第33話 レンズ越しの余韻 そして日常への帰還
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生徒会室での作業を終え、僕は重いカバンを肩にかけ直した。廊下には夕刻のオレンジ色の光が差し込み、長く伸びた僕の影が、誰もいない床を滑るように進んでいく。
ゴールデンウィークという、あの眩しいほどの連休はもう終わってしまった。
一度はそのまま下校しようと思った。けれど、気づけば足はいつもの場所――理科準備室へと向かっていた。
「……まだ、誰かいるのかな」
静かに扉を開けると、そこには予想外の光景があった。
原や結衣の賑やかな声はない。ただ一人、窓際の席で、美歩が机に突っ伏すようにしてカメラを覗き込んでいた。
「……美歩さん?」
僕の声に、彼女はびくっと肩を揺らして顔を上げた。
「あ……佐野くん。生徒会の仕事、終わったの?」
「ああ。なんとかね。美歩さんは……まだ残ってたんだ」
美歩の前には、沼津へ持っていった一眼レフが置かれていた。彼女は柔らかいクロスで、丁寧に、慈しむようにレンズを拭いている。
「……うん。委員会のあと、どうしてもこのレンズのお手入れをしておきたくて。……沼津の潮風、結構強かったから」
そう言って少しだけ照れくさそうに笑う彼女を見て、僕の胸の中に、沼津の駅前で見たあの「動輪」や、牛臥公園で聴いた彼女の「鼻歌」が鮮明に蘇ってきた。
「……そうだね。手入れは大事だ。……あの日の写真、もう見返した?」
僕は彼女の隣の席に、少しだけ距離を置いて腰を下ろした。
「……少しだけ。……まだ、自分の中だけで『現像』してる感じ。……佐野くんのは?」
「僕は何度も見返してるよ。……でも、あの牛臥公園から見た駿河湾の青は、今まで撮ったどの海よりも……なんていうか、澄んで見えた気がする」
僕がそう言うと、美歩はレンズを拭く手を止め、夕闇に包まれ始めた窓の外を見つめた。
準備室の空気は、以前のような「四人の部室」の賑やかさとは少し違っていた。もっと静かで、それでいて、お互いの存在がはっきりと分かるような、不思議な密度を持っている。
連休が終わり、今日からまた「学年委員」や「生徒会本部」としての忙しい日常が再開した。けれど、僕たちの間には、あの連休前の金曜日の夜や、土曜日の沼津で共有した「何か」が、確かな温度を持って残っている。
「ねえ、佐野くん」
美歩が、伏せ目がちに呟いた。
「……休み、終わっちゃったね」
「……そうだね。……また明日から、委員会に会議に、やることが山積みだ」
「……うん。……でも」
彼女はそこで言葉を切り、僕の方をちらりと見た。その瞳には、夕暮れの残光が反射して、沼津の海のような深い光が宿っていた。
「……でも、あの日みたいな『静かな時間』があったから、『探景』があったから、明日からも頑張れる気がする。……私だけかな?」
心臓が、少しだけ強く鼓動を打つのを感じた。僕は眼鏡を「くいっ」と直し、あえて視線を窓の外に逃がした。
「……そうだね、僕も、そんなような気持ちだよ」
日常は戻ってきた。役割も増えていく。けれど、僕たちの手元には、二人で共有した「あの日の青」がある。
「……さて、そろそろ帰ろうか。……門が閉まっちゃう」
「そうだね。……じゃあ、また。……明日も、学校でね」
僕たちは連れ立って準備室の明かりを消し、静まり返った校舎をあとにした。
正門を出る時、振り返ると、さっきまで僕がいた生徒会室の窓が、月明かりを浴びて静かに輝いていた。
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