第29話 外周
塔の外壁には、その後も変化が現れなかった。
エルディアスは歩数を数えながら、ときおり壁との距離を確かめた。塔はほぼ円形に見えるが、完全な円である保証はない。歩いた距離と曲がり方を紙へ残し、丘の傾斜や森までの距離も書き加えていく。
「広間の大きさとは合いそうか?」
ラウルが歩調を緩め、隣へ並んだ。
「大きくは違わない。正確な測量じゃないが、あの広間はこの塔の内側に収まる」
「階段も、外壁の内側を下りていたと考えられるか」
「形だけならな。ただ、何時間も下った先で丘の上へ出る理由までは分からない」
「ダンジョンだから、で終わらせるしかないか」
「今はな」
ラウルは塔を見上げた。近くからでは灰白色の外壁が視界の大半を占め、空との境を追うだけでも首を大きく反らす必要がある。
「王都の研究官が喜びそうな場所だ」
「本人たちは喜ぶだろうな」
「お前は違うのか?」
「調べるのは嫌いじゃない。囲まれるのが面倒だ」
「王都から声をかけられていると聞いた」
「聞かなくてもいい話まで広まってるな」
「有名になればそうなる」
「経験者らしいな」
ラウルはわずかに口元を緩めた。
「俺たちも、遠征から戻るたびに知らない話が増えている。倒した魔物の大きさも、助けた人数も、実際より多いことがある」
「訂正しないのか?」
「依頼に影響するほどならする。酒場の噂まで追っていたら、次の遠征へ行けない」
「気にしないんだな」
「最初は気にした。今は、依頼主が何を信じているかだけ確認する」
前を歩いていたガルムが振り返った。
「その割に、第一層が弱くなったと聞いた時は機嫌が悪かったな」
「俺ではない」
「ニルスか?」
「俺は残念だと言っただけだ」
ニルスが森へ視線を向けたまま答えた。
「王墓の階層主を倒した連中がいると聞いて、遠征先から戻ってきたんだぞ。少しくらい期待するだろ」
「倒された後に来たのですから、仕方ありません」
クラリスが静かに言う。
「分かってる。ただ、第一層へ入ったら本当に弱い魔物しかいなかった。あれでは噂の戦いが想像できない」
「弱くなって困る冒険者も珍しいわね」
セルマが笑った。
「強い魔物と戦いたいなら、一人で行けばいい」
「一人で行ったらクラリスに怒られる」
「行く前に止めます」
「だから行かない」
「私のせいにしないでください」
ニルスは肩をすくめたが、森から目を離さなかった。
「でも、第二層は期待できそうだ。これだけ広ければ、何もいない方がおかしい」
「出会う前から期待するな」
ガルムが言う。
「森の魔物は面倒だぞ。見えない場所から来る」
「だから弓の出番だろ」
「お前が外したら俺のところへ来る」
「受け止めてくれ」
「最初から外すつもりで言うな」
ラウルは二人のやり取りを聞きながら、外壁沿いの草へ目を向けた。
「戦う話は森へ入ってからにしろ。今は塔の確認が先だ」
七人はそのまま歩き続けた。塔の外壁はどこまで進んでも同じ色と質感を保ち、目印になる傷や継ぎ目は見つからない。丘の草地にも道らしいものはなく、足跡や車輪の跡、獣の糞もなかった。
聞こえるのは、風が草と梢を揺らす音だけだった。森の姿は確かにあるのに、鳥の声も虫の羽音も聞こえない。
ニルスが背負っていた測量縄を下ろし、巻き具から一定の長さを引き出した。ラウルとの間を測った後、縄を回収しながら記録板へ数字を書き込む。
「歩数だけよりはましだが、これも傾斜があるとずれるな」
「今日は正確な地図を作る依頼ではない」
ラウルが答えた。
「分かってる。塔の大きさと、森までの距離が大まかに分かれば十分だろ」
「王都へ渡す記録としてはな」
「測量師が来たら、最初から測り直すことになるでしょうね」
セルマが白木の杖を肩へ載せたまま言う。
「だったら、私たちは歩くだけでもよかったんじゃない?」
「ほかに入口がないか調べている」
ガルムが外壁へ手を当てた。
「壁の状態も、場所によって違うかもしれん」
「今のところ、ずっと同じだけど」
「同じだと確認できた」
「クラリスみたいなことを言うのね」
「正しいだろう」
「正しいけど、面白くないわ」
「調査はお前を楽しませるためにするものではありません」
クラリスが穏やかに告げた。
「それは承知してるわ」
セルマは返事をしながら、外壁を見上げた。
「だから、違う方法も試した方がいいと思っているだけ」
