第28話 暁星
開口部へ近づくにつれて、広間に差し込む光が強くなった。外から流れ込む風には草と土の匂いが混じり、石床を踏む七人の足元を抜けていく。
先頭を歩くラウルは、開口部の手前で歩調を緩めた。ガルムがその後ろで大盾を背から下ろし、すぐに構えられる位置へ移す。クラリス、セルマ、ニルスも周囲を確かめながら間隔を詰めた。
「王都の報告では、丘の上に魔物はいなかったのよね」
セルマが白木の杖を持ち直しながら尋ねた。
「前回の確認ではな」
エルディアスが答える。
「今も同じとは限りません」
リュシアは外へ目を凝らしたまま、左手を剣の柄へ添えていた。
ラウルは開口部の脇から外を確認し、ガルムとともに一歩進んだ。その直後、二人の足が止まる。後ろに続いたクラリスも外へ出たところで何も言わずに空を見上げ、セルマとニルスもその横から丘へ足を踏み出すと、目の前に広がる景色を見たまま動かなくなった。
頭上には青い空が広がっていた。白い雲がゆっくりと流れ、柔らかな陽光が丘の草を照らしている。風が草葉を波のように揺らし、その先には深い森が地平まで続いていた。天井も壁も見当たらず、ダンジョンの中にいることを示すものは何一つない。
「……聞いていたより、おかしいわね」
セルマが空を見上げたまま呟いた。先ほどまでの軽い調子は消え、確認するように言葉を選んでいる。
「本当に外へ出たんじゃないのか」
ニルスは森から空へ視線を動かした。
クラリスは白い杖を掲げ、杖頭に取り付けた透明な触媒へ淡い光を灯した。陽光の中でしばらく反応を確かめた後、静かに光を消す。
「少なくとも、既知の照明術や幻術とは違います。私には外の光との違いが分かりません」
「風も匂いもあるな」
ガルムは森から吹いてくる風へ顔を向けた。
「土と草、それに木の匂いだ。ここだけなら、普通の森の近くにしか思えん」
「普通の森なら、どうしてダンジョンの中にあるのよ」
セルマが言ったが、答える者はいなかった。
最後に丘へ出たエルディアスとリュシアは、足を止めた五人の後ろに立った。王都の第一次調査隊と来た時も、全員が同じように言葉を失っている。話を聞いて理解したつもりでも、石に囲まれた広間を抜けた先に空と森林が広がる光景は、実際に目にするまで受け入れにくい。
ラウルは空、森、足元の順に確かめ、最後にゆっくりと振り返った。その視線が、開口部の周囲にある灰白色の外壁へ移り、さらに上へ向かう。ほかの四人も同じように振り返った。
七人が出てきた開口部は、巨大な塔の根元にあった。
塔は丘の中央から真っ直ぐに立ち上がり、雲の中へ消えている。見上げても頂はなく、窓も、石材の継ぎ目も、張り出した装飾もない。灰白色の外壁だけが、地上から空へ向かって果てなく続いていた。
「これを下りてきたのか」
ガルムが呟いた。
「階段が物理的に塔の中へ収まっているなら、そうなります」
リュシアが答える。
「数時間下りたと聞いていたが、出た場所は丘の上だぞ」
「それも含めて、外の構造とは一致していないのでしょう」
ガルムはしばらく塔を見上げた後、首を振った。
「頭では分かっていたんだがな。目の前にすると、話が違う」
「これ、登れないの?」
セルマが外壁へ近づいた。
「どこを掴むんだ」
ニルスに言われ、彼女は滑らかな壁面を見回す。
「魔法で足場を作れば」
「上が見えないのに、どこまで作るつもりだ」
「途中に何かあるかもしれないでしょう」
「何もなかったら?」
「戻る」
「簡単に言うな」
セルマはなおも塔を見上げていたが、ラウルが丘の周囲へ視線を戻した。
「今日は登らない。今回は森の手前まで調べる。ただし、先に塔だ。まずは一周する」
短い言葉で、五人の空気が切り替わった。ガルムは大盾を背へ戻さず、そのまま片腕で保持する。ニルスは空から森へ視線を移し、クラリスも七人の位置を確かめてから杖を下ろした。セルマだけは名残惜しそうに塔を見上げていたが、遅れずラウルの方へ向き直る。
エルディアスは板へ留めた紙を取り出し、開口部と丘の位置を簡単に書き込んだ。
ラウルは足元から平たい石を一つ拾い、開口部の右脇へ置いた。その傍らの土へ剣先で短い線を刻むと、剣を鞘へ戻す。
「行くぞ」
誰も印について尋ねなかった。
七人は塔を右手に見ながら、外壁に沿って歩き始めた。ラウルが先頭に立ち、その少し後ろをガルムが進む。クラリス、セルマ、ニルスが続き、エルディアスとリュシアは後方についた。
