第21話 三王
王都との直接契約を断った翌朝、エルディアスとリュシアの宿へ、第二層第一次攻略依頼の依頼書と編成案が届けられた。
受諾期限は翌日の昼。それまでに、セレイス冒険者ギルドへ返答するよう記されている。
二人が朝食を終え、書類へ一通り目を通した頃、今度はギルドから使いが来た。黒い石碑の解析を担当する研究官が王都から到着し、信託を受けたリュシアから直接話を聞きたいという。
ギルドの二階へ上がると、昨日の交渉に使われた会議室ではなく、廊下の突き当たりにある窓の小さな資料室へ通された。入口には王都の兵が二人立ち、室内の窓には厚い鎧戸が下ろされている。長机の上には、黒い石碑から取られた原寸大の写しと、古びた書物、王家の系譜を記した巻物が積み上げられていた。
出席しているのはバルドと、王立迷宮査察隊の指揮官、王都から来た連絡官、それに見覚えのない白髪の男だった。指揮官は、一昨日の第一層階層主戦で討伐隊を率いていた男だ。
白髪の男は、二人が席へ着くのを待ってから立ち上がった。指先まで黒いインクで汚れ、椅子の横に置かれた使い込まれた革鞄からは、何枚もの紙が覗いている。
「レナート・ヴァイスと申します。王都で、ダンジョンの碑文と信託の記録を研究しています。今回は、黒碑に刻まれた三文を解析するために派遣されました」
レナートは軽く頭を下げた。
「ギルド、神殿、査察隊が行った聞き取りの記録には、すべて目を通しています。同じ経緯を初めからお話しいただく必要はありません。ただ、これまでの聞き取りでは確認されていない点がいくつかあります。リュシア・フェル・ノルディア殿。信託を受けた際の感覚について、改めて質問してもよろしいでしょうか」
「お答えできる範囲であれば」
「十分です」
レナートが席へ戻る。机に広げられた石碑の写しには、三つの文が並んでいた。
勇者が魔王を倒す。
リュシア・フェル・ノルディアが勇者を選ぶ。
三王、勝者の歴史のみが続く。
その下には、石碑の半分近くを占める余白まで忠実に写し取られている。
「先に申し上げますが、本日ここで話した内容の一部は、外部へ広めないようお願いします。機密保持を含む調査協力依頼として、セレイス冒険者ギルドを通しています。条件は依頼書にも明記してあります」
連絡官の説明を聞き、エルディアスはバルドへ視線を向けた。
「ギルドで内容を確認しているのか」
「ああ。聞き取りの範囲も、口外を求める内容も確認済みだ。王都との直接契約じゃない。ギルドが受けた調査依頼に、お前たちが協力する形になっている」
正式な依頼であれば、王都の都合だけで秘密を背負わされるのではなく、条件も明示された形で記録に残る。あとになって、何を求められ、何に同意したのかを曖昧にされることもない。
連絡官は二人を順に見た。
「リュシア・フェル・ノルディア殿、エルディアス・ロウ・グレイヴェル殿。この条件に同意いただけますね」
「はい。同意します」
「俺も問題ない。同意する」
二人の返答を確認し、連絡官はレナートへ視線を移した。
「では、始めてください」
レナートは頷き、改めてリュシアへ向き直った。
「まず、信託を受けた時の感覚について確認します。声や文字として伝えられたのではなく、意味を直接理解したのですね」
「はい」
「その間も意識はあり、周囲の声は聞こえていた」
「聞こえていました」
「体が動かなくなったこと以外に、普段と異なる感覚はありましたか。痛み、眩暈、記憶の欠落などです」
「ありません」
レナートは手元の記録へ目を落とし、短く書き込んだ。
「そこまでは、これまでに記録された信託と大きな違いはありません」
紙を一枚めくり、再びリュシアを見る。
「では、伝えられた内容の流れについて伺います。初めの意味から二つ目へ移った時と、二つ目から三つ目へ移った時で、何か違いはありませんでしたか」
リュシアはすぐには答えなかった。
「違い、ですか」
「次の意味が入ってくるまでに間があった。一度途切れたように感じた。同じ信託の中でも、何かが切り替わった。ごく僅かなものでも構いません。なければ、なかったとお答えください」
リュシアは石碑の写しへ目を落とした。
「初めの二つは、ほとんど続けて入ってきました」
「一続きだったと」
「はい。二つ目を言い終えた後だけ、少し間があったように思います」
「どの程度ですか」
「別の信託が始まったと思うほどではありません。ただ、初めの意味から二つ目へ続いた時より、三つ目へ移る前の方が、はっきり区切られていた気がします」