「火は駄目だ」
ラウルが振り返らずに言う。
「まだ火とは言ってないでしょう」
「風なら俺が試す」
測量縄を巻き直していたニルスが口を挟んだ。
「表面に細い隙間があれば、沿わせた気流が乱れる。煙や粉を使うほどでもないだろ」
「私もそれを言おうとしていたのよ」
「お前はさっきから、温める話しかしていないだろ」
「考えてはいたわ」
「使えない術を考えてどうする」
「使う人がいるでしょう?」
セルマが当然のように答えると、ニルスは呆れた顔をしながら外壁へ片手を向けた。
「弱く使え」
ラウルが言う。
「分かってる」
ニルスの指先から細い気流が伸び、塔の表面へ沿って流れていく。草を揺らすほどの強さもない風だったが、外壁へ触れると左右へ均等に分かれ、そのまま途切れることなく進んだ。
ニルスは少しずつ位置を変え、流れの乱れを確かめていく。
「継ぎ目はなさそうだ。少なくとも、風が入り込む場所は見つからない」
「最初からそう見えたでしょう」
セルマが言う。
「見えるだけでは確認したことにならん」
ガルムが答えた。
「さっきと逆になってるわよ」
「何がだ」
「今度はガルムがクラリスみたいなことを言ってる」
セルマはクラリスへ目を向けた。
「似ていた?」
「内容は正しいです」
「褒められたな」
「方法も問題ありません」
クラリスが付け加えると、ニルスはセルマへ視線を向けた。
「お前の時とは違うらしいぞ」
「もういいわよ」
セルマが不満そうに杖を肩へ戻すと、ラウルは再び歩き始めた。
エルディアスは塔と紙を見比べた。外周の曲がり方は今のところ大きく乱れていない。歩数だけで正確な直径を割り出すことはできないが、内部の広間と外から見た塔の規模に、極端な差はなさそうだった。
しばらく進むと、丘の形に少しずつ違いが見え始めた。塔を中心に均等な円を描いているように見えた草地は、実際には場所によって森までの距離が異なっている。木々が近い場所もあれば、斜面が長く続く場所もある。足元には雨水が流れたような浅い筋があり、その方向も一定ではなかった。
「丘は完全な円じゃないな」
ラウルが言った。
「塔の外周は、今のところ大きく崩れていない」
エルディアスは紙へ引いた線を確かめた。
「ただ、歩数だけでは正確には分からない。傾斜で歩幅も変わる」
「森との距離は?」
「この辺りが一番近い」
七人は歩みを緩め、森の方を見る。丘の裾から木々までの草地が、それまでより短くなっていた。木々は密集し、枝葉が重なって奥を隠している。陽光は森の浅い場所までしか届かず、さらに奥は昼間とは思えないほど暗い。
ニルスが短弓を背から外し、弦を軽く引いて状態を確かめる。
「何かいるか?」
「見えません」
リュシアは目を細めたまま答えた。
「ただ、枝の揺れ方が風だけによるものか、ここからでは判断できません」
「前回の調査でも、鳥一羽見つからなかったらしいな」
「はい。声も聞こえなかったそうです」
「生き物がいないのか、それとも全部隠れているのか。どちらも嫌だな」
「いないと判断して近づくよりは、隠れていると考える方が安全です」
ニルスは森を見たまま、リュシアへ横目を向けた。
「王墓で根の上を走っていたという話も、本当らしいな」
「どのような噂ですか」
「大きな根の間を、魔物より速く走るエルフがいたという話だ」
「そう噂されているのですか」
「違うのか?」
「根の間を走ったことは事実です。ただ、走ること自体が目的だったわけではありません」
「分かってる。見た奴には、そこが一番印象に残ったんだろう」
ニルスは短弓を持ち直した。
「俺も木へ上がることはあるが、走り抜けるのは無理だ。枝の上で弓を引ければ十分だからな」
「射線を確保するために上がるのですか」
「地面からでは通らない時だけだ。上がることに力を使いすぎたら、矢を撃つ前に疲れる」
「合理的ですね」
「意外そうに言うな」
「セルマさんとの会話を聞いた直後でしたので」
少し前を歩いていたセルマが振り返った。
「私、関係ある?」
「ない」
ニルスとリュシアの声が重なった。
セルマは何か言おうとしたが、クラリスに袖を引かれ、森の方へ向き直った。
「今は入らないの?」
「外周を終えてからだ」
ラウルが即答した。
「分かってるわよ。少し近づいただけ」
「お前は少し近づいた後で、中まで行く」
「今日は行かないわ」
