第16話 弁償
《錆びない鹿》の軒先では、鉄板から切り抜かれた鹿が海風に揺れていた。
リュシアが先に扉を開け、エルディアスがその後に続く。店内には革をなめす薬品と油、それに削った金属の匂いがこもっていた。
奥の作業台では、ザックが革紐の金具を打ち直していた。扉の音に顔を上げ、リュシアを見て軽く顎を上げた。その後ろからエルディアスが入ってきたところで、振り下ろしかけていた槌が止まった。
「これはどういう組み合わせだい?」
「修理をお願いします。費用はこちらの方へ」
リュシアがエルディアスを示した。
外套を脱いで近くの椅子へ掛け、その下に着ていた青灰色のローブも脱ぐ。作業台の上へ丁寧に広げると、裾の裂け目や肩口の傷が見えるように布を整え、左袖の焼けた箇所をザックの方へ向けた。
それで終わりかと思いきや、今度は腰の剣帯を外した。細身の剣を鞘ごとローブの隣へ置き、何事もなかったように手を引く。
エルディアスが剣を見た。
「待て」
「何でしょう」
「剣は聞いてない」
「今、お伝えしています」
「そういう話じゃない。ローブは分かる。剣まで俺に払わせる気か」
リュシアはすぐには答えなかった。わずかに肩を落とし、傷んだローブへ目を伏せてから、静かに息をつく。
「私にあんなことをしておいて、あなたは剣のことまでは知らないとおっしゃるのですか」
責めるというより、信じられない言葉を聞いたような声音だった。ザックの眉が上がる。
「おい、言い方を考えろ」
リュシアは困惑したように小さく首を傾げた。
「何か間違っていますか。何をするのかろくに説明もせず、あんなことをしたのはあなたでしょう」
「だから、言い方を……」
「助けていただいたことには感謝しています」
リュシアはそこでようやく顔を上げ、エルディアスへ穏やかに微笑みかけた。感謝を伝える表情としては申し分ない。だが、伏せていた目を上げる間も、声をわずかに和らげる頃合いも、妙に整いすぎている。
「何をされるのかも分からないまま、あなたに言われたとおりに戦いました。気づけばローブも剣もこの有様です」
裂けたローブの裾を指先でなぞり、そのまま隣の剣へ視線を落とす。ザックにもよく見えるように二つの損傷を示してから、リュシアは再びエルディアスを見つめた。
「最後に剣を突き込んだのはお前だ」
「はい。あなたに突けと言われましたから」
リュシアは素直に頷いた。言葉にも表情にも嘘はない。それだけに、エルディアスには反論のしようがなかった。
口を開きかけたまま黙り込んだ彼を見て、リュシアはほんの少し眉尻を下げる。
「負担していただけるのですね」
「話を飛ばすな」
「飛ばしていません。あなたのお考えを確認しているだけです」
声音は最後まで穏やかだった。だが、エルディアスには、その表情がザックにどう見えるかまで計算されていることが分かった。
ザックは作業台に並んだローブと剣、それから二人を順に眺めていた。口元が少しずつ緩んでいく。
「エル。何をしたのかは聞かないが、今の話だけなら、お前さんの分が悪いね」
「言い方に乗せられるな」
「乗せてなどいません。起きたことを分かりやすい順番で申し上げただけです。反論があれば、どうぞ」
「……剣は聞いてない」
「先ほどから、それしかおっしゃっていませんね、エル」
最後だけ普段の呼び方へ戻され、エルディアスは眉間の皺を深くした。
ザックがとうとう声を漏らして笑う。
「こいつは一本取られたね。まあ、まずは状態を見せてみな。いくら掛かるかも分からないんじゃ、払うも払わないも決められないだろう」
「払うとは言ってない」
「まだ、ですね」
リュシアは平然と剣をザックの方へ押し出した。
ザックは鞘から剣を抜き、刃を灯りへかざした。細身の刃全体に細かなひびが走り、切っ先に近い箇所では、それがひときわ深くなっている。指先で刃へ触れることはせず、角度を変えながらしばらく状態を確かめた。
「ずいぶん無茶をさせたね。何を突いたんだい」
「階層主の核です」
「なるほど。こいつで硬い核を貫いたなら、よく折れずに戻ってきたと言うべきか」
「直りますか」
「うちは防具屋だよ。剣そのものは馴染みの鍛冶屋へ回すことになる。芯まで割れていなければ打ち直せるだろうが、駄目なら買い替えだね」
「費用は?」
「まだ分からない。だが、安くは済まないよ」
リュシアがエルディアスへ目を向ける。
「だそうです」
「聞こえてる」
ザックは楽しそうに剣を鞘へ戻し、次にローブへ手を伸ばした。裾の裂け目を一つずつ指で開き、肩口の傷から左袖へと確認していく。焼き切れた銀糸をつまみ上げたところで、表情がわずかに変わった。
「布の傷は戦っていれば付く程度のものだ。裾と肩は継ぎを当てれば直せるし、血と煤も多少跡が残るくらいで落とせる。問題はこっちだね」
ザックは黒く縮れた銀糸の先端を示した。
「ただ表を焦がしただけじゃない。銀糸の中まで、補助術式とは別の魔力が通った跡だ」
「剣に火の付与を受けました。その時に切れたのだと思います」
「この銀糸は、足運びを軽くする術式をローブ全体へ巡らせるためのものだよ。火を通すための道じゃない。よく一本で済んだね」
