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ルールの多いダンジョンの中で  作者: 苦楽雅
第1章 第一層
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第12話 尋問

 扉を叩く音は、リュシアの言葉が消えるより早かった。


「お話は終わりましたか」


 扉の向こうから、ミュリカの声がした。


「終わった」


「終わっていません」


 エルディアスとリュシアの返事が重なった。扉が細く開き、眼鏡の奥からミュリカが二人を見比べる。猫族の耳が一度だけ左右へ向いた。


「では、終わっていない方は後で続きをお願いします。外で待っている方にも、終わらせなければならない話がありますので」


「誰だ」


「ギルド長です。それから、ギルドの外にいる大勢です」


 最後の一言だけ、声が少し低かった。


 ミュリカが扉を大きく開けると、その後ろにセレイス冒険者ギルド長、バルド・ハインが立っていた。白髪の混じった短い髪に、厚い革の上着。右手の小指は途中からなく、その古い傷をエルディアスは何度も見ている。


「相変わらず、面倒事の真ん中から帰ってくるな、エル」


「今回は俺が真ん中へ飛ばされた」


「言い訳まで昔と変わらんな」


 バルドはそう言ってから、リュシアへ視線を移した。


「セレイスのギルド長、バルド・ハインだ。休ませてやりたいところだが、今夜のうちに確認しなければならん」


「リュシア・フェル・ノルディアです。構いません」


 リュシアが立ち上がろうとすると、バルドが片手で制した。


「座ったままでいい。エルもだ。立っていられる顔をしていない」


「立てる」


「知ってる。立った後で倒れることもな」


 エルディアスは反論を諦め、椅子へ座り直した。バルドも机を挟んだ向かいへ腰を下ろす。


 ミュリカが机の上へ紙を置いた。そこには、黒く変わった石碑から書き写された三つの文が並んでいた。


 勇者が魔王を倒す。


 リュシア・フェル・ノルディアが勇者を選ぶ。


 三王、勝者の歴史のみが続く。


 小部屋の灯火が揺れ、紙の上の文字をわずかに歪ませた。


「この三文で間違いありませんか」


 ミュリカが尋ねた。


「ありません」


 リュシアは迷わず答えた。石碑へ文字が刻まれるところを見てはいない。それでも、階層主の核を砕いた直後に自分の内側へ落ちてきた意味と、紙の上の言葉は一致していた。


「順序も?」


「その順序です」


 ミュリカが記録紙の端へ印をつける。


「王墓脇新規迷宮という仮称は、今夜で廃止する」


 バルドが言った。


「白かった石碑が黒くなり、第一層の信託も確認された。王都へ送る報告では、黒碑王墓迷宮と記す」


「名前を決めるのは早いのですね」


「書類は待ってくれない」


 リュシアの視線がミュリカへ移った。


「私ではありません」


「私もまだ何も言っていません」


「目が言っていました」


 ミュリカは眼鏡を押し上げ、黒碑王墓迷宮と記した。


 バルドは三つの文を見下ろしたまま、指先で机を一度叩いた。


「最初の文は、過去の英雄譚と同じだ。だが、これから起きることにも読める」


「未来のことだと?」


「分からん。分からんから王都と神殿へ送る。勝手な解釈は添えず、三文をそのまま伝える」


「それがいい」


 エルディアスが言うと、バルドは短く頷いた。


「三つ目の『三王』に心当たりは?」


 問いを向けられたリュシアは、首を横に振る。


「ありません」


「エルフの古い伝承にも?」


「少なくとも、私が知るものにはありません」


「では、二つ目だ」


 バルドの指が、リュシアの名の上で止まった。


「勇者を選ぶとは、何をすればいい」


「分かりません」


「信託を受けた時、方法は示されなかったのか」


「言葉だけです。誰を、どのように、いつ選ぶのかは何も」


「すでに誰かを選んでいる可能性は?」


「ありません」


 バルドの視線がエルディアスへ動く。リュシアの左手薬指から伸びる黒い糸は、机を通り抜けてエルディアスの左手へ結ばれている。バルドにもミュリカにも見えていない。それでも、階層主戦で二人の間に何かが起きたことは、すでに報告されていた。


