第17話 査察
冒険者ギルドの前には、見慣れない馬が六頭つながれていた。どれも長い街道を急いできたらしく、腹まで乾いた泥が跳ね、鞍の脇には濃紺の布包みと筒形の書類入れが下がっている。
入口脇に立つ二人の外套には、銀の方位盤と、その中央を貫く黒い杭が縫い取られていた。王立迷宮査察隊の紋章だった。
先を歩いていたギルド職員が扉を開ける。中へ入ると、普段なら依頼票の前を占めている冒険者たちは壁際へ寄り、受付の奥を窺いながら声を潜めていた。
受付にいたミュリカが二人へ気づき、帳面を閉じた。
「二階の会議室です。ギルド長も待っています」
「ほかの連中は?」
「動ける方には連絡を回しています。まずは、お二人から話を聞きたいそうです」
エルディアスは頷き、リュシアとともに階段へ向かった。
ローブも剣も《錆びない鹿》へ預けたリュシアは、外套の前を首元まで留めている。腰に剣がないためか、ときおり左手が何もない剣帯の辺りへ動いていた。
会議室には、バルドと王立迷宮査察隊の者が三人いた。
卓の奥に座る男は、四十をいくらか越えた頃に見えた。短く刈った黒髪には街道の埃が残り、外套の肩口も白く汚れている。腰に下げた剣は飾りではなく、鞘にも柄にも使い込まれた痕があった。
その隣には、灰色の上着を着た女がいる。武器は持たず、卓の上には厚い記録帳と何枚もの紙を広げていた。もう一人の若い男は壁際に立ち、筆記板を抱えている。
バルドはいつもの革の上着のまま、査察隊と入口の間に座っていた。その隣へミュリカが入り、新しい頁を開く。
「リュシア・フェル・ノルディア。エルディアス・ロウ・グレイヴェルだ」
バルドが紹介すると、黒髪の男は席を立った。
「王立迷宮査察隊の第二陣を率いる、ロウェン・カルドだ。急に呼び戻してすまない」
ロウェンはリュシアへ先に頭を下げ、それからエルディアスと手を握った。掌は硬く、指の付け根には剣だこがある。
「王墓には街へ入る前に寄った。石碑も見ている。昨夜届いた報せと、ギルドがまとめた記録にも目を通した。分かっていることを、最初から話させるつもりはない」
ロウェンは席へ戻り、手元の紙を一枚めくった。
「紙に残っていない部分だけ確認したい。まず、リュシア・フェル・ノルディア。信託を告げた後も、何かを口にさせられるような感覚は残っているか」
「ありません」
「誰かを選ばなければならないという切迫感や、特定の人物へ近づきたいという衝動は?」
「どちらもありません」
「魔王や勇者について、石碑に刻まれた以上のことが分かったということもない?」
「はい。何も分かっていません」
ロウェンはそれ以上続けず、灰衣の女へ目を向けた。
女が卓上の報告書を指で押さえる。
「次に、第一層主を倒した時の付与について伺います。火、風、光。三つの中級術式を剣へ重ねたとありますが、通常の遠隔付与ではなかったのですね」
「俺に残っていた呪いを使った」
エルディアスが答えると、女の指が止まった。
「どのような呪いですか」
「人払いのダンジョンで受けたものだ。王都には当時、報告を出している」
灰衣の女は若い記録官を振り返った。男が筆記板の端へ何かを書き添える。
「照合できる記録があるのですね」
「ああ。リッチ・クイーンから受けた未発動の呪いで、対象者と強い繋がりを持つものだと報告した。そこまでの経緯は、そっちの記録を参照してくれ」
「分かりました。では、今回の発動後に判明したことだけ確認します」
女は紙を替えた。
「戦闘中、何ができると分かったのですか」
「呪いを介せば、離れていても付与が届く。付与の効果も通常より高くなる。それから、解く方法はない」
「その三点は、昨日こいつらから聞いた内容と同じだ」
バルドが言い添える。灰衣の女は短く頷き、三行を書き留めた。
「その呪いを利用して、リュシアさんの剣へ三つの術式を通した」
「そうだ」
「その結果、剣が階層主の核を破壊できるところまで強化された」
「剣だけじゃない。あいつが核まで届かなければ意味はなかった」
エルディアスが言うと、女はリュシアへ視線を移した。
