第101話 寄港
窓の向こうで、岸の灯りが一つずつ見分けられるようになった。
ひとかたまりだった光の間に暗いところが生まれ、その下へ石の岸が続いている。低い建物の屋根と、荷を積み上げた場所も見え始めた。河へ張り出した桟橋には、人が何人か立っていた。
船の進み方が変わっていた。窓の外を流れていた水が、少しずつ岸へ寄っていく。床から伝わる振動はまだあるが、靴の底を押すような重みが弱くなった。
「あそこへ着けるのか」
ガルムが言った。
ラウルは窓から少し離れ、通路の奥を見た。船員の知らせを聞いた客が、荷を持って出てくる。上着を着せてもらっている子供や、連れの支度が済むまで壁際で待つ者もいた。
「降り口へ行ってみよう。人が動く前に、見える場所を取っておきたい」
「下の三人には?」
セルマが尋ねる。
「ここへ来てもらう。荷もまとめて持って上がろう。俺たちが戻るまで待たせるより、一緒に動いた方がいい」
リュシアが頷いた。
「私が呼んできます。ノンノ、荷を運ぶのを手伝ってもらえますか」
「はい」
二人が階段へ向かった。ハーゼンはその脇を空け、窓へ目を戻す。外套を着た肩に、窓からの光が細く当たっていた。
ガルムは通路へ入ってきた客を一人ずつ見ている。少し先で、男と女が並んで立った。ガルムの顎が上がったが、女が顔をこちらへ向けると、それ以上動かなかった。
セルマもその二人を見た。
「違うわね」
「ああ」
ガルムは答え、斧の吊り紐を直した。
「これだけ人がいるんだ。乗るところで見ただけなら、似ている奴だったかもしれん」
ラウルが声を落として言う。
ガルムはすぐには答えなかった。男と女が、荷を持って通路の先へ歩いていく。
「顔だけじゃない。ニルスの歩き方だった。クラリスは、その横にいた」
「分かった。もう一度見よう」
ラウルは言い直した。それからエルディアスへ顔を向ける。
「降り口の近くまで行く。俺たちも降りるとは言っていないから、船員に聞かれたら、連れを探していると答えてくれ」
「ああ」
エルディアスは杖を持ち直した。
ハーゼンが窓から離れた。靴を履いた足を、初めの一歩だけゆっくり出す。ガルムがそちらを見ると、男は口元を緩めた。
「座った後は、足が元の調子へ戻るまで少し掛かる」
「急がなくていい。まだ着いていない」
「そうだな」
ハーゼンは頷き、ガルムたちと同じ方へ歩き始めた。
◇
降り口は、食堂のある通路からさらに先だった。
船員が二人、客の荷を確かめていた。袋を開けさせるのではなく、通路へ置いたままのものを持つよう声を掛け、子供の手を離さないよう親へ伝えている。
閉じていた外への戸が開いた。
冷たい風が入ってきた。灯具の熱と、人の多い通路の匂いが少し薄れる。ガルムは戸へ進みかけ、船員の手が上がったところで止まった。
「まだ渡れません。綱を取ってからになります」
「分かってる。ここで待っていていいか。連れを探している」
「降りる方の通るところだけ、空けてください」
船員が壁際を示した。ラウルたちはそこへ寄った。
開いた戸からは、桟橋を全部見渡せなかった。高い船腹の下に灯りが並び、その間を岸の者が走っている。太い綱が渡され、一人が抱え込むように受け取った。綱は何人かの手を通り、岸の柱へ回される。
船の腹へ小さな衝撃があった。
エルディアスは壁へ手を添えた。後ろの客も一度足を止める。それほど大きな揺れではなかったが、止まったのだと分かる動きだった。
「随分、高いところへ降り口があるな」
ガルムが外を覗いた。
「船が大きいからでしょう」
セルマも戸の傍へ寄る。
船から岸へ、幅のある渡り板が掛けられた。片側を持ち上げていた者たちが位置を合わせ、両端を留める。板の上には滑り止めの横木が打たれ、左右には綱が張られた。
