その14
大好きな彼氏にお弁当を作って昼休みに一緒に食べる。
付き合う前はそれが正しいカップルの姿だと信じていたので、告白の翌日からさっそく、ふたりで食べられる重箱をシェフに頼んでおいた。彼氏と食べるから、と馬鹿正直に伝えられなかったため、友人グループとの昼食だと勘違いされて、およそ三人前から五人前の分量を持たされる。しかも毎日。
最初に訂正しなかったのが災いして、彼氏からは大食漢だと誤解されたままだ。
言い出そうと思う。毎日毎朝、今日こそは言おうと決意しても、昼食時間がやってくると彼氏と過ごせる時間が楽しくて、自分の食事量など些末なことだと後回しにしてしまい、白状する機会を後日に持ち越してきた。
いつものように彼氏が重箱の蓋をあけて感嘆を漏らした。
「うひょー、今日もすっげー豪華! 毎日これだもんな。この細い腹のどこに入るのか、まじ謎すぎ」
「迅晴くんも一緒に食べよーよ?」
「俺のことは気にしないでいいから好きなだけ食えって。たくさん食べる子は可愛くて大好きだぜ。うまいもの食べたら幸せになるもんな!」
彼氏が持参した本日のメニューは焼肉弁当で、軽く二人前はある。男子高校生でも充分に満腹になるだろう。これを見たら、良ければこっちも食べてとは言えない。
ふと重箱に目をとめた彼氏が子犬のように見上げてくる。
「あーけど、それ食っていい? エビフライ! 一本だけ!」
「あっは。美味しいよね、エビフライ! 食べていーよ」
「エビフライ……い……い……イクラとカズノコもいただき!」
珍しく彼氏が重箱から軍艦巻きを掬いあげてゆく。
「カズノコ……こ……こ……昆布もあったぜ。この際だからこれも食べてしまえ」
「いっぱい食べちゃえー!」
重箱の中身を減らすためにせっせと箸と口を働かせつつ、珍しく彼氏がカップルらしくそれちょうだいと甘えてきて、頬張っているのが嬉しかった。
もっとたくさん食べてほしい。
そうすれば胃に押し流す食材が減って、あとで吐く量が少なくて済む。
エビフラ「イ」。イクラとカズノ「コ」。昆布。
彼氏がしりとりをしていることに気づき、ぶ、ぶ、とぶで始まるおかずを探す。
鰤の照り焼きがあった。切り身を一口大に割いて、あーんと彼氏の口まで運ぶ。
「昆布のぶで、鰤の照り焼きだよ!」
「おおー、久しぶりに魚食ったわ! 魚も中々うめえじゃん」
彼氏がもぐもぐと口腔内で咀嚼しながら幸せそうに目尻を垂らす。重箱を物色しているとキクラゲを見つけた。
「鰤の照り焼きのき、で、キクラゲ食ーべた。次は迅晴くん何食べる?」
「げ? げって何だよ。げ……げ……げんこつ揚げ……? ねーよな。げ、げ……玄米……ねーよな」
「あるんだなぁ。これ、あーん」
ふっふーんと得意げに胸を張る。重箱に詰められた炭水化物は巻物以外にも十穀米の俵おにぎりが添えられていた。
「じゃあ私はイカ食べよっと」
「なら俺はカイワレ」
「私はレンコン肉詰め」
「め……メロン……はねーし「ん」がつくし、め……め……めざし……はねーし、そもそも食ったことねーし、め……め……メカブ……って何だっけ」
「メカブあったぁ! イタリアンマリネに入ってるぅ。迅晴くん、食べれるかな?」
「食ってみる。あーん」
時間をかけると箸から滑り落ちそうなので、手早くぬるぬるを口に突っ込むと、彼氏が苦々しく顔をしかめた。
「酸っぱ」
「えっ、待って。何か口直しに……メカブ、ぶ、ぶ、ぶ?」
「豚の角煮は?」
「ごっめん。今日は入ってなかったぁ。他にも……豚肉料理ないや……」
「定番のブロッコリー」
「ごっめん……私、食べちゃった……」
しゅんと肩を落とすと、彼氏がくすくす笑いながら重箱に箸をむける。
「メカブの入ったイタリアンマリネのね、で、ネギ! おっし見つけたぜー!」
「見つかったぁ!」
ふたりで万歳し、成功を讃え合った。
