第20話 名声
黒い入口から王墓前の宿営地までは、目と鼻の先だった。それでも、動ける参加者たちは六人組の隊列を崩さず、指揮官の後に続いた。
宿営地の帳場前へ着くと、負傷と装備の確認が始まった。脚を折った騎士はすでに治療所へ運ばれている。腕を裂かれた槍兵には止血の布が巻かれ、黒い火を受けた右列の兵は、治癒役に火傷の薬を塗られていた。ほかに動けなくなった者はいない。
二十四名全員が生還したという結果だけを見れば、再討伐は成功だった。
だが、このまま全員が第二層第一次攻略隊へ選ばれるわけではない。今回の階層主戦は、第二層へ進む資格を得るためのものではなく、王都が封鎖している第二層へ正式に送り込める者かどうかを見極める実戦評価だった。
宿営地では、負傷の程度と装備の損耗が記録されていく。誰がどの命令を受け、どこへ動き、危険へどう対処したかについては、このあとギルドで詳しい聞き取りが行われることになっていた。
確認を待っている間、腕に布を巻いた槍兵がエルディアスの前へ来た。
「最初の根、助かりました」
「あのまま前へ出ていたら、あの傷だけでは済まなかった」
「止まったのはお前だ」
「あなたが言わなければ、止まっていません」
槍兵はそれだけ言うと、元の組へ戻った。
少し離れた場所では、若い騎士がリュシアへ身振りを交えながら話していた。
「跳ぶ前から、足場が出ると分かっていたのですか」
「ええ」
「合図が見えませんでしたが」
「エルディアスが、必要な場所を見落とさないことは分かっていますから」
嘘ではない。何が必要かを伝える手段について、口にしていないだけだった。
若い騎士は感心したように二人を見比べた。
「長く同じ隊で戦っていても、あそこまでは合いません」
リュシアは穏やかに笑って受け流した。騎士が離れたあと、帳場へ向かいながら念話を送ってくる。
――長く組んでいることにされましたね。
――否定しても面倒だ。
――即席のパーティーだと説明した方が、余計に驚かれそうです。
――実際、驚かれてる。
――エルの足場が、私には使いやすいだけです。
――お前が勝手に踏める場所へ来るんだろ。
――そういう言い方をするから、ちょっと嫌なんですよ。
戦闘の噛み合い方とは別に、リュシアの口調にはいつもの棘が残っていた。
装備の損耗と負傷の記録が終わると、参加者はギルドへ移動させられた。戦いが終わったからといって、各自が勝手に帰ることは許されない。聞き取りが完了するまで、今回の依頼は終わっていなかった。
夕の鐘が近づく頃、動ける参加者たちは冒険者ギルドへ移され、大広間で聞き取りの順番を待たされた。
エルディアスとリュシアは、ほかの参加者より先に二階の会議室へ通された。長机の上には階層主部屋の見取り図が広げられ、戦闘中の配置が書き込まれている。宿営地で作られた負傷者と装備損耗の一覧も、すでに王都の書記へ渡されていた。
ここで確認されるのは、誰がどの命令を受け、どこへ動き、危険にどう対処したかという戦闘中の判断だった。
聞き取りを担当したのは、今回の指揮官を務めた王都の騎士と、上級火術を使っていた魔導士だった。横には王都の書記が座っている。
「まず、今回の依頼への協力に感謝します」
騎士は形式的な礼を述べ、見取り図へ目を落とした。
「エルディアス殿。前列が半歩前へ出た直後、前へ出るなと指示している。あの根拠を確認したい」
「床の下を根が走ってた」
「どのように判断しましたか」
「石が浮いた。音も違った」
「ほかに気づいた者はいませんでした」
「見てた場所が違う」
騎士は短い答えに慣れたらしく、それ以上言葉を引き出そうとはせず、書記へ合図した。
「その後、右端の騎士が根に巻かれた際、切るなと止めていますね。根の下へ土を入れたのは、そのためですか」
「切れば締まる。持ち上げれば緩む」
「黒い火のあと、床へ水を広げて風を上へ流しています。粉塵と熱を同時に処理したのは意図的ですか」
「見えないと盾が間に合わない」
質問は続いた。