船員が自分で一度渡り、岸へ足を下ろした。それから戻ってきて、戸の脇へ立つ。
リュシアとノンノが、三人を連れてやってきた。ノンノは自分の袋を背負い、調査員の女性の小さな包みも持っていた。ドランとアニカも、その後ろにいる。
「皆さん、ここにいたんですね」
ノンノが荷を下ろし、包みを調査員へ返した。
「ありがとう。重くなかった?」
「こっちは軽かったです。エルさんの袋は、リュシアさんが持ってくれました」
エルディアスはリュシアから袋を受け取った。
「助かった」
「下には、もう何も残していません。少し休むなら、別の場所でも大丈夫です」
リュシアが言った。
ドランは自分の革袋を足元へ置いた。片手には、パンの残った布包みがある。アニカは籠を肘へ掛け、まだ開いた戸の外までは見ずに、通路を流れる人を眺めていた。
船員が声を上げた。
「こちらで降りる方は、お進みください。足元に段差があります。岸へ着いたら、渡り板の前で止まらず、奥へ進んでください」
前にいた客が、歩き始めた。
◇
最初の数人が降りても、桟橋で待っている者が大声を上げたり、こちらへ駆け寄ったりすることはなかった。
荷を受け取る者がいて、手を差し出す者がいる。降りた客は、相手の傍へ寄るか、そのまま岸の奥へ歩いていく。門や窓から漏れる灯りが、その背へ順に当たった。
「ここで降りる人、結構いるんですね」
ノンノが言った。
「大きな船ですから、途中の港で乗り降りする人も多いのでしょうね」
リュシアは答えながら、通路の奥を見ていた。
ガルムとセルマは、そこから来る客の顔を見ている。ラウルは二人の視線が届かない側へ回り、降り口へ入ってくる者を確かめた。
ドランが袋を持ち上げた。
ノンノはその動きに気づき、顔を向けた。
「ドランさんも、ここで降りるんですか?」
「ああ」
男は、短く答えた。
「家は、この港の近くなんですか」
ドランは開いた戸を見た。それから、ノンノへ顔を戻す。
「ああ。ここで降りて、家へ帰るよ。さっきは、もう少し話していようと思っていたが」
革袋の持ち手へ、太い指が巻きついている。もう片方の手では、布包みの口を押さえていた。
「もう行くよ」
ノンノは口を開きかけた。それから、自分の袋の肩紐へ手を添えた。
「パン、ありがとうございました」
「食ったか」
「はい。最後まで食べました。アニカさんにも、少し分けて」
アニカが隣で頷いた。
「私も、ごちそうになりました」
「そうか」
ドランの顔が緩んだ。
「焼いたのは俺じゃないが、うまかったならいい」
「次は、ドランさんが焼いたパンも食べてみたいです」
ノンノが言うと、男は少し考えた。
「底まで、ちゃんと焼けたのを食えよ。上の色だけじゃ分からんからな」
「ドランさん、食堂でも言ってましたね」
「職人だから、気になる」
笑って言った後、ドランは布包みを見た。残っているのは半分より少ない。ハーゼンへ分けたところの皮が、少し欠けている。
「残りは、持って帰る」
「ミラさんに?」
ノンノの問いに、ドランは頷いた。
「一緒に食うよ」
それ以上、パンの出来のことは言わなかった。
ドランは九人へ顔を向けた。
「長く話したな。聞いてくれて、ありがとう」
「こちらこそ。娘さんのお話も、店のお話も、楽しかったです」
リュシアが答えた。
男は頷き、降り口へ進んだ。戸の前で一度止まり、袋を持つ手を替える。船員が腕を差し出したが、自分で渡れると答えた。
渡り板へ足を置く時には、先を見ていた。
ノンノは、その背中を見送った。
大きな袋を持っているため、板を下る姿は少し前へ傾いている。それでも、途中で足を止めることはなかった。桟橋へ着くと、布包みを胸の方へ持ち直した。
