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第48話 七日

 明けの鐘が鳴った。


 低い音が旅人用の家の壁を震わせる。エルディアスは目を開けると、身体を起こすより先に向かいの寝台を見た。ラウルはまだ毛布を腰に掛けたまま、枕元に置いた剣帯へ手を伸ばしている。昨日見ていた黄色のラウルも同じように生きていたが、青い日の広場で冷たくなっていた姿を知っている以上、目の前にいるというだけで無意識に確認してしまう。


 隣ではリュシアも目を覚ましていた。外套を取ろうとしたところで視線が合い、エルディアスは声を送る。


 ――今日は何日目だ。


 リュシアは少しだけ考えた。


 ――村へ着いた日を一日目にするのであれば、四日目です。


 今朝のリュシアは、前の赤い日から続いている。それが分かれば十分だった。


 ――青と黄色も確認した。どっちも、前の同じ色から続いてた。


 リュシアの手が止まる。


 ――では、三つとも別々に続いていると見てよいのですね。


 ――ああ。前に話した考えでいい。


 赤、青、黄色。それぞれに前日があり、そのすべてをエルディアスだけが記憶している。そこまでをもう一度説明する必要はない。


 ただ、今のリュシアが知らないままでは危険になることがあった。


 エルディアスは向かいで剣帯を締め始めたラウルを見る。


 ――青で、ラウルが死んだ。


 リュシアもそちらへ目を向けた。


 ――三神像の近くですか。


 ――ああ。抜き身の剣が落ちてた。刃が欠けて、欠片は像のすぐ近くだ。身体には死ぬような傷がなくて、クラリスにも死因は分からなかった。


 ――像へ剣を当てた可能性は高い。


 ――高い。ただ、それが原因かは決められない。昔、像を斬って剣だけ欠けた旅人は普通に帰ってる。


 リュシアはしばらく黙っていた。青の自分が目にした死を、今の彼女は知らない。それでも、必要な情報だけで何を避けるべきかは理解したらしい。


 ――今のラウルさんにも、像へ手を出さないよう伝えた方がよいですね。


 ――ああ。一人でも動かさない。死んだことまでは話さない。


 ――分かりました。


 そこでリュシアは一度三神像のある広場の方角を見た。壁の向こうにあるため、ここから像そのものは見えない。


 ――一つ、考えたことがあります。


 ――何だ。


 ――仮面の向きが変わる瞬間です。今までは朝になってから違う色を確認していましたが、夜から像を見ていれば、いつ、どのように切り替わっているのか分かるかもしれません。


 エルディアスも、考えなかったわけではない。


 色が変わる時刻。像そのものが動いているのか、それとも気づいた時には別の向きになっているのか。目の前で切り替わるなら、三つの歴史が分かれる仕組みに近づける可能性はある。


 だが、そのためにはこれまでとは違う朝を迎えなければならない。


 ――やらない。


 リュシアはすぐには返さなかった。


 ――ラウルさんが亡くなったからですね。


 ――何で死んだか分からないからだ。


 像へ剣を当てたことが原因とは限らない。青い歴史だけで起きた別の何かかもしれず、夜に広場へ出たこと自体が関係している可能性さえ捨てられない。今のエルディアスには、何がこの階層のルールに沿った行動で、何がそこから外れる行動なのかを判断する材料がなかった。


