第18話
「下働ぎの女の子達が噂してだんだ。髪の毛立でだ妙な男が司祭様ど一緒にいだって」
廊下を歩きながらアリアドナが説明してくる。周囲の物音をうかがうように声を潜めていた。
「大ぎな耳飾りど鶏のトサカみでぇな襟どが言うがら、ん、ひょっとしてあの悪い魔法使いがな? で思って。で、よぐよぐ聞いだら、男の人と女の人つかまえで閉じごめでるっていうでねが。背格好聞いだらどうもミゲルさやディアさみでぇだし、居でも立っても居られなぐなって、こうして助げに来だんだ」
「それは……どうもありがとう、と言いたいところだけど」
戸惑いが声に滲む。
「僕らがどうして捕まったかは理解しているのかい」
「んにゃ」
ここだ。
警戒を強めつつ訊ねる。
「教会は今の君にとって保護者だろう。その保護者が僕らをつかまえて監禁してるんだよ。何か意味があってのことだとは思わないのかい?」
「思わね。だってあの悪い魔法使いがいるでねが」
「いるけどさ。それも含めてわけありなんだとしたら? いや、そもそもトロ村の一件だって僕らが悪人で、その企みをロレンソが防いでたのかもしれないだろう?」
アリアドナは虚を突かれたようにまばたきした。なるほど、そういう考え方もあるのかと言わんばかりだ。いや、いやいやいや。
「もちろん、僕らは天に誓って疚しいことはないよ。ただ、救いの手を盲目的につかめるほど信心深くもないんだ。だから一体、何が君をこれほど冒険的にさせているか知っておきたくてね。こう言ったらなんだけど、僕らと君は赤の他人でしかないんだから」
「他人って、トロ村のみんな探してぐれるつったでねが」
「言ったけど、まだ何も成果は出してないよ」
「オラんこど守っでぐれだ、あの魔法使いや怪物から」
「一緒に逃げただけだろう? 立ち止まってたら僕らもやられかねなかったし」
アリアドナはうーん、と下唇を突き出した。散らかった思考を探るように視線をさまよわせる。
一秒。
二秒。
三秒。
……。
何か、純朴な善人を虐めている気分になってくる。「あのさ」と言葉を継ぎ足しかけた時だった。
「なんか、変だど思ってだんだ」
ぽつりとアリアドナが言った。いつの間にか、ひどく真剣な目になっている。
「〈勇者〉様〈勇者〉様ってぢやほやされでも、やっぱりオラはただの村娘なんだ。本も読めねぇし、野犬一匹追い払うごどもでぎね。村じゃ畑の番一づ満足に任せでもらえねがった。のろまのアリアドナ、お荷物アリアドナって言えばオラのこどだ。なのに今じゃ奇跡の遣い手どが、聖なる生まれ変わりどが、なしてもおがしな感じがして」
「……」
「確がに教会はオラのこど助げでぐれだ。綺麗な服やんめぇ食事もぐれだ。でもこれが何がの間違いで、オラはやっぱり元ののろまのアリアドナなんだどしたら、……なしてこんなごどになったのがちゃんと知っておがねどいげねぇ気がして。司祭様に叱られでも、嫌われでも、村がらみんな、いなぐなった理由、あの魔法使いど司祭様が一緒にいる理由、ミゲルさやディアさが捕まってしまったごども放っておいちゃいげね思って」
「今の生活を捨ててもかい?」
「……んだ」
「何も考えなければ、もっと素敵な暮らしができるかもしれないよ。王都に行って、お姫様みたいな扱いを受けて」
「そんなのオラでねぇ」
一刀両断。
ふっと苦笑が漏れた。サーラス司祭よ、あんたはいくつも墓穴を掘ってきたが、最大の失敗は〈聖勇者〉役の選定ミスだ。
アリアドナは見た目よりはるかに聡明でバランス感覚に優れている。誰かに言われるまま動く人物ではない。自分達の登場があろうとなかろうと、遠からず足下をすくわれていたはずだ。
「分かった。分かったよ」
ミゲルは降参したように両手を上げた。声から警戒を解いて、
「疑って悪かった。助けてもらって感謝するよ。で? 今は一体、どこに向かってるのかな」
「ディアさがづがまってるところ」
そこまで調べてあるのか。本当に有能だ。だが当座の行動には、少し異議を申し立てたかった。
「悪いけど、先に回ってもらいたいところがある」
「え?」
