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その23

 保護色に隠れた扉を抜けると電車の連結部に似た通路に繋がっている。飛び石の要領で進んでゆくと、理闘にとって初めて足を踏み入れる未知の領域――クラブに躍り出た。

 電飾を落とした暗い空間にスモークが焚きあがり、ストロボのようなチカチカした照明が明滅している。揉み合う人々が諸手をあげて身体を揺らしていた。激しい音の洪水が耳に刺さる。時おり冷房の風が頬を通り過ぎた。今までに嗅いだことのないいかがわしい匂いが全体に漂っている。

「うわ……」

 いかにも都会の遊び場という威圧感に押し負ける。正直に言えば一刻も早くここから立ち去りたい。ホール中央で揉み合っている薄着の人々が汗だくで踊っている。外国人も混じっている。所在なく棒立ちしている自分たちは完全に田舎者という名の置物になっていた。しかも理闘は無地Tシャツ姿で、ほぼ体育着に近い。

 ひとまず逃げるように壁に張り付き、空いているカウンターチェアに腰掛ける。状況を把握しなくてはならない。

「あんたのファンがここにいるわけがないわ。近くに人がいるならその人に助けを求めるはずだもの。別の部屋を探さないといけないってことよね。時間に合わせて移動する部屋に移動しないと……ああややこしい」

「ぶ」

 鮎川儷がしゅっと右手を挙げた。

「音楽がうるさくて声が聞こえません」

「こっちだって聞こえないわよ! このハゲ! 役立たずの無能! スマホの充電も減ってきたし! あんたのスマホを寄越しなさいよ」

 手を伸ばすと鮎川儷がそこに掌を重ね、そのまま黙って理闘を見つめている。何だこれ。犬のお手じゃないか。意思の疎通ができずに苛々する。ノイズがうるさい。頭に不快感を詰め込まれ力ずくで攪拌されるようだ。たまらず頭を掻きむしりたくなった。十本の指を総動員して頭皮が剥がれるほど力任せに引っかきたい。

「うぬぬぬううぅうう!」

 目の前に置かれたカウンター席を振りかぶって叩きつけてやりたくなる。半ば正気を失いかけてテーブルに手をかけた時、後ろからポンと優しく肩を叩かれた。獰猛な獣のごとく牙をむいて威嚇したが、相手が途轍もない美女だったので急激に戦意喪失した。

 茫然とした。

 美人の中の美人といえる。女王の中の女王だ。ここまでの美人を芸能界が放っておくわけがない。絶対に芸能人だ。生の芸能人を初めて見た。オーラが違う。

 マネキンめいた長身痩躯、薄すぎる華奢な胸元から生えた細い首に小顔が乗り、玩具みたいな大きな眼鏡をかけていた。年は二十歳くらいだろうか。

 細身のボディラインを強調する服装は、官能よりも知性を感じさせる。耳を飾るピアスが目を引いた。

 美女に手を引かれてガラスで区切られた別室に入ると、ようやく音楽の暴力から逃れられた。美女からスマホの乾電池の簡易バッテリーを手渡される。

「良かったらどうぞ」

「え、どうしてですか」

「困っているんでしょう? 遠慮しないで。ふふ、その服装で訳ありだとわかるわ」

 美女が上品ににこりと笑う。

 その光線に射貫かれ、胸が疼きだす。まずい。同性なのにときめく。自制心を保つために肺にたまった息を時間をかけて吐き出す。

「……サインください」

「ん?」

 美女が困惑して、理闘と鮎川儷を交互に見比べる。

「握手してください」

 芸能人にまるで無知な理闘が田舎者丸出しで美女に迫ると、美女がくいと眼鏡を押し上げてくすくすと笑った。

「誰かと間違ってるみたい。そのタレントさんは何て名前なの?」

「いやいやおネエさまが芸能人ですよね?」

 咄嗟に鮎川儷の姿を見遣り、客観的に美女と対比してみる。骨格、顔の造形、髪や肌の質感、二人ともまとう空気が常人のそれとは明らかに異なっている。

 客観的に見れば、鮎川儷がもてはやされる理由がわかった気がする。無表情でまともな会話もままならない中身が外見の評価を損ねているだけで、美形は美形なのだ。

 ソファに身を預けた美女がスマホ画面を指でスライドさせてゆく。

「最近ネット相談にはまってるの。ふふ、暇さえあれば読んじゃう。ひとりひとりが真剣に悩んでるのが人間らしいなあって。他人から見れば小さな悩みでも本人にとっては人生を賭けた高い壁になったりして。人生の数ほど脳が違う。面白いわ。充電が切れてもいいように予備の充電器をたくさん持ち歩いてるの。ほら」

