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第46話 五日

 明けの鐘が鳴った。


 低い音が旅人用の家の壁を震わせ、エルディアスは目を開けた。窓から差し込む朝の光はまだ弱く、室内には夜の冷えが残っている。


 身体を起こし、向かいを見る。


 ラウルの寝台が空いていた。


 毛布は乱れたままになっている。枕元に置いていたはずの剣帯もない。


 エルディアスはしばらくそこを見た。


 昨日、自分が見ていた赤い日のラウルは、夜までこの家にいた。


 だが、その前に見た青い日の夜。


 三神像を近くでもう一度見てくると言って、ラウルは一人で広場へ出た。その後、戻ってきたところをエルディアスは確認していない。


 隣の寝台で布が擦れた。


 リュシアが目を開け、上半身を起こす。エルディアスが自分を見ていることに気づくと、わずかに首を傾げた。


 ――今日は何日目だ。


 リュシアは一度瞬きをし、自分の記憶を数えるように少し間を置いた。


 ――村へ着いた日を一日目にするのであれば、三日目です。


 予想していた答えだった。


 ――昨日は。


 ――朝に入口を確認しました。その後、以前受付をしていた方の家へ行っています。途中で山羊が逃げて、皆さんで柵を直しました。それから、三神様の昔話に詳しい方の家へ行きました。


 ――像の話は。


 ――昔、酔った旅人が三神像へ剣を振り下ろしたという話ですね。像には傷が付かず、旅人の剣だけが欠けた。それでも、その方は翌朝には普通に村を出たと聞きました。


 迷いはない。


 前に青い仮面が正面を向いていた日に起きたことを、リュシアは昨日として覚えている。


 少なくとも、リュシアの記憶はあの青い日の先へ繋がっていた。


 ――俺には六日目だ。


 今度は、リュシアがエルディアスを見た。


 ――六日目?


 ――お前が覚えてる昨日の後に、俺は黄色の日と、赤の日を過ごしてる。


 リュシアはすぐには答えなかった。


 ――その二日を、私は覚えていないのですね。


 ――ああ。それより前にも、同じことがあった。


 説明を最初から繰り返すつもりはなかった。


 エルディアスは、以前リュシアから聞いた木剣の話だけを告げた。子供の頃、枝を削って作ったこと。何度か振って折れたこと。家の裏にある大きな木の根元へ埋め、父親にも母親にも話していないこと。


