第99話 帰路
階段の上で、靴音が止まった。
ガルムが顔を上げた。下りてきたのは、探している二人ではない。白いものの混じった髪を短く刈り、古い外套を肩へ掛けた男だった。手には、荷を詰めた革袋を持っている。
男は、下の段へ座っているガルムとセルマを見た。
「そこへ座るなら、足はもう少し寄せた方がいい。下りる時に、上からは見えんぞ」
ガルムが膝を引いた。男はその脇を通り、部屋へ入ってくる。ガルムの足元へ置かれた斧と、腰に留められた装備へ目が向いたが、何も尋ねなかった。
革袋を壁際へ下ろし、空いている腰掛けの端へ座る。
エルディアスは、その男を見ていた。袋を置く時、腰を深く曲げず、片膝を使っている。外套を外す前には、腰に下げた短い剣を前へずらした。立ったり座ったりするたび、同じ動きを繰り返してきたようだった。
ガルムもそれへ気づいたらしく、男が袋を開けたところで声を掛けた。
「上の客は、まだ起きているか」
「ああ。話しているのも、寝ているのもいる。何かあったか?」
「連れを二人、探している。男と女だ」
ガルムは二人の特徴を伝えた。男は最後まで聞き、上の通路へ目を向ける。
「俺がいたところには、覚えがないな。窓の下と、食堂の入口を見ただけだが」
「そうか」
ガルムの肩が僅かに落ちた。
男は袋から布を取り出し、腰掛けへ広げた。それから片足を引き寄せ、靴の紐を緩める。指を入れて中を確かめ、靴を脱ぐと、もう一方も同じようにした。
「待つなら、そっちへ座った方がいい」
男は、ガルムのいる階段へ顎を向けた。
「荷を持った客が下りてくるたび、立ったり座ったりしなくて済む。休むつもりなら、休める場所へ座れ」
「寝るつもりじゃない」
「座っていても疲れる場所はあるだろう」
ガルムは階段の横を見る。ちょうど人が通れる幅だったが、大きな荷を背負った客が来れば、また足を引かなくてはいけない。
セルマが先に立ち上がった。
「こっちからも、階段は見えるわ。私が端へ座るから」
ガルムも続いた。男から一席空けた場所へ座り、斧を足元へ寄せる。
「悪かった。通る邪魔だったな」
「ぶつかってから気づくより、いい」
男は靴の底を撫でていた。縫い目の端へ指を入れ、浮いていないか確かめている。
ガルムが、その靴へ目を向けた。
「よく歩いている靴だな」
「底は何度か替えた。こっちの上は、まだ使える」
「俺も、前のを長く使った。替えてから、しばらく歩きにくかった」
「馴染んでいたんだろう。新しいのが悪いとは限らん」
男は靴を布の上へ置いた。
「ハーゼンだ。あんたは?」
「ガルム。こっちはセルマだ」
二人が名を伝えると、ラウルも身体を起こし、挨拶した。エルディアスたちも続く。ハーゼンは九人の荷と装備へ順に目を向けた。
「皆、一緒か」
「ああ。今は九人で動いている」
ラウルが答えた。
「俺たちは護衛もやっている。そちらも、同じような仕事か?」
「長いこと、それで食ってきた。荷車について歩く仕事が多かったな」
ハーゼンは自分の靴へ目を落とした。
「剣より、こっちの方を使ったかもしれん」
◇
ハーゼンの袋からは、小さな革の筒も出てきた。
縫い針や、油の入った容器を収めるものらしい。口へ布を詰め、歩いても中身が動かないようにしてある。ガルムがその形を見て、自分の荷物へ目を向けた。
「俺は、布へ巻いて入れてる。取り出す時に、ほかのものまで出てくるんだ」
「使うものだけ、まとめておけばいい。全部を別に包むと、今度は包みを探すことになる」
「それもあるな」
ガルムは頷き、袋の口へ手を入れた。小さな包みを一つ出し、どこへ入れ直すか考える。
セルマが隣で見ていた。
