その26
簡素な廊下に出ると三人の巨漢が扉の前に集まっていた。腕に赤い腕章をしている。
「またあいつら……!」
理闘は床を強く蹴り上げて身体を捻りながら跳躍した。脂肪に埋まった巨漢の太い首をめがけて右足を蹴りこみ、巨漢が地に潰れる瞬間にもう一度首を狙い、体重を乗せて肘を落とす。男はぐへと息を漏らして昏倒した。
隣の男がナイフを取り出した。
もう一人の男が軽量化された弩を構えて鮎川儷に狙いを定めている。以前と同じく鏃がついていない透明なグラスファイバー状の矢だった。殺傷能力は低そうだが毒を塗られている可能性もある。
毒?
ボリシェヴィキは鮎川儷を殺そうとしているのか?
理闘はナイフと矢を交互に目で追った。どちらから仕掛けるべきか考えた半瞬後、鮎川儷の肩口を強く押して壁際まで吹き飛ばす。軸足を地で回転させながら回し蹴りで弩を弾き飛ばし、間合いを詰めて男の左腕を掴み、肩下からぐるりと折って背で固めた。警察官が犯人を取り押さえる動作と同じく、男を腹這いにしてから首を絞め落とす。
鮎川儷の無事を確認するために振り返る。
ナイフ男がそちらにじわりじわりと距離を詰めていた。ちょうど死角にいる理闘からすれば絶好の攻撃位置ではあるが、問題は鮎川儷も手にナイフが握られていることだ!
万が一の危機に備えて理闘が授けた飛び出しナイフを握って男と対峙している。
「馬鹿!」
鮎川儷に戦闘など無理だ。誤って自分を刺すのがオチだ。男からの一撃――初動の一撃さえ避けてくれたら何とかなる。
右手のナイフを左上に振り上げた男が、顔を防御する鮎川儷の腕を切り裂こうと刃を斜めに薙ぐ。多分切られていない。振り切った男の手首を掴み、そして捻る。男は痛みを感じる前にナイフを床に落とした。
「伏せてください!」
鮎川儷が声を荒げた。初めて男らしい声を聞いた気がする。指示の意味を解釈するより早く、相撲の又割りの要領ですとんと身体を低く落とす。首を持ち上げて鮎川儷を窺うと、空中に黒く細長い糸に似た塵が舞っていた。何かはわからなかった。
斜めに前転して受け身を取りながら男のナイフを奪い、床に背を摩擦させて男を足払いする。ナイフの柄を臓腑に打ち込んで気絶させた。
「く」
鮎川儷が右肩を抑えて顔を歪めた。何かしらの攻撃を受けたのかもしれない。
廊下の正面から現れた加勢をひとり目視したあと、奴の攻撃の的にされぬよう、理闘に助言したわけか。理闘は先ほど拾った敵のナイフを男の四人目の右肩を目掛けて投げた。ひゅんひゅんと音を立てながら空を切り裂き、男の腕に刺さる。致命傷にはならないだろう。理闘は二・三歩大幅な助走をつけて先へ先へと長く跳躍し、男の弩を蹴り上げて遠くへ跳ね飛ばした。着地と同時に膝を屈伸させる力を加えた掌底で顎を突き上げると、男は首から噴きあがるように飛び上がって後方でぐしゃりと潰れた。
ふうと息をつく。
昏倒した巨漢が四人、指先をひくひくと痙攣させて気を失っている。
鮎川儷の負傷加減をはかろうと踵を返すと、忠誠を誓う儀式のように地に膝を折っていた。そして――鮎川儷の長い髪が肩口から切り取られていることに気づく。
「は、髪……?」
理闘は目を瞠いて驚愕した。
ナイフ男の周辺に髪の残骸が降っている。理闘の前ごろもに付着した髪がTシャツの繊維に刺さって、手で払っても払っても払い落せない。
「あんた、どうして髪を切ってるの」
「暑かったからです」
「何て馬鹿なこと……」
四人目の刺客が現れた時、鮎川儷は「伏せろ」と叫び、髪を切って空中にばらまいた。
敵からの攻撃を攪乱しようと、彼なりに戦ったのかもしれない。
髪は切らないと言っていたのに――。
巨漢たちが守衛していた扉から怒鳴り声が漏れてくる。防音に阻まれたぼやけたクラブ音楽に紛れているが恐らく上条迅晴の声だろう。
扉と壁の狭間にぴたりと背をつけて耳を当てる。音だけでは中の状況が知れない。突入すべきか。廊下の奥から新手が押し寄せる気配もないし、外敵の侵入を阻む任務はボリシェヴィキ四人のみだったようだ。