彼氏が自分の弁当に意識を集中させ始めたので、負けじと重箱の中身を機械的に口に運ぶ。噛む。とにかく噛む。そして飲む。
彼の中で私は、女子高生にしてはかなりの大食漢だ。今さら訂正して、これまで必死に誤魔化してきたことを知られたくない。嘘つきだと思われたくない。
楽観的に考えれば――いま正直に話しても、あっさり「そんなの早く言えよ」で済むかもしれない。そうなら助かる。助かるけれど、
なら、なぜ早く言わなかったのだと問い詰められるのが怖かった。
彼を信用していないから言い出せなかったのだろうと指摘されたくなかった。
食べる。食べる。噛む。飲み込む。一心不乱に食べる。味などわからない。重箱の八割ほど食べたところで安堵を覚える。ここまで食べれば不審に思われない。良かった。今日もやりきった。
彼氏が使い捨て弁当のパッケージを小さく潰してビニル袋に突っ込んだ。
「そーだ。日曜日、迅晴くんは何か用事ある?」
「あー、多分、トモダチと先約あったかもしんね。どした?」
「約束あるならいいや。ごめん。また今度でいい」
「んなこと言うなよ。試しに言ってみ」
「約束は先着順だもん。そっちを優先していーよ」
口角をあげて微笑みを作る。顔の筋肉に力を込める。笑えているだろうか。引きつっていないだろうか。
彼氏がうーんと唸って腕組みをする。
「よ……よ……良くねーけど、何かあったら俺に言えって。彼氏なんだからさ。さ。さ。ほら、さ!」
「えっ、さ? ああ」
しりとりゲームが始まったらしい。
「さ、さっきも言ったけど大丈夫だよ。約束は先着順だから……ああそうだ。先着順だから今から予約しとこ。夏休みの花火大会は絶対に浴衣デートしたいから絶対に絶対に約束を忘れないこと。と。はい次は、と」
「とりあえず好き。き」
彼氏が悪戯っぽくにっこり笑った。突然のバトンに驚いて目を丸くしてしまう。私も好きだよと答えかけて、き、から始まるフレーズを弾きだす。
「き……きっ、昨日より好き」
「今日の方が好きだぜ」
「ぜ、絶対に明日も好き。好き。私も同じ気持ち」
「ちなみに俺の方が好き」
「き……! きっと私の方が好き」
「君より俺の方が好き」
「き……き……奇跡みたいに迅晴くんが好き」
「気が狂うほど好き」
「き……! き、き、き……?」
頭の回戦がショートして猿の鳴き声みたいになった。彼氏がくすりと笑って顎に指を添える。
「キスしていい?」
「いーよ」
「良かった」
薄い口唇が軽く触れてそっと離れる。彼氏が満足そうに笑うので、釣られてにやけてしまう。自然と顔が緩む。だめだめ。だらしない顔を見せたら幻滅される。
彼氏の両手にこめかみを挟まれて顔をあげると、お互いに額をつける形になった。
「夏休みに花火大会な」
「約束だよ」
「おう。任せとけ」
いつもより近い距離と小さな囁き声が鼓膜と額を振動させ、よりいっそう彼に近づけた気がした。おう任せとけ。応、だって。
あと少しで午後の授業が始まる。
マンモス校の難点である広大な敷地が憎い。教室のある別棟に戻る彼氏を見送ったあと、全力疾走でトイレを目指す。脇腹を手で撫でながら、ペットボトルの飲料水を一気に飲み干す。胃が張り裂けるほど苦しい。咽喉から滝のように逆流してくる勢いを抑えこみ、水を飲む。飲む。飲む。飲み下す。
洗浄レバーに指をひっかけ、便器近くまで顔面を下げるといつものように一気に昼食を吐き出す。嘔吐する度に水洗で流さないとトイレがつまることは経験で知っていた。三度吐いたあと、新しいペットボトルで口をすすぎ、口元を拭う。
フルーツとミント味が混じったタブレットを口に放り込むと、駆け足で教室に滑り込んで授業を受けた。放課後になるまで彼氏とはお別れ。寂しいけれど。
口唇に残された感触を追うようにふにふにと指でつまみ、好き、という声を思い出して心の中でキャーキャーじたばたともがきながら、表面上は真顔で授業を受けた。