逸れかけた矢の軌道を風で曲げ、左の目へ集めたこと。治癒役へ向かう根を、低い畝を幾重にも並べて逸らし続けたこと。盾の裏へ溜まる熱と煙を上方へ流したこと。リュシアへの付与を切り替えながら、前衛の足場と遮蔽を維持したこと。
どれも、階層主へ直接大きな傷を与えた術式ではない。
しかし記録の上では、別々の場所で起きた危険の多くに、エルディアスが関わっていた。
上級魔導士が、見取り図の上を指でなぞる。
「六属性を扱えることは事前の記録で把握していました。とはいえ、低級と中級術式だけで、ここまで多くの処理を並行して行うとは考えていませんでした」
「同時じゃない。少しずつずらしてる」
「術式を切り替えているようには見えませんでしたが」
「全部を最大出力で維持する必要はない。足場は踏む場所だけ、風は矢と粉塵に触れる分だけでいい」
魔導士は見取り図から顔を上げた。今回の戦闘に先立ち、エルディアスとリュシアの間には、離れた位置から付与術を届かせられる特殊な呪いがあるとだけ聞かされていた。その由来や詳しい効果までは知らされていない。
「リュシア殿への付与については、呪いの作用で離れていても届くと聞いています。しかし、火の強さまであれほど細かく変えられるものなのですか」
「届いた後は普通の付与と同じだ。必要な時だけ強くして、いらなくなれば落とす」
「剣へ付与した火を、傷口へ移していたようにも見えました」
「近い。新しく術式を作り直すより、残ってる火を使った方が早い」
「呪いが自動で調整しているわけではないのですね」
「違う。調整してるのは俺だ」
魔導士は書記の記録を覗き込み、自分でも確かめるように小さく頷いた。
「特殊なのは付与が届くことまでで、その先の運用は術者の判断ということですか」
「そうだ」
「複数の術式を最大の状態で維持していたのではなく、必要な場所へ出力を移し続けていた、と」
「全部を残す必要はない。役目が終わった場所から削ればいい」
「理屈は分かります。しかし、あれだけの状況で、何を残して何を切るか判断し続けるのは簡単ではありません」
「だから周りを見てた」
エルディアスが答えると、魔導士はしばらく黙った。火力そのものではなく、術式を置く場所と残す時間を選んでいた。戦闘中に見えていたものを、ようやく言葉として整理しているようだった。
「後日、術式の切り替え方を詳しく聞かせてもらえますか」
「依頼なら、ギルドを通せ」
魔導士はわずかに目を見開き、それから笑った。
「承知しました」
次に、騎士がリュシアへ向き直る。
「リュシア殿は、右へ回って階層主の注意を引くと発言した後、枝腕の内側へ入り、胸部の再生箇所を開いています」
「はい」
「そこまでは、遊撃として命じた役割に含まれる。だが、核を露出させたあとも、階層主の胸部へ留まっていました。核へ届く位置で、樹皮が閉じるのを押さえ続けろとは命じていない。退くべき線を越えた可能性は考えましたか」
「考えました。ただ、核を開いた直後に離れれば、再生で閉じられると判断しました。退路は残っており、剣への付与も維持されていたため、必要な時間だけ留まれると考えました」
「退路が消えた場合は」
「すぐに離れるつもりでした」
「借り物の剣が折れる可能性は」
「ありました。その場合も、核から離れるつもりでした。折れた刃で樹皮を押さえ続ける意味はありませんから」
騎士は見取り図を確認し、頷いた。
「その直前、エルディアス殿が足場を作るより早く、そこへ跳んでいるように見えました」
「作ると分かっていましたから」
「事前に決めていたのですか」
「いいえ。あの状況で私が核へ近づくなら、あそこに足場が必要です。エルディアスなら同じ判断をすると考えました」
「失敗する可能性は」
「もちろんあります。その場合は、根へ着地するつもりでした」
騎士はエルディアスへ視線を移した。
「あなたも、リュシア殿が跳ぶと分かっていたのですか」
「核を見てた。跳ぶならあそこしかない」
二人の答えを聞いた騎士は、見取り図へ視線を戻した。
「事前の取り決めも、目に見える合図もなかった。それでも、互いが同じ判断をすると予測して動いたと」
「そうです」
リュシアは公的な場にふさわしい口調で答えた。