戦闘素人の鮎川儷がナイフを握った瞬間が目に焼きついている。何が起きるか予想がつかずにぞっとした。鮎川儷を廊下に残して理闘ひとりで対応した方がリスクが少ないかもしれない。
「儷。あんた、ちょっとここで」
理闘が声を潜めて振り返ると、鮎川儷が地べたに転がる巨漢のひとりから革の上着を奪って羽織っていた。細身の鮎川儷にはぶかぶかすぎる。
「変装です」
「ふざけてんの? 着ぐるみじゃないの!」
反射的に怒りが湧いたが、改めて吟味すると防御服として有効かもしれない。攻撃されても頭じゃなければ凌げるし、廊下に守衛が残っていると勘違いさせることもできる。理闘もいそいそとボリシェヴィキの上着を剥ぎ取った。もはや上着ではなく足首まで隠れるコートだ。
鮎川儷と同じ恰好で同じ髪型をしている自分に笑えてきた。
「いい? あんたは廊下にいて」
「わかりました」
「ところで肩は平気なの?」
先ほど痛みをこらえるように呻きながら患部を手で押さえていた。
「僕は肩も美しいです」
「あっそ。大丈夫そうね」
扉のレバーハンドルが軋まないよう慎重に引き下げる。施錠はされていなかった。光や音や風の流れを確かめる。少々開けても、中の人間が廊下を警戒しないだろうと判断した。
自分の半身ぎりぎりが通れる隙間をあけて滑るように室内に入る。成功した。だが後ろから扉がぐいんと引っ張られて全開にされた!
「何事ですの!」
ヒステリックな誰何に焦って背後を確認すると、理闘の指示も守らず、鮎川儷までもがついてきているではないか。廊下まで蹴りだそうか迷ったものの、鮎川儷の肩をぐいんと反転させて顔だけは隠しておく。
室内は開放的なロビーの様相を呈していた。むわっとする蒸気が押し寄せてきて息苦しい。部屋の隅にメスやピンセットが並ぶ小さな荷台が置かれてある。正面の壁に作られた唯一の窓が数センチ開いていて、その下では簡易コンロで火が焚かれ、傷口を焼き塞ぐための焼き石をひたすらに熱していた。
水色のケープを着た大小ふたりの人影が慌てて身構える。先ほど性犯罪者に去勢を執行した者たちだろう。ソファでは上条迅晴の恋人がぐったりと項垂れていた。
上条迅晴が捕らわれているストレッチャーを見つけた。そのちょうど真上に照明が埋め込まれている。あれが中継カメラも兼ねているはずだ。犯罪の足跡を残したくないので、先にどうにかしてカメラを壊したい。
小ケープが憤然と声を荒げる。女の声だった。
「出ていきなさい。ここは立ち入り禁止ですわよ!」
「異常ありませんッ↑」
後ろを向いたままの鮎川儷が甲高い裏声で勝手に答える。お陰で理闘は操り人形のようにぎこちない動きで辻褄を合わせる羽目になった。
「換気のためドアを開けて歓喜の声を監禁部屋に解禁せよと注意喚起されましたッ↑」
「どなたから? 名前をおっしゃって」
「セリワノフ様ですッ↑」
「どうしてあの方が……? まあいいですわ」
小ケープが質問を切り上げてストレッチャーに向き直る。
セリワノフとは確かスコプツィの教祖の名前ではなかったか。
「うひひ。悪いことはできねーんだよ。やっと警察が来たか」
上条迅晴が嬉しそうに嘯くが、残念ながら国家権力は到着していない。まずはカメラを壊したい。強度はどれくらいだろう。
「自首した方がいいぜ、美瑠っち」
「おだまり」
「罪状がちんこ切り。女子高生がちんこ切り。全国ニュースになっちまうわ」
からからと上条迅晴が笑う。
美瑠っち。沖田美瑠。鮎川儷にカップケーキを渡してくれと三千円で理闘に運搬を依頼してきた一学年上の製糖会社令嬢――。
ケープに隠れて顔がはっきりしないが、声と喋り方はそっくりだ。
「実は俺知ってんだ。美瑠っち、鮎川儷に差し入れしただろ。あれ何。媚薬でも混ぜたん? はっはーん。美瑠っち、ああいうロン毛が好きなのな」
「び、媚薬など混ぜておりませんわ!」
「陰気ひょろひょろ野郎が好きだったとは笑えるぜ」
扉口に立つ鮎川儷がぴくりと反応した。頼むから今は黙っていてほしいと切実に祈る。
「鮎川くんを侮辱するのはおやめなさい!」
「なんであんなのがモテんのかね。俺のが百倍いいじゃん」
どっちもどっちだと思う。