 リュシアの表情が変わった。


 ――……それを、なぜエルが知っているのですか。


 ――お前から聞いた。


 ――私は話した覚えがありません。


 ――今のお前じゃない。俺の話を信じない自分がいた時のために、別の日のお前が教えた。


 リュシアはしばらく黙った。


 自分の記憶を探るように視線を落とし、やがて小さく頷く。


 ――分かりました。少なくとも、エルが私の知らない日を過ごしていることは信じます。


 ――それでいい。


 すべてを信じろと言うつもりはなかった。


 赤、黄、青。それぞれに別の続きがあるという考えも、まだ確認の途中でしかない。


 ――今朝が青なら、前に青だった日の続きかもしれない。それを確かめたかった。


 ――私が昨日を覚えていることは、その材料になりますね。


 ――ああ。だが、今はまだお前の記憶だけだ。


 リュシアもエルディアスの視線を追い、そこで初めてラウルの寝台が空いていることに気づいた。


 ――ラウルさんは。


 ――分からん。


 ――入口でしょうか。


 ――それならいい。


 リュシアが空の寝台を見た。


 その時、扉が強く叩かれた。


「起きてるか!」


 男の声だった。


 家の中で一斉に布が動く。ガルムが身体を起こし、ニルスも枕元の短弓へ手を伸ばした。セルマとクラリスも寝台から足を下ろす。


「何だ?」


「広場だ。あんたらと一緒にいた男が倒れてる!」


 ガルムの動きが止まった。


「誰だ」


「剣を持った、あんたらのまとめ役みたいな人だよ。名前までは知らん」


 ニルスがラウルの寝台を見る。


「ラウルがいない」


 その一言で、五人が同時に動いた。


     ◇


 広場には、すでに何人かの村人が集まっていた。


 三神像を遠巻きに囲み、誰も近づこうとはしていない。井戸へ水を汲みに来た女が最初に見つけたらしく、桶を地面へ置いたまま青ざめた顔で立っている。


 六人が近づくと、人垣が左右へ分かれた。


 エルディアスは最初に三神像を見た。


 青い仮面が正面を向いている。


 そして、その足元から少し離れた石畳にラウルは倒れていた。


「ラウル!」


 ガルムが走る。


「待ってください!」


 クラリスの声が飛んだ。


 ガルムはラウルへ手を伸ばしかけたところで止まる。クラリスが横を抜け、膝をついた。


 ラウルは左肩を下にして倒れていた。外套の裾が乱れ、片腕は身体の下へ入っている。


 血は見えない。


 胸当てにも破損はなく、顔にも傷はなかった。


 クラリスは首筋へ指を当て、反対の手を胸元へ置いた。


 少し待つ。


 今度は瞼を開き、顔を近づけた。


 誰も話さなかった。


「……どうだ」


 ガルムの声が低く落ちた。


 クラリスは答えず、白い杖を取った。杖頭へ淡い光が集まり、ラウルの胸元へ落ちる。


 普段なら傷へ吸い込まれるように広がる光に、反応はなかった。


 クラリスは術式を止めた。


「亡くなっています」


 セルマが息を呑んだ。


 ニルスは何も言わない。


 ガルムだけが、しばらくその場から動かなかった。


「……もう一度見ろ」


「見ています」


 クラリスの声は静かだった。


「呼吸はありません。心臓も止まっています。身体も冷えています。今倒れたばかりではありません」


「傷は?」


「これから確認します」


 ガルムは拳を握ったが、それ以上は言わなかった。


 クラリスは外套をずらし、首、胸、腹部を順に確かめる。腕と脚にも目立った傷はない。頭の後ろへ手を回しても、血は付かなかった。


「少なくとも、刃物で斬られたり、強く殴られたりしたようには見えません。胸当ても壊れていません」


「毒は?」


 ニルスが尋ねる。


「ここでは分かりません。口元に血や泡はありませんし、吐いた跡も見当たりません。ただ、それだけで毒ではないとは言えません」


「魔法は?」


 セルマの声は小さかった。


「それも分かりません。私が見て分かる火傷や凍傷もありません。今言えるのは、死因になるような外傷が見当たらないことだけです」


 エルディアスはラウルから周囲へ視線を移した。


 数歩離れた石畳に、剣が落ちている。


 鞘ではない。


 抜き身だった。


「ニルス」


「ああ。見えてる」


 ニルスもすでに気づいていた。


「誰も動くな。足元を踏み荒らしたくない」


 村人たちも含めて動きが止まった。


 ニルスは剣へ近づき、しゃがみ込む。すぐには触れず、柄から剣先までを目で追った。


「ラウルの剣だ」


 雷をまとわせ、森でも何度も振るってきた剣だった。


 その刃の一部が失われている。


「欠けてる」


 セルマの顔が上がった。


「どこ?」


「剣先より少し下だ」


 三角形に近い形で、刃が大きく欠けていた。戦闘の中で付いた細かな傷とは違う。明らかに金属の一部が失われている。


 ニルスは剣から周囲の石畳へ視線を移した。


「欠片を探す」


 ガルムも村人の方へ向き直った。


「悪い。もう少し下がってくれ。何が起きたか調べたい」


「あ、ああ」


 最初に知らせに来た男が答え、集まった者たちを後ろへ下がらせる。


 六人は足元を調べ始めた。


 ほどなく、リュシアが三神像の台座近くで足を止めた。


「ニルスさん。こちらを見てください」


