第30話 ベンチ 牛伏の午後
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牛臥公園の海沿いには、ゆるやかな曲線を描く遊歩道と、海に面したベンチが点在していた。僕たちは一番眺めのいい場所に腰を下ろし、買ってきた昼食を広げた。
「……やっと来られた」
美歩さんが、おにぎりを一口頬張ってから、深呼吸するように呟いた。
「ここ、ずっと来たかったんだ。ずっと、ずっと」
「そうだったんだ。……それにしては、今日は穏やかでよかったね」
僕は隣でカメラの設定を確認しながら、かつての記憶を思い出す。
「実は僕、前に一度一人でここに来たことがあるんだけど、その時は風が強すぎて本当にやばかったんだ。被ってた帽子が吹き飛ばされそうになるし、波しぶきが眼鏡まで飛んできて……。景色を楽しむどころじゃなかったよ」
「ふふっ、想像できるかも。今日の佐野くんは、眼鏡を直す回数が少なくて済んでるもんね」
美歩さんは楽しそうに笑い、自分のスマートフォンを水平線にかざして動画を回し始めた。
画面越しではなく、生の瞳で見る内浦の海。背後には、こんもりとした牛伏山が、その名の通り牛が寝そべっているような穏やかなシルエットで僕たちを見守っている。
「牛伏山って、昔の人がこの形を見て名付けたんだろうね。……あ、カモメ」
彼女は空を舞う鳥を追いかけながら、小さく鼻歌を口ずさみ始めた。
聞き覚えのない、けれどどこか懐かしいメロディ。潮騒の規則正しいリズムと、彼女の柔らかな声が混ざり合い、贅沢なBGMとなって僕の耳に届く。
「……撮れた?」
「うん。いい動画になったと思うよ。光の加減が最高だ」
僕たちはそれからしばらく、会話を止めて「音」を聴いた。
寄せては返す波の音。遠くで鳴る船のエンジン音。風が松の葉を揺らす音。
学校での委員会や生徒会のこと、将来の不安。そんなものは、この広大な駿河湾の青に溶けて、どこか遠くへ消えてしまったかのようだった。
午後三時を過ぎる頃、僕たちは重い腰を上げた。
「名残惜しいけど……そろそろ帰ろうか」
「うん。でも、胸がいっぱいだよ」
帰り道、再び狩野川を渡り、今度は街中の道を歩いて沼津駅へ戻った。
電車に乗り込むと、遊び疲れた子供のような心地よい脱力感が僕たちを包み込む。窓の外、夕暮れ前の光を浴びた東海道本線の長い直線路が、再び
吉原へと僕たちを連れ戻していく。
「……着いちゃったね、吉原駅」
午後五時前。朝、待ち合わせたJR吉原駅の改札。
TOICAをタッチして外へ出ると、いつもの富士市の風景が広がっていた。けれど、今朝までの僕が見ていた風景とは、何かが決定的に違って見えた。
「佐野くん、今日は本当にありがとう。ついてきてもらえてよかった」
「こちらこそ。いい探景ができたよ。……また、行こう」
「うん。……じゃあ、月曜日、学校でね!」
美歩さんは小さく手を振り、岳南電車のホームの方へと歩いていった。
一人で歩く家路。
母にメッセージを送る。
『今から吉原駅から帰るから18時30分前くらいには、帰ると思うよ。』
送信ボタンを押し、スマホの電源を切り、ポケットにしまった。
ポケットの中のスマホには、今日撮ったばかりの静かな海の動画が保存されている。
(……なんだか、不思議で、楽しかったな)
グループのみんなで騒ぐのもいい。けれど、今日のように、ただ隣に座って同じ海を眺めるだけの時間も、僕にとってはかけがえのない「景色」だった。
「……また、行きたいな」
僕は眼鏡を「くいっ」と直し、夕闇が迫る空を見上げた。
ゴールデンウィークは、残り3日。
(あと3日。勉強でもしとこうかな…あとは、散歩とかその辺やるか)
ジヤトコの横のどこまでも続く直線を一歩一歩着実にあるいった。
「だいぶこの時間でも明るくなってきたな。」
僕は、空を見上げる。
「そうだ。写真の整理とかもやらないとな。」
僕の足取りは、少し軽やかになった。
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