「その区切りの前後で、受け取ったものの性質が変わった感覚はありましたか」
リュシアはしばらく考えた。
「そこまでは分かりません。三つとも、受け取った意味を言葉にしただけです。違うと言えるのは、間の取り方だけです」
レナートは三文目の横へ短く書き込んだ。
「以前の聞き取りでは、そこまでは確認されていませんね」
「以前は、信託によって何を知らされたのかを尋ねられました」
「記録にもそうあります。信託の三文以外に、選定の時期や方法を知らされていない。それは今も変わらないのですね」
「はい。誰を、どのように、いつ選ぶのかも、勇者が何を意味するのかも分かりません」
「なら、証言に違いはありません」
レナートは手元の記録へ目を落とした。
「前回必要だったのは、信託の内容と、勇者の選定がすでに行われたかどうかです。意味と意味の間にあった僅かな切れ目まで、自発的に報告する者はほとんどいません。聞かれなければ、それが情報になるとも考えないでしょう」
「その間に、意味があるのですか」
リュシアが尋ねた。
「過去の事例では、一つの信託の中でも、対象や適用される時期が変わる前に、僅かな切れ目が置かれたことがあります。ただし、今回は区切りが明確だったわけではありません。前の二つと三つ目で、何かが切り替わっている可能性がある。その程度です」
「それでも、三文をすべて同じ性質のものとして扱うべきではないと」
バルドが腕を組んだまま尋ねた。
「はい。僅かな手掛かりですが、完全に同列だと決めつけない理由にはなります」
レナートは一文目を指した。
「では、文面の解析へ移ります。初めの二文は、何が起こるかという構造自体は明瞭です。ただし、勇者が誰を指すのか、魔王がどのような存在なのかは、まだ分かっていません」
勇者が魔王を倒す。
「勇者が特定の人物を指すのか、何らかの条件を満たした者へ与えられる立場なのか。それすら、現時点では判断できません。二文目によれば、勇者を選ぶのはリュシア殿ですが、誰を、どのように選ぶのかは信託に含まれていなかった」
「はい」
「リュシア殿が受け取った意味を、勇者以外のものとして解釈することはできますか」
リュシアは一文目を見つめた。
「まったく別のものと考えるのは難しいと思います。単に強い者や、戦う者という意味ではありませんでした。魔王を倒す者として、ほかとは異なる立場に置かれる存在です。それを表す言葉として、勇者が近いと考えました」
「特定の人物なのか、あとからその立場に就く者なのかは分からない」
「分かりません」
「魔王についてはどうでしょう。魔族を治める王と解釈できる意味でしたか」
「はい。そのように解釈できる意味でした」
レナートの手が止まった。
「単に大きな敵や、強大な魔物を魔王と表したわけではない」
「はい。魔族の上に立ち、それを治める王という意味は含まれていました。ただ、名前や姿までは分かりません。どの時代の王なのかも伝えられていませんでした」
「古代に討たれた魔族の王と同じ存在かどうかは分からないと」
「分かりません」
レナートは頷き、革表紙の薄い本へ手を置いた。
「それなら、碑文の魔王は、少なくとも魔族の王として解析すべきでしょう。大昔に討たれた王を指す可能性は高まりますが、同じ存在だと断定できる証拠はありません」
「大昔の魔王も、魔族の王だったのですか」
リュシアの問いに、レナートは開いた本の一節を指で押さえた。
「現在広く知られている年代記では、各種族が勇者のもとへ集まり、世界を脅かした魔王を討ったとされています。しかし、当時に近い記録では、魔王という呼び名はほとんど使われていません。魔族の王、あるいは魔族領の統治者と記されているものが大半です」
「後世になって、魔王と呼ばれるようになったと」
「少なくとも、現存する記録を読む限りでは」
レナートは机の端に置かれた別の書物を開いた。
「さらに古い断片には、戦が始まる以前、魔族を含む各種族の間に協定があったことを示すものがあります。その協定を人族側が破り、ほかの種族を戦へ引き込んだと読める記述も残っています」
室内の空気が変わった。
バルドは黙ったままレナートを見ている。指揮官は表情を動かさなかったが、連絡官が机の上で指を組み直した。
「その見解は、王国の正史として認められたものではありません」
「正史を決めるために呼ばれたのではありません。碑文を解析するために呼ばれました。不都合でも、可能性がある以上は検討から外せません」