「ただし、何も考えずに任せているわけではありません。エルディアスができることと、しないことを把握したうえで動いています」
「信頼している、と受け取ってよいですか」
わずかな間があった。
「戦闘上の判断については」
リュシアは、必要な範囲だけを正確に答えた。
エルディアスは横から何も言わなかった。能力を信用されていることと、好かれていることは別だ。余計な補足をすれば、話が長くなるだけだった。
聞き取りを終えて一階へ下りると、受付前にはまだ参加者が残っていた。順番を待つ者、仲間と戦闘を振り返る者、書記から追加の確認を受けている者。そのうち何人かが、二人を見ると会話を止めた。
階層主戦に参加した者の間では、すでに評価が広がり始めている。
前衛列にいた若い騎士が近づいてきた。
「エルディアス殿。最後の攻撃で、前へ出る準備をさせた理由が、あとから分かりました。礼を言います」
「指揮したのは俺じゃない」
「分かっています。それでも、判断材料を出したのはあなたです」
騎士は真剣な顔で一礼し、離れていった。
その後ろから、セレイスの冒険者が近づいてくる。以前からエルディアスの顔を知っている男だった。
「お前、いつから王都の騎士を指揮するようになったんだ」
「してない」
「外じゃ、そういう話になってるぞ。六属性の上級術式で階層主の根を全部押さえて、王都の騎士に命令したって」
「一つも合ってない」
「六属性は使ったんだろ」
「上級じゃない」
「細かいことは誰も気にしない」
「気にしろ」
男は笑いながら離れ、今度はリュシアへ声をかけた。
「勇者は決まったのか」
「決まっていません」
「エルディアスじゃないのか。二人で階層主を倒したって聞いたぞ」
「今回の討伐は二十四名です。エルディアスが勇者である可能性もありません」
明確な否定に、男は少し驚いた顔をした。
「そこまで言い切れるのか」
「言い切れます」
「なら、誰なんだ」
「それをお話しすることはできません」
「まだ決めてないのに?」
「決めていないことと、何も分からないことは同じではありません」
リュシアは穏やかに答えたが、それ以上の質問を許す調子ではなかった。男は肩をすくめ、今度こそ離れていく。
――またエルが勇者になっています。
――勝手にならせとけ。
――石碑の二行目を読めば、私が選ぶ側だと分かるはずなのですが。
――だから俺を選んだことにしてるんだろ。
――選びません。
――知ってる。
受付の内側で書類を整理していたミュリカが、二人を手招きした。
「お疲れさまでした。今回の依頼報告は、聞き取りの記録をもって完了になります。報酬は明日の午後以降に受け取れます」
「もう帰っていいか」
「ギルドとしては。ただ、外に少し人がいます」
「何人だ」
「数えていません」
「帰る」
「裏口は王都の物資搬入に使われています」
ミュリカは困ったように耳を伏せた。
「表で待っているのは、王都の方だけではありません。共同依頼を持ち込みたい冒険者、装備を提供したい商人、剣術を習いたい方、それから勇者候補を名乗る方が三人ほど」
「止めろ」
「受付では止めています。でも、お二人が出てきたら直接話すつもりだと思います」
リュシアが受付脇に積まれた封書へ目を向けた。
「これも、私たち宛てですか」
「はい。昨日までにも届いていましたが、お二人が王都の部隊と一緒に階層主を倒して戻ってから、一気に増えました」
「正確には、私たちだけで倒したわけではないのですが」
「そこはだいぶ省略されていますね。リュシアさんが一人で核を斬って、エルさんが六属性の大魔法で根を止め、王都の騎士は見ていただけという話もあります」
「誰が流した」
「分かりません。王都の騎士が二人の指示に従っていた、という話から膨らんだのではないでしょうか」
「指揮してない」
「私もそう説明しています」
ミュリカは封書の束から数通を抜いた。
「こちらは冒険者からのパーティー勧誘。こちらは商会からの装備提供。こちらは王都の貴族家から、リュシアさんを客人として迎えたいという招待です。それから、エルさんには王立魔導院の関係者から面会希望が来ています」
