第47話 暑い暑いあつーい
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七月の半ば、午前九時。
富士北部学園 吉永校舎の体育館は、巨大な蒸し風呂のようになっていた。
本来であれば終業式は一週間後のはずだったが、連日の記録的な猛暑により、市の方針で急遽「繰り上げ夏休み」が決定したのだ。
全校生徒が整列する中、大型の扇風機が唸りを上げて首を振っているが、運ばれてくるのは熱風ばかり。
僕たちの制服の背中は、すでにじっとりと汗で張り付いていた。
「……暑い。これ、式典が終わる前に僕たちの脳が茹だるよ」
隣に並ぶ原が、口を動かさずに小声で零す。
僕は眼鏡を 「くいっ」 と直し、額を流れる汗を拭った。生徒会副会長として壇上の横に控えている僕は、全校生徒の様子を観察しなければならない立場だ。美歩さんも、結衣も、列の中で少し顔を赤くしながら、じっと前を見つめて耐えている。
やがて、校長先生がゆっくりと壇上に上がった。
マイクのノイズが静かな体育館に響く。校長先生は、いつもなら長く続く「思い出話」を横に置き、非常に真剣な表情で語り始めた。
「皆さん。今日、私たちは予定よりも早く夏休みを迎えることになりました。これは単なる『お休みが増えた』という喜ばしいニュースではありません。私たちの住むこの地球が、今、悲鳴を上げているという証拠なのです」
その言葉に、下を向いていた生徒たちがポツリ、ポツリと顔を上げた。
「地球温暖化、あるいは『地球沸騰化』という言葉を耳にしているでしょう。皆さんが今、この体育館で感じている耐え難い熱気。これはかつての日本にはなかったものです。先生が子供の頃、夏休みの朝はもっと涼しく、外で走り回ることができました。しかし今は、外に出ることさえ命の危険を伴う。私たちは、自分たちが作り出してしまった新しい環境の中で、どう生き抜くかを考えなければならない段階に来ています」
校長先生の視線が、僕たち生徒会役員の席を通り過ぎ、窓の外の富士山へと向けられた。
「この夏、皆さんはたくさんの景色に出会うでしょう。しかし、その景色の中には、かつて当たり前だったものが失われつつある現実も含まれています。暑さから逃れるだけでなく、なぜこれほど暑いのか。自分たちに何ができるのか。この早すぎる夏休みを、考える時間にしてほしい」
校長先生の話が終わると、次は僕たち生徒会役員の出番だ。
僕は一歩前に出ると、マイクに向かって声を張った。
「副会長の佐野です。校長先生のお話にあった通り、今年の夏は例年以上に厳しい暑さが予想されます。生徒会のスローガンである『自律と共生』に基づき、一人ひとりが体調管理を徹底してください。また、予定外の長期休暇となった分、配布された大量の宿題を早めに終わらせ、有意義な活動に充てられるようにしましょう」
「宿題」という単語を出した瞬間、体育館の空気が一瞬だけ「うわぁ……」という絶望の色に染まった。副会長として嫌われ役を買って出た形だが、これも僕なりの「探景」を守るための布石だった。
式が終わり、教室に戻る廊下で、結衣が恨めしそうに僕を小突いた。
「佐野くん、あそこで宿題の話はナシだよ! みんなのテンションが垂直落下してたじゃん」
「……仕方ないだろ。実際、一週間分の上乗せがあるんだ。それに、僕たちが御殿場に行くためには、この『宿題の山脈』を越えなきゃならない」
教室の自分の机の上には、国語、理科、社会……と、得意科目のワークが積み上がっている。特に地球温暖化の影響を調べる理科のレポートは、校長先生の話を聞いた今、僕にとってただの課題以上の意味を持ち始めていた。
「……佐野くん、お疲れ様。副会長の挨拶、すごく凛々しかったよ」
帰りの準備をしていると、美歩さんが声をかけてくれた。彼女の手には、使い古されたカメラバッグ。
「ありがとう、美歩さん。……校長先生の話、どう思った?」
「……少し、怖くなったかな。私たちが撮っている綺麗な景色も、いつかは暑さのせいで変わっちゃうのかなって。……だからこそ、今のこの一瞬を、ちゃんと残しておかなきゃいけないんだって、強く思った」
美歩さんの瞳には、いつもの静かな情熱が宿っていた。
僕たちは中学二年生。世界を変えるような大きな力は持っていない。でも、レンズを通して現実を見つめ、それを誰かに伝えることはできる。
「……そうだね。僕たちの『探景』は、ただの思い出作りじゃない。変わりゆく街の、今この瞬間の証言なんだ」
原が後ろから僕の肩を組んだ。
「堅苦しい話はそこまでだ! とりあえず、明後日の御殿場遠征までにある程度ワークを終わらせるぞ。佐野、お前の家で勉強会だ。いいな?」
「……勝手に決めるなよ。でも、まあ、歓迎するよ」
終業式のチャイムが鳴り響き、長い、あまりにも長い夏休みが幕を開けた。
校門を出ると、暴力的なまでの陽光が僕たちを包み込む。
蜃気楼のように揺れるアスファルトの向こう側。
僕たちは、まだ見ぬ「冷たい霧」が待つ御殿場の地を目指し、汗を拭いながら歩き出した。
手に持つのは、重たい宿題と、未来を映すためのカメラ。
中学二年生、十四歳の夏。
地球が沸騰するような熱さの中、僕たちの情熱もまた、静かに沸点へと向かっていた。
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