 石畳の隙間に、小さな金属片が落ちていた。


 ニルスが近づき、剣の欠けた部分と見比べる。


「触るぞ」


 布越しに金属片を拾い、欠けた刃へ近づけた。


「形は合いそうだ。これでほぼ間違いない」


 誰もすぐには次の言葉を出さなかった。


 金属片が落ちていたのは、三神像のすぐ近くだった。


 三体の像は何事もなかったように立っている。


 赤。黄。青。


 青い仮面が正面を向き、その下にある石の身体にも台座にも、目立った傷は見えなかった。


「……あの話」


 セルマが呟いた。


 エルディアスも同じものを思い出していた。


 昔、酔った旅人が三神像へ剣を振り下ろした。


 像には傷一つ付かなかった。


 逆に剣の刃が欠けた。


 それでも、その旅人は翌朝、普通に村を出ていった。


「まだ決めるな」


 エルディアスが言った。


 セルマが振り返る。


「でも、剣が欠けてるのよ」


「ああ」


「欠片は像のすぐ近くにあった。ラウルは剣を抜いてここまで来てる。それで像には傷がない」


「刃を当てた可能性は高い」


 エルディアスはラウルを見る。


「それと、像へ剣を当てたから死んだって話は別だ」


 ニルスも頷いた。


「振ったところを見た奴はいない。どの像へ当てたかも分からない。何回やったかも、剣が欠けた後に何が起きたかも分からない」


「でも……」


 セルマは言いかけ、視線を落とした。


「塔に似てるって言ったの、私だわ」


「セルマ」


 クラリスが呼ぶ。


「普通の石じゃないかもしれないって。塔の壁みたいに傷が付かないんじゃないかって。私があんなことを言わなければ――」


「お前が言わなくても、ラウルは気にした」


 ガルムが低い声で遮った。


 セルマが顔を上げる。


「あいつは話を聞いて、自分で考えてた。お前が剣を持たせてここまで連れてきたわけじゃない」


「でも、最初に言ったのは私よ」


「今それを決めても、何も分かりません」


 クラリスが続けた。


「ラウルが何をしたのかすら、まだ分かっていません。原因が分かる前から自分の責任にしても、確かめられることは増えません」


 セルマはしばらく黙り、やがて小さく頷いた。


 その時、人垣の向こうから村長が来た。


「どうした」


 集まった村人を掻き分け、地面へ倒れているラウルを見る。


 足が止まった。


「……死んでるのか?」


「はい」


 クラリスが答える。


「外から見える傷はありません。何が原因かは分かりません」


 村長の視線が落ちている剣へ移り、さらに三神像へ向いた。


「三神様に何かしたんじゃ……」


 後ろにいた村人の一人が小さく言った。


「罰が当たったんじゃないのか」


「決めつけるな」


 村長が振り返った。


「昔にも像へ剣を振った旅人がいただろ。そいつは普通に帰ったって話だったはずだ」


「でも、今ここで死んでるぞ」


「だから分からんと言ってる」


 村長は強い声で言い切り、それから六人へ向き直った。


「悪い。こんなことは俺も初めてだ。少なくとも、三神様の前で旅人が死んだなんて話は聞いたことがない」


「昔話をした爺さんにも、もう一度確認したい」


 ニルスが言う。


「あの剣を振った旅人が本当に無事だったのか。それ以外に似た話がないかも聞きたい」


「ああ。それは俺も聞く」


「その前に」


 クラリスが顔を上げた。


 五人を見る。


「昨夜、最後にラウルを見たのは誰ですか」


 すぐに答える者はいなかった。


 ガルムが眉を寄せる。


「寝る前なら全員だろ」


「その後です。夜中に起きていた方はいませんか」


「俺だ」


 エルディアスが答えた。


 四人の視線が集まる。


「ラウルが出ていくところを見た」


「どこへ」


 ガルムの声が低くなる。


「広場だ。三神像を見に行くと言ってた」


 セルマが息を止めた。


「いつ?」


「皆が寝た後だ。昼に聞いた話が頭に残ってると言ってた」


「剣は?」


 ニルスが尋ねる。


「剣帯を着けてた」


「何か試すって言ってたのか」


「言ってない」


 エルディアスは首を横へ振った。


「近くで一度見るだけだと言った。昼は人が多かったから、もう少し見ておきたいと」


「それで一人で行かせたのか」


 ガルムが尋ねる。


「ああ。村の中だけにしろとは言った。あいつもそのつもりだと答えた」


 ガルムの眉間へ皺が寄った。


 エルディアスは言い訳を足さなかった。


 村の中だった。


 三神像も、昼間には七人で近くまで確認している。


 ただ見てくるだけだと言われて、一人で広場へ行くことまで止める理由は、あの時にはなかった。


 ガルムはしばらくエルディアスを見ていたが、やがてラウルへ目を戻した。


「……俺でも止めてない」


 セルマがガルムを見る。


「見るだけだって言ったんだろ」


「ああ」


「なら止めない。村の広場まで行くのに、毎回全員で動いてたわけでもない」


 それだけ言うと、ガルムは黙った。


 ニルスが記録板を開いた。


 板へ文字を書こうとして、一度手が止まる。それでも、すぐに書き始めた。


「青い仮面が正面。明けの鐘の後、三神像付近でラウルを発見。死亡。目立った外傷なし。抜き身の剣が数歩離れた位置にあり、刃が欠損。欠片と思われる金属片を台座付近で確認」