レナートが淡々と返すと、連絡官は一度だけ指揮官へ視線を送った。
「少なくとも、外部へは広めないでください」
「承知しています。この場で検討するだけです」
レナートはそれ以上取り合わず、再び写しへ向き直った。反王都を掲げたいわけではないらしい。王都が何を好み、何を嫌うかに関心がないだけだ。依頼された仕事を正確に行うために必要なら、不都合な可能性も平然と机へ載せる。
「数千年前の話だろ。今さら何が困る」
エルディアスが尋ねた。
「古いからこそ、簡単には片づけられません」
レナートは開いていた本を閉じた。
「現在の国境、種族間の条約、王国が教えてきた勇者の歴史。その多くが、魔王討伐を世界を救った戦いとして扱っています。そこへ現代のダンジョンが、再び勇者と魔族の王を示した。これをきっかけに古い記録が掘り起こされれば、当時の戦が本当に正義だったのかという話まで蒸し返されます」
「王都は、それを嫌がっているのですね」
リュシアが連絡官へ目を向ける。答えたのはレナートだった。
「嫌がっています。ただ、それが碑文の意味を変えるわけではありません」
連絡官が何か言いかけたが、指揮官が片手を上げて止めた。
「解析を続けろ」
「人族が他種族を唆し、協定を破らせ、魔族を滅ぼしたという話になれば、古代史の研究だけでは済みません。過去の善悪が、現在の種族関係へ持ち込まれる可能性があります。王都が警戒しているのは、その点でしょう」
「だから、あなたが王都から派遣されたのですか」
「それも理由の一つです。ただ、石碑が過去を語っているのか、未来を定めているのか。それさえ、まだ分かっていません」
レナートは一文目の下へ指を移した。
「古代に討たれた魔族の王が再び現れるのか、別の者が魔族の王となるのか。それとも、王国が把握していない魔族と、その王がすでに存在するのか。現時点では、どれも否定できません」
「魔族の王が現れること自体は疑っていないと」
エルディアスが確認すると、レナートは一文目を指で叩いた。
「信託で受け取った意味が魔族を治める王であり、その王を勇者が倒すと刻まれた以上、存在しなければ文が成立しません。いつ、どのように現れるのかは別として、警戒しない理由はないでしょう」
レナートの指が二文目へ動く。
リュシア・フェル・ノルディアが勇者を選ぶ。
「こちらも、何が起こるかという構造は明確です。名を指定された以上、別人が代わって選定するとは考えにくい。選定の時期、方法、対象については信託に含まれていなかった。現在まで誰も選んでおらず、意味と結果が判明するまでは選定を行わない。以前の聞き取り記録にある内容から、変わった点はありますか」
「ありません」
「なら、二文目について新たに解析できることはありません」
レナートは追及せず、最後の一文へ指を移した。
三王、勝者の歴史のみが続く。
「問題は三文目です。まず、リュシア殿が受け取った意味を、どこまで王として解釈できるのかを確認します。リュシア殿は、どのような存在を王と呼びますか」
リュシアは問いの意図を考えるように、少し間を置いた。
「国を治める君主が、最も分かりやすいと思います。ただ、国を持つことが必須だとは考えていません。ある集団の頂点に立ち、属する者たちを導き、その在り方を決める者であれば、王と呼ばれることはあるでしょう」
「領土ではなく、民や集団を率いる立場も含むと」
「はい。種族や部族、もっと小さな共同体でも、その中で最高位の者なら当てはまると思います」
「信託で受け取った三つの存在は、その意味で王と解釈できますか」
「はい。何を率いているのかは分かりませんでしたが、それぞれが何者かの上に立ち、導く側にあるという意味でした」
「三人の王子や、いずれ王になる者という解釈は」
「私には、そのような意味合いでは受け取れませんでした。もしそうであれば、王子か、王となる者と表したと思います」
「単に王という名を与えられた物や場所という解釈はできますか」
「それも難しいと思います。名前だけではなく、実際に何者かの上に立ち、導いているという意味が含まれていました」
「人であるかどうかは」
「分かりません。姿も名前も伝えられていませんでした」
「勝者については、一人だと感じましたか」
「そこまでは分かりません。勝った側という意味でした。一人か、複数かは、受け取ったものから読み取れませんでした」
レナートは頷いた。
