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30/32

その30

  サトシからお詫びにともらった劇場招待券は、話題の映画【乞い願わくば】。

 ゲスト女優が美人で有名だと須藤しえあが絶賛していた。

 もともとは連続ドラマとしてテレビで放映された人気作品の続編だという。

 刑事アクションにコメディ要素を含み、魅力的で多彩な登場人物たちの複雑な心理が絡まり、ラストはとても切ない仕上がりにまとまる二時間半は、冒頭は笑い声をあげていた観客がラストでは涙を流して鼻をすする起伏に富んだ作品だった。

 とにかくアクション場面が興味深く、理闘は画面に釘付けになった。

 撮影カメラの角度が多方向だからか一瞬一瞬で変化する視点。映像編集で切り貼りした戦闘シーンは素直に格好良いと絶賛できる。見事すぎて、いつかは自分の戦闘時に応用できるかもしれないと頭の中でイメージを反芻させた。

 物語の展開もキャラクターもアクションも最上級のエンターテインメントだった。

 だが理闘が一番驚いたのは主演女優リーナの面貌だ。

 噂のリーナは先日クラブに居合わせた美女と同じ顔をしていた。

 日曜日――

 快晴と青い空と心地よい風が春の清涼感を街に満たしている。道行く人々も自然と福福しい柔和な表情で健やかな休日を堪能しているようだ。

 理闘は生まれて初めて映画館を利用するので、未知への不安を減らすため、劇場まで鮎川儷を連行した。行かないと駄々をこねられると予想していたのに、抵抗もなく、あっさり諒解したので逆に理闘が拍子抜けした。

 シネコン。複数の映画を会場ごとで上映し、各回の観客を入れ替えてゆく制度だという。招待券を持っていたので、事前にネット予約したり、券売機でチケットを購入する手間が省けて助かった。あまりに簡単だったので鮎川儷は必要なかった。

 鮎川儷のロン毛が目立つので帽子とサングラスを用意させたのに、老若男女問わず、多方面からひどく視線を集めた。学園ではないので名前や素性が知られておらず、話しかけてくる人間は稀だったのが幸いだ。ただし話しかけられても全員漏れなく一瞥もせずに無視に徹したのは、隣にいる理闘の方が心が痛んだ。

「すみません。日本人じゃなくてトルキスタン語しか話せないんです」

 即席の設定で誤魔化した。

 映画の内容やリーナの芝居や、先日のクラブでの出来事が錯綜して脳が混線している。

 シネコンを出てからぶらぶらと歩道を踏みしめていると、鮎川儷が終演後はじめて口を開いた。

「リーナはアポリナリアの娘です」

 理闘は言葉を失った。

 クラブで接触した美女が、実は話題沸騰の女優だった事実だけでも衝撃だったのに、鮎川儷が更に補足を加えてゆく。

「アポリナリアの過去を調べました。ウクライナの貧しい家に生まれた彼女は美しい少女として有名になり、いわゆるパトロンが名乗り出て、若くして劇場や映画スターとして成功したようです。若きアポリナリアのスター時代がこちらです」

 鮎川儷が差し出したスマホ画像に、九頭身のスタイルに大輪の華を思わせる美麗な顔の少女が映っている。あまりの完璧さに嘆息が漏れた。同年代に成長したリーナにもその面影が色濃く反映されている。

「アポリナリアには、経済支援を申し出る紳士や製作者に仲介するパトロンが複数いました。日本の【芹和の府】の創始者もそのひとり」

「セリワノフってスコプツィの開祖と同じ名ね?」

 鮎川儷がこくりと頷く。

「彼は優秀で見栄えも良く自信家の富豪で、派手な好色家だと巷では有名な人物です。彼には正妻がいました。正妻の他にも数えきれない女性の面倒を見ています。史実として記されているのは正妻との間に子供が四人、他に十七人の女性に子供を生ませています。正確な数は拾えません。アポリナリアは愛妾のひとりで彼の子を生みました」

 随分と精力的な男だ。

「アポリナリアを短縮したロシア名にするとポリーナ。リーナの由来は母です。アポリナリアが生んだリーナは芹和本家の養子となりました。実際は父と子ですが、戸籍上は高祖父と孫という続柄になっています」

