第42話 赤点回避の攻防戦、静かなる撤退
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一定期テスト、最終日。
最後の科目の終了を告げるチャイムが校舎に鳴り響いた瞬間、教室全体から「終わった……」という地響きのような安堵と絶望が入り混じった溜息が漏れた。
いつもなら、テスト明けの解放感に任せて「どこへ撮りに行く?」「いつものスーパーでジュース買って遊ぼうぜ」と騒ぎ出すのが、僕たち探景同好会の決まり文句だった。けれど、今日の理科準備室に集まった四人の空気は、これまでとは明らかに違っていた。
「……もう、一歩も動けん。シャッターを切る指の筋力が、文法の助動詞の暗記で使い果たされた……」
原が机に突っ伏し、もはや抜け殻のようになっている。隣では結衣が、珍しくカメラバッグを開けようともせず、ぼんやりと天井を見上げていた。
「同感。今はレンズのピントを合わせるより、自分の人生のピントを合わせ直したい気分。……あーあ、赤点だったらどうしよう」
僕は眼鏡を「くいっ」と直し、窓の外を眺めた。
雨は上がり、雲の隙間から眩しい初夏の光が差し込んでいる。絶好の「雨上がり、光の乱反射」を狙えるチャンスだ。いつもなら、美歩さんに「行こう」と声をかけているはずの時間。
けれど、僕はカバンの中からカメラを取り出さなかった。
「……ねえ、佐野くん」
美歩さんが、僕の隣の席に静かに座った。彼女もまた、今日は愛機のレンズキャップを閉じたまま、机の端に置いている。
「今日は……探景、しないよね?」
「ああ。しないよ」
僕は短く答えた。
「今は、無理に景色を追いかける時じゃない。僕たちの心が、まだあのテストの余韻……というか、疲労の中に取り残されているからね。そんな状態でファインダーを覗いても、きっといい『景』は見えてこない」
「……よかった。実は、私もそう思ってたの」
美歩さんは小さく息を吐き、少しだけ肩の力を抜いた。
「今日はただ、こうして座ってたい。……カメラを通さないで、ただの高校生として、この準備室の匂いを嗅いでいたいな」
「探景をしない」という選択。
それは、活動をサボるということではない。今の僕たちにとっては、自分たちの内側を「現像」し直すための、大切なメンテナンスの時間だった。
(まぁ。僕らが勝手にやってるだけだったんだけどねー)
原はいつの間にか低いいびきをかき始め、結衣はヘッドホンを耳に当てて、お気に入りの音楽を聴きながら微睡んでいる。
窓から入り込む風は、雨上がりの土と、湿った緑の香りを運んでくる。
いつもなら「あ、今の雲の形がいい」「光の角度が最高だ」と分析してしまう要素たちが、今日はただの「心地よい刺激」として僕の体を通り抜けていった。
「……佐野くん、見て。あそこのカーテンの影」
美歩さんが、壁に映る柔らかな影を指差した。
「カメラを持ってると、あのアングルから、あの露出で……って考えちゃうけど。……ただ見てるだけだと、なんだか不思議だね。あんなに揺れてるのに、音もしない」
「そうだね。……僕たちは、少し『探しすぎ』ていたのかもしれない。……たまには、こうして景色の方から僕たちの中に流れ込んでくるのを待つのも、悪くない」
一時間ほど、僕たちはただ静かに過ごした。
会話も少なく、ただそこにいるだけの時間。
ぼーっとどこかを見たり、天井のシミを数えたりした。
けれど、その「何もしない時間」を共有したことで、重く沈んでいた心が、少しずつ軽くなっていくのが分かった。
「……よし。復活」
突然、原がガバッと起き上がった。
「寝たらスッキリしたわ。……今日はこのまま帰って、肉食って寝る! 明日、テストが返ってくるまでの猶予を全力で楽しんでやるぜ」
「私も! コンビニで一番高いアイス買って帰る!!」
結衣も立ち上がり、大きく伸びをした。
二人につられて、僕と美歩さんも立ち上がる。
「佐野くん、今日はありがとう」
帰り際、昇降口で美歩さんが言った。
「『探景しない』って言ってくれて、なんだかホッとした。……また、撮りたくなった時に、誘ってもいい?」
「もちろんだよ。……その時は、今日よりずっといい目で見られるはずだから」
西日に照らされた富士市の街並みが、オレンジ色に輝いている。
カメラを持たない帰り道。
けれど僕の心には、今日という「空白の景色」が、どんな写真よりも鮮明に刻まれていた。
明日になれば、現実の点数が返ってくる。
けれど、この四人で過ごした「何もしない放課後」がある限り、僕たちはまた、新しい季節の光を探しに行ける。
眼鏡を「くいっ」と直し、僕は長い影を引き連れて、自宅へと続く坂道をゆっくりと歩き出した。
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