「言葉へ置き換えた後だけを読めば、勝者は一人だと受け取りやすい。しかし、信託そのものに人数が含まれていたとは限らないわけですね」
「はい」
「歴史という部分はどうでしょう。書物や記録だけを意味していましたか」
リュシアはしばらく考えた。
「記録だけではなかったと思います」
「では、何を」
「うまく言えません。そこに至るまでの出来事や、積み重ねてきたものも含まれていました。ただ、命そのものとは違います」
「敗者が死ぬという意味は感じなかった」
「感じませんでした。ですが、生き残るとも感じていません。勝った側の歴史だけが続き、ほかは続かない。それ以上のことは分かりませんでした」
エルディアスは石碑の写しを見下ろした。敗者が死ぬとは書かれていない。だからといって、生きて戻れるとも限らない。
「ありがとうございます。文面だけを読んだ場合より、いくつか絞れます」
レナートは机に広げられた王家の系譜を引き寄せた。
「王国史には、三人の王子が同時に存在した時代があります。石碑が王墓の近くに現れたこともあり、王都では最初にこの三人との関連が疑われました」
一人の王から、三本の線が伸びている。
「しかし、三人が同時に王を名乗った記録はありません。王位を巡る争いもなく、軍を分けた内乱も起きていない。いずれか一人が、残る二人の存在や記録を消した形跡も見つかっていません」
「では、関係ないと」
エルディアスの問いに、レナートは系譜から顔を上げた。
「少なくとも、三人の王子がいたというだけでは結びつけられません。リュシア殿が受け取ったものも、王子や将来の王とは解釈しにくい意味だった。既知の三王子へ結びつける根拠は、現時点ではありません」
「ほかの国の王を含んでいる可能性は」
バルドが尋ねた。
「あります。三つの国の君主、三つの種族や部族の長、三つの共同体を率いる最高指導者かもしれません。人であるとは限らない以上、同族や配下を統べる魔獣や、ダンジョン内の何らかの存在である可能性もあります。ただ、何者かを率いる立場である以上、単なる物や場所を指しているとは考えにくいでしょう」
レナートは次に、勝者の歴史のみが続く、という部分を指でなぞった。
「既知のダンジョンに刻まれた文には、内部での行動を直接縛るものがあります。特定の者しか扉を開けられない。ある条件では魔法が使えない。決められた対象以外は傷つけられない。そうした文は、誰が何をできるか、あるいはできないかを明確にしています」
「この文には、それがない」
エルディアスが言った。
「はい。三王が何をするのかも、誰が何を禁じられるのかも書かれていません。示されているのは、勝敗が生じた後に何が続くかです」
「三王が争う仕組みがあると」
指揮官が腕を組む。
「三王同士が争うのかも確定していません。三王が初めから存在するのか、攻略者の側から三王が選ばれるのか、別の場所にいる三王の争いへ関わるのかも不明です」
「敗者はどうなる」
指揮官が続けて尋ねた。
「分かりません」
「死ぬ可能性は」
「あります。敗者の歴史が続かないという意味を、死なない保証として解釈することはできません」
誰もすぐには口を開かなかった。
敗者の記録が消えるだけなのか。記憶から失われるのか。敗者が生きて帰れなくなるのか。それとも、三王のうち勝者に属する者だけが先へ進めるという意味なのか。
碑文は短く、どの読み方も否定していない。
エルディアスは、三文の下に残された広い余白へ目を向けた。
「下が空いているのは、何か意味があるのか」
「現時点では、ないと考えてよいでしょう」
レナートは写しの余白を一瞥した。
「過去に確認された石碑にも、文の下へ大きな余白が残っていた例はあります。ですが、余白の広さとダンジョンの階層数、攻略条件、危険度との間に関連は見つかっていません」
「あとから何かが刻まれた例は」
「確認されていません」
レナートは余白ではなく、すでに刻まれた三文へ指を戻した。
「書かれていないものを考えても、解析にはなりません。今は、ここにある三文へ注視すべきでしょう」
「その三文が分からないんだが」
「だから、私が呼ばれたのでしょう」
レナートは疲れたように笑った。
「もっとも、先の階層へ入らなければ、これ以上の解析は進まないでしょう」
今ある記録とリュシアの証言から引き出せるものは、そこまでだった。会議が終わった頃には、昼の鐘を過ぎていた。
週末に京都に行って来ました。ストックがヤバいです