「対象者との強い繋がりを持つ呪いが、勇者を選ぶよう名指しされた方との間で発動した。そして二人で第一層主を倒した」
女は書きかけの筆を止めた。
「エルディアス・ロウ・グレイヴェルが、勇者である可能性はありますか」
「ありません」
リュシアは即座に答えた。
声を荒らげたわけではない。しかし、考える間も、言葉を選ぶ様子もなかった。
灰衣の女が顔を上げる。
「可能性もないと?」
「ありません。エルディアスは勇者ではありません」
一度目よりも明確な否定だった。
エルディアスは口を挟まなかった。ただ、卓上の一点へ目を落としている。バルドも何も言わず、ミュリカの筆だけが帳面の上を動く。
ロウェンがリュシアをしばらく見た後、記録官へ告げた。
「選定者本人による明確な否定として残せ」
「はい」
若い男が書き留める。灰衣の女も、それ以上の理由は尋ねなかった。
「現時点で、勇者を選ぶつもりは?」
ロウェンが尋ねる。
「ありません。何をすれば選んだことになるのかも、選んだ結果として何が起きるのかも分かっていません」
「選定そのものを拒んでいる?」
「意味と結果が判明するまで、行わないということです」
「分かった」
ロウェンは紙の余白へ自ら一行を書き加えた。
「信託については以上だ。次は転移罠と階層主部屋の構造を確認したい」
そこからは、エルディアスが答えることの方が多くなった。
分岐の先にあった閉じた部屋。踏み込んだ直後の転移。先に閉じ込められていた五人。階層主の再生と、胸の奥にあった核。遠隔付与がリュシアの動きへ追いつかなかったこと。火を残して再生を妨げ、風で動きを補い、最後に光を重ねたこと。
ロウェンたちは途中で何度か問いを挟んだが、すでにある報告と重なる部分は深く追わなかった。灰衣の女が確認したのは、罠の位置と発動範囲、階層主の再生速度、核が露出した条件といった、次に中へ入る者が必要とする情報だけだった。
一通り答え終える頃には、窓から差し込む光の角度が変わっていた。
ロウェンは記録を閉じた。
「当面、黒碑王墓迷宮の封鎖は維持する。第二層へは誰も入れない」
「王都から正式な指示が来るまで、そのつもりだ」
バルドが答える。
「俺たちも入らない」
その言葉に、バルドが眉を動かした。
「そのために再編されてきたんじゃないのか」
「街道を進んでいた途中まではな」
ロウェンは椅子の背へ身体を預けた。
「第一層が攻略されたと知った時点で、調査から聴取へ切り替えた。その後、勇者と魔王の刻銘が王都へ届いた。今朝、中継塔で新しい命令を受けている」
「何と?」
「現状を保全し、本隊の受け入れを準備しろ」
会議室の空気がわずかに変わった。
バルドの声が低くなる。
「本隊の規模は」
「正確なところは知らされていない。だが、査察官を何人か追加するという話ではない。護衛、解析、封鎖資材、宿営と補給。王都はここへ、しばらく居座れるだけの人間と物を送るつもりだ」
「ギルドへ何をさせる気だ」
「それを決めるのは俺じゃない」
ロウェンは視線を逸らさなかった。
「だから、決められる前に必要な記録を揃えている。少なくとも、現場を知らない連中の思いつきだけで第二層へ人を入れさせないためにな」
バルドは腕を組み、しばらく黙った。王都の人間へ向ける顔としては、わずかに険しさが薄れたが、警戒を解いたわけではなかった。
「本隊はいつ来る」
「王都を出た時刻までは分からない。だが、すでに動いている」
ロウェンは卓上の紙をまとめ、若い記録官へ渡した。
「俺たちは第二陣として来た。第一陣の失敗を引き継ぎ、ダンジョンへ入るためにな」
濃紺の外套の胸で、銀の方位盤が光を返す。
「だが今は、これから来る本隊の先触れにすぎない」
聞き取りを終えて一階へ下りると、受付前にはすでに新しい帳面が広げられていた。
ミュリカとは別の職員が、査察隊の男から宿屋の部屋数、空いている厩、荷車を置ける倉庫の場所を聞き取っている。壁際では別の職員が街の地図を広げ、王墓までの道と港へ続く大通りへ印を付けていた。
まだ本隊の姿はない。
それでも、王都が来る場所だけは、先に作られ始めていた。
昨日のPVがいつもの倍ありました。嬉しいものですね。