「断れ」
「全部ですか」
「全部だ」
「内容を見ずに断るのは、さすがにこちらではできません。ご本人の意思確認が必要です」
エルディアスは封書の束を見下ろした。
「面倒だな」
「名声が上がるというのは、こういうことです」
「上げた覚えはない」
「本人の許可を取って広がるものではありませんから」
リュシアが一通を手に取る。封蝋には見覚えのない貴族家の紋章が押されていた。
「私を迎えたいというのは、どういう意味でしょう」
「王都での住居と身分を提供するので、後見を任せてほしいそうです。勇者を選ぶ役目を持つ方を、王都の外へ置いておくべきではない、と」
「保護を理由に、手元へ置きたいのでしょうね」
「バルドさんも同じことを言っていました。お二人が戻ったら、上へ来てほしいそうです」
ギルド長室では、バルドが机いっぱいに書類を広げていた。王都からの協力要請、参加者の評価票、第二層第一次攻略隊の編成案。二人宛てに持ち込まれた依頼の写しまで重なっている。
「座れ。先に言っておくが、今日の戦闘結果だけで第二層攻略隊が決まったわけじゃない」
「分かってる」
「お前たちは分かっていても、外はそう受け取っていない。二十四名全員が、そのまま第二層へ下りると思っている者もいる」
バルドは評価票の束を指で叩いた。
「王都とギルドで記録を見直す。隊列を乱した者、命令を聞かなかった者、負傷後に無理を押した者は外される。逆に、目立った攻撃をしていなくても、持ち場を守った者は残る。階層主戦は討伐者を選ぶ試験じゃない。攻略隊として使えるかを見るためのものだ」
「王都の騎士もですか」
リュシアが尋ねる。
「原則はな。王都側だけ最初から合格にすれば、セレイスの冒険者を試す建前が崩れる。ただ、同じ失敗をして本当に同じ扱いになるかまでは保証しない」
「正直ですね」
「ここで俺が綺麗事を言っても仕方ない」
バルドは別の書類を二人の前へ滑らせた。
「それより、お前たちへの扱いだ。今回の討伐も、王都からの協力要請をギルド依頼として回した。書面の上では、お前たちが受けた普通の依頼だ」
「断れる依頼には見えませんでしたが」
「断ること自体はできた」
リュシアの指摘に、バルドは目を逸らさず答えた。
「その場合、理由を聞かれ、王都への説明を求められ、今後の編成から外れる可能性もあった。ギルドとしても、受けろと言わざるを得なかった。自由な依頼だったとは言わん」
「半分は命令だな」
「半分以上かもしれん」
バルドは疲れた顔で息を吐いた。
「王都は、お前たちが有用だと判断した。リュシアは初回討伐者で、階層主の注意を引きつけながら核まで道を開ける。お前は主攻ではないが、二十四人の戦線を繋いだ。記録を読んだ連中が、ようやく何をしていたか理解し始めている」
「大げさだ」
「俺も最初はそう思った。だが、指揮官の報告には、お前がいなければ前衛が二度崩れていたと書いてある。魔導士たちからも、射線と熱を同時に管理されたことで術式へ集中できたと評価が上がっている」
「倒したのはあいつらだ」
「誰も、お前が一人で倒したとは書いていない。そういう噂は外で勝手に増えているがな」
バルドは書類の一番下から、王都印のある一枚を抜き出した。
「今後も、第二層の編成確認や事前訓練へ参加させたいという要請が来ている。これもギルド依頼として出すつもりらしい」
「何回だ」
「回数は書いてない」
「断る」
「まだ依頼票もできていない」
「なら、できる前に断る」
「そう言うと思った」
バルドは書類を置いたが、引き下げる様子はなかった。
「ただ、第二層第一次攻略については別だ。お前たちを候補から外す理由がない。むしろ、王都は最初から入れるつもりで編成を考えている」
「私たちは、まだ参加すると答えていません」
「分かっている。だが、王都の側は、お前たちが断る前提で準備していない」
「意思を尊重する気がないな」
「必要な戦力を確保したいだけだ。王都から見れば、お前たちの気分よりダンジョンの危険の方が重い」
「ギルドは」
「俺は断る余地を残す。ただし、断った結果まで消してやることはできない。編成は組み直しになるし、攻略は遅れる。王都から理由も聞かれる」
