第39話 境界
三神像のある広場を抜けると、その先には周囲より一回り大きな家が建っていた。
石積みの基礎に木の壁を載せた二階建てで、軒下には乾燥させた薬草や豆の束が吊るされている。村長の家と聞いていなければ、少し大きな農家にしか見えなかっただろう。
「ここだよ」
案内してきた男が扉を叩く。
「村長。旅の人が来てる。森の道と鐘について聞きたいそうだ」
しばらくして、中から白髪の男が出てきた。六十を越えているように見えるが、背は曲がっていない。七人の装備を見回した後、案内してきた男へ目を向ける。
「七人もか」
「今日はそればかり言われるな」
ラウルが答えると、村長は笑った。
「普段は一人か二人だからな。そんな大きな盾を持って来た旅人も、しばらく見ていない」
ガルムの大盾へ目を向けてから、家の脇に置かれた長椅子を示す。
「中へ全員入るには狭い。ここでよければ聞こう。何を知りたい?」
「まず道だ」
ラウルは村へ来た方角を指した。
「俺たちは森の奥から来た。この村があることも、ここへ続く道があることも途中まで知らなかった。村の人間は、あの道をどこまで使っている?」
「森へなら入るぞ。薪も採るし、猟へ出る者もいる。もっと遠くまで行くのは旅の者くらいだな」
「村の外へ出る道は、あれだけですか?」
リュシアが尋ねた。
「ああ。見ての通り、ここの周りは岩壁だ。他に抜けられる場所はない。昔から出入りはあそこだけだよ」
「旅の方も、同じ道を使うのですね」
「そうだ。商いに来る者もいれば、水と食べ物だけ買って、その日のうちに出ていく者もいる。しばらく泊まる者もいるな」
リュシアは村長の答えを聞き、森へ続く方角を一度見た。
「では、村の方だけが使う道というわけではないのですね」
「そんなことはない。旅人が来るなら、あそこからだ」
「岩壁へ登った者は?」
ニルスが続ける。
「わざわざ登る理由がない。上まで行けたという話も聞かんな。崩れやすいところもあるから、子供には近づくなと言ってある」
ニルスは記録板を開き、短く書き込んだ。
「森の魔物はどうだ」
エルディアスが尋ねる。
「旅人が通るなら、あの辺りの魔物についても知ってるだろ」
「珍しくもないぞ。森なんだからな」
「裂爪猿や鎧猪は?」
「鎧猪なら、この辺りまで来ることもある。裂爪猿という呼び方は知らんな。木の上を群れで動く猿ならいるが、村の近くまでは滅多に来ない」
「森の奥でかなり大きな群れに遭った」
「それは運が悪かったな。あまり奥へ入れば、そういうこともあるだろう」
あまりにも普通の返答だった。
何日もかけて進んだ森も、裂爪猿の群れも、鎧猪も、この男にとっては村の外にある少し危険な土地の一部でしかないらしい。
エルディアスたちが塔から残してきた道標も、この村の者には必要がない。少なくとも、村長の話を聞く限りではそうなる。
「鐘についても聞きたい」
ラウルが話を変えた。
「入口の鐘楼にある鐘だ。森の奥まで聞こえていた」
「あれはよく響くからな。村の者へ刻を知らせたり、何かあれば皆を呼んだりするために使う。昔からあそこにある」
「誰が鳴らしている?」
「今日はそいつだよ。普段は何人かで交代している」
村長が案内してきた男を顎で示す。
「毎日鳴らすのですか?」
リュシアが尋ねる。
「鳴らすぞ。刻を知らせる鐘だからな」
「何か起きた時だけではないのですね」
「火事や魔物が出れば鳴らし方を変えるが、普段の鐘ならただの合図だ。どうした? そんなに珍しいか?」
「森の中で何度も聞いた」
エルディアスが答えた。
「最初は何の音か分からなかった。方向を確かめるのにも使った」
「それでここまで来たのか?」
「鐘だけを追ったわけじゃない。だが、あれがなければこの方向へ来る理由は少なかっただろうな」
村長は感心したようにニルスの記録板を見る。