 それでも、これまで七人がしてきたことの中には一つ確かなものがある。


 夜になれば旅人用の家で休み、明けの鐘を聞いてから朝を迎える。それを繰り返してきた。


 少なくとも、その過ごし方だけで誰かが死んだことはない。


 ――今まで通りにする。夜はここで寝る。朝になってから像を見る。それで色は分かる。


 ――切り替わる瞬間まで知る必要はない、ということですね。


 ――今はな。分からないルールを確かめるために、今までやってないことを増やす方が危ない。


 青のラウルは、自分で確かめようとして一人で夜の広場へ向かった。


 その結果が死だったのかは分からない。


 だからこそ、同じやり方で確かめる理由はなかった。


 ――分かりました。今まで通り朝を迎えましょう。


 ――ああ。


     ◇


 朝食の前に、ラウルとガルムが入口を確かめに行った。


 二人が戻ってくる頃には湯が沸き、卓には保存食が並んでいた。入口の結果も昨日までと変わらず、ラウルたちは境界で止まり、村人は何事もなく森へ出ていったという。


 ニルスが記録板へ結果を書き加える。


「この調子なら、朝の確認は二人で十分だな。同じだったことも記録には残すが、七人で毎日境界を押す必要はない」


「押してはいない」


 ラウルが器を受け取りながら言った。


「通れるか確かめてるだけだ」


「身体を前へ傾けてる時点で、やってることは似たようなものじゃない?」


 セルマが竈の前から振り返る。


「お前は朝からそこを気にするのか」


「毎朝同じことしてるからよ。そろそろ呼び方くらい決まってもいいでしょう?」


「決める必要がない」


「なら私は押してるって言うわ」


「好きにしろ」


「ラウルが諦めたわね」


「話を続けたいだけだ」


 いつものやり取りが落ち着いたところで、エルディアスは器を置いた。


「入口が閉じた条件を探すのは、一度止めた方がいい」


 卓を囲んでいた視線が集まる。前日まで何度も条件を洗ってきただけに、反応は驚きよりも続きを待つものだった。


「分かったのか?」


 ラウルが尋ねる。


「分かってない。ただ、人数だけじゃない。滞在日数でもなさそうだ。役目を断った旅人も帰ってるし、俺たちより大勢で何日か泊まった連中もいた。岩壁と入口も見た。今の調べ方を続けても、同じ話を聞き直すことが増えるだけだ」


「それは昨日も話してたな」


「ああ。だから、閉じた理由じゃなく、閉じた後に何をしなきゃならないのかを見る」


 セルマが椅子へ座りながら首を傾げた。


「何かしろなんて、誰にも言われてないでしょう?」


「言われてなくても、ダンジョンならある」


 エルディアスは少し言葉を選んだ。


「ここが第二層の階層主区画だと考える」


 その言葉で空気が変わった。ラウルは器を置き、ニルスも記録板へ向けていた手を止める。ガルムはしばらくエルディアスを見た後、家の外へ視線を向けた。


「村全部が、階層主の部屋ってことか」


「ああ。第一層みたいな石の部屋じゃないが、入った俺たちだけを閉じ込めて、ここだけの仕組みの中へ置いてる。観測者なんて役目まで出てきた。何かを終えない限り出さない場所だと考えれば、やってることは同じだ」


「なら、今まで一つ見落としてるな」


 ラウルが言った。


「階層主そのものを探してない」


 ニルスも頷く。


「俺たちはずっと出口を探してたからな。村の中も、閉じ込められた原因がないかという見方で調べてる。階層主がいる場所を探すつもりでは見てない」


「でも、魔物なんて一頭もいないわよ」


 セルマが言う。


「見えてないだけかもしれん」


 ガルムが答える。


「地下にいるか、どこかへ隠れてるか、条件を満たせば出てくるか。第一層と同じ姿をしてるとも限らん」


「三神像がそうだって可能性は?」


「あるだろうな」


 ラウルはそう答えながら、エルディアスへ目を向けた。


「ただ、そこは触るなって話になるんだろ」


「ああ。像には何もしない。それと、夜に残って向きが変わる瞬間を確かめるのもやめる」


「そこまで?」


 セルマが聞き返した。


「今まで朝になってから向きを見てきた。それで足りてる。何が危険か分からない状態で、像の近くで夜を越す理由はない」


 ラウルは少し考えた。


「何かあった可能性があるんだな」


「ああ」


「俺たちが知っておく必要は?」


「今は、像へ手を出さない。一人で動かない。それでいい」


 ラウルはそれ以上聞かなかった。


「分かった。なら、その二つは全員で守る。階層主を探すとしても、像を殴って反応を見るようなことはしない。夜も今まで通り、この家で休む」


「調査で死んだら、答えが分かっても意味ないものね」


 セルマも今度は軽く言わなかった。


 クラリスが頷く。


「今まで安全だった行動を基準にして、必要なところだけ変える方がよいと思います。何が条件か分からない以上、実験そのものが条件に触れる可能性がありますから」


「じゃあ、今日はどこを見る?」


 ニルスが記録板を開くと、ラウルはこれまでの確認内容を思い返しながら方針をまとめた。


「まず村長に聞く。使われていない建物、地下、村人でも近づかない場所がないか。その後、必要なら実際に見る。井戸と岩壁は前に確認してるから、同じことを最初からやり直す必要はない。三神像は外から見るだけだ」