断る自由はある。
ただし、その結果として生じるものまで無関係ではいられない。形式だけを見れば普通の依頼でも、二人の立場では重さが違った。
リュシアが評価票の束へ目を落とした。
「今回参加した方々の結果は、いつ決まるのですか」
「明日の会議で候補を絞る。そのあと、複数の編成で訓練をさせる。正式な攻略隊は、それを見て決める」
「階層主戦で生還しても、外れる方はいるのですね」
「ああ。逆に、今回参加していない者が後から入ることもある。王都は第二層へ送る人数を増やしたいんじゃない。自分たちが管理できる隊を作りたいんだ」
バルドの言葉には、わずかな苦味があった。
「第二層入口までなら、誰でも行ける。だからこそ、王都は規則で縛るしかない。勝手に下りた者を救援対象外にすると告示し、ギルドは違反者へ処分を出す。止めなければ、名を上げたい馬鹿が押し寄せる」
「もう行った者は」
「今のところ確認されていない。入口の円形石室には王都の兵が詰めている。階段へ近づけば止められる」
「物理的な封鎖ですね」
「今はな。いつまでも兵を置き続けられるわけじゃない。正式な探索が始まれば、出入りも増える。その前に規則と編成を固めたいんだろう」
話を終えて一階へ下りると、夕の鐘が鳴り始めた。外で待っていた者たちが、二人の姿を見て一斉に動く。
最初に近づいてきたのは、王都から来た高位冒険者だった。磨かれた胸当てと長剣を身につけ、背後には四人の仲間がいる。
「リュシア殿。第二層攻略へ向けて、我々と臨時隊を組むつもりはありませんか。斥候も治癒師も上級魔導士も揃っています」
「お声がけはありがたいのですが、第二層の正式な編成は王都とギルドが調整しています。個別のお約束はできません」
「正式な選定前に、互いの力量を確かめるだけでも」
「今日のところは討伐帰りです。後日にしてください」
エルディアスが横から言うと、男は一瞬だけ口を閉じた。
「あなたは、リュシア殿の護衛ですか」
「違う」
「では、交渉を取り次いでもらうことは」
「本人に聞け」
「今、聞いていたのですが」
「断られただろ」
男の仲間の一人が吹き出しそうになり、慌てて横を向いた。高位冒険者は不快そうな顔こそしなかったが、これ以上押しても無駄だと理解し、礼をして離れていった。
二人目は若い騎士だった。勧誘ではなく、王都の訓練場を利用しないかという誘いで、リュシアの動きを部隊へ教えてほしいらしい。
「王都へ来られることがあれば、客人として迎えられます。エルフの剣術を学びたい者も多くおりますので」
「私はエルフの剣術を代表できる立場ではありません。私自身の戦い方でよければ、機会があった際に」
否定も約束もせず、可能性だけを残して話を終える。若い騎士はそれで十分満足したように去った。
三人目は商人だった。
「お二人の名を冠した酒を出したいのです。黒碑の英雄酒と銘打ちまして、瓶には黒い石碑と細身の剣、それから六色の術式を――」
「やめろ」
「売上の一部はお支払いします。もちろん王都への献上品にも」
「名を使うな」
「では、姿を直接描かず、連想させる意匠だけでも」
「それも駄目だ」
商人はなおも食い下がろうとしたが、リュシアが笑顔のまま一歩前へ出た。
「私たちの名や姿を使わず、黒碑王墓迷宮を題材にした商品を作ることまで止める権利はありません。ただし、私たちが認めた、薦めた、監修したと受け取られる売り方はお断りします」
「監修料をお支払いする用意は」
「お断りします」
「では、せめて試飲だけでも」
「商品の完成後に、客として考えます」
商人は断られたにもかかわらず、わずかに嬉しそうな顔で去っていった。客として飲む可能性だけを持ち帰ったらしい。
――上手いな。
――全部断ると、別の言い方で戻ってきますから。
――戻ってくると思うぞ。
――あの方は戻ってきますね。
ギルドから宿までの道でも、視線は途切れなかった。
セレイスはもともと冒険者の多い街だ。ダンジョン帰りの血まみれの者も、巨大な魔獣の素材を引きずる者も珍しくない。だからこそ、ただ歩いているだけで人が道を空けることが、エルディアスには鬱陶しかった。
