その15
明峰学園は幼稚舎から付属大学までのエスカレータ式マンモス校である。敷地には買い物スポットや遊戯スペース、他にも都立運営のそれにも劣らない公園や庭園が設けられ、もはや街と遜色ない規模で運営されていた。
放課後、憤然と石畳を踏みしめる理闘は鮎川儷を伴ってリサイクルショップに向かっていた。少しぬるい穏やかな風が鮎川儷の長い髪をはらはらと舞わせる。
「あんた、どうして髪なんて伸ばしてるのよ。邪魔じゃないわけ?」
「以前は短い髪でした。短い髪も僕に似合っていました。成長と共に身長が伸びてきました。等身バランスを考えて髪型を調整するのが良いと助言をもらいました。その道に通じる方に相談しました。この長さが一番僕に映えることがわかりました」
「その道のプロってことは美容師?」
「芸術家です」
「あっそ。けど自分の外見に自信があるならどんな頭でもいいんじゃない? 自分大好きだもんね? 鏡ばっか見てさ。夏になったら切ってみたら」
鮎川儷がふるふると首を振った。
「髪が短いと人が群がります」
「モテるならいいことじゃない。喜びなさいよ」
「長さが必要です。硬さも太さも手触りも大切です。艶も色も重要です」
「ハイハイ好きにしなさい。呪いの藁人形に使われても知らないわよ?」
「ぶ。藁人形です」
ひょいと出してきた鮎川儷の右手には十センチ大の座敷童顔の人形が握られていた。
雪だるまのごとく、頭部に対する比率が腹部一・五倍のバランスで作られた安っぽい人形だ。髪に見立てておにぎりの海苔のように黒いフェルトを貼り付け、目や鼻のない顔に大きな×が縫い付けられてある。
「あんた……どんな嫌がらせしてんの。そんなもん作るなんて暇にもほどがあるわよ」
「僕じゃありません」
「あらそう。でもま、その人形が私とは限らないでしょ。そんなもん怖くないわ」
「こちらをどうぞ」
鮎川儷が別の人形を取り出す。ビニル人形の金髪を肩上で切り揃え、髪には墨汁を含ませた雑な作りで、頭部には黒い液が不気味に滴っている。
数日前に着用していた理闘本人の服を模したそれを着せていて、さすがにぞっとした。
「こちらをどうぞ」
針金を折り曲げて作った粗末な人型に半紙が貼られ、毒々しい平仮名で、りとうと書いてある。確実に自分に向けた悪意だ。
「な……何これ。どうしてあんたがこんなもん持ってんの。もしや……あんたのところに送られてきたとか……?」
「学園で見つけました。朝から七つです」
「なんで!」
理闘は呪いや幽霊の類を極度に恐れる気質ではないが、自分に似せた精度の低い人形は殊更に妄執の念が湧き出るようで気味が悪い。
ぴたりと足を止めた鮎川儷が道路脇の樹木をまっすぐ指差した。
「ビーさんです」
「まさか……」
茶と緑のアースカラーでまとまった清涼感ある脇道、その奥の奥に目をこらすと、日照権が侵害された一本の樹が佇んでいる。湿度で黒く腐った幹にひとつ、横にねじくれて伸びる枝にひとつ、それぞれ人形が括りつけられていた。
腹の出た赤ん坊のプラスチック人形だ。ひとつは頭が破壊されている。故意に破壊したというより、事故や過失で割れてしまったようだ。もうひとつは年数劣化によって、腹部が朽ちてプラ素材が溶けている。どちらも首に白いマフラーを巻いていた。マフラーは布ではなく半紙だった。確認するまでもなく理闘の名が書かれているだろう。
鮎川儷が迷いない足取りで人形を剥がしてくる。
そして果実をもぎ取ってきたかのように理闘に手渡し、満面の笑みを浮かべた。
鮎川儷が笑う顔を初めて見た。
