第2話 規約
「割にあわん!」
ガルトの声が、冒険者ギルドに響いた。
受付前にいた冒険者たちが振り向く。
掲示板の前で依頼票を眺めていた若者が、肩をびくりと揺らした。
ガルトは受付台に両手をついていた。
台の上には、兎型魔獣のしっぽが置かれている。
普通のものより大きい。
毛も硬い。
だが、形だけを見れば、間違いなく兎型魔獣のしっぽだった。
「ミナは死にかけたんだぞ。盾はボロボロだ。剣も欠けた。あれが普通の兎型魔獣と同じ報酬だと?」
受付に立つ猫族の女が、眼鏡の奥で目を細めた。ミュリカ・レイン。セレイス冒険者ギルドの受付嬢である。
彼女は台上のしっぽを見て、帳簿に目を落とした。
「討伐証は、兎型魔獣のしっぽです」
「見れば分かる」
「現行の査定では、兎型魔獣一体です」
「大きさが違っただろうが」
「異常個体の可能性として記録します。追加査定は、現物確認後です」
「現物だと? ミナを担いで、ボロボロの盾まで引きずって戻ったんだぞ。兎の死骸なんぞ担いでる場合か!」
「その事情も記録します」
ミュリカは羽根ペンを動かした。ガルトはまだ何か言いかけたが、横からロイが肩を押さえた。
「もういい」
「よくないだろ」
「ここで怒鳴っても、報酬は増えない」
ロイの左腕には包帯が巻かれていた。顔色もよくない。ガルトは歯を食いしばり、受付台から手を離した。
「命を張って、しっぽ一つか」
「それを持ち帰れたから、金が出る」
壁際から声がした。エルディアスだった。椅子に腰かけ、報酬袋を片手で弄んでいる。その顔に、怒りは見えなかった。
ガルトが振り向く。
「お前は腹が立たないのか」
「立つぞ」
「見えん」
「見せて銀貨が増えるなら見せる」
ガルトは鼻を鳴らした。
「そういうところだぞ」
「臨時補佐に人柄まで求めるな」
ロイが小さく息を吐いた。
「エル」
「ん?」
「ミナは、しばらく休ませる。セドが付いている」
「ああ」
「治癒師には、半月は動くなと言われた。だから、今回の契約はここで終わりにしたい」
「分かった」
エルディアスはあっさり頷いた。ロイは申し訳なさそうに頭を下げる。
「すまない。助けてもらったのに」
「臨時だ。気にするな」
ロイは返す言葉を失った。エルディアスは立ち上がり、報酬袋を腰の革袋にしまった。
「ミナに言っとけ。生きてるなら勝ちだ」
「……ああ」
「あと、次は兎を見ても油断するな」
「それは、しない」
ロイは苦く笑った。ミュリカは帳簿を閉じる。
「遭遇地点、被害状況、同行者名、異常個体の可能性。以上を記録しました」
「記録で治療費が出るのか」
ガルトが言った。
「出ません。ですが、次の査定材料にはなります」
「今回の治療費にはならん」
「はい」
「だろうな」
ガルトは吐き捨てるように言った。
ロイたちは、治療院へ戻ると言ってギルドを出ていった。ガルトは最後まで不満そうだったが、扉の向こうへ消える直前、受付台に置かれたしっぽをもう一度だけ睨んだ。
扉が閉まる。ギルドの中は、少しだけ静かになった。
エルディアスは掲示板の前に移動し、残っている依頼票を眺めた。
運搬、見張り、採取、倉庫の魔鼠除け結界の点検。
どれも悪くはないが、今日すぐ金になるものは少なかった。
その横を、若い冒険者が受付へ向かった。
まだ革鎧が新しい。
「あの、王墓脇の黒い入口って、本当にダンジョンなんですか」
ミュリカは帳簿から顔を上げた。
「正式には、まだダンジョン疑いです」
「疑い?」
「黒い入口、白い石碑、外から見た構造と一致しない内部空間。その三つが確認されています」
「それでも、まだ疑いなんですか」
「はい。第一層の階層主を倒した者に、信託が下ります」
「倒さないと、分からないんですか」
「その内容が正しく宣言され、石碑に刻まれれば、正式にダンジョンと扱われます」
「じゃあ今は、中に何のルールがあるのか、誰も知らないんですか」
「ええ」
「そのルールって、破るとどうなるんですか」
「破れません」
ミュリカは淡々と言った。
「石碑に刻まれた文は、そのダンジョン内では絶対です」
若い冒険者は黙り、掲示板に貼られた王墓脇調査の依頼票へ視線を戻した。
「それなら、先遣隊が撤退した場所に、俺たちが入っていいんですか」
「王都の規約では、先遣隊が入るまで民間冒険者の侵入は禁止です」
「はい」
「先遣隊は入りました。撤退した場合の記載はありません」
若い冒険者は口を閉じた。
エルディアスが小さく笑う。
「規約の穴だな」
若い冒険者は声の方を見た。
掲示板の前に立つ男の顔の左側に、浅黒い火傷のような痕が残っている。
若い冒険者はすぐに視線を戻した。
「規約上は、そうなります」
ミュリカは否定しなかった。
「王都から次の指示が届くまで、セレイスギルドの管理下で探索を認めています。無許可侵入は禁止。帰還後の報告義務あり。地図、遭遇魔物、負傷者、異常現象の申告も必要です」
「死んだら?」
若い冒険者が聞いた。
「報告できません」
「……ですよね」
「同行者がいれば、同行者に報告義務が移ります」
若い冒険者は、掲示板の方を見た。
それから小さく頭を下げた。
「少し考えます」
「それを勧めます」
若い冒険者は受付を離れた。エルディアスは掲示板へ視線を戻した。残っている依頼票は、どれも今日すぐ金になるものではなかった。
「臨時契約は終了でしたね」
ミュリカが言った。
「ああ、だから探してる」
「でしたら、一件あります」
ミュリカは、受付台の下から一枚の依頼票を取り出してエルディアスに手渡した。エルディアスは依頼票に目を落とした。
誰も知らないような冒険譚を望む。
英雄譚でなくてよい。
今まで語られなかった結末であれば、なおよい。
内容によって追加報酬あり。若干名。
夕の鐘、溺鯨亭。
「なんだこれは?」
「受理済みの正式な依頼です。報酬は金貨一枚。すでに二名が受けていますし、支払いも済んでいます。問題ありません」
「……話をするだけで金貨一枚か。悪くないな。受けよう」
ミュリカは帳簿を開いた。
「では、受注処理をしますね。夕の鐘までに遅れないように」
「依頼主は?」
「匿名希望です。ギルド側では確認済みです」
「怪しいだろ」
「支払いは済んでいます」
「金で怪しさを消すな」
「受注処理は完了しました」
ミュリカは依頼票の控えを差し出した。エルディアスは諦めたように息を吐いて、それを受け取った。
ギルドの扉を開けると、港からの風が入り込んだ。潮の匂いと、魚市場の声と、馬車の車輪の音が混じっている。エルディアスはもう一度、控えを確認した。
誰も知らない冒険譚。
英雄譚でなくてよい。
今まで語られなかった結末。
「結末ねえ」
エルディアスは小さく呟いた。
夕の鐘、溺鯨亭。
控えを懐に押し込み、港風の吹く通りへ出た。




