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第41話 一日

 明けの鐘が鳴った。


 低い音が旅人用の家の壁を震わせ、エルディアスは目を開けた。森の中で聞いていた時とは比べものにならないほど近い。長い余韻が消えきる前に身体を起こすと、向かいではラウルがすでに剣帯を締めていた。


「起きたか」


「ああ」


「入口を見てくる」


 エルディアスは寝台から足を下ろした。


「朝飯より先か」


「一晩経った。それで変わったなら、先に知っておきたい」


 隣の寝台でガルムも身体を起こした。


「俺も行く」


「全員で行く必要はないぞ」


「昨日は七人とも駄目だった。今朝も同じか確かめるなら、二人くらいいた方がいいだろ」


 話し声でほかの四人も起き始めた。リュシアはすでに外套を手に取っており、ニルスは寝台に腰掛けたまま靴を履いている。


「入口ですか?」


「ああ」


 ラウルが答える。


「朝になって解除されてるかもしれん」


「それなら、私も確認します」


 リュシアが剣帯を腰へ回した。


「私も行くわ」


 セルマも毛布を退ける。


「戻ってきて、駄目だったと聞くだけなのも嫌だもの」


「結局全員か」


 ラウルはそう言ったが、止めなかった。


 急いで完全な装備を整える必要はない。それでも誰も武器を置いてはいかなかった。


 七人が外へ出ると、村はすでに朝を迎えていた。畑へ向かう者が道を歩き、家の前では女が桶へ水を汲んでいる。どこかで薪を割る乾いた音も聞こえた。


 昨日、自分たちだけが村から出られないと分かった後も、村の生活は変わらなかった。


 旅人用の家から入口までは遠くない。


 受付の小屋を過ぎ、鐘楼の脇まで来ると、昨日七人を最初に村へ案内した男が縄を束ねていた。こちらに気づき、手を止める。


「早いな。もう出るのか?」


「出られるならな」


 ラウルが答えた。


 男は少し考えてから、昨日のことを思い出したらしい。


「ああ。まだ駄目か確かめるのか」


「そのつもりだ」


 岩壁の切れ目の向こうには、昨日と変わらない森が見えている。踏み固められた道もそのまま続き、森側から吹いてきた風が何にも遮られず村の中へ抜けていた。


 ラウルが境界へ近づく。


 昨日、身体が止まった場所まで進んだ。


 一歩。


 さらに足を踏み出そうとしたところで動きが止まる。


 ラウルは身体を少し前へ傾けた。足元にも胸の前にも、触れられるものは何もない。それでも森側へ進むことだけができない。


 数秒試し、すぐに力を抜いた。


「変わってない」


「俺も試すか?」


 ガルムが尋ねる。


「いや。昨日は全員で確かめた。朝になっても残ってると分かればいい」


 ラウルが下がると、鐘楼の男が縄を持ったまま近づいてきた。


「俺は今から森へ出るぞ」


「薪か?」


「ああ。昼前には戻る」


「通ってくれ」


「それだけでいいのか?」


「ああ」


 男は怪訝そうに七人を見回したが、そのまま岩壁の切れ目へ入った。


 何も起きなかった。


 足取りすら変えず、森側へ出る。


「やっぱり何もないぞ」


「ああ。見えてる」


 ラウルが答える。


「戻ってくる時、何か変わったことがあったら教えてくれ」


「変わったことって?」


「入口で昨日までと違うと感じたことがあれば、何でもいい」


「分かった。まあ、今はいつも通りだけどな」


 男は首を傾げながら森へ入っていった。


 ニルスが記録板を取り出す。


「一晩経過。七人は引き続き通行不可。村人は通行可能」


「それでいい」


 ラウルは境界から目を離した。


「戻ろう。朝飯を食ったら、昨日決めたことをやる」


 七人は村へ引き返した。


 中央の広場へ差しかかったところで、エルディアスは三神像へ目を向けた。


 歩調がわずかに落ちる。