いつも能面のような無表情で、たまに口を開いても、ほぼ口も開かず淡々と喋るだけだし、他には発言の前に挙手するだけで無駄な動きはしない。というより動かない。
「ビーさんです」
「って、何笑ってんのよ! 全然嬉しくないわよ!」
受け取った人形を振りかぶり、力いっぱい地面に叩きつける。プラスチック人形は派手に砕け散って石畳に転がった。
「あんたね、もし人形を見つけても私に持ってこなくていいから! ネズミを捕まえた猫じゃないんだから! いい? わかったわね? さっさと行くわよ!」
買い物ゾーンの方角を示す道案内に従って進んでゆく。鮎川儷は幼稚舎から学園に通っているのにリサイクル店を知らないらしい。とことん使えない男だ。
理闘の証明カードを無断使用した男を割り出すため、現場にいた同行者から直接聞き出すしかない。同行者の名前は厚井目守。マモルは演劇部に所属する裏方で主に大道具を担当している。
授業が終わったと同時に演劇部が稽古で使う小講堂で待ち伏せたものの、マモルは舞台に必要な買い出しに行ったと聞かされ、急ぎ、ふたりで追跡している途中だった。
マモルはリサイクルショップでソファを物色していた。椅子という椅子、ソファというソファの座り心地を確認しては悩ましげに唸っている。
理闘は気配を殺して背後から近づき、刑事ドラマの口調を真似て声をかけた。
「演劇部のマモルさんですね」
「はい、そうですが何か。そうなんですけど、ちょっと待ってください。こっちの方が遠くから見て舞台映えするなら……でも主役より存在感あってもな……」
高等部二年。短髪で眉が目立ち、目がくりくりしていて幼い印象を受ける。身長が低いから役者ではなく裏方に配属されたのか、もともと裏方志望かはわからなかった。
あまりにも熱心に椅子を審査しているので黙って見守っていると、理闘と目が合うなり子供のような無邪気さで笑う。
「しばし待ってくれ。こっち真剣だから夢中になっちゃって。ロシアが舞台だし、うちのスターが座るものだし、慎重に選ばんと……おおっと、学園の生徒ならうちの人気スターくらい当然知ってるかな」
「もちろんです」
理闘は知ったかぶりの術を使った。
横に並んだ鮎川儷はマモルに背を向けたまま、素知らぬ顔ですんと澄ましている。どうやら興味がないらしい。
「体格に恵まれた彼女が演じるから話題になるぞ。ひときわ目を引く骨格と迫力ある演技で生徒たちを魅了するのは当然としても、今回は大役だからびびってるんだろうな。長い付き合いだからわかる。だからこそ精一杯裏方として支える。小道具には手は抜かずに選び倒す! 絶対に成功させてみせる」
拳を握って力説する。
理闘がとりあえずうんうんと頷くと、気をよくしたマモルが演劇部のスターが如何に素晴らしいかを延々と説く。まるで女神を讃える信徒のようだった。
ようやく一息ついたのか、マモルが大きく呼吸した。今だ。ここがチャンスだ。理闘の学園カードを不正利用した人物について質問しようと口を開きかけて、
「おわ!」
マモルが素っ頓狂な大声をあげた。
「鮎川儷! この長い髪とまっすぐな体幹と立ち姿。あの鮎川儷じゃないか!」
裏方とは思えないよく通る発声と芝居台詞に等しい大袈裟な抑揚が、間近にいる鮎川儷の背中に訴える。
「それならそうと早く言ってくれよ! まさかまさか、鮎川儷が演劇部に入部希望してるのか? そうなのか! 入部と同時にスター間違いなし、その勢いで芸能界入りまでしてしまう気なのか、鮎川儷! 幼稚舎のお遊戯会から勧誘し続けてきた演劇部に、ついに入部してくれる気になったか! これで我が演劇部も全国制覇間違いなし、コンクール優勝はもらったも同然だ!」