「あのパン、潰れないといいですね」
ノンノが小さく言った。
リュシアは隣へ立った。
「大事に持っていましたから」
ドランは岸の奥へ歩いていった。
その先にある戸口の灯りが、袋と外套を一度照らした。男は顔を上げ、誰かへ挨拶するように片手を動かした。こちらからは、相手の姿までは見えなかった。
次の客が渡り板を下り始める。
その荷が間へ入ると、ドランの姿は見えなくなった。
◇
アニカは、籠の持ち手を握り直していた。
外套を羽織り、胸元の紐を結んでいる。眠っていた間に乱れた髪を指で整え、耳の後ろへ寄せる。
「アニカさんも?」
ノンノが尋ねた。
「ええ。私も降りるわ」
「皆さん、同じ港だったんですね」
女は外を見て、少し笑った。
「降りる時まで一緒になるとは、思わなかったわね」
ノンノも笑おうとしたが、すぐには顔を緩められなかった。アニカはそれを見て、腰に結ばれた水袋の紐へ目を向けた。
「そこ、少し引っ張ってみて」
「ここですか」
「そう。縫ったところの、少し下」
ノンノは水袋を片手で支え、もう片方で紐を引いた。重ねて縫われた部分は動かず、その下の布だけが張った。
「大丈夫ね」
アニカが言った。
「さっきも見ました。切れてません」
「ええ。ちゃんと見てくれたのね」
女は指を伸ばしかけたが、その手を籠の持ち手へ戻した。
「帰ってからも、自分で直せそう?」
「針は使えます。でも、こんなにきれいには縫えないと思います」
「初めは、縫い目が揃わなくてもいいの。布の端だけに糸を掛けないこと。ほつれたところより、少し広く縫ってね」
「はい」
ノンノは、縫い直された紐をもう一度撫でた。
アニカは今度、リュシアへ顔を向ける。
「休む場所を空けてくれて、ありがとう。よく眠れたわ」
「それなら、よかったです。降りる前に起こした方がいいか、迷っていたんですよ」
「人が動いたら、目が覚めたから。籠も、ちゃんとそこにあったし」
女は肘に掛けた籠を、少し持ち上げた。側面のほつれは、そのまま残っている。
「まだ、直してないんですね」
ノンノが言った。
「帰ってからにするわ。ここで針を出すと、落としそうだから」
アニカはそう答え、外套の内側へ手を入れた。
小さな鍵を取り出した。古い金属の色は、通路の灯具の下でも鈍い。女は掌へ載せ、指で一度包んだ。
「持っている場所を確かめただけよ」
ノンノが鍵を見ていることに気づき、アニカは言った。
「なくさないでくださいね」
「ええ」
鍵はまた、外套の内側へ収まった。
アニカは前を向きかけ、ノンノへ顔を戻した。
「あなた、私の話を聞いている間、ずっと待ってくれたわね。私が続きを思い出すまで」
「途中でやめてしまったら、気になってしまいます」
「そうね。私も、話し始めるまで、あんなに覚えていると思わなかった」
女の目が、戸の外へ向いた。
「窓の留め具のことまでね」
ノンノは頷いた。
「紐で結んだんですよね」
「ええ。自分で長さを決めて、切ったの」
アニカは指先で、籠の縁へ出ている糸を寄せた。引き抜かず、そこへ置いてから手を離す。
「話せてよかったわ」
「わたしも、聞けてよかったです」
ノンノが答えると、女は微笑んだ。
別れの挨拶は、それで済んだ。
アニカは降り口へ歩いた。船員が籠へ手を添えようとすると、少し持ち上げて、自分で持てると伝える。渡り板へ出た後は、横木を一つずつ踏んで下りていった。
岸へ足を下ろし、綱から手を離す。
一度、こちらへ顔を向けた。
ノンノが手を上げると、アニカも籠を持っていない方の手を上げた。大きく振りはしなかった。指を開いて見せ、そのまま下ろす。
アニカは岸の奥へ進んだ。
灯りのある戸口へ近づく途中で、外套の胸元へ手を添えた。鍵の入っている辺りだった。