「井戸の底に階段でもあれば、随分簡単なんだけどね」


「毎日水を汲んでる村人が先に見つけるだろ」


 ニルスが返すと、セルマは肩をすくめた。


「あると思ってるわけじゃないわよ。あったら楽だって言っただけ」


「簡単な答えが残ってるかもしれん。まずそこから潰すぞ」


 ラウルの一言で、その日の方針が決まった。


     ◇


 村長は七人の頼みを聞くと、少し考えた後で家の脇に置いていた籠を軒下へ戻した。


「まだ帰れない原因を探してるんだろ?」


「少し見方を変えた」


 ラウルが答える。


「村の中に、普段使ってない場所がないか見たい。地下でも古い建物でもいい。村の人間でも近づかないところがあれば、それも教えてほしい」


「使ってない物置や家ならあるが、近づいちゃいけない場所なんてほとんどないぞ。岩壁の崩れやすいところくらいだ」


「大きな地下は?」


「ないな。家によって食料を置く穴倉くらいはあるが、少し掘れば硬い石が出る」


「昔から?」


「ああ。だから大きな地下室を作る家もない」


 村長は七人を見回した。


「それでも見るなら案内する。ただし、人の家へ入る時は本人に聞いてくれよ」


「当然だ」


 最初に案内されたのは、畑の道具や祭り用の長机を収めていた古い物置だった。錆びた錠へ油を差して開けると、埃の積もった籠や欠けた農具が壁際へ並んでいる。


 エルディアスは許可を得て、土の術式を床へ薄く流した。床板の下にはすぐ地面があり、その先も硬い土と石が続いている。人が通れる空洞はなく、壁へ風を沿わせても、外から見た大きさと中が合わないような箇所は見つからなかった。


「普通の物置ね」


 セルマが入口から中を見る。


「今のところはな」


「塔みたいに、見た目と中が違ったりもしない?」


「だから土と風で見た」


「結果は?」


「見たままだ」


「本当に普通なのね」


「普通じゃ困るのか?」


 ガルムに聞かれ、セルマは首を横へ振った。


「困らないけど、階層主を探して最初に見つけるのが壊れた農具って、少し肩透かしでしょう?」


「一軒目だぞ」


「分かってるわよ」


 次に見た空き家も、以前住んでいた老夫婦が亡くなってから使われていないだけだった。共同倉庫には穀物や予備の農具が収められ、祭りの時だけ使う建物には長椅子と古い布が積まれている。どれも村人の生活の延長にある場所で、隠された地下や、誰も知らない通路へ繋がるものはなかった。