鮎川儷はすべてを無視した。
マモルの熱弁を聞きながら鮎川儷の横顔を見上げてみる。この無表情が、芝居という多種多様な人間の機微や複雑な心を演じられるわけがない。
マモルの興奮を諫めるため、理闘は激しい柏手をパンパンと二度打った。
「はいそこまで」
突如勢いを削がれたマモルが、催眠術から覚醒したように目を白黒させる。
「マモルさんはコンビニ若葉支店に誰と行きましたか。男ですよ」
「コンビニ? もしや演劇部のスター聡志のことかな」
スターばっかだな。
「そのサトシは今どこにいます?」
「今頃は稽古してるはずだが」
理闘はチと舌を打った。無駄な労力を使ってしまった。すぐに小講堂へ戻ろう。
鮎川儷の腕を引いて半ば逃げるように店を出ると、ちょうど同じタイミングで路面を横切る須藤しえあと目が合った。
「あ」
知らんぷりの術を使うタイミングを失い、頭がまともな判断を下せず、一歩を踏み出した右足を空に浮かせたまま瞬間冷凍する。
しえあは一呼吸を飲み込み、目を宝石のように輝かせて絶叫した。
「レイだああぁぁぁぁア!」
バランス良い紅白のミニスカニーソ姿とツインテール。そして脱いだジャケットをウエイターのトーションのように左腕に引っ掛けていた。
「めちゃめちゃ偶然! これはもはや運命!」
どっちだよ。
子供のように飛び跳ねて喜ぶ須藤しえあとは対照的に鮎川儷が仏像のような無表情を貫く。めげない須藤しえあが姿勢を正して、理闘に軽く敬礼する。
「やほやほ」
「毎度どうも。こんなところで会うとは。今から帰りですか」
理闘は湧き出てくる冷や汗を手で拭いながら相手の出方を窺った。昼に鮎川儷が吐いた暴言について訴訟を起こされたらどうしよう。
しかしそれは杞憂に終わった。須藤しえあはこれから仲間と合流するらしく、かなりテンションが高かった。
しえあの瞳がギラギラと萌えている。
「実は実は、わたし、オンライングループの主催やってるんだ。厳選な選考を勝ち抜いた精鋭揃いでね、今日集まる主要メンバーはすごいの。全国の美少女マニア!」
「びしょうじょまにあ?」
理闘は目が点になった。
「うちのグループは、全世界の美男美女の画像や動画、あらゆる情報を共有しようって趣旨なのネ。メンバーの美意識から大きく外れるモデルを持ち込んだらペナルティを加算して、スリーカウントで強制脱会にしてる。ただし素材やその調達方法は制限しない。グループに提供される素材の大半は世界中のスターや芸能人だったりするから、それぞれの活動状況の報告が多いかな~」
しえあがにんまりと笑う。
「中でも美少女マニアが特殊なエリートだらけなのだ。すっごいよ。みんな、レアなお宝をわさわさ持ってるんだ。芸能人はもちろん、その卵たち。子役たち。エキストラたち。今日の目玉はね、芸能界とは無縁に生きる隠れた美形たち! 可愛すぎる女子高校生や女子中学生! Оh、なんて素晴らしいスッピンスッピン~」
須藤しえあが奇妙な鼻歌でステップを踏んだ。
「そうだ。レイの画像がほしいな。一枚だめかな?」
鮎川儷が無表情のままプイと顔を背ける。
須藤しえあがこっそり理闘の手に紙幣を押し込んで耳打ちした。隙あらばレイの画像を撮って送ってくださいお金なら払います。
簡単なお仕事の旨味と盗撮に対する良心の呵責で板挟みになり、一秒葛藤してから迷いを払拭する。鮎川儷に悟られずに遂行すれば問題ない。問題ない問題ない。
内緒話を誤魔化すように世間話をかわしたあと、須藤しえあが挨拶を残して去ってゆく。鮎川儷は彼女に一瞥も向けなかった。