「今、全部広げるのはやめてね。寝る場所がなくなるから」
「これだけだ」
「前にも、そう言って全部出したわ」
ハーゼンが笑った。
「俺の連れにもいたよ。自分でしまったのに、どこへ入れたか分からん。探しているうちに、俺の袋まで開けるんだ」
「さすがに、それはしないぞ」
ガルムが言い、セルマの方を見る。
「してないわね。私の袋の前で、そっちにないかと聞くことはあるけれど」
「聞くくらいはいいだろう」
「聞いたものが、自分の袋から出てこなければね」
ハーゼンは靴を布ごと脇へ寄せた。見張りをしている時より、ガルムの顔から力が抜けている。
ラウルが外套を畳み直し、ハーゼンへ顔を向けた。
「その、袋まで開けるという連れも、一緒に護衛をしていた仲間なのか」
「そうだ。俺を入れて六人で組んでいた。荷主が大きな商会なら、ほかの護衛と組むこともあったが、俺たちだけで足りる仕事も多かった」
「長く一緒だったのか」
「ああ。初めは違う組で顔を合わせていたんだが、何度か同じ仕事になってな。そのうち、誰に何を任せるか分かるようになった。まとめ役は、オルドだ。仕事を取ってきて、荷主と話す。金にも日数にも細かいが、出来もしない約束はしない。俺たちは、それで随分助かった」
ハーゼンは膝へ両手を置き、仲間の顔を思い浮かべるように話した。
「カヤは弓を使う。足が速くて、道を見るのがうまかった。人の話を聞いていないように見えて、後から一番よく覚えているのも、あいつだ」
「先を見てくる役か」
ラウルが聞き、ハーゼンは頷いた。
「そうだ。ベルトは身体が大きくて、剣を使う。荷を押す時には頼りになる。ただ、腹が減った、足が疲れたと、文句も一番多い。言いながらも手は出してくれる奴だった」
セルマが僅かに笑った。ハーゼンも口元を緩める。
「ペトは、買い物と飯の支度がうまい。荷を守る仕事もするが、道中の食事はそいつに任せていた。自分もよく食うから、人の腹が減っていることには気づくんだ」
「もう一人は?」
ガルムが尋ねる。
「トーマだ。一番若くて、加わったのも最後だった。剣を使えるところを見せたがっていたが、気が張りすぎることも多かったな。教えれば真面目にやるから、俺たちも放っておけなかった」
五人の話を終えると、ハーゼンは足元の短い剣を手元へ引いた。袋へ当たらない位置へずらし、また膝へ手を戻す。
「それで俺を入れて、六人だ。俺は、車の傍へいることが多かった」
「荷を守る方か」
「そうだ。カヤが先を確かめている間、ベルトと俺で車の前後を見る。ほかの三人も、道に合わせて位置を替えた」
ラウルは頷いた。名前を覚えようとするより、どんな形で歩いていたかを思い浮かべているようだった。
ノンノも、リュシアの隣から耳を傾けていた。
「荷車と一緒だと、歩くのはゆっくりですよね」
「道がよければ、それなりに進む。悪ければ、一日歩いても大して変わらん」
「わたしたちも、砂漠で一緒に歩きました。岩のところで、車がなかなか通れなくて」
「歩く足が通れば、車輪も通るとは限らんからな」
ハーゼンは膝の上へ手を置いた。
「そういう時に、先を見てくるのがいた。見たままを、ちゃんと伝える奴がな」
ガルムが顔を上げた。
「俺たちにもいる。先へ出て、戻ってきてから、どこに何があったか話すのがうまい。ただ、夢中になると黙って先へ行くから、こっちは時々気になるんだが」
セルマが僅かに笑った。
「普段は、冗談ばかり言っているのにね」
「ああ。口数は一番多い。だが、道の話だけは無駄がない」
エルディアスは、二人の方を見た。
ニルスのことだろう。ガルムは名を出さなかったが、話している顔を見れば分かった。さっきまで必死に探していた相手を、今は仲間として話している。
