第26話 水路
翌朝、エルディアスとリュシアは普段より古い装備でギルドを訪れた。
エルディアスは長く使っている革の上着と丈夫なズボンを選び、靴も泥の付着を気にせず使えるものへ替えている。リュシアも青灰色のローブではなく、セレイスへ来る以前から使っていた濃灰色の外套を羽織っていた。銀糸の補強もなく、丈も膝より少し下までしかない。
ただし、腰には新しい細身の剣があり、背には修理を終えた以前の剣も負っている。
「二本とも持っていくのか」
「水路に剣が必要ないとは限りません。それに、濡れる可能性があるからといって、新しい剣を宿へ置いていく方が不安です」
「鞘の中まで濡らすなよ」
「分かっています。エルこそ、杖を水へ落とさないでください」
「落としたことはない」
「今回は天井も低く、足場も濡れているのでしょう。今まで落としていないことは、今回も落とさない根拠にはなりません」
「お前は朝からよく喋るな」
「必要な確認をしているだけです」
受付には、昨日と同じ依頼票と、現地の水路番へ渡す紹介札が用意されていた。
ミュリカは二人の装備を順に確認し、リュシアの濃灰色の外套へ目を留めた。
「きちんと替えをお持ちだったのですね」
「古いものですが、汚れても支障はありません。破れれば困りますが、青灰色のローブよりは気にせず動けます」
「その方がよいと思います。水路の中では、壁や天井の汚れも落ちてきますから」
ミュリカは紹介札をエルディアスへ渡した。
「現地では水路番が待っています。石組みの破損や異物を見つけても、勝手に壊して広げないように、と念を押されています」
「俺が壊すと思われてるのか」
「エルさんは、直すためなら壊すことがありますので」
「必要ならな」
「ですから、必要かどうかを水路番と確認してください。リュシアさん、よろしくお願いしますね」
「分かりました。壊す前に確認します」
リュシアが引き受けると、エルディアスは納得がいかないように二人を見比べた。
「俺に言えばいいだろ」
「言いました」
「聞いてる」
「必要なら壊す、と答えました」
「間違ってない」
「ですから、リュシアさんにもお願いしています」
これ以上話しても味方は増えそうになかった。エルディアスは紹介札をしまい、ギルドの出口へ向かった。
市内北側へ続く通りには、朝二つの鐘を過ぎたばかりだというのに、すでに荷車が行き交っていた。王墓へ資材を運ぶ車列に交じり、染料を積んだ小さな荷車や、皮革工房から空の樽を運び出す職人たちが進んでいる。
「王墓とは関係のない依頼を受けるつもりでしたが、街の中でも王都の荷車を避けずには歩けませんね」
リュシアは前方から来る車輪を避け、エルディアスの隣へ戻った。
「増えすぎたからな」
「昨日の集落では、それほど王都の影響を感じませんでした。少し離れるだけで違うものですね」
「王墓へ近い道と港は特にな。北側は工房が多い。水が止まれば王都より先に職人が怒る」
「依頼票には防火水槽にも送っていると書かれていました。工房では火を使う場所も多いでしょうから、流量が減ったままでは仕事だけでなく、安全にも関わりますね」
「だから朝から来てる」
「昨日は、剣を使わずに終わるならその方がよいと言いましたが、原因が単なる詰まりとは限りません。水路の内部に魔獣が入り込んでいる可能性もあります」
「剣を二本持ってきた理由か」
「その一つです。必要なかったと帰りに分かる方が、必要になってから後悔するよりよいでしょう」
「重くないなら好きにしろ」
「重さは問題ありません」
北側区画へ近づくにつれ、港の潮臭さは薄れ、代わりに濡れた石と染料、革を煮たような匂いが混じり始めた。道の片側には染色工房が並び、軒先に吊るされた青や赤の布が朝の風に揺れている。
古い水路の入口は、工房街の外れにある半地下の管理小屋に設けられていた。
灰色の髭を短く刈った水路番が、その前で二人を待っていた。腰には鍵束と工具を下げ、膝まである長靴には、すでに泥が付いている。その後ろでは、二人の工夫が縄や鉄鉤、蓋付きの灯火具を準備していた。