 セルマがニルスを見る。


「今、書くの?」


「ああ」


「……そう」


「後で書けば、見たことと考えたことが混ざる。分からないことは分からないまま残す」


 ニルスはさらに書き加えた。


「昨夜、ラウルは一人で三神像を確認するため外出。エルディアスが最後に会話。帰還は未確認」


 最後まで書き終え、記録板を閉じた。


     ◇


 ラウルの遺体をどうするかについて、埋葬という言葉は出なかった。


「連れて帰る」


 ガルムが最初に言った。


「ここを出られたら、こいつも連れて帰る。こんな場所へ置いていく気はない」


 ニルスもセルマも反対しなかった。


 クラリスは遺体の状態を考え、村長へ冷えた場所を借りられないか尋ねた。


「岩壁側に古い貯蔵庫がある」


 村長が答える。


「冬に根菜を置くところだが、今はほとんど使ってない。半分地面へ埋まってるから、昼でも中は冷える」


「そこをお借りできますか」


「ああ」


 六人はラウルの身体を布で包んだ。


 胸当てや籠手は外さない。何が死因なのか分からない以上、必要以上に状態を変えない方がよいとクラリスが判断した。


 剣だけは別にした。


 ニルスが刃の欠けた位置を紙へ写し、見つけた金属片を小さな布へ包む。確認を終えると、剣は鞘へ戻し、金属片と一緒にラウルの装備としてまとめた。


 岩壁沿いにある貯蔵庫は、石造りの低い入口から数段下りたところにあった。中へ入ると、朝だというのに外より空気が冷たい。壁際には木の棚が並んでいたが、今はほとんど空いている。


 ガルムとニルスがラウルを運び入れた。


 奥へ並べた厚い板の上へ身体を横たえる。


 クラリスが最後に布を整えた。


 顔を覆う前で、手が止まる。


 何かを言うことはなかった。


 布を上まで引き上げる。


 ラウルの顔が見えなくなった。


 ガルムは剣と鞘をその横へ置いた。


「ここを使わせてもらう」


「ああ」


 村長が答える。


「鍵は俺が持ってる。必要なら渡すぞ」


「いや。村のものだ。あんたが持っててくれ。ただ、誰かが中へ入る時は知らせてほしい」


「分かった。家の者にも言っておく。勝手には入らせん」


 六人は貯蔵庫を出た。


 外には朝の光が広がっている。


 村では、いつもの一日が始まっていた。畑へ向かう者が歩き、家の前では洗った布が干されている。遠くから家畜の声も聞こえた。


 昨日までと同じ村だった。


 旅人用の家へ戻る六人の中に、ラウルだけがいなかった。


     ◇


 朝食は手を付けないまま残っていた。


 誰も席へ向かおうとはしなかったが、クラリスが水を用意し、保存食を卓へ並べる。


「食べてください」


 セルマが椅子へ座ったまま顔を上げた。


「今?」


「今です」


「食べる気しないわ」


「私も食べたいとは思っていません」


 クラリスは静かに答えた。


「ですが、今日はまだ何が起きたのか確認しなければなりません。何も食べずに動いて、別の誰かが倒れる方が困ります」


「……分かった」


 セルマはそれ以上逆らわなかった。


 ガルムも無言で席につき、ニルスは記録板を卓へ置いたまま固いパンをちぎった。エルディアスとリュシアも食べる。


 味はほとんど分からなかった。


 食事を終えると、ガルムが卓の中央へ両腕を置いた。


「この先を決める」


 ニルスが顔を上げる。


「誰が指揮するか?」


「今は決めない」


 ガルムは首を横へ振った。


「今日のうちに誰かをラウルの代わりにする必要はない。まず動き方だけ揃える」


 五人を順に見る。


「ラウルが昨日まで決めてたことを、勝手に変えない。一人で動かない。何か試す時は全員に話す。入口は確認するが、必要以上のことはしない。三神像には触らない。魔法も刃も当てない」


「賛成」


 ニルスが答えた。


「調べるなら、まず昨夜のラウルが何をしたかだ。昔話の爺さんへもう一度聞く。それから、夜に広場の近くにいた奴がいないか確認する」


「私もそれでいいわ」


 セルマが言う。


「今は、何をすると危ないのか分からないもの。像を調べるにしても、見るだけにした方がいい」


「クラリスは?」


「異論はありません」


 クラリスは五人を見る。


「ただし、ラウルの死因が分からない以上、全員、自分の身体に何か変化があればすぐに伝えてください。吐き気、胸の痛み、息苦しさ、手足の痺れ。普段と違うものであれば何でも構いません」