ハーゼンは、それを自然に聞いた。
「戻ってきて話せる奴なら、助かる。自分だけ先へ行って、車を待たないのもいるからな」
「それはしない。夢中になって戻りが遅れることはあるが、俺たちを置いていきはしない。遅ければ、俺が引き戻しに行く」
ガルムはすぐに答えた。
それから、階段へ目を向けた。誰も下りてきていなかった。
◇
「危ない仕事も、多かったんですか?」
護衛の一人が尋ねた。ハーゼンは少し考え、首を傾げる。
「危ないと分かって受けた仕事もある。楽だと思って行って、困った仕事もある。その反対もな」
「反対?」
ガルムが尋ねると、ハーゼンは頷いた。
「出る前には皆が嫌がったのに、行ってみたら何もなかった」
ガルムが、自分の包みを袋へ戻した。
「そんな旅の方が、少ないんじゃないか」
「少ない。何もなかったと言っても、歩かずに済んだわけじゃないからな。腹も減るし、靴も減る」
ハーゼンは、脇に置いた靴を見る。
「十三日かけて荷を運んだことがある。車は二台。行きは粉と布、帰りは金物だった。鉱山へ道具を送る商会の仕事だ」
「往復で十三日?」
ラウルが確かめた。
「ああ。帰りの荷を受け取るまでに、一日待った。それを入れて十三日」
ハーゼンは指を折るようには数えなかった。日数が、そのまま頭へ残っているらしい。
「途中の森で獣が出るという話があった。追われた車もいると。荷主は早く運びたがっていたが、オルドは六人全員で行くと言った。四人に減らしても代金は変わらんと持ち掛けられたんだがな」
「断ったのか」
「四人のつもりで行って、途中から六人には増やせんだろう」
ラウルが短く頷いた。
「出る朝には、荷を積む倉庫の前へ六人で集まった。オルドが荷の量と車を確かめて、俺は車輪と綱を見た。粉の袋を濡らせば使い物にならんから、内側へ積んだよ。布も、荷台の板へ直接置かず、下に木を挟んだ。雨が入っても、すぐに染み込まんようにな」
ハーゼンは革袋の底へ手を添えた。
「トーマは、俺たちが荷を積んでいる間も、自分の袋を開けていた。前の晩から詰め直していたそうだ。何があれば困らないかと考えて、何でも入れた。水袋をもう一つ、替えの服を二組、縄も予備がいると言ってな」
「重くなりそうですね」
ノンノが自分の袋へ目を向ける。
「持ち上げることは出来たよ。ただ、立ち上がったところで後ろへ下がった。それをベルトに見られた」
「減らしたんですか?」
「歩いてみろと言われた。荷を背負って、倉庫の前を一往復した。戻ってきた時には、替えの服を一組出していた」
ハーゼンは笑った。
「俺たちも、初めから少なく持てたわけじゃない。荷を分けて、足りない分は車へ載せられるか聞いた。荷主も、自分の荷を守る奴が道で潰れたら困るから、空いた場所へ入れてくれた。最後に来たペトが、食料を持っていた。同じ金で買っても、あいつは俺より腹持ちするものを揃えてくる。六人分をそのまま持って歩くわけじゃないから、倉庫の前で分けた。ただ、いつも一つ、自分の好物を混ぜるんだ。干した酸っぱい実だよ。俺は、あれをそのまま食うのが苦手だった」
「皆の分にも入っていたのね」
セルマが言う。
「入っていた。いらんなら自分に寄越せと言う。初めから自分で持てばいいだろうと言っても、旅の途中で食いたくなるかもしれん、と」
「食いたくなったのか?」
ガルムが尋ねた。
「ならん。毎回返していた」
男たちが小さく笑った。近くで眠っている客がいるため、声は大きくしなかった。