自分しか愛せない鮎川儷
愛されれば誰でも受け入れる上条迅晴
どちらも甲乙つけがたい極端な生き方をしている。正反対に位置するはずなのに半周回ってみれば、誰かのものにならないという点では同じ場所に収束される。
沖田美瑠がわなわなと肩を震わせて怒りをこらえている。十秒の沈黙。十秒で急激な怒りを抑制した美瑠が余裕ぶってせせら笑う。
「破廉恥な浮気者が鮎川くんと型を並べようなどとおこがましいですわね」
「浮気じゃねえし。何もわかってねえ奴が口出すなよ」
「あら、知っていましてよ? あなたの軽薄さは有名ですもの」
「女の子に優しくして何が悪いんだよ!」
上条迅晴が首を持ち上げて怒鳴りあげる。
「生まれた時からの教えだ。女には優しくしろ。助けてあげなさい。みんな仲良く。友達をたくさん作りなさい。俺は教えを忠実に守ってるだけだし! 女の子から付き合おうって言われたらそら付き合うさ。拒絶する理由があるか?」
上条迅晴が最低なことを言い出した。
「好きって言われたら俺も好きになるわ。なるだろ。ならない奴がいるのかよ。可愛い子が向こうから興味持ってくれて、向こうから寄ってくるんだぜ。追い返す奴がいるか? そんな奴は人間じゃないね。カスだね。ゴミだね」
「お付き合いしてる方がいるのに複数を股にかけるのが最低なんですわ」
「何言っちゃってんの。出来ないって諦めたらそこでおしまいなんだよ。やれることは死力を尽くしてやってみる。それが挑戦者だ」
「呆れた。反省もしませんの?」
上条迅晴が闊達な老人のように豪快に笑った。
「俺は俺を好きだと言ってくる女の子が可愛くて大好きだね。この手で幸せにしてやりてーよ。俺はこれからもたくさん付き合うぜ! 女の子が大好きだからな! 特に処女なら絶対に断らない! 絶対に付き合う! 絶対だ!」
上条迅晴がとんでもないことを断言する。
沖田美瑠が絶句し、理闘も唖然とした。
「女が困ってたら助ける。迷ってたら手を引いてやる。悩んでんなら話を聞く。行きたい場所があれば連れてくし、欲しいものがあれば買ってやる。逢いたいなら飛んでゆく。やれることは何だってやってやる。喜ぶ顔が見られるなら何を犠牲にしてもいい!」
上条迅晴が爽やかな空の下で選手宣誓するように高らかに叫ぶ。
ソファにいる彼女は半ば屍だけど。
「あのな、美瑠っち。ペットショップにいる子犬は飼い主を選べない。飼い主の顔や資産や性別にこだわらない。犬は愛情をくれる飼い主に懐く。俺も同じだ。顔や質は問わねーよ。俺は愛情深い女の膝枕で寝る」
「複数との同時進行が女を軽視し侮辱しているのです」
「複数の何が悪い?」
「開き直りですわ! そんなものは愛ではなく不貞です!」
「不貞って何だよ?」
上条迅晴が鼻で笑った。
「結婚しようがしまいが、腹にできた子供の父親がわかれば問題ねーのよ。結婚しようがしまいが、俺の精子で育つ奴が俺の子であって誰が産んだかは関係ないし問題にならない。やることやっても誰も妊娠しねえよ。そんくらい美瑠っちもわかってんだろ?」
「それでも裏切りです!」
「俺だけじゃねえ。学校の奴らもみんなそう。自由恋愛が許されるのは学生までだ。どうせ美瑠っちも同じじゃん。幸せな恋愛結婚なんて夢みたいな欺瞞はくそくらえで、俺たちは結婚相手を選べないし、子供は人工授精で生まれてくる。学園の奴らのほとんどが同じレールを引かれてる。だろ? 恋愛を謳歌して何が悪い? これでも俺は随分と気ぃ使ってるぜ。相性の悪い女同士は顔を合わせないよう配慮するし、嫉妬深い女にはご機嫌を取る。強がりや遠慮がちな女には甘えて調整してもらうこともあるが、基本的にその場その場で、俺はどの子にも一途だ」
最低で傲慢な自爆発言をここまで自信満々に宣う人間を初めて見た。
それにしても――不穏な言葉が出てきた。
自由な恋愛ができるのは学生時代までで、恋愛結婚は認められない。
結婚相手を選べず、子供は人工授精。
高等部から外部入学した理闘にとっては初耳の情報ばかりだが、今は上条迅晴の発言が正しいのかどうかも判断できない。だが真実だとしたら。