 台座の上には三体の像が立っている。


 赤。黄。青。


 三つの面も、互いに背を向けるように立つ姿も昨日と同じだった。


 違うのは向きだった。


 広場へ続く道へ正面を向けているのは、赤い面だった。


 昨日は黄色だったはずだ。


 エルディアスは赤い面を見たまま、わずかに眉を寄せた。


「エル?」


 少し先へ進んでいたリュシアが振り返る。


「どうしました?」


「いや」


 エルディアスは像から目を離した。


「行くぞ」


     ◇


 旅人用の家へ戻ると、七人は持ってきた保存食で簡単に朝食を済ませた。


 食べ終える頃には、昨日のうちに村長が聞き取りを頼んでいた老人たちが家へ来た。


 村長と一緒に来たのは三人だった。杖をついた痩せた男、小柄な老女、それから村長より少し年上に見える大柄な男。扉を開けるなり、村長が疲れたように息を吐く。


「覚えてそうなのを連れてきた。ただ、期待はするなよ。ここへ来る途中でもう話が合ってない」


「お前の聞き方が悪いんだ」


 痩せた老人がすぐに返した。


「何十年も前の旅人が何人だったかなんて、いちいち覚えてるわけがないだろう」


「だから覚えてる範囲でいいと言っただろ」


「最初からそれだけ言えばいい」


「言ったぞ」


「外で言い合ってないで、中へ入ったらどうだい」


 老女が二人を追い越して家へ入る。


 七人は荷物を寄せ、卓の周囲へ場所を作った。椅子は足りないため、エルディアスとガルムは壁際へ立ち、ニルスは記録板を卓へ置く。


「聞きたいのは、昔この村へ来た旅人についてだ」


 ラウルが切り出した。


「俺たちは七人で来た。それを何度か珍しいと言われた。前にも同じくらいの人数で来た連中はいたか?」


「七人か」


 大柄な老人が考え込む。


「そこまで多いのは、すぐには思い出せんな」


「商いの人たちが大勢で来たことはあったよ」


 老女が言う。


「布を持ってきた人たちだったかね。六人くらいいたはずだよ」


「五人だろ」


 痩せた老人が口を挟む。


「荷を運んでた若いのを入れれば六人だよ」


「あいつは村まで来てなかっただろう」


「来てたよ。私が水を出したんだから」


「それは別の商人じゃないか?」


「違うよ」


 ニルスが記録板から顔を上げた。


「五人か六人。そこまでは曖昧ということだな」


「だから最初からそう言ってる」


 村長が答える。


「七人だったことは?」


「ないとは言えないねえ」


 老女は首を傾げた。


「ただ、昨日あんたたちを見た時に多いと思ったから、七人も揃って来るのは珍しいんだと思うよ」


「普段は一人か二人だと言ってたな」


 ラウルが村長を見る。


「ああ。三人か四人なら別に驚かん。五人を越えると多いなとは思う」


「多人数で来た旅人が泊まったことは?」


「あるぞ」


「あるね」


 今度は三人の答えが重なった。


「商人なら、売るものが多い時は何日かいることもあったよ」


 老女が続ける。


「怪我が治るまで泊まった人もいたね」


「その連中も普通に帰った?」


 ラウルが尋ねる。


「帰ったから今ここにいないんだろう」


 大柄な老人が当然のように答えた。


「昨日みたいに、入口で止まった奴は?」


 三人とも首を横へ振った。


「知らんな」


「私も聞いたことないよ」


「そんなことがあれば、さすがに覚えてるだろう」


 村長が言う。


「俺も昨日から何人かに聞いたが、知ってる奴はいなかった」


 ニルスが板へ書き込む。


「多人数での来訪例あり。宿泊例もあり。どちらも帰る時に異常なし。人数の上限は不明」


「七人だから、とはまだ言えないな」


 ガルムが言った。


「ああ」


 ラウルは続けた。


「次は受付だ。昔の旅人も、全員役目を見てもらっていたのか?」


「少なくとも、俺が知ってる頃はそうだ」