「同じ原因で私たちも倒れる可能性があるってこと?」


「否定できません」


 クラリスは言葉を濁さなかった。


「だからこそ、一人では動かないでください」


 ガルムがエルディアスとリュシアを見る。


「二人は?」


「それでいい」


「私も異論はありません」


 リュシアも頷いた。


 ガルムは一度だけ空いている寝台へ目を向けた。


「なら今日はそれで動く」


 誰もラウルの代わりになるとは言わなかった。


 それでも、六人は動き始めた。


     ◇


 入口は変わっていなかった。


 ガルムとニルスは昼前に戻り、村人が何の抵抗もなく森へ出たこと、自分たちはこれまでと同じ位置で止められたことを伝えた。


 その後、六人で三神の昔話を知る老人の家へ向かった。


 老人はラウルの死をすでに聞いていた。


 いつものように話し始める様子はなく、六人を家へ入れると、自分から椅子を勧めた。


「剣が欠けていたと聞いた」


「ああ」


 ニルスが答える。


「像の近くに欠片も落ちてた。前に聞いた旅人の話を、もう一度確かめたい」


「前に話した通りだ」


「その旅人は本当に死んでない?」


 セルマが尋ねた。


「死んでない」


 老人は迷わず答えた。


「少なくとも、俺が爺さんから聞いた話じゃな。酔っ払って三神様へ剣を振って、剣の刃を欠かした。宿へ戻って寝て、次の日には村を出ていった」


「怪我は?」


「聞いてない」


「具合が悪くなったとも?」


「それも聞いとらん。剣を駄目にして、酒が抜けた後でずいぶん落ち込んでたって話くらいだ」


「一度だけ振ったの?」


「知らんな」


「何度も壊そうとした可能性は?」


「それも分からん」


「どの像へ振った?」


「そこまでは聞いてない」


 老人は少し困ったように眉を寄せた。


「答えられんことばかりだな」


「分からないなら、それでいい」


 ニルスが言う。


「後から勝手に足したくない」


「ああ。それがいい」


 エルディアスが尋ねる。


「三神像の近くで死んだ旅人の話は、ほかにないか」


「俺は知らん」


「像へ何かして死んだ者は?」


「聞いたことがない。そもそも、剣を振った馬鹿者の話が今まで残ってるくらいだ。何人も同じことをしてたなら、そっちも話になっとるだろう」


「そうか」


「ただな」


 老人は少し間を置いた。


「三神様が罰を与えたんだとも、違うとも、俺には言えんぞ。昔の旅人が平気だったから、今度も同じだと決まってるわけじゃない。俺は昔話を知ってるだけだからな」


「分かってる」


 ガルムが答えた。


「俺たちも決めつけるつもりはない」


 老人の家を出ても、答えは増えなかった。


 夜の広場にいた者も探した。


 宵のうちに広場を通った村人は何人かいたが、その時にはラウルを見ていない。夜更けまで起きていた者も、叫び声や争う音は聞かなかったという。


 ラウルがいつ広場へ着いたのか。


 いつ剣を抜いたのか。


 本当に像へ刃を当てたのか。


 刃が欠けた後に何が起きたのか。


 何一つ確定しなかった。


 分かったのは、朝に見つけたものだけだった。


 外傷のないラウルの身体。


 抜かれた剣。


 欠けた刃。


 三神像の足元に落ちていた金属片。


 そして、傷一つ見つからない三体の像。


     ◇


 夕の鐘が鳴った。


 六人は旅人用の家へ戻っていた。


 ニルスが今日調べたことを読み上げ、クラリスがラウルの状態について分かる範囲を付け加える。


 死因は不明。


 三神像へ剣を当てた可能性は高いが、目撃者はいない。


 昔、同じように剣を欠けさせた旅人は生きて村を出たという伝承がある。


 ラウルとの違いは分からない。


 それ以上、書けることはなかった。


「明日は?」


 セルマが尋ねる。


 ガルムは少し考えた。


「朝、入口を見る。それからラウルのところへ行く」


「三神像は?」


「見るだけだ」


「分かった」


 以前なら、セルマはもう一つ二つ質問を続けていた。


 今日はそこで終わった。


 夕食も静かだった。


 ラウルが使っていた器は、誰も動かさなかった。


 食事を終えると、クラリスは明日の分の食料を確認し、ニルスは記録板を枕元へ置いた。ガルムは大盾を寝台の脇へ立て掛け、いつでも手を伸ばせる位置に置く。


 誰も一人で外へ出なかった。


 灯りが消えた。


 しばらくして、寝息が聞こえ始める。