「地下の倉庫だよ。坑道跡を物置にしていると聞いたんだけど、知らないかい?」
「……多分分がるげど」
ミゲルは不敵な笑みを浮かべた。
「サーラス司祭が何をしているか知りたいんだろう? 答えを教えてあげるよ。そしてそれは多分、君が抱えている違和感の回答にもなる」
* * *
ディアを放置することに少なからぬ抵抗を示されたものの、結局アリアドナは地下への案内役を受け容れてくれた。
道すがらプエルタ派について説明する。教義や聖典解釈に踏みこんでも理解してもらえないので、主に非合法活動の面を話した。既存教会の乗っ取りや免税特権の悪用、寄進の私的流用など。
〈聖勇者〉を旗印にした教会転覆計画を話すと、さすがに彼女も血の気をなくした。予想外の事態に巻きこれていると気づいたのだろう。肩を縮こまらせて怯えた様子になる。それでも泣き言一つ漏らさず、案内を続けてくれたのはさすがだった。ガスパル相手ならこうはいかなかっただろう。
だからミゲルも遠慮をやめる。組み立てた仮説を真正面から開陳する。
「はっきり言うけどね。トロ村の人達が消えたのは、君を〈聖勇者〉として祭り上げるのに邪魔だったからだよ。今後、君がプエルタ派の象徴になった時、トロ村の人達が『なんだありゃ、のろまのアリアドナじゃないか。あいつは畑の番一つできないんだぞ』と言ったら困るから。だから君の過去を知る人物はことごとく始末する。で、村人の失踪に気づいた訪問者――つまりこないだの僕らみたいな人間も待ち構えて始末し続ける。アリアドナという人間が、〈聖勇者〉様でしかなくなるその日までね」
「オラのせいなんだが」
震え声とともに見上げてきた。
「オラのせいで村のみんながひどい目にあったのが」
「君のせいじゃないよ。君はただ不運だっただけだ。たまたま悪いタイミングで、悪い人達に出会ってしまっただけだ」
「悪い人達……」
「もう分かるだろう。サーラス司祭だよ」
ミゲルは口角を持ち上げた。
「彼はとある条件の少年少女を探していた。見目がよく、身寄りが少なくて、何より身体にある特徴を持つ者。大雨の日に山麓を歩いていたのも、候補者を探していたんじゃないかな。僻地の子供ならいなくなってもそれほど騒がれないからね。特に彼らは一度失敗していたし、多少強引な手を使うことも厭わなかった。君はそこに転がりこんでしまったんだ。おあつらえ向きに大怪我をして、救命措置という大義名分まで準備してね」
「……よぐ分がらねんだども」
「すぐ理解できるよ。とにかく僕が言いたいのは、君がいなかったら別の人間が犠牲になっていたってことだ。プエルタ派にとって、〈聖勇者〉なんてのは替えのきく部品にすぎない。だから君が責任を感じる必要はない」
不運だった。
ただそれだけだ。
アリアドナはまだ納得いかなげだったが、口をつぐんだ。現在位置を確かめるように視線を巡らせる。
「地下への階段はこっちだ。今の時間だば見回りもいねぇで思うげど、夕方にはまだ食事の準備で人が下りでぐるはず」
「十分だよ。それまでには終わらせる」
「んだば、行ぐべ」
廊下の突き当たり、地味な木戸をアリアドナの持つ鍵束で開ける。しゃがみこんで戸口をくぐると空気が変わった。埃っぽい、澱んだ風が顔をなでる。壁や天井は黒ずみ、ところどころ漆喰が剥がれていた。道幅は狭く、二人並んで通るのがやっとだ。蝋燭の明かりが、まばらに行く手を照らしている。
左手の奥に、地の底へ続くような階段が見えた。闇の彼方で風が唸っている。段差の手前に地下水の漏出と思しき染みがあった。
「気つけで」
「うん」
足を滑らさないように注意しながら下りていく。十段、二十段、三十段。永遠とも思える下降の果てに再び廊下が現れた。だが、その姿は先ほどまでと随分異なっている。剥き出しの岩肌が四方に迫っていた。壁や床材の化粧もなく、天井に至っては巨人に乱打されたように凸凹している。ひんやりした空気が襟口から侵入してきた。
坑道だ。
素掘りの坑道跡が目の前に広がっている。
アリアドナが肩越しに振り返ってきた。
「こごがら先はどうなってるが分がらねぇ。道沿いにいぐづも部屋があるって聞いだごどはあるげど」