「エルではないのか」


「違います」


 そこには、考える間さえなかった。


「ずいぶん言い切るな」


「エルディアスは勇者ではありません」


「俺もそう思う」


「あなたの意見は聞いていません」


 バルドは二人を見比べ、記録紙へ目を落とした。


「階層主を倒すために、リュシアへ特殊な付与を行った。無関係とは言えんだろう」


「関係があることと、勇者であることは別だ」


「そこだけは意見が合うのですね」


 ミュリカが言った。


「なら、確かめる方法はある」


 バルドがリュシアを見た。


「一度、こいつを勇者として選ぶと宣言してみろ。石碑か、本人か、お前自身に何か変化が起きれば、選定の方法を絞れる」


 エルディアスが口を開きかけた。


 ――黙っていてください。


 黒い糸を通じて、リュシアの声が届いた。


 ――何も言ってない。


 ――試すだけなら構わない、と言うところでした。


 エルディアスは口を閉じた。また、彼女の返事を先に言おうとしていた。


「断ります」


 リュシアはバルドへ向き直った。


「エルが勇者ではないからか」


「それ以前の問題です。何が起こるか分かりません」


「だから確かめる」


「結果を背負うのは、あなたではありません」


 声を荒らげたわけではない。それでも、バルドの指が紙の上で止まった。


「勇者が何を意味するのかも、選ばれた者に何が課されるのかも分かっていません。本人に説明できず、返事も得られない状態で、試すためだけに役目を負わせるつもりはありません」


「分かった」


 バルドは短く答えた。ミュリカが記録紙へ筆を走らせる。


「現時点では、勇者の選定を拒否、と」


「違います」


 リュシアが止めた。


「選ぶことそのものを拒んだのではありません。何も分からないうちに、誰かを選ぶことを拒みました」


 ミュリカは書いた文字を二本の線で消し、改めて記し直す。


「意味と結果が判明するまで、選定を行わない」


「それでお願いします」


 バルドが息を吐き、今度は別の記録紙を机へ置いた。


「次に、階層主戦で使った術についてだ。同行者からは、聞き取れない詠唱と誓いのあと、離れたリュシアへ付与が通ったと聞いている。発動の手順は後回しだ。まず、今どうなっているのかを答えろ」