「なるほど」

 美女が革製の手持ち鞄を豪快に開くと乾電池の屍が溜まっていた。ほうほうともっともらしく感心しながら理闘はちゃっかり美女の横に座った。ほんのりと漂ってくる香水が美女を更に美女として演出している。

「今読んでるのはこのサイト。知ってる?」

「いえ、こういうの疎くて」

「なのうえちゃんねる。基本は女の子しか書き込めないサイトで、女の子が相談トピックを設けて、読んだ女の子がアドバイスしたり、悩みを共有したり、時には口論になる、いわゆるネット上の井戸端会議かな。顔も素性も知らない同士なのに、参加者がやけに親身になるのが面白くて」

「文字だけなら男が書いてもわからないでは?」

「ふふ、そうかもしれない。ネットだけじゃなく、実社会でも男女の区別はどんどん曖昧になってきて、今ではもう、男らしさ女らしさは意味をなくし、生命体としての個体識別が優先されている」

「トランスジェンダーとか男女雇用機会均等法って奴ですか」

「職業や肩書や年齢の区別こそあれ、性別重視をやめようという風潮ね。名前ですら男女の差に気を遣わない時代よ。地球の半分は男であり女であるという前時代的な区分けは廃して、人類という括りにまとめてしまえば楽だと大勢が思ってる」

「ですね」

 理闘は自分の過去を思い出した。

 物心ついた頃から武道や戦闘技術を学んでいた。選択肢すら与えられなかった。食事を用意されるのと同じ感覚で鍛錬を積んできた。そこに男女の区別はなく、勝敗だけが優劣をつける方法だった。

「ほら見てこれ」

 美女がスカートから伸びた細く長い脚を組み替えた。無駄な肉のない膝下から爪先までのしなやかさが妙な色気を放っている。

 傾けられたスマホ画面には、本日人気一位に輝いた悩み相談が載せられている。


 彼氏に浮気されているかもしれません。

 本人に問い詰めた方がいいでしょうか?

 責めない方がいいでしょうか? 

 彼氏が他の女の子から告白されているのを何度か目撃しました。

 断っていると思いたいのですが、

 こっそり連絡を取り合っている証拠もスマホで確かめました。

 他にも、ただの友達かもしれませんが、

 彼氏が女の子と親し気に接するのもよく見かけます。

 用事があって私が一緒にいられない時、

 放課後に女とイチャイチャして歩いていたたそうです。

 元カノとも悪びれず交流してます。

 彼氏と別れたいわけではありません。

 みなさんならどうしますか。

(さっさと次に行けというのはなしでお願いします)


 相談主はトピ主と名乗り、書き込みに返事したり、進行状況を更に細かく書き記しながら苦しい胸の内を明かしてゆく。

 他人の色恋に干渉するレスポンスが半日強で二万件を超える事実に、眼球が飛び出るほどびっくりした。軽くスクロールしたあと、理闘は心底どうでもよさそうに肩を落とす。テーブル上に置かれた美女のドリンクに目が止まった。

「それお酒ですか?」

「ノンアルコールのジントニック。飲み物の注文はこのタブレットからできるわ」

 カラオケの転送機に似た機械を渡されたので、そのまま鮎川儷に手渡した。機械は苦手だ。

「私は水をお願い。お金はあんたが払っておいて」

「飲食は入場の時の支払いに含まれているから無料よ」

 美女がくすくす笑う。不法侵入したとは口が裂けても言えなかった。代金不要ならばしめしめと手あたり次第に食べ物を注文しておく。

 慣れたドリンク注文から察するに美女がこの秘密要塞に頻繁に出入りする常連だと判明した。理闘は作り笑いと揉み手をしながら卑小な態度で擦り寄る。 

「その~、あのですね、おネエさま、ご相談があるのですが」

「何かしら」

 美女がくいと眼鏡を鼻先に整えた。

 心の清い美女がとても親切な人で、しかもネット相談の話題があがったのだから勢いに任せて道案内を頼めばいい。しかし何と切り出せばいい? 

