閑話 1頁
セレイスは、いい街だと思う。
海はきれいだし、食べ物もおいしい。護衛の仕事が終わったら少し休んで、次にどこへ行くかは、それから決めるつもりだった。
この街が気に入れば残ればいいし、ほかへ行きたくなれば出ていけばいい。
そのはずだった。
王都の査察隊がダンジョンでひどい目に遭ったとは聞いていた。それでも、私たちは誰も欠けずに帰れた。
だから、次も帰れると思った。
間違いだった。
階層主は強かった。グレンたちは倒れ、私もあと少しで動けなくなっていた。斬っても傷は塞がり、息を吸うたびに胸が痛んだ。
振り返るのが怖かった。次に見た時、誰かがもう動かなくなっているかもしれなかったから。
あのままなら、たぶん全員死んでいた。
そこへ、知らない男が突然現れた。
エルディアス・ロウ・グレイヴェル。
最初の印象はサイアクだった。
会って早々、私が魔法を使えないと知って、あの混乱の中で大声を上げた。本人は驚いただけなのだろう。ただ、昔から散々「エルフのくせに」と言われてきた私は、口にされてもいない言葉を勝手に補った。
その直後には、妙な呪いをかけられた。
エルの左手薬指から伸びた黒い糸が、私の左手薬指に繋がった。気味が悪かったけれど、何なのか考えている暇はなかった。
それから、私自身も知らなかったオドを勝手に使われた。
少なくとも、私はそう思っている。
奮発したローブは焦げた。剣までひびだらけになった。
ただ、そのおかげで階層主を倒せた。
倒れていた皆は、息をしていた。
その時だけは、本当に力が抜けた。立っているのがやっとだった。
そのことには感謝している。
とても感謝している。
弁償はしてもらうけれど。
階層主を倒した後に降りた信託もサイアクだった。
勇者。魔王。私が勇者を選ぶ。
信託の内容を、そのまま自分の言葉にして口にするのは、思っていたより難しかった。意味は分かっている。けれど、突然与えられたものへの驚きと、言葉にしなければならない焦りで、うまく声が出なかった。
そんな私に、エルが話しかけてきた。あの時の言葉は、今でもはっきり覚えている。
私はその声に答えるように、一つずつ言葉を選んだ。目の前のエルに話しかけるように、信託の内容をどうにか伝えようとしていたのだと思う。
入口へ戻ると、石碑は黒くなり、私の名前まで刻まれていた。
とても嫌な感じがした。
自分の名前なのに、もう自分だけのものではなくなったように見えた。
これ以上サイアクなことがあってたまるかと思った。
けれど、あとで知った呪いの詳細はもっとサイアクだった。
離れすぎれば心の声が漏れる。相手への感情は発動した時のまま変わらない。相手には本当のことしか言えず、例外は一生に一度だけ。そして、一生解けない。
なに、これ。
何度考えても意味が分からない。
昨日まで知らなかった男と、どうしてそんなものを一生背負わなければならないのだろう。
心の中まで聞かれるかもしれない。言いたくないことがあっても、嘘をついて隠すことはできない。遠くへ離れれば、自分の心まで勝手に覗かれる。
考えるほど息が詰まった。けれど、エルは少しも申し訳なさそうに見えない。
エルがいなければ、私たちは死んでいた。戦いでは信用できるし、悪い人でもないのだろう。
ただ、なんというか、印象がよくない奴。
今のところ、エルはそういう感じだ。
その印象だけは、この先も変わらないらしい。
随分と意地の悪い呪いだと思う。
私はただ、自由に生きたかった。
仕事を選び、行きたい街へ行き、嫌になれば別の場所へ移る。それだけでよかった。
なのに、勇者を選べと言われ、昨日まで知らなかった男と黒い糸で繋がれ、もう好きな時にこの街を出ることすらできない。
セレイスは、いい街だ。
だから残るのなら、自分で選びたかった。
何かが始まってしまったような気がする。
けれど、それは私が望んで始めたものではない。
まるで私のものではない物語に、名前だけを書き込まれてしまったようだった。