「出てからは、二人が前、二人が車の傍、二人が後ろについた。カヤは道が見通せるところまで先へ行って、戻るとオルドに、何があるかを話す。初めは晴れていて、車もよく進んだよ」
ハーゼンは片手を膝の上で前へ動かし、途中で止めた。
「森へ入ると、そうはいかん。土が軟らかくて、車輪が沈んだ。根の張ったところも避けなくてはいけない。馬に無理に引かせず、俺たちも後ろから押した。初日の昼には、もうトーマの機嫌が悪くなった。獣が出ると聞いて来たのに、車を押してばかりだと」
「仕事に慣れてなかったのか」
ガルムが言った。
「ああ。剣を使えるところを見せたかったんだろう。オルドは、車が動いているなら仕事をしていると言った。それで、口では納得したんだがな」
ハーゼンは、若者の顔を思い出すように、少し目を細めた。
「しばらくして、今度は前へ出たがった。先を見てくると。カヤが、道を見て戻れるならいいと言った。どこを見ればいいか聞かれたから、今通っている道から、見える範囲でいいと返した」
「一人で行かせたんですか?」
ノンノが尋ねる。
「最初は、カヤと一緒だ。藪へ入る必要もない。車が向かう先を、二人で歩いて見た。戻ってきたトーマが、少し先に水溜まりがあると言った。見に行くと浅そうなんだが、カヤが端へ枝を差したら、随分深く入ったよ。車輪を落とせば、六人いても簡単には出せん。二台とも手前で止めて、固い地面が続いている側へ寄せて通した」
ハーゼンは、ノンノが膝へ置いている手を見てから、顔へ視線を戻した。
「その後、トーマは車を押す時に文句を言わなくなった。自分で先を見てきたから、どうしてそこを通すのか分かったんだろう」
ノンノが頷いた。
エルディアスも、ノンノの横顔を見ていた。彼女はハーゼンの方へ耳を向け、話が途切れると、続きを待っている。
◇
「森では、獣には遭わんかった。遠くで鳴き声を聞く夜はあったが、近くへ来るものはいない。道を選んで、荷を見て、夕方になれば車を止める場所を探す。その繰り返しだった」
ハーゼンは手を膝へ戻した。
「夜の見張りは二人ずつだ。俺はトーマと組んだ。最初の夜は、火の前へ座ったまま、あいつがずっと剣の柄を握っていたよ。持っている手に力が入って、鞘から抜く前に疲れそうだった」
「使う前に、疲れるぞ」
ガルムが言った。
「そう言ったよ。トーマは、抜くのが遅れたら困ると言う。握るなとは言わんが、一度開けと教えた。俺が手を出してみせたら、ようやく真似をした」
ハーゼンは右手を開いた。大きな掌に、古い傷が幾つかある。
「火ばかり見ていても困る。明るい方を見続けると、暗いところへ目を戻しても、すぐには分からん。少し顔を上げて、木の間を見ろと言った」
ノンノも、自分の掌を開いていた。気づいたリュシアが目を向けると、僅かに笑ってから膝へ戻す。
「その晩は、ペトが豆を煮た。肉も入っていたが、先は長いから、一度に使う量は決まっていた。トーマが椀の中をかき回して、肉が見当たらないと言ったよ。ペトは、探したところで増えんだろうと返した」
「誰かが多く取ったんじゃないか?」
ガルムが言った。
「ベルトの器を、皆で見た。あいつは身体が大きかったからな。だが、入っていたのは豆ばかりだ。ベルトは、取っていないと答えるより先に、自分の分にも肉がないと言い出した。ペトは六人分に分けたから入っているはずだと言う。そこでカヤが、小さい一切れを匙へ載せて見せた。ペトは、ほら見ろと頷いたよ」
ハーゼンは口元を緩めた。
「一切れでも入っていれば、入れたことにはなる。文句があるなら明日は自分で煮ろと言われて、全員黙った」
「誰も、作らなかったんですね」
リュシアが言った。
「俺も煮るだけなら出来るが、同じ豆なら、ペトの方がうまかった。代わる気にはならん」