 鮎川儷のファンが握手会で拉致されたかもしれない。彼女たちを閉じ込めているのはこの建物らしい――と、率直に伝えて信じてもらえるだろうか。

 鮎川儷がしゅっと右手を挙げた。

「僕には聞きたいことがあります」

「どうぞ」

「神はありますか」

 美女の肩がびくりと跳ねて、一拍の間をおいて答える。

「ありませんよ。神はありません」

「不死はありますか」

「まさか不死もありません」

 美女が硬質な声で簡潔に答える。その芝居がかったやりとりは完成された舞台のようだった。鮎川儷がふるふると首を振る。

「僕は神はあると思います。不死もあると思います」

「人が悪に染まった時、神の裁きが下るかしら。天から落ちてきた雷に貫かれる? 罪は炎の業火で浄化されるというの?」

 ソファに座った美女がやや身体を捩じって起立する鮎川儷を見上げ、黙ったまま目線を外さない。空気が張り詰める。時が止まったようだ。口を挟んで茶化すこともできない神聖さと剣呑さがある。

 神。不死。

 唐突に始まった問答はどちらも「なぜ」の理由を口にしない。

 なぜ神はあるのか。またはないのか。

 なぜ不死があるのか。またはないのか。

 その時、扉が開いて爆音のノイズが侵入してきた。拒絶の意を込めて両手で耳を塞ぐと涼しい顔でホールスタッフがドリンクと食べ物を運んでくる。

 鮎川儷が美女に背を向けて吐き捨てるように呟いた。珍しく感情を伴う声だった。

「僕の方が美しい」

「そういうのやめなさい。負け惜しみに聞こえるわよ」

 ムと口唇を突き出した鮎川儷が注文のタブレットをぐいぐい押し付けてくる。面倒なのでテーブルに放り投げた。

「ぶ。ぶ。ぶ。ぶ」

「何よ。食べ物はもういらないわよ」

 過熱するだけの冷凍チキンを噛みちぎって骨を皿に戻す。辛味スパイシー風味だ。

 美女がタバコほどの小箱を上下に振って、ロンググラスに錠剤を溶かす。幾つのか白い塊から規則的な気泡がぽつぽつと生まれて一筋のラインを作った。

「手を出して?」

「はい」

 上向きにした理闘の両手に山盛りの錠剤を降ってきた。

「えーとこれは?」

「タブレットをあげる。大蒜を食べたでしょう。良かったらどうぞ」

「あ、ありがとうございます」

 クラブで出会った初対面の人間からもらう錠剤に抵抗を覚えたが、口臭を指摘されれば断れるはずもない。食べたふりをして袖口に隠そうとしたが素っ気ないデザインのTシャツでは難しかった。仕方ないので豆をつまむように一粒だけ口に放り込んだ。柑橘フルーツ味がした。

「おネエさま、その、相談があるのですが。いえお願いと言うか案内というか」

「ふふ、ご期待に添えるかしら」

「実は私たちは人探しをしてまして」

「あら探偵さんなの?」

 理闘は頭を搔きながら情けなく苦笑した。正式に捜索を依頼されて大金の報酬をもらえるならどれだけ良かったか。

「女の子を探しに来たんです。複数で、ええと、事情があって背格好はミニスカニーソばかりなんです。この建物に女の子を隠しておける場所があれば知りたいのですが」

 目的をうまく言語化できなくてもどかしい。しかし確証がないのでこの建物にいるとも断定しにくい。

 美女がテーブルに置いたタブレットに入力を始める。その画面に水着姿の女の子が映し出された。グラビアアイドルか水着モデルか宣伝告知タレントかはわからないが、二本の足を揃えて横に折り、やや前傾姿勢で目線は空を見上げている。