王都の兵士は二人を見て姿勢を正し、よそから来た冒険者は装備を確かめるように振り返る。露店の商人まで、黒碑に名が刻まれたエルフだと隣の者へ囁いた。
通りの向こうでは、子供が六本の指を広げている。
「あの人、六つの大魔法を同時に使ったんだって」
「違う。六属性だよ」
「同じじゃないの?」
「全部一番強いやつだって兄ちゃんが言ってた」
エルディアスは聞こえなかったことにした。
リュシアは少しだけ口元を緩める。
「人気ですね」
「お前もだろ」
「私は石碑に名前が刻まれていますから、仕方ありません」
「俺は仕方なくない」
「六属性すべての上級術式を使い、王都の騎士を指揮して、私と二人で階層主を倒したそうですよ」
「増えてるな」
「王都直属になったという話もあります」
「なってない」
「私たちが第二層攻略を任されたとも」
「候補だ」
「外では、もう決定したことになっていますね」
宿の前にも、一人の女冒険者が待っていた。
「第二層の攻略隊候補に応募しています。私を推薦してもらえませんか」
「できない」
「戦いを見てもらえれば――」
「見てない人間を推薦する気はない」
「では、試験を」
「ギルドに言え」
女冒険者は引き下がったが、その直後には別の若者がリュシアの前へ出た。
「俺は北部で大型魔獣を七体討伐しました。剣も槍も使えます。勇者の条件に合うか、一度見てもらえませんか」
リュシアは表情を変えなかった。
「勇者の選定について、経歴の持ち込みは受け付けていません」
「ですが、石碑にはあなたが選ぶと」
「選ぶ時期も、方法も、私には知らされていません。今ここで面談をして決められるものではありません」
「では、同行すれば可能性は上がりますか」
「そのようなことは申し上げられません」
若者はなおも口を開こうとしたが、エルディアスが間へ入った。リュシアの前を塞いだわけではない。ただ、次に言葉を重ねるならエルディアスへ向けなければならない位置へ立った。
「終わりだ」
若者は周囲から集まる視線に気づき、顔を赤くして離れていった。
「護衛ではないのですよね」
宿へ入ってから、リュシアが小声で言った。
「違う」
「皆さんには、そう見えているようです」
「お前が断っても聞かないからだ」
「助かってはいます」
「ならいい」
「ただし、好意が増えたわけではありません」
「聞いてない」
「念のためです」
宿の主人から鍵を受け取ると、二人宛ての手紙も渡された。商会からの招待、王都の貴族家からの面会依頼、剣術指南の申し込み。女性冒険者からの礼状や、子供が描いたらしい絵まで混じっている。
細身の剣を持つリュシアと、その後ろに六色の炎を浮かべたエルディアスが描かれていた。実際の位置関係も術式の使い方も違っていたが、二人だとは分かる。
「これは、いただいてもよいでしょうか」
「お前宛てだろ」
「二人が描かれています」
「好きにしろ」
リュシアは絵だけを丁寧に抜き、残りの封書を机へ置いた。
純粋な憧れまで拒む理由はない。だが、その憧れと、勇者を選ぶ者として利用したい思惑は、同じ人の群れの中に混ざっている。誰も二人を害そうとしてはいない。誰も明確な敵ではない。それでも、会う者すべてが、二人に役割と居場所を用意し始めていた。
◇
翌日の午後、王都の交渉担当者が二人を訪ねてきた。
場所は宿ではなく、ギルド内に設けられた会議室だった。長机の向こうには査察隊の事務官と、これまで何度か伝令を務めていた連絡官が座っている。ギルド側からはバルドと契約担当者が同席していた。
事務官は最初に、前日の階層主討伐への協力について正式な礼を述べた。
「戦闘記録を確認しました。特に、エルディアス殿の戦術判断と、リュシア殿の遊撃能力について、現場指揮官から高い評価が上がっております」
誰もが絶賛しているわけではない。だが、実際に共闘した騎士や魔導士、記録を読んだ者たちの間では、二人の扱いが明らかに変わり始めていた。
「現在、お二人にはセレイス支部を通じた依頼として、王都の編成や調査へ参加していただいております」