「一本道なのかい?」
「多分」
「じゃあ迷うことはないね、手当たり次第に見て回ればいい」
努めて軽い調子で言って彼女を追い抜く。
闇に目が慣れると、周囲の様子が分かってきた。確かに一本道だ。緩い下り坂が続いている。壁には削岩用のロッドが刺さり往時を偲ばせていた。もう少し進むと、左手に影のわだかまりが見えてくる。壁が窪んでいるのだ。のぞきこむと案の定、扉が見えた。鍵はかかってない。軋み音を立てないように開けてみる。
「食料庫かな」
大きな革袋と樽が置かれている。頻繁に出し入れされているのだろう、埃はかぶっていない。
更に六バールほど先にも扉があった。今度は椅子や机などの什器が中に収められている。隣の部屋には寝具、その隣には補修用の建材。
その調子で部屋を改めていくと、ほどなく目的地に行き当たった。他より厚い扉に鉄の輪がついている。楔で掘ったような文字で『TALLER』と刻まれていた。
ふっと口元が緩む。
「そのまんまだね。もう少し分かりづらくしてあるかと思ったけど」
「? どういうごどだ?」
文字に指を走らせてみせる。
「〈工房〉って意味だよ。錬金術師が実験場所に使う名前だ」
「錬金術師?」
アリアドナが虚を突かれた様子になった。
「そんな人達が出入りしてらのが」
「いや、出入りしているのは司祭達だろうけどね。まぁ、似たようなことをやっていると思えばいいよ」
扉を開ける。広がった光景はほぼ予想通りだった。
壁面いっぱいに設えられた棚、その上に鎮座する小瓶や壷。机には大量のメモが置かれて、棚の側面にも図面が貼られている。部屋の奥は間仕切りで仕切られて、何があるかは確認できない。ただ、手前のスツールには布きれが重ねられていた。壁のフックに薄手のローブがかかっている。何枚かに黒い染みらしきものがついていた。
アリアドナは混乱気味に視線を巡らした。
「な、なんだが、こご」
「だから〈工房〉だよ、まぁ扱う対象は金属じゃないけどね」
ミゲルはガラスの小瓶を照明にかざした。焦げ茶色の粒がぎっしりと詰めこまれている。試しに蓋を開けると少し甘酸っぱい匂いがした。
大当たり。
「アリアドナ、君、プエルタ派が急伸した理由はなんだと思う」
「なんの話だが」
「いいから、ちょっと考えてみなよ。たとえば、君の村に異端の聖職者が現れて『今の神様は嘘っぱちだ。我々こそ真の神なり!』と言ったとする。さぁどうする? あらそう! 悔い改めなきゃって思うかな?」
「まさが」
アリアドナの眉間に皺が寄った。
「そんな怪しい連中、塩まいで追い出してけるわ」
「だよね、普通はそうだ。まして、かつてのプエルタ派は異端であることを隠していなかった。教会への敵意も剥き出しだったし、起こした騒動も一つや二つじゃない。なのにみんな、こぞって彼らの洗礼を受けたんだ。なんでだと思う」
「……なんで」
アリアドナは口元を歪めた。検討もつかないという顔で、
「分がんね」
「簡単な話だよ。彼らは民衆に現世的な利益をもたらしたんだ。信者になった人間の怪我や病を治した。信じよ、さらば救われんってね」
「え?」
目をぱちくりとされる。
「それって、〈聖勇者〉の」
「奇跡だね。まぁ、彼らのやり口は今も昔も変わっていないってことだ。ただ当時の所行について言えば、もう手品の種が割れている。本当に単純だよ。プエルタ派の開祖、アレハンドロ・カブレラって男はね。王立学院の医学者だったんだ」
おいしゃさ……。
つぶやくような声にうなずいてみせる。
「うん。当時最新鋭の薬や治療技術を、彼は惜しげもなく振るったわけだ。だけどその成果は学問ではなく、奇跡によるものと主張する。なぜ? そっちの方があがめ奉られるからさ。生き神様、偉大なるカブレラよ! って」
「……」
「もう分かっただろう。プエルタ派ってのは神の代行者なんかじゃない。医術を悪用したペテン師、犯罪者集団だ」
ミゲルは部屋の奥に歩いていき、勢いよく間仕切りの布を剥ぎ取った。
現れたのは簡素な寝台と円形の照明だった。周囲には小さな棚が置かれて、金属製の器具が並べられている。小刀の切っ先が鈍い光を放っていた。