 水着女性の横に、数をカウントする+と-ボタンが並んでいた。

「それはカタログ」

 美女が水滴のついたロンググラスを口に運ぶとからんと氷がぶつかる音がする。

「客が……好みの娘に値段を入れて注文するの。競り方式だから金額が高い客が落札できる。マッチングしてから四十八時間後には速やかに女の子を解放すること。連絡先はお互いに交換しないこと。表向きは」

「え。どういうことですか?」

「密室で起きたことは誰も証明できないから」

 理闘は眉間を寄せて言葉を整理した。美女が話しているのは売春またはパパ活または援助交際、そういった類ではないのか。

 理闘は乾いた笑いを漏らした。

 まさか。

「いやいやいや……こんなに堂々と取引をするわけありませんよね」

「電波とサーバーを通す分、通信の方が公とも言えるし、保存される危険が多い。ここでは条件を満たした者同士を合理的に仲介できる。むしろ安全。妊娠もしない」

 注文タブレットを横にスライドさせて水着の女子を確認する。ああダメだ。握手会に参加したファンなのか自発的に商品になりたがっている子なのか見分けがつかない。

 半信半疑のまま立ち上がって美女に訴える。

「このカタログの女の子はどこにいますか。待合室? 待機室? 休憩所? なんて呼ぶのかわからないけれど、ええと、落札したらどこで客と落ち合うんですか? 自分の意思に反して攫われた女の子がいるかもしれないんです」

「本人の意思よ」

「え」

 美女がくすりと笑う。

「男を漁る女が男に漁られる。世の中はぐるぐると巡っているの」

「おか……おかしいでしょう。拉致されてるのに!」

「どうせ神はないのだからすべては赦される」

 妖艶に笑うと優雅な動きで顔をホールに向けた。厚いガラス越しに慌ただしく揺れる照明と踊る人々の残像が揺らめく。ガラス一枚隔てた異空間は複雑な形をした軟体動物がうねうねとうごめく深海の底に思えた。

 音楽が切り替わるタイミングが合図なのか、美女がガラスに手を添えた。

「ラジェーニエが始まる」

 美女の呟きが指揮したように、踊り狂っていた人々が中央から波紋を広げるように一列の輪を作って広がる。まるでキャンプファイヤーみたいだ。ただし手を繋いで輪を拡縮させるだけの健全なものではなく、先ほどよりももっと激しい踊りが始まった。

 輪の中心にステージが用意され、そこでふたりの男女が人々を煽動するように、鋭敏で独特なコンテンポラリーダンスを繰り広げる。

 そこには熱狂があった。

 暗い密室で増殖してゆく熱に充てられて、常識を奪うような、日常が彼方へ吹き飛ぶような、歓喜の声が、おぞましいものを讃える異端の宗教儀式のような、見ているだけで意識が濁流に飲み込まれそうな重圧が押し寄せてくる。

 肌がびりびりと痺れる。

 網膜が明滅する。

 異常事態が発生したことだけは明確だ。

 気持ちが悪い。そう、気持ちが悪かった。

 懊悩を示すような地の底に響く低い声で呻いている。苛立つように甲高く喚いている。主張のように言語の定まらぬ発声で叫んでいる。抗えぬ本能のように獣の咆哮をあげている。咽喉が焼ききれるまで懸命に、腹にたまった汚泥を吐き出している。

 人々は激しい動きに揉まれながら恍惚とした表情でステージに喝采を浴びせた。

 高低の不規則な声と、指で空気を握り潰すような動きで手を泳がせるのに、床を踏み鳴らす足裏だけは全員がぴたりと一致している。

 髪を振り乱し、汗をまき散らしながら、崇拝と陶酔を極める不均等な表情の群れを観て胸が苦しくなる。あれは人間なのか。意識を抜かれて操られている人形ではなくて?

 不測の事態に対応できずに立ち尽くしながら美女の凛とした横顔を窺った。

 彼女はとても美しかった。

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