事務官は机の上へ二通の書類を置いた。
「しかし、今後も同じ手続きを続けるより、王都との間に直接の協力関係を設けた方が、双方にとって安定すると考えています」
エルディアスの書類には、王立迷宮査察隊戦術顧問の文字がある。階級を持たず、現場指揮官へ助言を行う特別職。固定報酬に加え、任務ごとの手当、装備の支給、王都管理下の資料閲覧権が付く。
リュシアの方には、王都客賓としての保護と待遇が記されていた。王都内の住居、護衛、生活費、装備費の負担。勇者選定に関する調査や会議へ出席する際も、王国側が身分を保証する。
「専属は断る」
エルディアスが書類を置いた。
「現時点では、専属という言葉は使用しておりません」
「王都の要請を優先し、他の依頼を受ける際は事前に報告する。十分専属だ」
事務官は反論せず、該当箇所へ目を落とした。
「では、その条項は削除できます。エルディアス殿がセレイスを拠点としていることも承知しております。王都への移住を必須条件とする考えはありません」
「王都へ移る気はない」
「セレイス駐在という形も可能です」
「指揮系統は王都だ」
「王国が報酬を支払い、権限を与える以上、完全に自由な立場というわけにはまいりません」
穏やかな返答だった。誤魔化してもいない。だからこそ、交渉の余地と譲れない線が分かりやすい。
リュシアは自分の書類を閉じた。
「私への保護についても、確認させてください。王都での住居を利用する場合、王都の許可なく長期間離れることはできないとあります」
「行方を把握できなければ、保護が成立しませんので」
「では、保護を受ける代わりに、行動の管理を受けるということですね」
「危険が予測される以上、一定の制約は必要です」
「理屈は理解できます。しかし、勇者を選ぶ役割を与えられたからといって、私の居住地や行動を王都が決めることには同意できません」
事務官はしばらく黙り、二通の書類を重ねた。
「お一人ずつの契約では、難しいようですね」
隣の連絡官が、別の書類を取り出した。
「そのため、別案も用意しております。お二人を一組の特別協力者として登録する案です」
一枚目には、二人を別々に扱うことが難しい事情を考慮し、同一契約の対象とすると記されている。任務の受諾と辞退は原則として二人の合意で行い、一方だけを強制的に召集しない。宿泊、食事、装備、薬品、修理費を王都が負担し、黒碑王墓迷宮の調査へ優先的に参加できる。
一人ずつ引き離せないと分かり、二人まとめて扱うことにしたらしい。
「期間は」
エルディアスが尋ねた。
「黒碑王墓迷宮の脅威が収束するまでです」
「期限になってない」
「収束時期を予測できないためです」
「なら断る」
事務官はわずかに眉を寄せたが、声は変わらなかった。
「一年ごとの更新ではいかがでしょうか」
「自動更新は」
「異議がなければ継続となります」
「毎年断る理由を出させる契約だな」
「王都としては、継続的な協力を望んでおります」
回りくどくはあるが、意図を隠してはいない。
リュシアは契約書の後半へ目を通した。
「呪いの調査に関する項目があります。協力の範囲を説明してください」
「問診、魔力測定、既知の術式による反応確認を想定しています。危険な施術は行いません」
「身体へ触れる検査や、呪いへ直接術式を作用させる場合は、都度同意を求めますか」
「契約上の調査協力に含めたいと考えています」
「それでは同意できません。情報提供と、身体や呪いを自由に調べさせることは別です」
「調査内容を事前に提示し、拒否権を認める形ならば」
「その場合でも、拒否を契約違反として扱わないと明記してください」
事務官が契約担当者へ視線を送り、修正点を記録させた。
王都への移住は不要。任期は一年。自動更新は削除。調査は都度同意。条件は少しずつ二人へ近づいていたが、それでもエルディアスには受け入れる理由がなかった。
「協力と所属は別だ」
「では、所属を伴わない任務ごとの契約であれば」
「今までどおり、ギルドを通せ」
「現在の形式では、依頼を出すたびに支部との調整が必要になります」