 村長が答える。


「旅人が来れば受付へ寄る。昔から変わってない」


「どんな役目が出たか、覚えてるものはある?」


 セルマが尋ねた。


「全部は無理だねえ」


 老女が笑う。


「薪割り、荷運び、料理人。そんなところなら何度もあったよ」


「猟師もいたな」


 大柄な老人が言う。


「昔、歌い手ってのもいたぞ」


「歌い手?」


 セルマが身を乗り出した。


「ああ。本人は自分が歌えるなんて思ってなかった」


「本当に上手だったの?」


「祭りの日に歌わせたら、村の連中より上手かった」


「それは少し見てみたかったわね」


「何十年も前だぞ」


「分かってるわよ」


 ニルスがセルマから老人たちへ視線を戻す。


「観測者は?」


 三人の表情が揃って止まった。


「聞いたことないな」


「私もないねえ」


「見張りとは違うのか?」


 大柄な老人がエルディアスを見る。


「違うらしい」


 エルディアスが答えた。


「何をするのかは、受付の子にも分からない」


「それなら俺たちに聞いても分からんな」


「それを確かめてる」


 ラウルはそこで話を切り替えた。


「村の人間も、受付で役目を見てもらうのか?」


「いや」


 村長が答える。


「村の者にはやらん。畑をやってる奴も、猟へ出る奴も、何をして暮らしてるか分かってるからな」


「旅人だけなのですね」


 リュシアが確認する。


「ああ。頼み事をする時に、何が向いてるか分かれば便利だろう?」


「役目を言われた後、何もせず帰った旅人もいますか?」


「いるよ」


 老女が答えた。


「水だけ飲んで、その日のうちに出ていく人だっているんだから。頼まれたくなければ断っていいしね」


「役目を果たさなかったことで、何か起きたという話は?」


 クラリスが尋ねる。


「聞いたことないねえ」


「俺もない」


 ラウルがニルスを見る。


「受付を受けたこと自体と、役目を果たしたかどうかは、今のところ違いにはならないか」


「そうだな。ただ、観測者だけは残る」


「違う点の一つとしてな」


 エルディアスが言った。


「それ以上にはしない」


「ああ」


 ニルスが記録へ加える。


 ラウルは老人たちへ向き直った。


「ほかに、昔の旅人で妙なことを覚えてないか。入口で何か見たとか、村へ入ってから急に具合が悪くなったとか」


 三人はしばらく考えた。


「森で怪我して来た奴なら何人もいるぞ」


「それは別だな」


「なら思いつかん」


「私もないねえ」


 老女は申し訳なさそうに肩をすくめた。


「旅の人が来たら、必要なら泊めて、物を売って、また送り出す。それだけだったからね。変なことがあれば覚えてると思うよ」


「十分だ」


 ラウルは頷いた。


「何もなかったことも必要だった」


「昨日も同じことを言われたな」


 村長がエルディアスを見る。


「何もないことまで調べるのか?」


「何かあると思って調べて、なかったなら残す」


「面倒な仕事だな」


「そういう時もある」


「お前は、面倒そうな顔の割に細かいな」


 セルマが笑う。


「観測者らしいでしょう?」


「今それを足すな」


「本人が一番気にしてないわね」


「分からないものを気にしても増えない」


「そこが観測者っぽいのよ」


「意味が分からん」


「私には少し分かるわ」


「説明しなくていい」


 大柄な老人が笑い、村長もようやく少し表情を緩めた。


 ラウルはニルスの記録を一度確認した。


「とりあえず、これくらいで十分だ」


「もういいのか?」


 村長が尋ねる。


「ああ。覚えてないことを無理に思い出してもらっても仕方ない。別に何か思い出したら教えてくれ」


「分かった」


 老人たちは立ち上がった。


 老女だけが扉へ向かう途中でリュシアを振り返る。