「今のところはな」
セルマは口を尖らせたが、森から距離を取った。
クラリスが白い杖を持ち直し、空を見上げる。
「太陽が動いています」
広間を出た時よりも、光の位置がわずかに変わっていた。外界と同じ速さで動いているかは分からないが、少なくとも空の一点へ固定されてはいない。
「外周を終える時間はある」
ラウルは進行方向へ目を戻した。
「続けるぞ」
七人は再び外壁沿いを進んだ。塔には依然として、入口らしいものが現れない。エルディアスは何度か外壁へ触れて土の術式を試したが、結果は変わらなかった。ガルムが片手斧の柄頭で軽く叩いても、硬く鈍い音が返るだけで、響き方から内部の空洞や壁の厚さを推測することはできない。
「傷は付く?」
セルマが尋ねた。
ガルムはラウルを見る。ラウルが小さく頷くと、片手斧の刃先を外壁へ当て、力を抑えて横へ引いた。
短い硬音が鳴った。
外壁には白い筋さえ残らない。ガルムは刃先を確認し、片手斧を腰へ戻した。
「刃は無事だ」
「壁もね」
セルマは傷一つ残らない外壁を眺め、白木の杖を肩へ戻した。
「熱による確認は、王都へ戻ってから提案しろ」
ラウルが言う。
「まだ何も言ってないでしょう」
「言う前に止めた」
「効率的だけど、少し腹が立つわね」
ニルスが笑った。
「一度も信用されてないな」
「一度くらいはあるわよ」
「いつだ?」
「覚えてないだけ」
「それは、ないのと同じだろ」
セルマが言い返そうとしたところで、先頭のラウルが片手を上げた。
塔の曲面の先に、大きな開口部が見えていた。
灰白色の外壁を切り抜いた暗い四角形は、遠くからでも見間違えようがない。その脇には、出発時にラウルが置いた平たい石があり、傍らの土には剣先で刻んだ短い線も残っている。
「戻ったな」
ガルムが言った。
七人は開口部の前まで歩き、足を止めた。塔の外周を一周する間に、ほかの入口や窓は見つからなかった。外壁の材質は分からず、土の術式も刃も通らない。丘は塔を中心に広がっているものの、森までの距離と斜面の長さには場所ごとの差があった。
エルディアスは歩数と紙へ引いた線を見比べた。塔の大きさは、内部の円形広間と大きくは違わない。少なくとも、外側だけが何倍にも広がっているわけではなさそうだった。
「入口はここだけか」
ラウルは外壁を見上げた後、目印として置いた石へ視線を落とした。
「確認できた範囲では、ここだけです」
リュシアが答えた。
「窓も、外から上へ進める場所もありませんでした」
「壁の材質も不明。魔力の反応も取れない」
エルディアスが紙へ書き加える。
「刃でも傷は付かない」
ガルムが続けた。
「火による確認は未実施だ。依頼の範囲を越える」
ラウルの言葉に、セルマが塔を見上げた。
「これだけ大きいのに、中へ入る場所が一つしかないなんて、本当に塔として造られたのかしら」
「今見えているのが一つだけ、ということです」
クラリスが答える。
「地面の下や、森側から続く場所に何かある可能性までは否定できません」
「丘を掘るの?」
「今日は掘りません」
「聞いただけよ」
ラウルは五人のやり取りを止めず、開口部の前から丘の斜面へ目を向けた。草地が緩やかに下り、その先で深い森へ続いている。
「塔の確認はここまでだ。次は正面から丘を下り、森との境を調べる。中へは入らない。足場と戻り道を確認して、今日は引き返す」
ガルムが大盾の革帯を引き直し、ニルスは短弓を持ったまま森へ向き直った。クラリスも白い杖を握り直し、セルマは待っていたように杖を肩から下ろす。
「本当に境までなのね」
セルマが念を押した。
「最初からそう言っている」
「森の中に何か見えても?」
「入らない」
「声が聞こえても?」
「入らない」
「入口らしいものがあっても?」
「位置だけ記録する」
「分かったわ」
ガルムが小さく息を吐いた。
「最初の一度で分かれ」
「確認は大事でしょう?」
「都合のいい時だけ調査を理由にするな」
ラウルは二人を置いて斜面へ向き直った。
「行くぞ」
エルディアスは記録板を背負い袋へ戻し、森を見た。外周を歩いている間にも、鳥や獣の姿は一度も確認できなかった。風が梢を揺らしているだけで、森の奥から声も足音も聞こえない。
リュシアは新しい剣の柄へ左手を添え、斜面の先へ目を凝らした。
丘の下に広がる森は、外周を歩き始めた時と変わらず静かだった。