「旅人というより、本当に森を調べに来た連中なんだな」
「冒険者だと言っただろ」
ラウルが言う。
「冒険者にも色々いるからな」
村長はそこで広場の方へ目を向けた。
「ほかには?」
「三神様について聞いてもいい?」
セルマが口を開いた。
「赤と黄と青の三柱だったでしょう。この村では、昔から三柱を一緒に祀っているの?」
「ああ。俺が生まれる前どころか、爺さんが生まれる前からだ」
「何をする神様なの?」
「それを一言で言うのは難しいな。畑のことを祈る者もいれば、家族の無事を祈る者もいる。森へ入る前に頭を下げる者もいるし、何か決める前に祈る者もいる」
「三柱で役目が違うわけではない?」
「違いがないわけじゃない。だが、家によっても話が違う」
村長は少し考えてから続けた。
「うちは昔から黄の神様へ祈ることが多い。赤を一番大事にする家もあれば、青に祈る家もある。それでも、他の二柱を神様じゃないと言うわけじゃない。三柱揃って三神様だ」
「一柱だけを祀って、残り二柱を避けるような家はないのか?」
エルディアスが尋ねた。
「そこまで極端なのは知らんな。どの神様へよく祈るかが違うくらいだ」
「誰が最初に祀ったのかは分かる?」
セルマが続ける。
「そこまで古い話は知らん。聞きたければ年寄り連中に当たってみればいい。俺より昔話が好きなのが何人かいる」
「それも気になるわね」
「今日はそこまでにしておく」
ラウルが先に言った。
「村へ入る前にも決めただろ。今日は道と鐘について聞いたら戻る」
「分かってるわよ。聞いただけ」
「ならいい」
「もう帰るのか?」
村長が尋ねる。
「ああ。最初からそのつもりだった」
「そうか。なら引き止めはしない」
村長は七人を見回した。
「今度来る時に泊まる必要があるなら、入口の近くに旅人用の家がある。空いていれば使っていい。食事は自分たちで作ってもいいし、村で頼んでもいい」
「料理人もいるものね」
セルマがリュシアを見る。
「まだ何も頼まれていません」
「次に泊まったら頼まれるかもしれないでしょう?」
「その時に考えます」
「竈もいるぞ」
ガルムが言った。
「私まで働く前提なの?」
「役目なんだろ」
「ガルムも修繕でしょう。壊れた柵があったら直してきたら?」
「頼まれたら考える」
「私も同じよ」
村長が二人を見た。
「料理人と竈というのは、受付で見てもらった役目か?」
「ああ」
ラウルが答える。
「俺が村内警備。ガルムが修繕、セルマが竈、ニルスが猟、クラリスが治療。リュシアが料理人だった」
「随分そのままの役目が揃ったな」
「一人だけ分かりにくいのがいるけどね」
セルマがエルディアスを見る。
「観測者だそうよ」
村長が眉を寄せた。
「観測者?」
「知ってるのか?」
エルディアスが尋ねる。
「いや。聞いたことがない」
「受付の子も初めてだと言ってた」
「なら俺に聞いても分からんな。あの子がそう言ったなら、観測者なんだろう」
「何を観測する役目かは、本人にも分からないそうです」
リュシアが補足する。
「それはまた妙な役目だな」
「俺もそう思う」
「まあ、ここにいる間に何か頼まれれば分かるかもしれん。何もなければ、それまでだろう」
「そのくらいでいいんじゃない?」
セルマが言う。
「他人事だな」
「私の役目は分かってるもの」
「燃やすなよ」
「竈でしょう? 燃やす場所よ」
「燃やしていいものを燃やせと言ってる」
「分かってるわよ」
村長が二人を見比べ、声を上げて笑った。
話を終え、七人は村長へ礼を告げた。
広場へ戻る。
三神像の周囲では、先ほどと変わらず村人が行き交っていた。荷籠を抱えた女が石像へ頭を下げ、その脇を子供が走り抜ける。三柱について話を聞いた後でも、そこだけが特別な場所に見えるわけではない。
――結局、三王との繋がりは何も増えませんでしたね。