「エル、来たか」
「久しぶりだな」
「前に会ったのは、南側の排水門が詰まった時だったか」
「腐った海藻を三日分掻き出した時だ」
「思い出させるな。しばらく魚が食えなくなった」
水路番は嫌そうに顔をしかめてから、リュシアへ目を向けた。
「そちらが、今一緒に組んでるリュシアさんか」
「はい。よろしくお願いします」
「こっちこそ助かる。ただ、中は狭い。王墓でやったみたいには走れんぞ」
「水路の中を走るつもりはありません。幅と足場を確かめながら進みます。ただ、原因が魔獣であれば、動ける範囲で対処します」
「そうか。ずいぶん真面目だな」
「必要なことを確認しただけです」
水路番はエルディアスを見た。
「お前と組んでるから、もう少し変わった人かと思ってた」
「それはどういう意味ですか」
リュシアが尋ねると、水路番は咳払いをして管理小屋の扉へ向き直った。
「先に水路の説明をする」
管理小屋の床には、鉄の取っ手が付いた石蓋があった。二人の工夫が持ち上げると、下から冷たい空気と水音が上がってくる。石段が地下へ続き、その先を細い水路が横切っていた。
「上流側の点検口では、いつもの水量がある。ここから二百歩ほど下流では半分以下だ。間に地上へ抜ける枝道はない。壁の外へ漏れていれば、どこかの地面が湿るはずだが、それも見つかっていない」
「昨日までは」
「夕の鐘の確認では異常なし。今朝、工房から水が足りないと知らせが来た」
「水門は動かしたか」
「触っていない。古い迂回路の水門も閉じたままだ」
「図面は」
水路番は管理小屋の壁に掛けられた板を外した。黄ばんだ紙に、北側区画の地下を走る水路が描かれている。今いる点検口から北西へ本流が伸び、その途中に短い迂回路が設けられ、少し下流で再び合流していた。
「この迂回路は、本流を止めて補修する時に使うものですか」
リュシアが図面を見ながら尋ねた。
「そうだ。だが、二十年以上使っていない。水門が動くかも分からん」
「外から見える軸が閉鎖位置にあるだけで、水門そのものの状態までは確認できていないのですね」
「ああ。中へは入っていない」
「先に本流を見る」
エルディアスが言うと、水路番は頷いた。
「工夫を一人付けるか」
「入口で待たせろ。原因が崩落なら、人数が多い方が危ない」
「分かった。縄は持っていけ」
エルディアスは縄と鉄鉤を受け取り、腰へ固定した。リュシアは濃灰色の外套の裾を留め直し、剣が問題なく抜けることを確かめる。
「剣を使うことになると思うか」
「水路の異常と聞いていますから、その可能性は低いと思います。ただ、必要になってから入口へ戻るより、持って入った方がよいでしょう」
「壁は斬るなよ」
「斬りません。ミュリカさんから頼まれたのは、エルが壊す前に確認することです」
「俺が壊す前提になってるだろ」
「必要なら壊す、と答えたのはエルです」
石段を下りると、外の音が遠ざかった。
水路は、人が一人ずつ歩ける程度の幅しかない。中央を浅い水が流れ、両側には足を置ける細い縁が設けられていた。天井は低く、エルディアスが立つと髪が触れそうになる。石壁には白い塩が浮き、ところどころ黒い苔が張り付いている。
エルディアスは小さな光を作り、前方へ浮かべた。
水は澄んでおり、流れもある。少なくとも入口付近に異常はなかった。
二人は縁を一列に進んだ。先を歩くのはリュシアだった。走れるほどの幅はないが、濡れた石の上を選んで足を置く動きに迷いはない。エルディアスは水面と壁を交互に見ながら、その後ろを進んだ。
「入口より水が深くなっています。流れてくる量そのものが減ったのなら浅くなるように思えますが、この先で堰き止められているということでしょうか」
「そうだ。下へ流れにくくなれば、上に溜まる。詰まりが近い」
「では、水深だけでなく、流れの速さや音の変化も見た方がよいのですね」
「そうだな」
さらに進むと、水音が変わった。一定だった流れに、何かへぶつかる鈍い音が混じっている。