そこから先へは、迷わず歩いていった。
◇
ハーゼンは、二人が降りるまで壁際で待っていた。
ガルムが通路から目を戻すと、男は革袋を持ち上げたところだった。
「あんたも、ここか」
「ああ」
ハーゼンは答えた。
「靴の具合は?」
「もう歩ける。あれだけ喋った後だから、足より口の方がよく動くかもしれんがな」
ガルムが笑った。
「十三日分だったからな」
「全部話したわけじゃない。思い出せんところもあるよ。どこで水を汲んだか、何日目にどの宿へ泊まったか。オルドの帳面なら、残っていたかもしれんが」
ハーゼンは、袋の持ち手を握り直した。
「飯のことは、覚えていた」
「よく分かった。俺も、あの宿の卓を見たような気がする」
「ベルトの足が邪魔なところまでか」
「そこまでな」
ガルムが答えると、ハーゼンも笑った。
セルマが一歩、こちらへ寄った。
「ペトの作る煮込みは、少し食べてみたかったわ」
「道の鍋でいいのか」
「肉は、ある方がいいけれど」
「そう言うと、自分で買ってこいと返されるよ」
ハーゼンは外を見た。岸へ降りた客が、建物の間へ入っていく。
「あいつも、もう鍋を見ているかもしれんな」
ガルムは男の横顔へ目を向けた。
「仲間に会うのか」
「会えたら、飯にするよ」
ハーゼンは九人の顔を順に見た。
「あんたらも、連れに会えるといいな」
「そのつもりで、ここにいる」
ガルムの声が、少し低くなった。
ハーゼンは頷いた。相手の顔を覗き込んだり、励ます言葉を重ねたりはしなかった。
ラウルが手を差し出した。
「道の話、参考になった。ありがとう」
ハーゼンは袋を持つ手を替え、空いた手で握った。
「役に立つようなことは、あんたらも知っていたろう」
「知っていても、同じようにやる人の話は聞いておきたい」
「そうか」
男は手を離した。
ノンノが、リュシアの隣から顔を向ける。
「トーマさんが、自分も同じだけお金をもらっていいのかと聞いたところ、よく分かりました」
「剣を抜いていないのに、という話か」
「はい。わたしも、ほかの人ほど出来ないことが多いので。でも、出来た分は、ちゃんと覚えておこうと思います」
ハーゼンは水袋の紐へ目を向けた。
「覚えていてくれる奴もいるだろう」
ノンノは隣のリュシアを見た。それからエルディアスへ視線を移す。
「はい」
男はそれ以上言わず、降り口へ進んだ。
靴底が、渡り板の横木へ当たる。
ハーゼンは片手を綱へ掛けていた。荷を持つ側の肩が少し下がっていたが、岸へ近づくと顔が上がった。
桟橋へ降りたところで、男は立ち止まりかけた。
後ろから別の客が来る。ハーゼンはすぐ脇へ寄り、その者を先に通した。
ガルムが口元を緩めた。
「あそこへ立つと、邪魔だと分かっているんだな」
「あなたに言ったばかりだもの」
セルマも、男の背を見ていた。
ハーゼンは袋を持ち直し、岸の灯りへ向かって歩き始めた。途中でこちらを振り向き、空いた手を少し持ち上げる。
ガルムとラウルも、手を上げた。
その時、ハーゼンの口が動いた。何と言ったかは聞こえなかった。風が岸から吹き、戸の脇へ下げられた綱を揺らした。
男は前へ向き直った。
灯りの届くところへ進むにつれ、外套の裾がはっきり見え、また暗がりへ入る。最後に見えたのは、革袋を持つ腕だった。
ガルムは、その先をしばらく見ていた。
◇
降りる客の列は、やがて途切れた。
船員が通路の奥へ声を掛ける。まだ支度の済んでいない者がいないか、別の船員が見に行った。
ガルムは戸の前へ進んだ。
「もう、これで全部か」
「確認しています。こちらで降りるご予定ですか」
「いや。探している連れが、見つからなかった」
船員は通路へ目を向けた。
「お名前を呼びましょうか」