リュシアの声が内側へ届く。
エルディアスは歩きながら三神像から目を外した。
――三つある。それだけだ。
――はい。
――今はそれでいい。
ラウルが少し前で歩調を緩めた。
「戻ったら、まず村の存在を報告する。森の経路はニルスの記録を使えるな?」
「ああ。村の手前から橋までは往路でも帰路でも確認してある。人が使う道に入ってから目立つ印は付けてないが、分岐はない。迷う場所じゃない」
「三神については?」
「聞いたことだけでいいだろ」
エルディアスが答える。
「三王と関係があるとは書かない。今は三柱の神を祀っている村があった。それだけだ」
「私もそれでよいと思います」
リュシアが続けた。
「信託にも、新しく分かったことはありません」
「ならそうする」
ラウルは頷いた。
「役目も全部報告する。観測者だけ内容不明だ」
「俺だけ説明が一行増えるな」
「珍しい役目を引いたんだから仕方ないでしょう?」
セルマが言う。
「選んでない」
「それは全員同じよ」
入口近くまで戻ると、受付の少女が足音に気づいて顔を上げた。
「もうお帰りですか?」
「ああ。話も聞けた」
ラウルが答える。
「お気をつけて」
「世話になった」
「私は受付をしただけですよ」
少女は少し笑った。
七人はそのまま出口へ向かった。
鐘楼の脇を通り過ぎる。岩壁の切れ目の向こうには、来た時と同じ森が見えていた。踏み固められた道が木々の間へ続いている。
「一度橋まで戻って、そこで短く休む」
ラウルが歩きながら言った。
「それから道標を確認しつつ塔へ戻る。昨日は予定外に野営している。帰路で余計なものを追うなよ」
「誰に言ってるの?」
「全員だ」
「今度は先に言ったわね」
「学んだからな」
セルマが少し不満そうな顔をしたところで、先頭のラウルが岩壁の切れ目へ入った。
その足が止まった。
後ろを歩いていたガルムも止まり、危うくラウルの背へぶつかりそうになる。
「どうした?」
「……分からん」
ラウルは前を向いたまま答えた。
森は目の前にある。あと数歩進めば、村の外へ出る。
ラウルがもう一歩踏み出した。
身体が止まった。
足を取られたわけではない。前に何かが見えるわけでもない。ただ、それ以上前へ進めない。
「何してるの?」
セルマが後ろから覗き込む。
「進めない」
「何かあるの?」
「見えない」
ラウルは右手を前へ出した。
指先が何もない空間で止まる。さらに力を込めても、腕はそこから先へ出なかった。
エルディアスも表情を変える。
来た時には、確かにここを通った。
岩壁の形も、道の幅も変わっていない。
「代われ」
ガルムがすぐ横へ出た。
ラウルが一歩下がる。
ガルムは大盾を背へ回したまま、右手を前へ伸ばした。大きな掌が同じ位置で止まる。
「俺も駄目だな」
両手を使い、身体ごと前へ押す。
それでも進まない。
「硬いの?」
セルマが尋ねる。
「硬いというより……押しても前へ行かん」
ガルムは一度手を離し、もう一度触れた。
「壁を触ってる感じとも違うな」
「横を見ます」
リュシアが岩壁の片側へ移った。
手で岩肌へ触れながら、切れ目との境を追う。その反対側ではニルスも同じように位置を確かめた。
「左は岩壁まで続いています」
「右もだ」
ニルスが答える。
「少なくとも、この切れ目の中には抜けられるところがない」
セルマが白木の杖を持ち上げた。
「これなら?」
「まだ術式は使うな」
ラウルが止める。
「使わないわよ。杖を出すだけ」
セルマは杖の先をゆっくり前へ伸ばした。
白木の先端は、何の抵抗もなく向こう側へ出た。
「……通るわよ?」
さらに伸ばす。
杖の半分ほどが森側へ出ても何も起きない。
そのままセルマ自身が一歩進むと、身体だけが途中で止まった。
「何これ」
エルディアスは杖の先とセルマの足元を見比べた。
「そのまま動くな」
「何?」