リュシアが足を止めた。
「今、右の壁際で何かが動きました。水の流れで揺れたのではなく、自分からこちらへ向きを変えたように見えます」
エルディアスは光を低く落とした。
水面の下に、人の頭ほどの丸い影がある。石のような褐色の殻が水底へ張り付き、光を向けた瞬間、その両側から鋏が開いた。
「泥殻蟹です。南の湿地で見たものより、かなり大きいですが」
「水路に入るとよく育つ。餌が流れてくるからな」
「人を狙って住み着いたのではなく、餌があり、流れの弱い場所だったから巣を作ったのですね」
「それでも足は挟むぞ」
泥殻蟹が水底から浮き上がり、リュシアの足へ鋏を伸ばした。
彼女は半歩だけ下がった。剣を抜ける幅さえ限られていたが、鞘を壁へ当てないよう身体をひねり、左手で抜いた刃を短く走らせる。鋏の付け根が切れ、泥殻蟹の身体が傾いた。
二撃目は殻の縁から入った。刃先が柔らかい腹部へ届き、蟹の動きが止まる。リュシアは剣を引き、水で血と泥を洗い流した。
「狭いので、普段より動きにくいですね。踏み込める方向も、剣を引ける位置も限られています」
「今のを見て言われても困る」
「問題なく斬れたことと、動きにくいことは別です」
「そうか」
「はい」
さらに十歩ほど進んだ先で、水路は塞がれていた。
流木、割れた木箱、麻縄、布片、枯れ草。そこへ泥殻蟹が運んだ小石や抜け殻が重なり、石造りの古い格子へ絡みついている。格子そのものも片側が外れ、斜めになって水路の幅を狭めていた。
溜まった水はリュシアの脛近くまで達している。障害物の隙間から細い流れだけが下流へ抜けていた。
「これが原因なら、取り除けば水量は戻りそうです。ただ、一度に外せば、ここに溜まっている水と木片がまとめて下流へ流れますね」
「そうだ。そのまま切るなよ」
「分かっています。切る前に聞いています」
エルディアスは水へ指を入れた。流れの強さを測り、土の術式を壁と床へ薄く走らせる。詰まりの向こう側は、こちらよりかなり水位が低い。障害物を一度に外せば、溜まった水と木片が狭い水路をまとめて走る。
下流の点検口に人はいないと聞いているが、古い石組みにどれだけの衝撃がかかるかは分からない。外れた格子まで流れれば、別の場所で詰まる可能性もあった。
「迂回路を開ける」
「二十年以上使っていない水門ですね。固着している可能性はありますが、先に水を逃がさなければ、詰まりを外した時に下流へ一気に流れ込むということですか」
「そうだ。動けばな」
図面では、少し手前の左壁に水門の操作口がある。戻って探すと、苔と石灰に覆われた窪みが見つかった。中には鉄の輪が収まっているが、引いても動かない。
リュシアが輪へ手を掛けたものの、すぐには力を込めなかった。
「引けば動くかもしれませんが、軸の状態が見えません。先にエルが確かめた方がよいですね」
「分かってきたな。折れたら閉じられなくなる」
「ミュリカさんから、壊す前に確認するよう頼まれましたので」
「俺が壊す前提になってるだろ」
「必要なら壊す、と答えたのはエルです」
エルディアスは水を細く動かし、鉄輪の奥へ流した。水の通り方から、石灰や錆が噛んでいる場所を探る。土の術式で周囲の石をわずかに震わせ、固着した層へ亀裂を入れた。
無理に壊すのではない。動くべきところだけを、もう一度動くようにする。
何度か術式を繰り返すと、鉄輪がわずかに沈んだ。
「今だ。ゆっくり引け」
リュシアが両手で輪を掴み、身体を後ろへ傾ける。鉄の軸が低く軋み、壁の向こうで重いものが動いた。
水路の左側から、細い水音が聞こえる。
「水が流れ始めました。まだ水門が十分に開いていないようですが、もう少し引いても大丈夫ですか」
「ああ。止まりそうなら無理に引くな」
リュシアがさらに力を掛けた。錆びた軸が途中で止まりかけたが、エルディアスが水を通し、石灰の残りを崩すと、もう一段動く。
壁際の溝へ水が吸い込まれ始めた。最初は細かった流れが徐々に太くなり、本流の水位が下がっていく。二十年以上閉ざされていた迂回路へ、水と泥が流れ込んでいた。