 昼が近づく頃には、少なくとも地下に巨大な魔物が潜んでいるような分かりやすい答えは期待しにくくなっていた。


「階層主って聞くと、どうしても大きい何かを探しちゃうわね」


 物置から出たセルマが言う。


「第一層を見てるからな」


 ラウルは周囲の家々へ目を向けた。


「だが、何も見つからないこと自体は悪くない。場所じゃない可能性が上がる」


「まだ全部見終わってないけどね」


「ああ。だから決めない」


 七人が広場の方へ戻る途中、鐘楼の男とすれ違った。最初に彼らを村へ呼び止めた中年の男で、朝の鐘を鳴らした後は入口近くの仕事をしていることが多い。


 男は太い縄を肩へ担ぎ、入口側の小屋へ運ぶ途中だった。


「朝から村長まで連れて何してるんだ? 古い物置を開けてただろ」


「使ってない場所を見せてもらってる」


 ラウルが答える。


「地下に何かないかって?」


「そんなところだ」


 男は笑った。


「子供の頃に隠れられそうな場所は大体探したけどな。あの物置だって、昔は昼寝に使って怒られたぞ」


「鐘楼にも登ったって言ってたわね」


 セルマが思い出したように言う。


「それも子供の頃だ。今は仕事で登ってる」


「鐘楼の下は?」


「何もない。縄と道具を置くところだけだ」


 男は肩の縄を持ち上げて見せた。


「秘密の地下でも見つけたら、俺にも教えてくれ。村にそんなものがあったら面白い」


「見つかったらな」


 ニルスが答える。


 男はそのまま入口側の小屋へ向かった。昼の鐘が近づけば、また鐘楼へ戻るのだろう。


 エルディアスは離れていく背中を一度見た。


 特に変わったところはない。


     ◇


 以前受付をしていた女の家にも寄った。


 屋根には青い布が干され、扉の横には木彫りの鳥が掛かっている。女は家の前へ低い椅子を出し、籠の豆を選り分けていた。


「あら、また来たのかい。今度は何を探してるんだ?」


「使われていない場所だ。昔受付をしていた頃に、村の中で旅人を近づけないようにしてた場所がないか聞きたい」


 ラウルが説明すると、女は豆を指先で転がしながら考えた。


「そんなところはなかったね。崩れそうな岩壁へ行くなとは言ったけど、それは旅人だけじゃないよ。受付の小屋だって見たままさ」


「床下は?」


 ニルスが尋ねる。


「土だよ。昔、床板を張り替えた時に全部見てる」


「地下へ続くものはない?」


「ないない。あったら五年も座ってた私が先に降りてるよ」


 女はそう言って笑い、再び豆へ目を落とした。


「今の受付の子に何かあったのかい?」


「いや。受付を調べてるわけじゃない」


「ならいいけど、あの子は頼まれれば何でも答えようとするからね。あまり困らせないでおくれ」


「分かった」


 話を終えて七人が家を離れても、女は椅子から立たなかった。受付の小屋へ向かう様子もなく、悪い豆を一つずつ籠の外へ分け続けている。


 エルディアスはその姿を覚えておいた。


 それ以上の意味は、まだなかった。


     ◇


 昼の鐘を過ぎても調査は続いた。


 ただし、以前調べた井戸や岩壁へ何度も同じ術式を使うようなことはしなかった。これまでに得た記録を使えるところは使い、まだ階層主を探す視点で見ていない場所だけを確認していく。


 三神像についても同じだった。


 広場を通るたびに赤い仮面が正面を向いていることをエルディアスは確認したが、台座へ近づいて調べることはしない。朝にリュシアと話した通り、動く瞬間を知るために夜まで見張るつもりもなかった。


 分からないものへ近づいて、何が起こるかを試す。


 第一層までなら、それも調査の一つだった。


 今は違う。


 この村では、何がルールとして働いているのかすら分からない。ラウルが死んだ青い歴史だけで、何かの条件が満たされた可能性もある。もしそうなら、危険なのは像を壊そうとすることだけとは限らなかった。