「そういえば、あんたは料理人だったね」


「はい」


「昼に何人かで食事を作るんだけど、よかったら少し手を貸してくれないかい? 今日は一人、家の用事で来られなくなってね」


「私でよければ、お手伝いします。ただ、村の料理には詳しくありません」


「切ったり混ぜたりしてくれれば十分だよ。味はこっちで見るから」


「分かりました」


 セルマが自分を指す。


「私は?」


「竈だったかい?」


「そうよ」


「なら、そっちも来ておくれ。片方の竈が昨日から少し火の回りが悪くてね」


 セルマの目がわずかに輝いた。


「それは見たいわ」


「燃やすなよ」


 エルディアスが言った。


「竈は燃やすためにあるでしょう?」


「竈以外だ」


「分かってるわよ」


 老女が笑う。


「昼前に広場の向こうへ来ておくれ」


「はい」


 リュシアが答えた。


 老人たちが帰ると、村長も扉へ向かった。


「俺も一度戻る。昔の旅人のことは、もう少し聞いてみるよ」


「無理に集めなくていい」


 ラウルが言う。


「分かってる。こっちも気になるだけだ」


 村長が出ていき、扉が閉じる。


 セルマはしばらく扉を見た後、リュシアへ顔を向けた。


「本当に役目通りのことを頼まれたわね」


「昨日、村長さんの前で役目を話していますから、不自然ではないと思います」


「そうだけど、少しくらい気になるでしょう?」


「仕事を頼まれたことがですか?」


「料理人と竈が、ちょうど料理と竈を頼まれたこと」


「料理を頼むのであれば、料理人へ頼むのは普通ではありませんか?」


「そう言われると、そうなのよね」


 セルマは少し考えてから肩をすくめた。


「まあいいわ。竈を見れば分かるでしょう」


「壊すなよ」


 ガルムが言う。


「あなたまで言うの?」


「直す役目の俺が呼ばれることになる」


「その時は直して」


「壊す前提にするな」


 ラウルが二人のやり取りを聞きながら立ち上がった。


「昼までは岩壁を見る。昨日、入口以外に出られる場所はないと聞いたが、実際に村の内側から確認しておきたい」


「登るの?」


 セルマが尋ねる。


「まだ登らない。崩れやすいと言われてる。まず見て回るだけだ」


「なら私たちは昼まで一緒でいいですね」


 リュシアが言う。


「ああ。時間になったら二人は竈へ行け。残りはその周辺にいる」


 七人は再び家を出た。


     ◇


 村を囲む岩壁は、近くで見ると場所によってかなり形が違っていた。


 入口付近はほぼ垂直だが、奥へ回ると崩れた石が斜面のように積もっている場所もある。そこから上へ進めそうに見えても、途中から壁は急に切り立ち、表面には剥がれかけた岩が張り付いていた。


 村長の話では、若い頃に登ろうとした者は何人かいたらしい。だが途中から石が崩れ始め、上まで行けた者はいないという。


 エルディアスは壁へ手を当て、土の術式を薄く流した。


 反応は普通に返ってきた。


「どうだ?」


 ラウルが尋ねる。


「普通の岩だ。塔の壁みたいな感じはない」


「壊せる?」


 セルマがすぐに聞く。


「壊すだけならな」


「その先は?」


「分からん」


「なら壊さない」


 ラウルが答えた。


「入口と同じなら、穴を開けても俺たちだけ通れない可能性がある。村の壁を崩して試す理由はまだない」


「そうね」


 セルマも異論はなかった。


 七人は岩壁に沿って歩いた。


 ところどころ畑や家畜柵が壁際まで広がっているため、完全に一直線には進めない。村人に断って畑の縁を通り、家の裏手では道へ一度戻る。


 村そのものは、昨日見た印象と変わらなかった。


 仕事をする者がいて、子供が道を走り、家の前では洗った布が干されている。昨日の入口の異常について尋ねてくる者も何人かいたが、七人がまだ出られないと知ると驚き、それ以上は何も知らないと答えた。