「水位が下がっています。これなら詰まりを外した時の勢いも弱められそうです」
「まだ足りない。上から崩す。格子は残せ」
「分かりました。絡んでいる縄と布だけを切り、木箱には触れません」
二人は障害物の前へ戻った。
水位はリュシアの足首近くまで下がっている。それでも、詰まりの向こうにはまだ水圧が残っていた。
エルディアスは土の術式で、下流側の床から低い突起を幾つも立ち上げた。流れ出した木片や石を途中で引っかけるためのものだ。大きなものには縄を掛け、入口側から工夫たちに引かせる。
「上の麻縄から切れ。次に布。木箱は触るな」
「分かりました。ただ、上の縄を切れば、枯れ草と布も一緒に崩れます。私はすぐ下がりますので、流れてくる物をお願いします」
「ああ」
リュシアは水路の縁へ足を置き、障害物の上部へ身体を寄せた。足場は濡れており、剣を振れる幅もほとんどない。
エルディアスは彼女の足元へ土を薄く盛り、滑りにくい段差を作った。
「そこなら立てる」
「ありがとうございます。これなら身体をひねっても足が滑りません」
刃が麻縄へ入る。一度では切らず、絡み方を確かめながら短く切り離していく。上部を押さえていた縄が外れると、枯れ草と布が水に押されて崩れた。
「下がれ」
リュシアがすぐに身を引く。
水と一緒に木片が飛び出し、エルディアスの作った突起へぶつかった。一本は乗り越えたが、風で横へ押し、壁際へ寄せる。続いて小石と泥殻蟹の抜け殻が流れ出した。
障害物の奥から、別の泥殻蟹が現れた。
先ほどより大きい。殻を格子へ押しつけ、流れに耐えながら鋏を振り上げている。
「右から出ます。先ほどのものより大きく、流れに押されてこちらへ来ます」
「見えてる」
泥殻蟹が水流に押されて飛び出した。狭い水路では避ける場所がない。
エルディアスは床から土を起こし、蟹の殻の片側だけを持ち上げた。姿勢を崩した泥殻蟹が壁へぶつかる。リュシアは前へ入り、殻と腹部の隙間へ剣を突き込んだ。
蟹が鋏を閉じるより早く、剣を抜いて離れる。動かなくなった身体を、流れが土の突起まで運んだ。
「この巣の大きさなら、まだ残っている可能性があります。詰まりを外したあとで、周囲の穴も確認しますか」
「巣が残ってるかだけ見る。奥までは追わない」
「依頼は水路の復旧ですからね。分かりました」
リュシアは残った布と縄を切った。
最後に、斜めになった格子へ引っかかっていた木箱が動く。エルディアスは縄を掛け、入口へ向けて二度引いた。
「引け!」
声が水路を伝わる。
入口側で待っていた工夫たちが縄を引いた。木箱が軋みながら詰まりから抜け、こちらへ滑ってくる。その瞬間、押さえられていた水が一気に流れ出した。
水音が水路全体を満たす。
エルディアスは壁へ手をつき、術式を維持した。床に立てた土の突起が流木を受け、砕けながらも速度を落とす。リュシアは壁際へ寄り、流れてきた布や縄を剣の背で外へ払った。
水位が急速に下がる。濁った流れが過ぎたあとには、外れかけた格子と、泥に半分埋もれた泥殻蟹が一匹残っていた。
最後の一匹は、逃げる方を選んだ。水路の壁にある細い穴へ身体を押し込み、鋏だけを残して奥へ消えていく。
「追えば倒せると思いますが、あの穴を広げなければ剣が届きません」
「追わない。入口に金網を入れてもらう。戻ってきても巣は作れない」
「分かりました。水路を直すために、別の場所を壊していては意味がありませんからね」
リュシアは剣を収めた。
エルディアスは外れた格子を確認した。留め具が一つ腐食し、流れてきた木箱の角がぶつかったことで片側が外れたらしい。そこへ泥殻蟹が縄や草を集め、短い間に詰まりを大きくした。
格子を完全に直すには、新しい金具が必要だった。エルディアスは応急処置として石の溝へ格子を戻し、土の術式で仮留めする。水を止めるほど強く固定せず、次に外す時には工具で崩せる程度に留めた。
「これで今日明日は持つ。格子と金具は交換だ」