「それなら、文句は言わない方がいいですね」
「ああ。だが、次の晩にはまた言っていた。ペトも、黙って食えと返したよ」
セルマが顔を少し伏せた。笑いを抑えているらしい。ガルムも口元を緩め、ラウルは聞きながら肩を壁から離した。
ハーゼンは三人の方を見て、話を続けた。船の機関が、腰掛けを通じて低く響いている。
「朝になれば、また荷車について歩く。トーマも、日が経つと口数が減った。具合が悪いわけじゃない。荷主に呼ばれれば返事をするし、押す時にはちゃんと手を出す。ただ、初めのようには喋らなくなった」
ハーゼンは、ガルムの足元の袋へ一度目を向けた。
「ようやく、歩く方へ力を使うようになったんだろう。荷物も一度広げて、オルドへ見せた。何を先に取り出せるところへ入れるか、自分から聞いたよ」
ガルムが足元の袋を見た。
さっき入れ直した包みは、袋の口へ近いところにある。ハーゼンはそれへ気づいていたが、若者と比べるようなことは言わなかった。
◇
「荷を届けた先で、一日待つことになった。帰りに積む金物が、まだ揃っていなくてな。俺たちだけ帰すわけにもいかんから、荷主が飯と泊まる場所を用意した」
「休めたのね」
セルマが言う。
「車の傍から離れずに済む宿だった。囲った庭へ車を入れられたから、荷を見張るのも楽だったよ。ただ、昼に寝る気にはなれなかった」
「何をしたんだ」
ラウルが尋ねた。
「剣を拭いた。靴を干した。濡れてはいなかったが、ずっと履いていたからな。ベルトは靴下まで全部洗って、帰りに使う分が乾かないと困っていた」
「一組くらい、残せばいいのに」
「皆に言われた。洗ってからな」
ハーゼンは笑った。
「カヤは市場へ行った。戻ってくると、干した魚を皆に配ったよ。ペトが一口かじって、豆へ入れればいい味が出ると言ったら、今食べるために買ったんだと叱られた」
ノンノが小さく笑った。ハーゼンは彼女へ目を向け、続きを話した。
「オルドはその横で、帰りの道と日数を帳面で確かめていた。トーマは靴を片方だけ膝へ載せて、底の泥を落としていたよ。使っていた枝が折れたので、俺の持っていた木片を渡した。俺のやり方を見て、自分でも同じようにしてな。前は泥がついていても、そのまま履いていたんだが」
「長く歩くと、気になるか」
ガルムが言う。
「ああ。帰りも歩くと分かっているから、余計にな。午後には、帰りの荷を受け取った。金物は、見た目より重い。荷主は行きと同じだけ載ると言ったが、オルドが、同じ大きさでも同じ重さじゃないと止めた。箱の位置を決め直して、二台へ分けたよ」
ハーゼンは身体を少しずらし、腰掛けの背へ寄りかかった。
「積み直して、最後の綱を締めた頃には日が傾いていた。荷主は、すぐ出れば少しは進めると言った。オルドは、その晩も宿へ残ると答えたよ。暗くなってから車を止める場所を探すより、朝に出た方がいい。待たされた分の代金も払ってもらう話だったから、そこで無理をする必要はなかった」
エルディアスは、ラウルの方を見た。
ラウルは腕を組み、話を聞いていた。ハーゼンの声が途切れると、顔を上げて尋ねた。
「荷主は納得したか」
「渋い顔はしたよ。だが、帰りの荷を遅くまで揃えられなかったのは、自分たちの方だからな。結局、その晩も飯を出してくれた」
「肉は入っていたのか?」
ガルムが尋ねた。
「入っていた。ペトが、何も言わずに自分の分を食っていたから、皆も黙った」
ノンノが笑い、すぐに眠っているアニカの方を見る。女は目を開けなかった。
◇