「俺が持っている呪いを使った」


 バルドの目が、エルディアスの顔の左半分へ一瞬向いた。そこに残る浅黒い痕を見て、その目がわずかに細くなる。だが、何も言わなかった。


 長い付き合いの中で、バルドはその痕が治療でも消えないことを知っている。ただし、その由来までエルディアスが話したことはなかった。


「その呪いを介して、離れたままリュシアへ付与術をかけられる」


「効果が異常に高かったという証言もある」


「この呪いを介した付与は、通常より効果が高まるようだ」


「解除は?」


「できない」


「一時的に止めることも?」


「分からない。少なくとも、解く方法はない。一生だ」


 バルドの眉間に深い皺が寄った。ミュリカの筆も一瞬止まったが、すぐに動き出す。


「他にも効果があるのか」


「ない。今話した三つだけだ」


 エルディアスは淀みなく答えた。バルドへ向けた言葉は、制約の外にある。


 バルドは二人を見比べた。


「発動の手順については、日を改めて聞く」


 二人は答えなかった。


「今夜はそれでいい」


「今夜は、ですか」


「王都から人間が来れば、同じ答えで引き下がるとは思わん方がいい」


「王都から来なければ、神殿から来ます」


 ミュリカが付け加えた。


「おそらく両方来る」


「こっちへ来る前に、主導権で揉めそうだな」


「同じ言葉を自分たちのものだと思っている者同士ですから」


「面倒だな」


「すでに書類が七枚増えました」


「そっちか」


「こちらも十分に面倒です」


 バルドは立ち上がり、三枚の記録紙を揃えた。


「黒碑王墓迷宮は、今夜から完全封鎖する。王都の指示が届くまで、誰も入れん。お前たち二人には、しばらくセレイスに残ってもらいたい」


「命令か、バルド」


「今の俺に命令する権限はない。だから頼んでいる」


「断ったら?」


「町を出る前に、もう一度頼む」


「追いかける気だろ」


「付き合いが長いと話が早くて助かる」


 エルディアスは椅子の上で肩を落とした。


「正直だな」


「お前に回りくどい話をしても、聞いていないふりをして逃げるだけだからな」


「聞いてはいる」


「従わないだけだろう」


 その時、階下から大きな声が上がった。


「リュシア・フェル・ノルディアはここにいるんだろう!」


 続いて、複数の声が重なる。


「俺を勇者に選んでくれ!」


「こっちには竜殺しの血が流れている!」


「金なら払う!」


 机の上の灯火が、窓硝子の震えに合わせて揺れた。ミュリカの耳がぴたりと伏せられる。


「思っていたより早かったですね」


「封鎖線から誰が走った」


「一人ではありません。石碑を見た冒険者だけでも、二十人以上いました」


 バルドが扉を開け、廊下へ怒鳴った。


「正面扉を閉めろ! 窓にも人を立たせろ! 中へ入れるな!」


 階下では、勇者になりたい者たちの声が増え続けていた。魔王を倒すという言葉より、選ばれるという言葉の方が、彼らには近く聞こえるらしい。


「勇者は、金で買えるものなのですか」


 リュシアが尋ねた。


「買えると思っている奴は多い」


 エルディアスが答える。


「売った記録は見たことがありませんけどね」


 ミュリカが記録紙を胸元へ抱えた。


「なぜ、勇者になりたがるのでしょう」


「英雄だからだろ」


「魔王と戦わなければならないのに?」


「そこまで考えてる奴は少ない」


 階下から、またリュシアの名が呼ばれた。彼女の名前は、階層主の部屋でエルディアスが叫んだ時よりも、石碑に刻まれた時よりも、ずっと軽く扱われていた。


「私は、欲しくありません」


 リュシアが言った。


「何がだ」


「選ばれたという言葉です」


 エルディアスは返事をしなかった。


 リュシアはすでに、自分の意思とは関係なく選ばれている。階層主を倒す者として。信託を受ける者として。勇者を選ぶ者として。そして、死別契鎖で結ばれる相手として。


 そのうち三つには、彼女の返事がなかった。


「グレンたちはどうしていますか」


 リュシアがミュリカに尋ねた。


「グレンさんは治療を終えて意識があります。ネラさんの脚は固定しました。ディナさんは鎮痛薬が効いて眠っています。フィルさんも眠っています。今夜は起こさず休ませるようにと、治癒師から言われています」


 リュシアが立ち上がった。


「皆のところへ行きます。その後は、ここに残ります」


「決めたのか」


 バルドが聞く。


「皆が動けるようになるまでは、町を出るつもりはありません」


「それ以降は?」


「それ以降に決めます」


 バルドは今度こそ頷いた。


 ミュリカに案内され、二人は小部屋を出た。正面階段の方からは騒ぎが続いていたため、帳簿棚の裏を通る細い廊下を使う。普段は職員しか通らない場所らしく、積み上げられた紙束と封蝋の箱が壁際を埋めていた。