「迂回路の水門は閉めるのですね。固着を外したばかりですから、今のうちなら戻せると思います」
「ああ。閉めたあと、漏れてないかも見る」
二人で鉄輪を押し戻すと、迂回路へ流れていた水音が徐々に弱まった。本流の水量が戻り、澄んだ水が格子の間を抜けて下流へ流れていく。
戻る途中、下流側の点検口から工夫の声が聞こえた。
「水、戻りました!」
水路番の声も続く。
「急に増えたぞ! そっちは無事か!」
「無事だ。下へ誰も入れるなと言っただろ」
「入れてない! 確認しただけだ!」
入口へ戻ると、水路番は安堵したように息を吐いた。二人の工夫は泥殻蟹の死骸と、縄で引き出された木箱を見比べている。
「これが原因か」
「格子の留め具が腐ってた。木箱が当たって外れ、蟹が巣を作った。格子と金具は交換。迂回路の水門も、次に使う前に整備しろ」
「全部か」
「全部だ」
「予算を取るのに半年かかるぞ」
「その前にまた詰まる」
「分かってる。だから困ってる」
水路番は頭を掻き、リュシアへ目を向けた。
「中は狭かっただろ。怪我はないか」
「ありません。泥殻蟹が三匹いましたが、二匹は倒し、残った一匹は壁の穴へ逃げました。穴を壊さなければ追えなかったため、そのままにしています」
「追わなくていい。金網を入れれば戻ってこられんだろ」
「エルも同じことを言っていました」
「そうか。泥殻蟹をあの狭い場所で斬ったなら、噂どおり速いんだな」
「ありがとうございます。ただ、普段と同じようには動けませんでした。水路の幅に合わせて剣を使っただけです」
リュシアが素直に受け取ると、水路番は少しだけ嬉しそうに頷いた。
「王墓の階層主を相手にしてる人が、こんな古い水路まで来るとは思わなかった」
「水路が止まれば、困る方がいるのでしょう。それなら、王墓とは関係なく必要な依頼です」
水路番は今度こそ、はっきり笑った。
「エルより立派なことを言うな」
「比べる必要はないだろ」
「お前なら何て言う」
「報酬が出る」
「台無しだ」
依頼完了札へ印が押された頃には、夕の鐘が近づいていた。
二人は濡れた靴を拭き、リュシアは外套の裾もできるだけ乾かしてから、ギルドへ戻った。薬草の匂いが残っていたはずの荷袋には、今では地下水路の湿った石と泥の匂いまで加わっている。
「普通の依頼を二つ終えましたね。どちらも王墓ほど危険ではありませんでしたが、放っておけば困る方がいる仕事でした」
「そうだな」
「少し安心しました」
「何にだ」
「王墓脇のことがなくても、私たちは冒険者として依頼を受けられます。分かっていたつもりですが、実際にいつもどおりの仕事を終えて、確かめたかったのだと気づきました」
エルディアスは隣を歩く彼女を見た。
勇者を選ぶ者として名を知られ、王都の攻略隊へ組み込まれ、ダンジョンの中では誰より先を走る。それでも、薬草の根を傷つけないよう土を払い、古い水路の泥殻蟹を斬り、流木を縄で引き出すこともできる。
石碑に名を刻まれたからといって、それ以前のすべてが消えるわけではない。
「明日も普通の依頼を受けるか」
「依頼の内容を確認してから決めます。普通の依頼でも、私たちに向かないものまで引き受ける必要はありませんから」
「普通じゃない答えだな」
「依頼を確認してから決めるのは、普通だと思います」
「そうか」
「はい」
ギルドの扉を開けると、いつもなら夕方の依頼報告で騒がしい大広間が、妙に静かだった。
受付前に冒険者たちが集まり、その中央へ道を空けている。
立っていたのは五人だった。
先頭にいるのは、使い込まれた長剣を腰に差し、旅装の上から軽い胸当てを着けた長身の男だった。その隣には、毛深い腕で大盾を支える熊の獣人が立っている。後ろに控えているのは、白木の杖を持った女魔導士、測量縄や楔を腰へ下げた小柄な男、治療鞄を肩に掛けた神官服の女だった。
装備も種族も異なる。だが、五人の胸元には同じ徽章が留められている。
夜明け前の空に浮かぶ、一つの白い星。
「《暁星》だ」
誰かが小さく呟いた。