「帰りも、獣には遭わんかった。行きに避けた水溜まりは、まだ残っていたよ。カヤとトーマが別の側へ回れるか見に行ったが、結局、前と同じ地面を通した。確かめていない方へ、重い車を入れる気にはならん」
ラウルが頷いた。ハーゼンは足元へ目を落とし、また話し始めた。
「一度、橋の前で止まった。低い橋で、車二台が並ぶ幅はない。先に俺たちが渡って、板の浮いたところや欠けたところを見た。オルドは続けて車を入れず、一台ずつ渡すと言ったよ。俺とベルトが前の車についた。ほかの四人は、次の車を手前で止めていた。渡り終わってから俺たちが戻って、今度は後ろの車につく」
ノンノはその動きを、床の上へ指で小さく描いていた。
「二台目が動く時には、橋の上は空いているんですね」
「そうだ。急げば一度で済むが、途中で止まったら、後ろも動けん。帰りの荷は重かったしな」
「壊れたりはしなかった?」
セルマが問い、ハーゼンは頷いた。
「しなかった。渡って、綱を見て、また歩いた。それだけだ。その次の日には、雨が降った。長くは続かんかったから、木の下で止むまで待ったよ。荷へ覆いを掛けて、水が溜まらんように端を持ち上げる。俺たちも外套を着て、木の下へ寄った」
ハーゼンは、木の鉤へ目を向けた。濡れた上着を掛けている客もいる。
「トーマが、昨日、剣の手入れをしておいてよかったと言った。ベルトは、雨が上がったらまた拭くんだぞと教えたよ」
「一度拭けば、終わりじゃないからな」
ガルムは自分の斧へ目を向けた。
「ああ。それで、宿へ戻ったら皆で拭こうと話した。ペトは、その前に飯だと言った。カヤは靴を脱ぐ方が先だと言う。誰も、帰り着いた時にはどうでもよくなるとは思っていなかった」
ハーゼンは少し口元を上げた。
「俺も、早く帰って寝たいと思っていた。道が乾くのを待つだけの時間が、長く感じたよ」
「でも、何事もなく戻れたんだな」
ラウルが言った。
「戻れた。車輪も壊れんし、荷も減らん。誰かを運ぶために荷台を空けることもなかった」
ハーゼンは、床に置いてある自分の袋へ目を向けた。
「靴だけは減った。十三日歩けば、そうなる」
◇
話の途中で、ガルムがまた階段を見た。
上から若い男が一人下りてきたが、その顔を見るとすぐに視線を戻した。男は空いている腰掛けを探し、少し離れた場所へ座る。
ハーゼンもそちらへ目を向けた。
「まだ、会えんか」
「ああ」
ガルムは答え、膝の上で手を開いた。斧を握ってはいなかったが、指が少し固くなっていたようだった。
「俺たちも、仕事が終わったら何を食うかは、よく話す。道を歩いている間からな」
「帰るまでに、腹が減るからな」
「言い出した奴が、一番先に寝ることもある」
セルマが隣で頷いた。
「食べる時には起きているけれど、待っている間に寝るのよね。起こすと、寝ていないって言うの」
「寝てる。呼んでも、最初は返事をしない」
ガルムはそう言い、笑いかけた。
途中で、表情が少し止まった。
ハーゼンはその顔を見たが、誰のことかを聞かなかった。
「俺たちも、帰った晩にはそうなったよ」
男は静かに言った。
「十三日目に荷を引き渡して、六人で宿へ戻った。濡れた外套を下げて、靴を脱いで、剣を拭く。やるつもりだったことは、全部あったんだが」
「先に、飯にしたのか」
ガルムが尋ねると、ハーゼンは首を横に振った。
「先に、椅子へ座った」
ハーゼンの口元が緩む。
「そこで、トーマが動かなくなった。剣を腰に下げたまま、椅子へ座っていた。ベルトが、腰が痛くなるから外せと言うと、頷く。だが、手は動かん」
「眠っていたんですね」
ノンノが言った。
「半分な。外套を取り上げたら、引っ張り返された。それでも、何を取られたか分かっていなかった」
ガルムが短く笑った。