「急いでいた」
「お前がそう言う時は、だいたい何かが壊れてるね」
「今回は私のローブと剣でした」
「剣まで俺のせいにするな」
「先ほどのお話を最初から繰り返しましょうか」
「……いや、もういい」
ザックは笑いを堪えるように鼻を鳴らし、銀糸の焼け跡を裏側から確かめた。
「元どおりに直すだけならできる。だが、また同じ方法で付与を受けるつもりなら、同じところが切れるよ。今度は周りの銀糸まで巻き込むかもしれない」
「防ぐ方法はありますか」
「左の袖口から肩まで、今の補助術式とは別に一本通す。少し太い銀糸を使って、負荷が大きすぎた時には途中の継ぎが先に切れるようにしておけば、全体へ回り込むのは防げるだろうね。切れた部分だけ交換できるようにもしておく」
「動きに影響は?」
「お前さんなら、ほとんど気にならない程度だ。次も同じ側から付与を受けられるならね」
リュシアがエルディアスを見る。
「左で問題ありませんか」
「左でいい」
「次は先に説明してください」
「時間があれば」
「時間がなくても、一言くらいは伝えられるでしょう」
「分かった」
「本当に?」
「分かった」
ザックが銀糸から顔を上げた。
「そういや、例の石碑に刻まれたリュシア・フェル・ノルディアってのは、お前さんのことなんだろう?」
「ええ。私の名前です」
「勇者を選ぶと刻まれたそうじゃないか」
「そう刻まれました」
ザックは一度頷き、リュシアの隣に立つエルディアスへ目を移した。
「それで、そのお前さんがエルと一緒に現れたわけだ。まさか、こいつが勇者なのかい?」
「またか」
「また?」
「今朝、神殿の方にも同じことを聞かれました」
リュシアが説明すると、ザックは納得したように顎を撫でた。
「そりゃあ聞かれるだろうさ。勇者を選ぶと刻まれたお前さんが、エルを連れているんだからね」
「エルを連れてきたのは、弁償していただくためです。まだ誰も選んでいませんし、何をすれば選んだことになるのかも分かっていません」
「そうかい。なら、俺が考えても仕方ないね」
ザックはあっさりと勇者の話を切り上げ、指を折りながら修理内容を数えた。
「裾と肩の補修、洗浄、銀糸の引き直し。それに付与用の導線を一本追加する。急がないなら金貨四枚。今日中に戦える状態まで戻すなら五枚だ。剣の方は鍛冶屋に見せてからになる」
「今日中でお願いします」
「高いな」
「このローブがいくらすると思ってるんだい。元の術式を壊さず、別の銀糸まで仕込んで、今日中に仕上げるんだ。金貨五枚なら安い方だよ」
「では、ローブは金貨五枚。剣の分は後ほどですね」
リュシアが確認する。
「そうなるね」
「エル」
「聞こえてる」
「では、お願いします」
エルディアスは腰の革袋を外し、作業台へ置いた。ザックが中身を数え、金貨五枚を箱へ移す。
「剣の分はまだ払ってないからな」
「負担の割合は、金額を聞いてから決めましょう」
「全部取る気だろ」
「勝手に判断しないでください」
ザックは笑いながら革袋をエルディアスへ返した。
「ずいぶんと相性のいい相手を見つけたじゃないか、エル」
「どこを見て言ってる」
「お前がこれだけ言い返して、まだ店から逃げてないところさ」
エルディアスは答えず、作業台の剣へ目を落とした。
その時、店の扉が勢いよく開いた。吊り下げられた呼び鈴が激しく鳴り、若いギルド職員が息を切らしながら入ってくる。
「エルディアスさん、リュシアさん。こちらにいらしたのですね」
「何かありましたか」
リュシアが尋ねると、職員は一度息を整えた。
「お二人とも、すぐにギルドへお戻りください。王都から来た方々が、先ほど到着しました」
「王立迷宮査察隊か」
「はい。第一陣の再編部隊です。第一層討伐と信託について、当事者から直接話を聞きたいとのことです。ほかの皆さんにも連絡を回していますが、お二人は必ず同席させるようにと名指しで要請されています」
「もう待っているのか」
「ギルドの会議室でお待ちです。到着したばかりですが、できるだけ早く話を始めたいそうです」
リュシアは作業台へ広げられたローブと剣へ目を落とした。
「このまま預けて問題ありませんか」
「必要な確認は済んだよ。ローブは夕の鐘を過ぎる頃までに何とかする。剣は鍛冶屋から返事が来たらギルドへ知らせよう」
「お願いします」
リュシアは椅子へ掛けていた外套を羽織り、留め具を締めた。エルディアスも革袋を腰へ戻す。
「剣の費用については、後で続きをお話ししましょう」
「まだやるのか」
「当然です」
「王都の連中より面倒だな」
「聞こえていますよ」
ザックが片手を振った。
「続きは帰ってからにしな。王都の連中を待たせて、防具屋で修理代の言い争いをしていたとは言えないだろう」
「言い争いではありません。費用負担の確認です」
「どっちでもいいから、早く行きな」
二人はギルド職員に続いて店を出た。通りには荷車の車輪と商人たちの声が行き交い、その向こうに冒険者ギルドの建物が見えている。
王都から来た者たちが、そこで待っていた。
今のところもう少しの間は1日1話でいけそうです。物語はきちんと最後まで書くよー(過労で倒れなければ)