「杖を少し戻せ」
セルマが従う。
「今度は前へ出せ。腕だけで」
杖はまた境界を越えた。
エルディアスは自分の杖を前へ出す。同じだった。木の先端はそのまま森側へ届く。
「物は通るみたいだな」
「確かめる」
ニルスが短弓から矢を一本抜いた。
鏃を下へ向け、軽く森側へ投げる。矢は何にも触れずに通過し、数歩先の地面へ落ちた。
クラリスがその様子を見る。
「少なくとも、道全体を何かが物理的に塞いでいるわけではなさそうですね」
「一人ずつ自分で確認する」
ラウルが言った。
「無理に押すな。通れないと分かれば下がれ」
ニルス、クラリスが続けて試したが、結果は同じだった。
エルディアスも杖を左手へ持ち替え、前へ出る。
――私も試します。
――待て。俺が先だ。
右手を伸ばす。
何もない。
指先に冷たさも熱さも感じない。それでも、ある位置から先へ動かなくなる。
力を込める。
押し返される感覚はない。何か硬いものへ触れたというより、前へ伸ばしたはずの腕が、それ以上先へ行くことだけを拒まれているようだった。
「エル?」
リュシアが肉声で呼ぶ。
「痛くはない。ただ進まない」
手を引き、今度は杖を境界へ向ける。
「少し術式を使う。弱くな」
ラウルが頷いた。
エルディアスは足元の土へ薄く術式を広げた。
村側から森側へ。
感覚は途切れない。岩壁の切れ目を越えた先の地面も、そのまま捉えられる。
「土は通ってる」
「向こうの地面まで分かるの?」
セルマが尋ねる。
「ああ。境で切れてない」
続いて、足元に落ちていた乾いた葉へ弱い風を送る。
葉は地面から浮き、そのまま岩壁の切れ目を越えて森側へ転がっていった。
「風もだ」
「では、次は私が」
リュシアが境界の前へ立つ。
「同じだと思うぞ」
「それでも、自分で確認しておきます」
右手を前へ出す。
指先が止まった。
リュシアはそこで力任せに押すことはせず、一度手を引いた。今度は右手で鞘を押さえ、左手で剣を抜く。
「抜くのか?」
ラウルが聞く。
「刃を当てるつもりはありません」
剣先をゆっくり前へ伸ばす。
刃は境界を越えた。
それを見てから、リュシアは剣を引き、鞘へ戻した。
「剣は通ります。私自身は通れません」
「七人とも同じか」
ラウルは森を見た。
「ニルス。場所は間違いないな?」
「間違いない」
ニルスはすでに周囲を確認していた。
「鐘楼の位置も岩壁の形も同じだ。外に見えてる木も覚えてる。正面の二股の木、右の倒木、道の左へ出てる太い根。全部、来た時と同じだ」
「別の出口に来たわけではないということですね」
リュシアが言う。
「ああ。少なくとも俺にはそう見える」
「なら、本当に出られないのね」
セルマは森を見た。
「でも、入る時は何もなかったでしょう?」
「何も感じなかった」
エルディアスが答える。
「それなら、私たちが入ってからこうなったの?」
「分からん」
「でも――」
「入る時に何も感じなかっただけだ」
エルディアスは見えない境界へ杖の先を伸ばした。やはり抵抗なく通る。
「俺たちが入った後に変わったのかもしれない。最初から、入ることはできても出ることはできない場所だったのかもしれない。今分かるのは、ここから外へ出られないってことだけだ」
セルマもそれ以上は続けなかった。
――村の方はどうなのでしょう。
リュシアから念話が届く。
エルディアスは森へ向けていた視線を村へ戻した。
――それだな。
「村の人間を一人連れてくるか」
エルディアスが言った。
「さっき村長は、薪を採りにも猟にも出ると言ってた。今も通れるなら、俺たちだけがおかしいことになる」
「私もそれを確かめるべきだと思います」
リュシアが続ける。
「逆に村の方も通れないのであれば、村そのものに何か起きていることになります」
ラウルは短く考えた。
「ああ。それが先だな。岩壁を登るのも、術式をぶつけるのも後だ」