塔の外壁は近くから見ると、建造物というより切り立った崖に近かった。わずかに湾曲しているはずだが、あまりに大きいため、歩き始めた位置からは真っ直ぐな壁が続いているように見える。灰白色の表面には細かな凹凸すら少なく、苔も蔓も付着していなかった。
ラウルは前方と森を交互に確認しながら進み、その後ろでガルムが壁へ掌を当てた。
「冷たいな」
「日が当たっているのに?」
セルマがすぐ横へ寄り、白木の杖の先を外壁へ近づける。
「燃やすな」
ラウルが前を向いたまま言った。
「燃やさないわよ。少し温めて、変化があるか見るだけ」
「それを燃やすと言うんだ」
「言わないでしょう」
「お前の場合は言う」
セルマは杖を引かず、ガルムを見た。
「触っただけで何か分かった?」
「冷たいことは分かった」
「ほかは?」
「硬そうだ」
「見れば分かるわよ」
「なら見るだけにしておけ」
「ガルムまでラウルみたいなことを言うのね」
「お前と長く組んでいれば、誰でもこうなる」
セルマが反論しかけると、後ろからクラリスが穏やかな声を挟んだ。
「今日は塔を壊す依頼ではありません」
「壊さないわよ」
「前にもそう言いました」
「あれは天井が勝手に落ちたの」
「落ちるようなことをしたのは誰だった?」
ニルスが尋ねる。
「ガルムが支えたから、誰も怪我をしなかったでしょう」
「礼を言われた覚えがない」
「今言うわ。ありがとう」
「遅い」
ガルムは呆れたように返しながらも、外壁から手を離さず歩いていた。セルマもようやく杖を引き、何事もなかったように肩へ戻す。
「有名なパーティーでも、遺跡を壊すのですね」
リュシアが言った。
「壊してないわよ。少し崩れただけ」
セルマがすぐに振り返る。
「天井が落ちたのであれば、少しではないのではありませんか」
「一部よ」
「どの程度ですか」
「人が三人くらい通れる範囲」
「十分に大きいですね」
「結果的に奥の通路が見つかったから、悪いことばかりではなかったの」
リュシアは少し考え、前を歩くクラリスへ目を向けた。
「その説明で合っていますか」
「通路が見つかったことだけは事実です」
「クラリス」
「原因については意見が違います」
「そこまで言わなくてもいいでしょう」
セルマが不満そうに前へ向き直ると、ニルスが肩を揺らして笑った。
エルディアスは歩数を数えながら、紙へ塔の曲面を書き込んだ。正確な測量にはならないが、開口部を起点に歩いた距離を残せば、おおよその外周は分かる。丘の傾斜と森までの距離も、見える範囲で線へ加えていく。
隣では、リュシアが塔よりも森へ注意を向けていた。左手を新しい剣の柄へ添え、木々の間にある影や枝の揺れを追っている。ニルスもその視線に気づいたらしく、一度だけ森の奥へ目を向けたが、何も言わずに歩調を戻した。
七人の足音が、風に揺れる草の上へ続いていく。会話をしていても、《暁星》の五人は周囲への注意を失っていなかった。ラウルは進行方向と森を交互に見て、ガルムは外壁と足元を確かめる。ニルスは広く森を見渡し、クラリスは時折後ろへ目を向けて全員の距離を確認していた。セルマも口ほど気を抜いてはおらず、遠くの枝が大きく揺れるたびに杖へ添えた指がわずかに動いている。
誰がどこを見るかを、わざわざ口にする者はいない。
エルディアスは紙へ新しい線を加えながら、五人の動きを眺めた。王都で名を知られている理由は、派手な戦い方や噂だけではないらしい。軽口を交わしていても、同じ場所ばかり見ている者はおらず、何かが現れれば互いを補える距離を保っている。
しばらく歩いたところで、エルディアスは紙から手を離し、塔の外壁へ掌を当てた。薄く土の術式を組み、壁面へ流す。
反応はなかった。
普通の岩や加工された石材であれば、含まれる土の性質をわずかでも捉えられる。だが、目の前の外壁からは、術式を拒まれた感触さえ返ってこない。触れているはずの対象が、土の術式の中には存在しないようだった。
「何か分かった?」
セルマがすぐに尋ねた。
「土として捉えられない」
「石じゃないの?」
「分からない。俺の術式では何も返ってこない」
「なら、やっぱり火で――」
「駄目だ」
ラウルが前方から遮った。
「まだ最後まで言ってないでしょう」
「聞く必要がない」
「温めるだけよ」
「さっきも聞いた」
「少しくらい考えて」
「考えた結果だ」
セルマはラウルの背中を睨んだが、今度は杖を伸ばさなかった。
塔の壁は変わらず続いている。窓も扉もなく、傷や継ぎ目さえ見つからない。右手に灰白色の壁、左手に草地と森という景色が、歩くほどゆっくりと位置を変えていった。
開口部はすでに塔の曲面の向こうへ隠れ、振り返っても見えなくなっていた。