 岩壁を半周ほどしたところで、クラリスが呼び止められた。


「治療の役目の人って、あなた?」


 若い女だった。


「はい。どうしました?」


「父が朝から手を切ってるのに、大したことないって言って聞かなくて。見てもらえる?」


「傷の場所は近いですか?」


「すぐそこ」


 クラリスはラウルを見る。


「行ってきます」


「ああ。俺たちも近くを通る」


 女に案内された家の前では、中年の男が右手へ布を巻いて座っていた。


「こんなの、放っとけば治るって言ってるんだがな」


「まず見せてください」


 クラリスが布を外す。


 掌の端が深く切れていた。血はほぼ止まっているが、薪割りを続ければ簡単に開きそうな傷だった。


「指を動かしてください」


 男が握って開く。


「痛みは?」


「少し」


「傷そのものは深いですが、指の動きに問題はありません。洗って治療します。ただし、今日は薪割りをしないでください」


「左手ならできる」


「その考え方をする方を、最近も見ました」


 クラリスが言った。


 エルディアスは少し離れたところから口を挟む。


「俺を見るな」


「名前は出していません」


「見ただろ」


「ちょうどそちらにいらしたので」


 傷を負った男がエルディアスを見る。


「同じこと言ったのか?」


「少し違う」


「大体同じです」


 クラリスが傷を洗いながら答えた。


 家の中から女の声が飛ぶ。


「ほら、あんただけじゃないからって正しいわけじゃないよ!」


「分かったよ」


 男が諦めた。


「聞き分けがよくて助かります」


 クラリスは淡い治癒の光を傷へ当てた。


「誰と比べてるんだ」


 ガルムが言う。


「誰でしょうね」


 治療が終わる頃には昼が近づいていた。


 リュシアとセルマは老女との約束があるため、広場側へ向かうことになった。


「終わったら旅人用の家へ戻ります」


 リュシアが言う。


「ああ」


 ラウルが答える。


「何か妙なことがあれば、その場で勝手に調べず呼べ」


「私にも言ってる?」


 セルマが尋ねる。


「主にお前だ」


「やっぱり」


「ただの竈なら、竈だけ見ろ」


「分かってるわよ」


 二人が老女とともに歩いていく。


 エルディアスはその背中をしばらく見ていた。


 ――何かあれば呼べ。


 ――はい。エルも、壁を壊さないでください。


 ――壊さない。


 ――ラウルさんもそう言っていましたから、大丈夫だとは思っています。


 ――なら言うな。


 ――念のためです。


 エルディアスは返事をせず、前へ向き直った。


     ◇


 昼の鐘が鳴る頃には、七人は旅人用の家へ戻っていた。


 リュシアとセルマは、手伝った礼だと渡された煮豆と野菜を鍋ごと持ち帰っている。


「多くないか?」


 ガルムが鍋を覗き込む。


「七人いると伝えたら、これくらい必要だろうと言われました」


 リュシアが答える。


「代金は?」


「手伝ってもらったからいらないと言われました。食材を使っていますので払うと言ったのですが、次に何か買う時に少し多く払えばよい、と」


「それで引いたのか?」


 エルディアスが尋ねる。


「そこで長く言い合うより、その方がよいでしょう」


「珍しいな」


「何がですか?」


「最後まで払うと言わなかった」


「私も相手の話は聞きます」


「知ってる」


 セルマが鍋を卓へ置いた。


「私の方も直ったわよ」


「竈か?」


 ガルムが尋ねる。


「奥に灰が溜まりすぎて、下から空気が入らなくなってただけ。掻き出したら普通に燃えたわ」


「魔法は?」


「使ってないわよ」


「珍しいな」


「エルと同じこと言わないで」


「俺は何も言ってない」


「顔が言ってたでしょう」


「分からん」


「もういいわ」


 セルマは自分の器を取り出した。


 食事をしながら、午前中に分かったことをまとめる。


 入口は夜を越えても変化なし。村人は今朝も普通に通行できた。過去には五、六人程度で来た旅人の記憶があり、それ以上だった可能性も否定できない。複数日の宿泊例もあり、受付で役目を見てもらった後、何も頼まれず帰った者もいる。


 岩壁には今のところ別の出入口はない。材質そのものは普通の岩に見えるが、崩れやすく、上まで登った者もいない。


「朝よりは増えたな」


 ラウルが言った。


「でも、原因らしいものは減ってないわよね」


 セルマが器を置く。


「人数はまだ分からない。観測者は初めて。入口も変わらない」


「全部一度に消えるとは思ってない」


 ニルスが答える。


「役目をこなせば出られる、は薄くなっただろ。何もしないで帰った旅人がいる」


「受付そのものも、昔から旅人が受けているのであれば、それだけが原因とは考えにくいですね」


 クラリスが続ける。


「一泊したことが原因でもありません」


「残ってる違いを拾うしかないな」


 ガルムが言った。


「ああ」


 ラウルは頷いた。


「午後は村の中をもう少し見る。人の暮らしも、入口以外の場所も、俺たちはまだほとんど知らない。ただし、家へ勝手に入ったり、何でも調べさせろと言ったりはするな」


「昨日も聞いたわよ」


 セルマが言う。


「なら守れ」


「守ってるでしょう?」


「今のところはな」


「今日、私かなり役に立ってると思うんだけど」


「竈は直したな」


「そこだけ?」


「十分だろ」


 セルマは少し考えてから、納得したように器へ戻った。


     ◇


 午後は七人で村を歩いた。


 井戸や家畜小屋、畑の広がりを見て、午前中に通れなかった岩壁沿いも村人に許可を取れる範囲で確認する。何か異常を探すというより、まず村がどういう場所なのかを知るためだった。