 だから、朝は今まで通りに迎える。


 夜になれば家へ戻り、眠り、明けの鐘を聞く。その後で像を見る。


 それで色を見分けるには足りている。


「何見てるの?」


 セルマの声で、エルディアスは像から目を離した。


「何でもない」


「また三神様でしょう?」


「見ただけだ」


「触らないわよ。今日はちゃんと遠くから見てるでしょう?」


「ならいい」


「最近、本当に信用がないわね」


「今さらだろ」


 ガルムが横から言う。


「ガルムは私を何だと思ってるの?」


「火を使わせる前に周りを見る必要がある仲間だ」


「それ、かなり失礼じゃない?」


「必要な評価だ」


「クラリス、何か言って」


「像から離れてからにしましょう」


「クラリスまで」


 セルマは不満そうだったが、素直に広場を離れた。


     ◇


 午後二つの鐘が近づいた頃、最後に確認した古い小屋から出ると、後ろから声を掛けられた。


「ちょうどよかったよ」


 振り返る。


 小柄な老女が道の脇に立っていた。


 前の赤い日、村長とともに昔の旅人について話を聞かせてくれた女だった。その後、リュシアには昼食作りを、セルマには調子の悪い竈を見るよう頼んでいる。


「あんたたち、まだ村の中を歩いてるんだろ?」


「今日はそうね。どうしたの?」


 セルマが尋ねる。


「大したことじゃないよ。そっちの大きい人、修繕だったね」


 老女の目がガルムへ向いた。


「ああ」


「時間がある時でいいんだけど、うちの裏の物置を見てもらえないかい。戸が下へ擦るようになって、力を入れないと閉まらないんだよ」


 ガルムはすぐには答えず、ラウルを見る。


「近いのか?」


「すぐそこだよ。駄目なら村の男に頼むから、無理にとは言わないけどね」


「見るだけなら構わない。今は全員で動いてるから、七人で行くことになるが」


「戸一枚に七人かい?」


 老女は可笑しそうに笑った。


「随分と大げさだねえ」


「俺たちもそう思ってる」


 ラウルが答えると、老女はさらに笑い、自宅の裏へ七人を案内した。


 小さな物置の戸は、一目で壊れていると分かるものではなかった。ガルムが開閉すると、閉じる直前に左下だけが敷居へ擦れ、最後に少し力を入れる必要がある。


 大盾を壁へ立て掛け、しゃがんで蝶番と木枠を調べる。


「金具じゃないな。下の木が湿気で膨らんでる。少し削れば閉まる。ただ、乾いた後に隙間ができるかもしれん」


「冬まで持てば十分だよ。息子が戻ったら、その時にちゃんと直させる」


「なら削る。道具はあるか?」


 老女が工具箱を持ってくると、ガルムは当たっている箇所だけを少しずつ削り始めた。


 セルマがその横から覗き込む。


「今度はガルムなのね」


「何がだ」


「役目よ。前は私とリュシアだったでしょう? 料理人には料理、竈には竈。今度は修繕に物置の戸」


「ああ、そういえばそうだったね」


 老女が笑った。


「この前は助かったよ。竈もよく燃えてるし、昼の支度も早く終わった」


「今日は料理は頼まないの?」


「毎日人手が足りないわけじゃないよ。あの日は来られない人がいたから手伝ってもらっただけさ」


「そうよね」


 セルマはそれで納得したらしく、ガルムの手元へ視線を戻した。


「修繕って、こういうこともできるのね」


「木を少し削るくらいならな」


「屋根も?」


「程度による」


「壁は?」


「何で俺の役目を今調べ始めたんだ」


「ちょっと気になっただけでしょう?」


「静かにしてろ。削りすぎる」


「話してても手は止まってないじゃない」


「止めたくなる」


 クラリスが二人の間へ視線を向ける。


「それなら、セルマは少し離れた方がよさそうですね」


「私が悪いの?」


「ガルムが削りすぎるよりはよいと思います」


「それはそうだけど」


 やがてガルムが木屑を払い、戸を閉じる。今度は敷居へ擦れることなく、最後まで滑らかに収まった。


「これでいい」


「助かったよ」


 老女は自分でも何度か戸を開け閉めし、満足そうに頷いた。


「役目ってのも、こういう時には便利なもんだね」


「頼まれればできる範囲ではやる」


「じゃあ、次に何か壊れたらまた頼もうかね」


「大工が必要なものは大工に頼め」


「分かってるよ」


 老女の笑い声を背に、七人は再び道へ戻った。


 エルディアスは少し進んでから一度振り返る。老女はすでにこちらを見ておらず、直った戸を開けて物置の中から籠を取り出していた。


 何かがおかしいわけではない。物置の戸が壊れていて、そこに修繕という役目を与えられたガルムがいたから頼んだ。それだけの話だ。前の赤い日も、料理を手伝う者が足りないところに料理人のリュシアがいて、調子の悪い竈の前には竈という役目を持つセルマがいた。頼む理由は、どちらにもあった。実際、セルマもあの時に同じことを気にし、リュシアから不自然ではないと返されている。


 それでも、二度ともこの女だった。


 エルディアスは前へ向き直った。


 二度だけなら、まだ何とでも説明できる。


     ◇


 夕方、旅人用の家へ戻ると、ニルスはその日の調査結果をまとめた。


「使われてない建物には異常なし。村長が知ってる範囲で大きな地下もなし。井戸と岩壁は前の記録から変える必要なし。三神像は外から見ただけ。階層主らしい魔物も、今日のところは見つからなかった」