「そのためのギルドだろ」
隣でバルドが小さく息を吐いたが、否定はしなかった。
事務官はエルディアスからリュシアへ視線を移した。
「リュシア殿も、同じお考えでしょうか」
「はい。第二層の調査が必要であることは理解していますし、協力する意思もあります。しかし、参加することと、王都へ所属することを同じ条件にはしないでください」
「承知しました」
交渉は決裂しなかった。契約も成立しなかった。
王都側は書類を持ち帰り、当面は従来どおりギルドを通じて依頼を出すと約束した。
会議室を出ると、廊下の窓からギルド前の広場が見えた。王都の荷車が並び、その周囲を兵士と人足が行き交っている。第二層へ持ち込む縄、灯火石、杭、保存食、治療用の担架が、分類ごとに積み上げられていた。
――断り切りましたか。
リュシアの念話が届く。
――直接契約はな。
――ギルド依頼は続きますね。
――止める気はないだろ。
――王都の判断は、間違ってはいません。
――分かってる。
黒碑王墓迷宮の信託が魔王の出現を示している可能性がある以上、王都が二人を放置できないのは当然だった。今回の階層主戦だけでも、二人が混成隊へ入ることで戦線は安定した。第二層で何が待っているか分からない状況なら、なおさら手元に置きたいと考える。
合理的だからこそ、拒絶しづらい。
◇
翌朝、宿の食堂で朝食を取っていると、ミュリカが封書を持って現れた。
「おはようございます。ギルドからの依頼です」
「早いな」
「王都から、昨夜のうちに正式な協力要請が来ました」
ミュリカは二人の前へ、セレイス支部の印が押された依頼書を置いた。依頼主の欄には王立迷宮査察隊、仲介者の欄にはセレイス冒険者ギルド支部と記されている。
依頼内容は、第二層第一次攻略への参加。
受諾期限は翌日の昼だった。
「正式な攻略隊はまだ決まっていないのでは」
リュシアが尋ねる。
「最終決定前です。依頼を受けるかどうか確認したうえで、編成を確定するそうです」
「順番が逆じゃないか」
「普通はそうですね」
ミュリカは言いにくそうに、もう一枚の書類を差し出した。
「こちらが、添付されていた編成案です」
最上部には、第二層第一次攻略隊と記されている。総員二十四名。指揮官を含む六名単位の通常隊が三つ、その周囲を支える特殊要員が六名。
中央配置の欄に、エルディアスの名があった。
エルディアス・ロウ・グレイヴェル。アライアンス戦術補佐。全体の地形把握、危険察知、術式による進路および戦闘環境の調整。現場指揮官へ随時助言を行う。
前衛にも後衛にも属していない。複数の隊を見渡せる位置を確保する前提で、その周囲の護衛まで指定されていた。
リュシアの名は、遊撃要員の先頭に置かれている。
リュシア・フェル・ノルディア。遊撃、先行確認。高機動を用いた危険箇所の確認および敵性存在の誘導。行動範囲は現場判断を優先し、各隊はその報告に応じて進路を変更する。
二人の備考欄は一つにまとめられていた。
相互の連携を維持できる配置を優先すること。分離運用は原則として行わない。
「昨日、参加すると答えていませんね」
リュシアが編成表を読みながら言った。
「ああ」
「ですが、ほかの方の配置まで決まっています」
「案だからな」
「お二人が断った場合は、全体を組み直すそうです」
ミュリカの言葉に、エルディアスは依頼書へ目を戻した。
断ることはできる。少なくとも、書面の上ではそうなっていた。
ただし、二人が断れば二十二名の配置が崩れ、攻略日程が遅れ、王都とギルドが積み上げた準備にも影響が出る。それを理解したうえで拒否しなければならない。
編成表の最後には、一文だけ追記されていた。
参加困難の場合は、代替編成の準備に必要なため、速やかに申し出ること。
どこにも、参加してほしいとは書かれていない。
王都は二人を直接縛る契約を結べなかった。だから今までどおり、ギルドから依頼を出した。
そして、受ける前提で残りの配置を決めていた。
名を得たことで、選べる道が増えたわけではない。
周囲が二人を必要とするほど、断ることにも、以前にはなかった重さが生まれていた。