 村はそれほど大きくない。


 中央の広場からどちらへ進んでも、長く歩かないうちに岩壁へ着く。家は数十軒ほどで、畑と家畜小屋がその間に広がっている。森へ続く入口以外に、外へ通じる道は見当たらなかった。


 広場へ戻ってきた。


 三神像は朝と同じ位置に立っていた。


 正面を向いているのは、赤い面だった。


「三神については、今日は聞かないの?」


 セルマが像を見上げる。


「昨日聞いた」


 ラウルが答える。


「昔の話なら、朝の人たちにも聞けたでしょう?」


「入口の話を聞くために来てもらったんだ。何でも一度に聞けばいいわけじゃない」


「でも気にはなるでしょう。赤と黄と青で三柱。石碑には三王よ」


「気にはなる」


 ラウルは三体を見た。


「だが、今は同じ数だというだけだ」


「三王と関係があるとはまだ言えません」


 リュシアも続ける。


「昨日、村長さんから聞いた内容でも、信託に新しく感じるものはありませんでした」


「分かってるわよ。何かありそうに見えるのに、何も分からないから気になるだけ」


「なら覚えておけばいい」


 エルディアスが言った。


「それ以上は増えてない」


「そうね」


 セルマはあっさり引いた。


 エルディアスは赤い面を見上げた。


 昨日、最初にこの広場へ来た時。


 正面を向いていたのは、黄色だったはずだ。


 ――三つですね。


 あの時、リュシアの声も聞いている。


「エル」


 少し先から呼ばれた。


 見ると、リュシアがこちらを待っている。


「行きますよ」


「ああ」


 エルディアスは像から目を離した。


     ◇


 夕方、七人はもう一度入口へ向かった。


 ラウルが朝と同じ場所まで進む。


 結果は変わらない。


 身体は境界で止まり、森側へ足を踏み出すことができなかった。


 今度はリュシアも試したが、やはり同じだった。


「一日では変わらないか」


 ガルムが言う。


「少なくとも、夕方まではな」


 ニルスが記録板へ加える。


 ちょうどその時、森側から朝の男が戻ってきた。


 背負った籠には薪が積まれている。


「まだやってるのか?」


「念のためだ」


 ラウルが答える。


「そっちは?」


「何もなかったぞ。行きも帰りもいつも通りだ」


 男はそう言いながら境界を越え、そのまま村へ入ってきた。


「やっぱり、あんたらだけなんだな」


「ああ」


「変なもんだ」


「俺たちもそう思ってる」


 男は少し気の毒そうな顔をしたが、それ以上言えることもないらしく、薪を背負ったまま村へ戻っていった。


「今日はこれ以上やっても同じだな」


 ラウルが言う。


「戻るぞ。明日の朝、もう一度確認する。それでも駄目なら、今日聞けなかったことを続ける」


「受付の子にも、昔の旅人について聞いてみますか?」


 クラリスが尋ねる。


「ああ。あの子自身が知ってる範囲もあるだろう」


「三神の昔話も聞きたいわ」


 セルマが言う。


「時間があればな」


「忘れないでよ」


「忘れん」


 七人は村へ向き直った。


 夕の鐘が鳴る。


 一度。


 低い音が岩壁の内側へ広がり、長い余韻を残した。


 畑にいた村人が道具を片づけ始め、家々の竈から煙が上がる。子供を呼ぶ声が道の向こうから聞こえてきた。


 昨日と変わらない光景だった。


 旅人用の家へ戻る途中、七人は三神像のある広場を通った。


 エルディアスは歩きながら一度だけ台座へ目を向ける。


 赤い面が、正面を向いていた。


 昨日は黄色だった。


 今日は赤い。


 エルディアスはそのまま視線を外し、六人の後を歩いた。


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