第23話 給食の情熱、赤と緑
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5月。
吉永校舎の窓から入り込む風には、少しずつ初夏の匂いが混じり始めていた。
四時間目の数学の授業、連立方程式の解を求める僕の耳に、廊下の向こうから微かに、けれど確実な「予兆」が届いた。
(……この匂いは、間違いない)
僕は眼鏡を「くいっ」と押し上げ、意識を鼻先に集中させる。トマトの甘酸っぱい香りと、炒められた玉ねぎの芳醇な香り。そして、食欲を暴力的なまでに刺激する、あの中毒性の高いソースの匂い。
「……つけナポリタンだ」
隣の席で、今にも魂が口から漏れ出しそうなくらい眠気に襲われていた美歩が、その瞬間、目を見開いてピクッと反応した。彼女の鼻も、どうやら僕と同じ信号を受信したらしい。
チャイムが鳴ると同時に、教室内には安堵と歓喜が混じったような、独特の空気が流れた。
「っしゃあ! 今日は当たり日だ!」
原が椅子を鳴らして立ち上がり、前の席の結衣とハイタッチを交わしている。
12:28 @教室
給食の時間。配膳台の上には、大きな食缶になみなみと注がれた真っ赤なスープが鎮座していた。
富士市吉原が生んだご当地グルメ、「つけナポリタン」。
富士市の学校給食において、これは単なるメニューの一つではない。吉原商店街、富士市を盛り上げるべく、吉原商店街のとある喫茶店から生まれ、提供する各店や人、それぞれの工夫がこの一品に詰め込まれている。これは、富士市の「名物グルメ」だ。
具材の旨みが凝縮されたスープに、給食特有のソフト麺を少しずつ浸して食べるのが、僕たちの流儀。
「見てよ、この麺の絡み具合! 芸術的だと思わない?」
結衣がマイ箸を器用に使い、麺をスープにダイブさせる。
「……うん。この濃いめのソースが、ソフト麺の柔らかさに完璧にフィットしてる。富士市民でよかったって思う瞬間だね」
美歩は、さっきまでの眠気が嘘のように、真剣な眼差しで「赤」と向き合っている。
「あと、この上にのかってるチーズもまたいいよね~」
「うんうん~」
「佐野、つけナポリタンの歴史、また語るか?」
原が口の周りを真っ赤にしながら、ニヤニヤと聞いてくる。
「……いや。今は言葉はいらないだろ。この味そのものが、吉原商店街の歴史と活気を物語っている」
僕は眼鏡を直し、最後の一口を噛み締めた。トマトの酸味、野菜の甘み、そして少しのスパイス。それは、僕たちが住むこの街の、情熱の色そのものだった。
「サイダーかん」
しかし、今日の給食はこれだけでは終わらない。デザートのバケツの中には、涼しげに透き通った黄緑色のゼリーが並んでいた。
「……来た。サイダーかんだ」
富士市民以外には馴染みがないかもしれないが、
これは富士市の給食において絶大な人気を誇るデザートだ。
時は、遡ること、約60年前。
昭和40年代に、市内の吉原第一中学校の栄養士が、子供たちのために考案した寒天デザートで、サイダーを寒天で固めたもので、口に含んだ瞬間にシュワシュワとした気泡が弾ける不思議な食感。
「このシュワシュワ感、どうやってキープしてるんだろうね。永遠の謎だよ」
結衣がスプーンで宝石のようなサイダーかんを掬い上げる。
「……冷たくて、甘くて。つけナポリタンの後のこれは、最高のご褒美……」
美歩が幸せそうに目を細める。
「これを食べなきゃ、富士市の給食は終われないよな!」
原が勢いよくサイダーかんを口に運ぶ。
窓の外には、五月の青い空。
真っ赤なソースの余韻と、透明なサイダーの泡。
一見、何の脈絡もない組み合わせだけれど、僕たちにとっては、これ以上ない「五月の味」だった。
「僕の小学校のときの話なんだけどさ、」僕が話を切り出した。
「ん?」
「北海道の北部、名寄のほうから転入してきた子がいたの。」
「あーこの辺工場とかも多いしな。」
この辺りの地域、富士市の多くの場所でいえることだが、工場が多いからなのか、外国からきた人や全国各地からきた人が集まってきている。
だから、学校には、「日本語教室」というポルトガル語などの他言語を話す生徒が、毎日そこに通って、学校の宿題をしたり、日本語の勉強をしたり、自分の国の話をしたりする。
これも工場の多い町とか特有のものなのかもしれない。
「それでさ、サイダーかんが、転入してから始めて給食ででて食べたときに、変な味っていかにも美味しくなさそうな顔をしたから、教室内で戦争が起こりそうになった。」
「まぁ人それぞれ、味の感じ方違いもあるだろうしね。」
「そうだねー」
「でも、つけナポはめっちゃおかわりしてて、こっちも嬉しかった」
「おおーそりゃー良かったな!」
「こんなに美味しいんだからね~」
「やっぱつけナポ」
「「「最高ー!!!」」」
「ふふ。」
(……賑やかだな。給食一つで、こんなに笑えるなんて)
僕は眼鏡を直し、自分の分のデザートを一口食べた。
喉を通る炭酸の刺激が、少しだけ僕たちの距離を近づけてくれたような気がした。
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