ガルムの顔が上がった。
「頼めるか。ニルスとクラリスだ」
「お二人ですね」
船員は名を聞き直してから、通路の先へ声を掛けた。待っている者がいることを伝え、奥にいる客にも知らせてほしいと頼む。
ガルムは壁際へ戻った。
船員が歩いていった方を、セルマも見ている。ノンノは自分の荷へ手を添え、そこに立ったまま待っていた。
桟橋では、岸の者が船の荷口を見上げていた。吊り下げられた箱が一つ降り、二人が両側から押さえる。箱を運び終えた後、灯りの下には綱の影だけが残った。
通路の奥から船員が戻ってきた。
「こちらへ来る方は、いらっしゃいませんでした」
「ほかの部屋は」
「声の届くところへは、お伝えしました。休んでいる方もいますので、お部屋を一つずつ開けて回ることは出来ません」
ガルムは唇を結んだ。
「分かった。助かったよ」
ラウルが代わりに礼を言った。
船員は頷き、岸へ向かって手を上げる。渡り板を外す者たちが、その両端へついた。
「離れます。戸の内側へお戻りください」
九人は壁から離れた。
渡り板が持ち上がり、船へ戻ってくる。岸へ渡された綱も緩み、濡れた端が河へ落ちてから引き上げられた。
大きな汽笛が鳴った。
ノンノの耳が、音の方へ向く。胸へ響く低い音は、ハディルを出た時と同じだった。
船員が戸を閉じた。
岸の風が止まり、通路の灯具の熱が戻ってきた。床の振動が強くなる。船はまた、河へ出ていった。
ガルムは閉じた戸を見ていた。
「この港では、降りなかったんだな」
セルマが答えるまで、少し間があった。
「少なくとも、私たちの前は通らなかったわ」
「まだ船にいるなら、探せる」
ラウルが言った。
エルディアスは二人の顔を見た。
ガルムは小さく頷いたが、すぐに歩き出さなかった。さっきまで、ハーゼンが立っていた場所が空いている。客が降りた分だけ、通路の向こうまで見通せるようになっていた。
◇
休む場所へ戻ると、腰掛けには空きが増えていた。
アニカが横になっていたところへは、誰も座っていない。ドランのいた壁際にも、革袋はなかった。
ノンノは荷を下ろしかけ、その二つの場所を見た。
リュシアが隣へ袋を置く。
「ここで休みましょうか」
「はい」
ノンノは腰掛けへ座った。腰の紐をほどき、水袋を外す。縫い直されたところを引っ掛けないよう、袋の上へ載せた。
「次の港で降りる人にも、知らせがあるんですよね」
「そうだろう」
エルディアスは答えた。
「わたしたちの降りるところは、いつなんでしょう」
「まだ聞いていない」
ノンノは頷き、水を少し飲んだ。
ガルムとセルマも座った。ラウルは二人の傍へ荷を置き、調査員の女性が記録板を出すのを見た。
「港の名前を、聞きそびれたな」
「降り口では、名前を呼んでいませんでした。後で確かめます」
女性は紙へ短く書き加えた。
護衛の一人が、肩をゆっくり回した。外套を畳んで背へ挟み、窓の方を見る。
「まだ、暗いな」
その声に、ラウルも顔を向けた。
「少しは眠れたか」
「ああ。下で話を聞いている間に、一度眠った。起きても、まだ話が続いていたよ」
男は隣の護衛を見た。
「お前に起こされなければ、港へ着くのも知らずに寝ていたかもしれん」
「皆で上がると言われたからな」
もう一人が答えた。
ラウルは窓へ目を戻す。
「話を聞いて、二人を探して、また下へ戻っていた。思っていたより、長く船にいる気がするな」
「わたしも、そう思っていました」
ノンノが言った。
「ドランさんと食堂で話したのが、随分前みたいで。皆さんを見送ったら、もうすぐ朝になるのかと思ってました」
ガルムが腰掛けの端へ肘を置いた。
「長い話だったからな。ドランの娘の話を聞いて、アニカが部屋の話をして、それからハーゼンだ」
