第48話 通知表の十字架と秘密の勉強会
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「……ねえ、これ見て。私の『5』の数、過去最高かも」
終業式の直後、セミの鳴き声が激しさを増す正午の理科準備室。美歩さんが少し照れくさそうに、けれど誇らしげに通知表を広げた。
僕、佐野も自分の手元にある青い冊子を見つめる。
国語、理科、社会。
この三教科については、一学期の努力がそのまま数字になって現れていた。特に社会科は、授業の枠を超えて富士山の地質や歴史を調べていた姿勢が評価されたのか、観点別評価もすべて最高ランクだった。生徒会副会長としての活動点も加味されているのだろう。
「……さすがだな、お前ら二人は」
対照的に、原が「ぐたーん」と机に突っ伏しながら、自分の通知表を恨めしそうに眺めている。
「見てくれよ、この体育だけ飛び抜けた『5』。 50メートル走もハンドボール投げも学年トップクラスなのに、数学ときたら……マイナスのかけ算で俺の脳細胞がマイナスに突入しちまったよ」
「私も似たようなもんよ」
結衣もため息をつきながら、通知表をパタパタと扇子代わりに使っている。
「体育と美術はいいんだけどね……。英語の動詞の変化表? あんなの、呪文にしか聞こえないわよ。あーあ、このままだと夏休み、カメラよりペンを握ってる時間の方が長くなっちゃう」
僕と美歩さんは、二人の「文武不相応」な成績表を見て、思わず顔を見合わせた。
「よし。じゃあ、約束通り僕の家で勉強会をやろう」
僕は眼鏡を 「くいっ」 と直し、リーダーシップを発揮することにした。
「原と結衣さんの苦手科目を、僕と美歩さんで分担して教える。その代わり、今日中にワークの三割を終わらせること。これが明日からの御殿場遠征への『入国許可証』だ」
「……鬼副会長め。でも、背に腹は代えられねえ!」
放課後、僕たちは僕の家へと向かった。
僕の部屋は、普段から調べ学習用の資料や地図が整理されているため、さながら「作戦本部」のような雰囲気がある。
「お邪魔しまーす……わあ、佐野くんの部屋、本がいっぱい」
美歩さんが物珍しそうに書棚を眺める。地理の資料集やカメラの専門誌、そして生徒会の規約集。彼女の視線が少しだけ僕のプライベートに触れることに、僕は少しだけ耳が熱くなるのを感じた。
「さあ、雑談はそこまでだ。原、数学を出すんだ。美歩さんは結衣さんの英語を見てあげてくれるかな?」
こうして、三十度を超える熱気の中(リビングから借りてきた古い扇風機を全開にして)、僕たちの「宿題攻略戦」が始まった。
「いいか、原。この連立方程式は、二つの直線の交点を探す作業なんだ。……ほら、僕たちが地図の上で『ここだ!』って撮影ポイントを決める時と同じだよ。条件を重ねて、たった一つの正解を導き出す」
「……なるほど。そう言われると、なんかレンズのピントを合わせる作業に似てるな」
理数系に強い僕の説明は、原にとっては新鮮だったらしい。
一方で、美歩さんは結衣に優しく英語を教えていた。
「結衣ちゃん、この動詞はね……。過去形にする時、形が変わるものがあるの。……思い出を写真に残すみたいに、言葉も『過去の形』に大切に書き換えてあげるんだよ」
「……美歩、教え方がロマンチックすぎる! でも、なんか覚えられそう!」
得意な二人が、苦手な二人の手を引く。
その光景は、探景の現場で原が重い三脚を持ち、結衣が最高の構図を提案し、僕たちがそれを記録する、あの連携プレーそのものだった。
勉強の合間、母さんが「冷たい麦茶とスイカよ」と差し入れを持ってきてくれた。
「みんな、仲良く勉強してて偉いわね。佐野、副会長なんだから、しっかりみんなの面倒を見るのよ」
「わかってるよ、母さん」
母さんの温かい視線に、原が「おばちゃん、この麦茶が命の水です!」と大げさに喜ぶ。少し前まで「県外行き」を巡ってピリピリしていた家の空気が、こうして仲間を招き入れたことで、穏やかな夏の午後に塗り替えられていった。
数時間が経過し、部屋の中に夕方の斜光が差し込み始めた。
「……終わった! ワーク三十ページ、完遂!」
原が叫びながら、両手を高く突き上げた。
「私も、不規則動詞のテスト、満点取れたわ!」
結衣も美歩さんとハイタッチを交わしている。
僕たちの前には、一学期の復習が詰まったワークの山。
そしてその横には、しっかりとフル充電されたカメラと、手入れの行き届いたレンズが並んでいた。
「これで……準備は整ったね」
僕は眼鏡を 「くいっ」 と直し、みんなの顔を見渡した。
通知表に記された数字は、僕たちのこれまでの記録。
けれど、明日から始まる夏休みは、まだ誰も書いていない真っ白なページだ。
体育だけが得意な原と結衣。
勉強はできるけれど、まだ外の世界を知らない僕と美歩。
凸凹な四人が、一つの目的のために机を並べ、汗をかいた。この時間こそが、僕たちが御殿場の厳しい霧に立ち向かうための「本当の準備」だったのだ。
「明日の集合は、吉原駅。始発に近い電車だ」
「応! 寝坊したら置いていくからな、結衣!」
「それは私のセリフよ!」
笑い声が、僕の部屋から夕暮れの富士市へと溶けていく。
通知表の「5」よりも、数学の正解よりも、今この瞬間の「僕たちの熱量」の方が、ずっと価値があるような気がした。
父さんが帰宅し、玄関で僕たちの靴を見て「賑やかだな」と呟くのが聞こえた。
「……明日、気をつけて行ってこいよ」
階段の下から聞こえたその声に、僕は心の中で「行ってきます」と返事をした。
十四歳の夏、宿題という名の境界線を越えて。
僕たちは明日、宝永山の「真実の顔」を現像しにいく。
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