ハーゼンは、その笑いを見てから、話を続けた。
「オルドは代金を数えていた。皆に分ける前に、何度もな。ペトは鍋の匂いを嗅いで、宿の女将に、今日は何を煮ているか聞いた。カヤは椅子へ腰を下ろした後で、自分の靴の紐を解いた」
「ベルトは?」
ラウルが尋ねた。
「空いた椅子が一つあったから、足を載せようとした。そこへ俺が座ったので、文句を言われた」
「六人分しか、なかったのか」
「ああ。長い卓だったが、空いていたのは六つだ。足のために、俺が立っているわけにはいかんだろう」
セルマが声を抑えて笑った。
ハーゼンは、その卓の幅を測るように、腰掛けの端へ手を置いた。何かを数えるためではなく、隣の椅子があった場所を思い出すような仕草だった。
「女将が器を持ってきた。まだ飯は入っていない。六つ重ねて、卓へ置いたんだ」
ノンノは男の手元を見た。
今、そこには器はない。革袋と、脱いだ靴、それに小さな布包みがあるだけだった。
「先に水を飲めと言われたよ。飯はすぐ出すから、飲んで待っていろ、と。オルドが代金をしまって、トーマを起こした。ペトはもう椀を持っていた」
ハーゼンは、そこで少し黙った。
ガルムも、その間には階段を見なかった。
「何を食ったんだ?」
しばらくして、ガルムが尋ねる。
「煮込みだ。豆と、肉と、根菜。道で食ったものと、大して違わん。だが、宿の鍋は大きかった。もう一度よそっても、まだ残っていた」
「それなら、足りたな」
「ああ。誰も、残りを明日に回すから少なく食えとは言わなかった」
男は壁へ背を預けた。
「六人で、腹が減ったと話していた。十三日も歩いて、ようやくそれだけになったんだ」
ラウルは顔を上げたまま聞いていた。
ガルムも、もう自分の荷物へは触れていない。
エルディアスは二人を見て、それからハーゼンへ視線を戻した。ラウルもガルムも、続きを促さずに待っていた。
ハーゼンが、向かいに座るドランの布包みへ目を向けた。
「話していたら、また腹が減るな」
「食うか。少し残ってる」
ドランが包みを持ち上げる。
「いや。さっき、上で食ったばかりだ。話している口が、食いたくなっただけだよ」
ハーゼンは笑って、片手を上げた。
ドランも頷き、パンを膝へ戻す。
「いい晩だったんだな」
ガルムが言った。
ハーゼンはすぐには答えなかった。腰掛けの空いたところを一度見てから、ゆっくり頷く。
「ああ」
その声には、さっきまでの軽さがなかった。
「俺は、まだ次の仕事のことを考えていた。靴を直してから出るなら、何日空けるか。休んでいる間に、オルドは次の荷主を見つけるつもりなのか。飯を食いながら、そんなことばかり気にしていた」
ノンノが少し顔を上げた。
「休むことは、決めていなかったんですか?」
「明日は休もうと、皆で言ったよ」
「じゃあ、休めたんですね」
ハーゼンは、僅かに笑った。
「休めたよ。ただ、休む話をしている間も、トーマは半分寝ていた。まずは目の前の飯を食わせないとな。それが済むまでは、明日の話にもならんかった」
ノンノも笑った。ガルムが腰掛けへ少し深く座り直す。セルマも外套を畳み、話の続きを待っていた。
その時、上の通路で誰かが声を掛けた。ガルムの目が階段へ向く。すぐに別の客の返事が聞こえ、探している二人ではないと分かった。
彼は視線を戻した。
ハーゼンは急かさず、ガルムがこちらを見るまで待っていた。
船の壁の向こうでは水音が続いていた。外套を掛ける木の鉤が、一つだけ空いている。そこへ、ハーゼンが自分の外套を下げた。
剣は抜かれず、靴は床へ揃えられた。
男は両手を膝へ置き、昔の宿の卓へ戻るように、話の続きを始めようとしていた。