「本当に何もいないわね」


 セルマが椅子へ深く座る。


「何もいないと決まったわけじゃない」


 ラウルは卓の上の記録を見ながら言った。


「一日探して出てこなかっただけだ。隠れているのかもしれないし、出てくる条件があるのかもしれない。それに、俺たちが階層主だと思ってる姿をしていない可能性もある」


「建物そのものということもありえますね」


 クラリスが続ける。


「村全体が階層主ってこと?」


「それも今は否定できません。ただ、区画と階層主が同じものなのかは分かりません」


 ガルムが腕を組んだ。


「場所を見ても出ないなら、ほかに何を見る?」


 その問いに、しばらく誰も答えなかった。


 やがてクラリスが口を開く。


「人、でしょうか」


 セルマの表情がわずかに変わった。


「村人の中に階層主がいるってこと?」


「可能性の一つです。誰かを疑う理由があると言っているわけではありません」


「それは分けた方がいいな」


 ラウルがすぐに言った。


「階層主が人の姿をしている可能性は考える。ただし、それを理由に村人を捕まえて調べることはしない。向こうは今まで普通に俺たちへ協力してる。敵だと決める材料は何もない」


「だったら、どう探すの?」


「まず見るしかないだろ」


 ニルスが答えた。


「普段何をしてるのか。何か不自然な動きがあるのか。怪しい奴を作るためじゃなく、村を知るためにな」


 エルディアスはその言葉を聞きながら、今日見た何人かの村人を思い返した。


 朝の鐘を鳴らした男は、いつも通り縄を入口側の小屋へ運んだ。以前受付をしていた女は、自宅の前で豆を選り分け、受付へ寄ることもなかった。村長も自分の仕事をしながら七人の調査に付き合っている。


 小柄な老女だけが、また役目に沿った仕事を一人へ頼んだ。


 それも、理由のある頼み事だった。


「俺が見る」


 エルディアスが言った。


 ラウルが顔を向ける。


「村人を?」


「ああ。同じ人間を何度か見た方がいい」


 ラウルは少し考えた。


「観測者として、ってことか」


「そうなる」


「何を見るのかはまだ話せない?」


「ああ」


「なら、怪しいと思った奴が出ても一人で追うな。それだけ約束しろ」


「分かってる」


「今朝、自分で一人で動くなと言ったからな」


「ああ」


 ラウルはそれ以上聞かず、明日も場所の確認を続けながら村人の様子を見ていくことを決めた。


     ◇


 夜。


 夕の鐘から時間が経ち、家々の灯りもほとんど落ちていた。


 三神像を見張る者はいない。


 七人も、これまでと同じように旅人用の家へ戻り、それぞれの寝台へ入っていた。


 エルディアスは暗い天井を見ながら、朝にリュシアと交わした話を思い出していた。


 今頃、広場へ行けば赤い仮面を見ることができる。


 そのまま待てば、いつか別の色へ変わるのかもしれない。


 それが何刻なのか。像が実際に回るのか。目を離さなくても変化するのか。


 知ろうと思えば、確かめる方法はある。


 だが、行かない。


 青のラウルは夜に一人で広場へ出た。その次の青で死んでいた。像へ剣を当てたことだけが理由なら、見ているだけで危険になることはないのかもしれない。


 逆に、そうではないかもしれない。


 この階層では、まだ何が禁じられているのか分かっていない。


 今まで通りに朝を迎える。それは何も知らないまま繰り返してきた行動ではなく、今では一つの選択になっていた。


 隣から声が届く。


 ――起きていますか。


 ――ああ。


 ――像のことを考えていましたか。


 ――少しな。


 ――見に行きたいとは。


 ――思ってる。


 リュシアから、わずかに間を置いて返事が来た。


 ――それでも、行かないのですね。


 ――ああ。


 知りたいことと、今確かめるべきことは同じではない。


 仮面が変わる瞬間を見なくても、朝になればどの歴史へ来たかは分かる。それ以上の情報を得るためだけに、これまでと違う行動を取る必要はなかった。


 ――明日も、鐘で起きる。


 ――はい。


 そこで念話は途切れた。


 今夜も今までと同じように眠り、明けの鐘で目を覚ます。


 その後で、三神像を見る。


 そして次が青なら、今日見た村人たちをもう一度見る。


 同じ人物が、別の歴史では何をしているのか。


 一度の違いなら偶然でいい。二度でも理由があるなら、それだけで疑う必要はない。


 だが、赤、青、黄色を並べた時に、一つの歴史でだけ同じ人物が何度も違う行動を取るのなら。


 観測者である自分にしか見つけられないものが、そこにあるかもしれなかった。


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