「途中で、私たちも上へ探しに行ったでしょう」
セルマが言った。
「ずっと同じところにいたわけでもないのよね」
ノンノが立ち上がり、窓へ近づいた。壁際の灯具がガラスへ映り、自分の顔が見える。光を手で遮ると、その向こうに黒い水面があった。
リュシアも隣へ来た。
岸は、もう見えない。船の灯りが届くところでだけ、波が白く崩れている。上へ目を向けても、空の端が薄くなっているところはなかった。
「どちらを見ても、まだ夜ですね」
リュシアが言った。
ラウルも二人の傍へ来た。
「ハディルへ着く前に、日が傾いていた。門で待って、宿を探して、港へ出た。船が出た時には暗くなっていたが、夜更けまで待ったわけじゃない」
「そこから、今までですよね」
ノンノが言う。
「ああ」
ラウルは頷いたが、すぐに言葉を続けなかった。
「街なら、鐘を聞けば分かる。ここでは、それも聞こえんからな。長く感じているだけかもしれないが」
調査員の女性が、膝へ置いた記録板を見た。
「この船に乗ってからの記録は、出来事の順だけになっています。どれほど間が空いたかは、私にも分かりません」
「皆で、話を聞くのに夢中になっていたものね」
セルマが答えた。
エルディアスは杖を腰掛けへ立て掛け、窓の傍へ来た。リュシアが少し横へ寄る。
船の窓は、進む方へも、後ろへも並んでいる。そのどれを見ても、外の暗さは変わらなかった。
――朝が近づけば、少しは空の色が変わるはずですよね。
リュシアの声が届いた。
――そうだな。ただ、いつ明けるのかまでは分からない。
――眠って起きた方もいるのに、まだこんなに暗いと、気になります。
エルディアスは小さく頷いた。
ガルムが腹へ手を当てた。
「俺は、また何か食いたくなってきた」
「さっき、肉の話をしていたからじゃない?」
セルマが言った。
「それもあるかもしれん。だが、食堂で食った時には、十分だったんだ」
「わたしも、温かいものがあれば、少し欲しいです」
ノンノが水袋を見た。
ラウルは二人へ目を向け、それから窓の外へ戻した。長く話を聞いたことも、眠って起きたことも、腹が減ったことも、それだけで朝が来ると決められるものではない。
それでも、空が変わり始めていてもよさそうに感じたのは、自分一人ではなかった。
上の通路から、船員が下りてきた。手には空の器を重ねて持っている。壁際の台へ置いたところで、ラウルが声を掛けた。
「食堂は、まだ開いているか」
「はい。温かいものをお出ししています」
「朝の食事の支度も、そろそろか」
「いえ。今は、夜食をお出ししています。お休みになる前に、どうぞ」
船員は答え、器を揃え直した。
ラウルはエルディアスへ顔を向けた。
「朝の支度も、まだらしいな」
「ああ」
エルディアスは答えた。
船員は別の客へも声を掛け、階段へ戻っていった。食事の案内を聞いた男が立ち上がり、連れの女へ手を差し出す。二人は荷を持ち、上へ歩いていく。
その姿を、ガルムが見ていた。
「もう少し休んで、それでも暗いままなら、船の者に聞こう。どこまで来ているのかも、確かめたい」
ラウルが言った。
「行先のこともだな」
ガルムの返事に、ラウルは頷いた。
ノンノが水袋を袋の上へ置いた。腰掛けへ戻って座り、肩を壁へ預ける。
すぐ隣は、まだ空いていた。
エルディアスは、最後にもう一度、窓の外を見た。
黒い河の上を、船の灯りだけが動いている。遠くには岸の灯りもなく、空と水の境目さえ見つけにくかった。
船の機関は、変わらず響いていた。
鐘の音は届かない。誰かの話が終わり、眠っていた者が起き、また食事へ向かう。それだけのことが続いている。
見送った三人の戻った岸は、もうどこにも見えなかった。
夜は、まだ明けなかった。