「ややこしいのね」

「リーナは幼稚舎から明峰学園に通っています。子役として芸能活動していましたが、一時的にメディアから姿を消し、明峰学園高等部の演劇部に所属しました」

 サトシが言っていた演劇部の先輩がリーナに該当するわけだ。

「リーナが演劇部時代に上演した【カラマーゾフの兄弟】は、鬼気迫る演技が伝説として語り継がれています。僕は中等部の頃に舞台を鑑賞しました」

「あんたたち知り合いだったの?」

 クラブで顔を合わせた二人は頻繁に火花を散らしていた。

「知り合いではありません。あちらが僕を敵視しているだけです。完璧な僕の美しさを妬んでいるだけです。僕にアリョーシャを重ねて見ているからです」

 鮎川儷の自画自賛が始まったので無視した。

「リーナは迅晴くんと恋仲でした」

「は!」

「リーナが演劇部の看板スターとして君臨した時、迅晴くんは中等部一年でした」

「ほんとに?」

 どこでどう知り合ってオレンジ頭と絶世の美女が組み合わさるのだろう。世界の不条理だ。整合性が壊れている。むしろオレンジ頭の手腕を褒め讃えるべきか。

「けど過去形? なんで別れちゃったんだろ」

 口にしてから上条迅晴の浮気癖を思い出した。当然の帰結といえる。

「アポリナリアは六人の子を生みました。そのうち一人は芹和の血筋を持つ実子のリーナ。アポリナリアは他に代理母として五人を出産しました。そのうち一人は迅晴くんを去勢しようとした迅晴くんの恋人です」

「どういうこと? 姉妹なの?」

「姉妹ではありません。母体が同じです。迅晴くんが意図的に選んだかどうかはわかりません。迅晴くんの恋人が、リーナと迅晴くんの過去を承知の上で交際していたのかどうかもわかりません」

「オレンジ頭の彼女は芹和とは無関係なの? 去勢を依頼するくらいなのに?」

「伝手はあったかもしれませんが、出生にまつわる相関図を知っていたかどうかはあやふやです。アポリナリアは代理出産を含めた六人の子を生み、それらを養子に出したあとスコプツィ教徒として定めに従い身体を施術しています。娘であるリーナも胸部を切除しました」

「去勢を支持していたものね」

 すでに施術を済ませているから冷静に、あの儀式と呼ばれる残虐な拷問を直視できるのだろう。己を偽らず、正しいと信じているからこそ――。

「リーナも出産したから施術したのかしら」

「冷凍保存した遺伝子で人工授精が可能なので断定はできません。僕の調べた情報では出産の事実は出ていません」

「そう」

 子を産んでから胸部を切除しては授乳に困るのではないかと疑問がもたげたが、現在は栄養価の高いミルクが製造されているので問題ない。時代は進化し続けている。

 理闘は褒めるつもりで鮎川儷の肩を叩いた。

「凄いわね、あんた。どうやって調べたの。ほんと純粋に凄い。有能よ」

「ビーさんとカフェに行った時、テーブルの下に隠れていろと脅されました」

「ああ、あの時」

 別に脅したつもりはない。

「鏡を使った読唇術で会話を盗み聞きしました」

「え!」

「アポリナリアは漢字が苦手で、音読みと訓読みを混ぜたまま覚えてしまい、何度周りから訂正されても言葉を誤って使ってしまうことがあります。ビーさんが聞きました。アポリナリアに家族がいるのか。アポリナリアは、子供、ようこさとしと答えました。あれは養子と里子です。単語を混同して覚えています。アポリナリアは六人の子供を養子や里子に出しています」

 理闘は先日の様子を思い出した。

 上条迅晴にべったりと凭れて歩いていた舌足らずの彼女が、精神的に疲弊しきってソファで抜け殻になってる時――アポリナリアは空虚な悲しみに同調するよう嗚咽し、本人よりも怒りを燃やした。あれは、子を虐げられた母としての純粋な怒りだったのかもしれない。


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