「受付の子が一番近い」
ニルスが言う。
「ただ、あの方は目が見えません」
リュシアが受付の小屋を見る。
「ここで何が起きているのかを見てもらうことはできません。誰かを呼んでもらうことならできるでしょう」
「なら、まず事情だけ話す」
ラウルが決めた。
「走ってぶつかるなよ。俺たちが戻るまで、誰も余計な試し方をするな」
「全員で戻るんでしょう?」
セルマが尋ねる。
「そうだったな」
「ラウルも少し混乱してるのね」
「黙って歩け」
「はいはい」
七人は出口を離れた。
少し前まで、あの切れ目の先へ戻ることしか考えていなかった。
受付の小屋まで戻ると、少女は七人分の足音に気づいた。
「もう戻ってきたのですか?」
「ああ」
ラウルが足を止める。
「一つ聞きたい。村から出られない」
少女が首を傾げた。
「……出られない?」
「あの岩壁の切れ目だ。森へ戻ろうとしたが、先へ進めない」
「道を間違えたのではなくて?」
「来た時と同じ場所だ」
「でも、皆さんはそこから村へ入ってきたんですよね?」
「ああ」
少女は少し黙った。
「でしたら、そのまま戻ればよいのでは……?」
「それができないんだ」
ラウルの説明だけでは、少女も状況を掴めていないようだった。
リュシアが一歩前へ出る。
「道そのものは、来た時と変わっていないように見えます。森もその先にあり、杖や剣、投げた矢は向こう側へ届きました」
「はい」
「ですが、私たちが通ろうとすると、何もない場所で身体だけが先へ進まなくなります。七人全員、同じでした」
少女はしばらく何も言わなかった。
「……何もないのに、進めないのですか?」
「はい」
「道が崩れたわけでも、何か置かれているわけでもなく?」
「少なくとも、私たちにはそう見えます」
「それは……」
少女は言葉を探すように口を閉じた。
エルディアスはその表情を見ていた。
知らないことを隠そうとしているようには見えない。そもそも、七人が何を説明しているのかを理解し切れていないようだった。
「そんなこと、あるのでしょうか」
「俺たちも分からん」
エルディアスが答える。
「だから聞きに来た」
「でも、あそこは普通の道です。村の人も使いますし、旅の方もそこから帰ります」
「そう聞いた」
「でしたら……」
少女はそこでまた言葉を止めた。
当然のことを説明しようとして、それでは七人の話への答えにならないと気づいたらしい。
「私では、何が起きているのか確かめられません。誰か呼んできましょうか?」
ラウルは少し考え、首を振った。
「いや、いい。俺たちで村長のところへ戻る」
「分かりました」
少女はまだ戸惑っている。
「でも……本当に、そこから出られないのですか?」
「七人とも試した」
「そうですか……」
返事をしたものの、納得した様子はなかった。
七人は受付を離れ、再び村の中央へ向かった。
先ほど通ったばかりの道だった。
畑では男が土を返している。家の前では女が洗った布を籠へ取り込み、子供たちは二人で何かを追いかけながら道を横切った。少し先では薪を抱えた男が隣家の老人へ声を掛けている。
誰も慌てていない。
出口が通れなくなったことを知っているようにも見えなかった。
――本当に、何も変わっていないように見えますね。
リュシアの声が届く。
――見える範囲ではな。
――村長さんも知らないのでしょうか。
――さっき知ってたら、俺たちを帰すとは言わないだろ。
それ以上は考えなかった。
村人が通れるのか。
村人も通れないのか。
まず、それを確かめればいい。
エルディアスは歩きながら一度だけ後ろを振り返った。
岩壁の切れ目は、ここからでも見えている。その向こうには森があり、帰るために辿るはずだった道も続いている。
何も塞がっているようには見えない。
それでも、もう通れなかった。




