません」
「そういう意味じゃ――」
「来るわよ!」
セルマの声で会話が切れた。
青い面が六人の位置を確かめながら距離を詰めてくる。最初のように誰か一人しか見ていない動きではなく、ガルムの盾、ニルスの弓、セルマの火、そしてエルディアスとリュシアの位置を順に見ていた。
ラウルはいない。
それでも戦い始めた直後より、六人の動きは揃っている。ガルムが正面の方向を決め、ニルスとセルマがその動きに合わせ、クラリスは危険な一撃だけを止める。エルディアスはそこへ土と風を置き、リュシアから借りたオドを使って足りない隙間を埋めていけばよかった。
「俺へ来るなら左へ流せ!」
「分かった!」
青い面がエルディアスへ一歩向いたところで、ガルムが盾の縁を肩へ当てて進路をずらす。ニルスの矢が踏み込む右脚へ入り、セルマの火が戻れる側を塞いだ。
エルディアスは残していた風を重ねる。
青い面の身体が傾いた。
――足は。
――まだ使えます。
――剣も。
――問題ありません。
――なら次は両方だ。
――はい。
リュシアが走る。
青い面もそれを見ている。先ほどの加速を覚えている以上、最初から大きく距離を取って剣を迎えようとした。
だが、エルディアスは踏み込みを伸ばすだけでは終わらせなかった。リュシアが風を受けて加速する直前、青い面の足元へ低い土の段差を一つだけ起こす。倒すためではなく、回避に使う一歩をわずかに高くするだけでいい。
灰色の身体が浮く。
その一瞬にリュシアが間合いへ入り、青い面が傷のある脇腹を守るため腕を下げるのを見ると、その外側を抜けて風をまとった刃を胸元から肩へ斜めに走らせた。灰色の身体へ深い傷が刻まれ、青い面は今度こそ自分から大きく距離を取った。
誰も追わなかった。
ガルムは盾を下ろさず、ニルスも弓を引いたまま次の射線を探し、セルマは火を小さく絞って周囲の家へ燃え移っていないことを確かめている。クラリスも五人を順に見て、まだ治癒を必要とする傷がないことを確認した。
青い面は六人を一人ずつ見た後、最後にリュシアへ視線を止めた。
「……観測者だけをどうにかすればいいと思ってたんだけどねえ」
女の声から、最初にあった余裕が少しだけ薄れていた。
リュシアは答えず、左手の剣を構え直した。刃の周囲を流れる風は目には見えないが、黒い糸を通じて術式がまだ繋がっていることはエルディアスには分かる。
「お前は青の神なのか」
ニルスが弓を引いたまま尋ねた。
青い面が彼へ向く。
「何だって?」
「その面だ。三神像の青と同じだろ。ラウルが剣を向けた青がお前なのか、それとも別なのかを聞いてる」
女の声が笑った。
「馬鹿なことを言うんじゃないよ。私なんかを、あのお方と一緒にするものじゃない」
「あのお方って、青の神様?」
セルマが続ける。
青い面は答えなかった。
「じゃあ、お前は何なんだ」
ガルムが尋ねる。
女はしばらく黙った後、今度はエルディアスへ青い面を向けた。
「使徒さ。青の神様に仕えてる」
「使徒?」
セルマが眉を寄せる。
「そうさ。青を守る。それが私の役目だよ」
「神様を守ってるの?」
「逆さ。あのお方がこの村を守ってきたんだ」
使徒の声には、そこで初めて揺らぎのない確信が混じった。
「この村がここまで続いたのは、青の神様が守ってきたからさ。なら、その先も青で続けばいい。私は、そのためにいる」
エルディアスは何も返さなかった。
使徒。
初めて聞く名前だった。
青で続く。観測者が現れたことで始まった何か。その後でラウルは青そのものへ刃を向け、目の前の使徒が手を出すより先に死んだ。そして石碑には、勝者の歴史のみ続くとある。
繋がるものは増えている。
しかし、それらを一つの答えへまとめるにはまだ足りなかった。青が勝つとは何を意味するのか。赤と黄にも同じような使徒がいるのか。敗れた側に何が起きるのか。ラウルを殺したものが三神なのか、それともこの階層そのものの仕組みなのか。
どれもまだ確かめていない。
――聞かないのですか。
リュシアの声が届く。
――聞きたいことはある。
――でしたら。
――こっちが何を知ってるかまで教えることになる。
少しの間の後、返事が来た。
――分かりました。
青の使徒が二人の沈黙をどう受け取ったのかは分からない。ただ、先ほどまでより慎重に六人を見ている。
ガルムが大盾を持ち直した拍子に、背負った荷物の脇で硬い音が鳴った。朝、貯蔵庫から持ち出したラウルの剣が鞘の中で動いた音だった。
使徒もそこへ顔を向ける。
「あの男の剣まで持ってきたのかい」
ガルムが背後へ片手を回し、鞘が外れていないことを確かめた。
「悪いか」
「別に」
「これで青へ斬りかかったら、俺も同じになるのか」
青い面から笑いが消えた。
「試したいのかい?」
「するわけないだろうが」
ガルムは即座に返し、大盾へ両手を戻した。
「同じことをやって一人死んでる。分からんものを確かめるために、もう一人減らすほど馬鹿じゃない」
「賢くなったねえ」
「お前に褒められても嬉しくない」
エルディアスは一度だけラウルの剣へ目を向け、それ以上は見なかった。今あの剣を使う理由はない。ただ、過去の旅人もラウルも、同じように像へ刃を向け、同じように剣を欠けさせた。
違ったのは、その後だ。
そして使徒は、その差を「始まる前」と「始まった後」で分けた。
それだけは覚えておく。
青の使徒がゆっくりと身を沈める。
今度は最初からエルディアスだけを見てはいなかった。リュシアの剣を見て、ガルムの盾へ顔を向け、ニルスとセルマの位置まで確かめている。
――次は私へ来ます。
――俺もそう思う。
――靴と剣は、このままでよいですか。
エルディアスは黒い糸の向こうから流れてくるオドを確かめ、必要な分だけを残した。
――そのまま。だが、次は俺が言うまで加速するな。
――分かりました。
――向こうは今の速さを覚えた。
――でしたら、もう一度外せますね。
エルディアスは杖を構える。
――そういうことだ。
青の使徒が地面を蹴った。