「エルさん」


 前を歩くミュリカが振り返らずに言った。


「何だ」


「後で経緯書を書いてください」


「さっきも話した」


「聞き取りと経緯書は別です」


「呪いのこともか」


「そちらはギルド長の聞き取り記録があります。エルさんには、転移してから入口前へ戻るまでの経過を書いていただきます」


「長いな」


「金貨二十枚分です」


「何枚だ」


「分かりません」


「怖い言葉だな」


「大事な言葉です」


 ミュリカはそのまま歩き続けた。


 治療室には、薬草と血の匂いが残っていた。


 グレンは寝台の上で上半身を起こしていた。膝は厚く固定されている。隣の寝台ではネラが脚を吊られたまま横になり、ディナとフィルは奥で眠っていた。


「遅かったな」


 グレンが言った。


「説明を受けていました」


 リュシアの答えに、グレンはエルディアスを見た。殴りかかるほど動ける状態ではない。それでも目つきだけなら、階層主へ向けていたものと変わらなかった。


「全部聞いたのか」


「聞きました」


「そうか」


 グレンはそれ以上、呪いについて尋ねなかった。


「下がうるさい」


 ネラが天井を見たまま言う。


「リュシアに勇者を選べって連中が集まってるらしい。脚が動いたら一人ずつ射る」


「治る前から犯罪者にならないでください」


「脚は動かなくても弓は引ける」


「やめろ」


 グレンが止めた。


 リュシアは四人の状態を順に確かめた。ネラの脚の固定。ディナの腕に巻かれた包帯。フィルの浅い呼吸。グレンの腫れた膝。誰も欠けていない。それを確認して、ようやく肩から力を抜いた。


「リュシア」


 グレンが呼んだ。


「石碑が何を言おうが、俺たちがお前に命令することはない」


「ですが、私の名が刻まれたことで、皆まで巻き込むかもしれません」


「俺たちは自分でお前を誘った。今回、お前がいて助かった。それと、石碑の話は別だ」


 グレンはエルディアスへ目を向けた。


「こいつが勝手にやったことと、こいつに助けられたことも別だ」


「分かっています」


「ならいい」


「俺にも何かないのか」


 エルディアスが尋ねた。


「勝手に勇者になるな」


「なる予定はない」


「ならいい」


「扱いが軽いな」


「盾が壊れたんだ。重いものは持てん」


 ネラが小さく笑い、すぐ脚に響いたのか顔をしかめた。


 ミュリカに急かされ、二人は治療室を出た。ギルドの上階には、遠方から来た依頼人や臨時職員を泊めるための小部屋が並んでいる。そのうち二室が、今夜のために空けられていた。


「こちらがリュシアさん、その隣がエルさんです」


「なぜ隣なのですか」


「呪いを介して、離れたまま付与術をかけられるのでしょう?」


 ミュリカが先ほどの記録紙を軽く持ち上げた。


「警護対象と、その警護に最も適した方を別の場所へ置く理由がありません」


「俺は警護役になった覚えはない」


「現状では、エルさんが最も適任です。今夜だけは協力してください」


「バルドの頼みと同じか」


「はい。断られた場合は、もう一度お願いします」


「ギルド全体で同じことをするな」


「有効な方法は共有します」


 ミュリカは二人へ鍵を渡した。


「今夜は外へ出ないでください。食事はこちらへ運びます。面会はすべて断ります」


 階下から、またリュシアの名を呼ぶ声がした。


「すべてですか」


「今夜は、何が来ても通しません」


 ミュリカは疲れた顔で階段を下りていった。


 リュシアは自分の部屋の鍵を握り、隣の扉の前に立つエルディアスを見た。


「少なくとも、今は誰も選びません」


「それがいい」


「あなたに言われると腹が立ちます」


「それも分かる」


「分かったように言わないでください」


「分からないと言ったら、もっと怒るだろ」


 リュシアは答えず、扉の鍵穴へ鍵を差し込んだ。


 その時、階段を駆け上がる足音が聞こえた。先ほど下りていったばかりのミュリカが、息を切らして戻ってくる。


「すみません。先ほどの話を訂正します」


「食事がなくなったのか」


「面会です」


「すべて断ると言ったばかりでは」


「断りました。ですが、明けの鐘に改めて来るそうです」


 ミュリカは眼鏡の位置を直した。


「セレイス神殿からです。『勇者を選ぶ者』に、確認したいことがあると」


 リュシアはまだ、誰も選んでいない。


 それでも、彼女に選ばせようとする者は、もう動き始めていた。



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