 エルディアスは目を閉じていた。


 眠ってはいなかった。


 ――エル。


 リュシアの声が内側へ届く。


 ――起きてる。


 ――今朝の話を、もう少しよいですか。


 ――ああ。


 二人は寝台を離れなかった。


 今夜は外へ出る必要がない。


 ――ラウルさんのことです。


 ――ああ。


 ――前に青い仮面が正面を向いていた夜、ラウルさんは三神像を見るために外へ出た。今日、再び青い仮面が正面を向いた朝、その三神像の前で亡くなっていた。


 ――そうだ。


 ――私も、前の青の日に起きたことを昨日として覚えています。


 今朝は、それだけだった。


 リュシアの記憶が繋がっている。


 だが、今はそれだけではない。


 ラウルが前の青の日の最後に始めた行動が、今朝まで結果として残っていた。


 抜いた剣。


 欠けた刃。


 像の足元にあった金属片。


 エルディアスは暗い室内で、空いている寝台を見る。


 ――青も、前の青から続いてると考えていいだろう。


 ――はい。私もそう思います。


 赤い日は、前の赤い日から続いていた。


 老女はリュシアを昨日の料理人として覚えていた。セルマが直した竈も元へは戻っておらず、クラリスが治した傷も治療後の状態だった。


 そして今日、青も前の青から続いている。


 ――昨日、俺が見てたラウルは生きてた。


 リュシアからの返事が少し遅れた。


 ――赤い日のラウルさんですね。


 ――ああ。普通に朝飯を食って、入口へ行って、俺たちと話してた。


 今目の前にある空の寝台とは繋がらない。


 だが、青のラウルだけを見れば繋がっている。


 青い日に広場へ出た。


 次の青い日の朝、死んでいた。


 ――同じ人が、生きている日と亡くなっている日がある。


 ――そうなる。


 これまでとは重さが違った。


 料理をしたか。


 柵を直したか。


 誰かを治療したか。


 それらの食い違いだけなら、記憶そのものが変えられている可能性も残せた。


 だが、今日はラウルの遺体を運んだ。


 剣も残っている。


 青い日のラウルには、赤い日のラウルとは違う結果が起きている。


 ――三つの歴史。


 リュシアが言った。


 ――まだ全部は確認してない。


 ――黄色ですね。


 ――ああ。


 赤は続いた。


 青も続いた。


 残っているのは黄色だった。


 前に黄色い仮面が正面を向いた日、リュシアは村へ着いて二日目だと答えた。その夜、二人は初めて記憶の違いを一つずつ並べ、赤、青、黄で別の続きがある可能性について話した。


 ――次が黄色なら、まず何日目か聞く。


 ――以前の黄色の日が続いているのであれば、私は三日目と答えるはずですね。


 ――ああ。


 そして、それだけではない。


 黄色の日の夜。


 リュシアは、別の日の自分がエルディアスの話を信じなかった時のために、木剣の話を教えた。


 今日の青いリュシアが、それによってエルディアスの記憶を信じた。


 もし次の黄色が、前の黄色の続きなら。


 ――あの日の話も、お前は覚えてるはずだ。


 ――私が木剣のことをエルへ話したことも。


 ――ああ。


 リュシアは少し黙った。


 ――そこまで一致すれば。


 ――三つとも同じだ。


 赤だけではない。


 青だけでもない。


 黄色まで、同じ色が戻るたびに前の同色の日から続いているなら。


 それぞれの時間が、別々に一日ずつ進んでいる。


 そう考える方が自然になる。


 そして、もう一つ。


 エルディアスは再び空の寝台を見た。


 黄色の日にいたラウルは、生きていた。


 リュシアも同じことを考えたらしい。


 ――ラウルさんも、確認するのですね。


 ――ああ。


 ――もし黄色が、前の黄色から続いているのであれば。


 そこで念話が止まった。


 続きを言う必要はなかった。


 今、空いている寝台。


 その寝台に、次の朝。


 ラウルがいるのか。


 エルディアスは目を閉じた。


 ――明日を見てからだ。


 ――はい。


 次に正面を向く仮面が何色なのか。


 リュシアが何日目だと答えるのか。


 前の黄色の日に交わした話を覚えているのか。


 そして。


 死んだはずのラウルが、そこにいるのか。


 確かめるものは、もう決まっていた。


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