「あぁ」とアリアドナが口元を押える。双眸が大きく見開かれていた。
「こ、これって」
「うん、君が治療を受けたところだよ。処置台ってやつだ」
かつてここで繰り広げられた情景を思い浮かべる。
寝台に横たえられた彼女、それを囲むプエルタ派の医術者達、服装は返り血を浴びてもいいように術式用のローブ。天井には燭台が円形に配置されて、処置の手元を照らしている――
そう、雑然とした調度の意味もこうなれば明らかだ。医療器具、処置メモ、薬剤の容器、調合用具。衛生用の布きれ、そして血のついたローブ。
〈工房〉
プエルタ派の呼び名は正確だった。研究・検証・実践のための設備、ただそこで扱われるのが物ではなく『人』という話だ。
アリアドナは呆然とつぶやいた。
「オラは……神様に助げられだんでねぇんだな」
囁くような声。
「みんなを救え、神の力を伝えよ、って、あれも司祭様達の声だったんだな」
「まぁね」
処置中のもうろう時は直接、それ以外の時は〈雪石〉の仕掛けを使って語りかけたのだろう。
アリアドナは拳を握りしめてうつむいていたが、ややあってはっと顔を上げた。
「ま、待ってぐれ。ちょっと変だ。だって巡礼の人達を、こんなどごろに連れでぎだごどねぇぞ? 処置台? っつーのが? あんなもの儀式で使ったごどねぇ。でもみんな、治ってだ。これはどういうごどだが?」
「薬を使ったんだろう。聖餐の儀というのは要するに食事会だ。だったら服薬の機会はいくらでもある。あらかじめ症状を申告させて、それに見合う薬を処方しておけばいい」
調合用具と思しきすり鉢や小皿を示す。だがアリアドナは首を振った。
「おがしい。だって中には薬じゃよぐならねぇ人達もいだんだ。身体の半分を戦でなくした人とが、不治の病で医者に匙投げられだ人とが、そんな人達もケロッどして帰っていぐんだ。ああ、楽になった、助がったって。プエルタ派の薬はそんな魔法のような代物なのが? どんな病気や怪我でも治してしまうのが?」
「まさか」
鼻で笑ってしまった。
「人間の営みに万能なんてないよ。今後どんなに文明が進んでも、人は老いるし、なすすべもなく死ぬ。例外はないよ。もしそこから外れる者がいたら、それはもう人じゃない。ただの化け物だ」
「んだば」
「だから多分、彼らは治っていない。治ったような気持ちになっていただけだ」
アリアドナはきょとんとした顔になった。
ミゲルは手の中の小瓶をもう一度かざした。中にある粉を揺らしてみせる。黒いさざ波が瓶の内側を洗った。
「ケシの実を加工したものだよ。樹液を掻き集めて乾燥、すり潰して作る。もともとは手をかぶれさせる程度の効果だけど、適切に処理すれば人の心に作用するようになる。鎮痛・鎮静、多幸感、そして幻覚作用。つまりは麻薬だよ」
薬は薬でも――毒薬の類いだ。
視線を棚に巡らす。
「この坑道は人目に付きづらい。麻薬製造にはもってこいだ。どうやら設備も十分に整っているようだしね。かなりの量を産み出せるんじゃないかな。丁度、聖餐の儀に供給できるくらいには」
「っ!」
アリアドナは顔を引きつらせて後ずさった。頬を戦慄かせながら、
「す、救いを求める人達を薬漬げにして、金だげふんだぐったのが!? 何も治さずに、神様の加護がもだらされだど言って!」
「そうだね。ついでに言うと同じ薬は君にも使われたはずだ。手術後、光がまぶしく感じられたり嗅覚が鋭くなったと言ってたよね。これは典型的な薬物利用の症状だよ。多分、神の声が効果的に届くよう催眠効果を狙ったんじゃないかな。あるいは、意識レベルを下げて逃げられないようにしていたか」
「なんていう」
小さな唇が震えた。凍えたように両の肩を抱く。
「なんておっかねえごどを」
「その感想には完全同意だけどね。残念ながらショックを受けるのはまだ早いよ。君がどうやって〈勇者〉の力を得たのか、まだ僕は説明していない」
アリアドナははっと顔を上げた。首をすくめてやや怯えた様子になる。ミゲルは意図して酷薄な微笑を浮かべた。
「やめておくかい? ここまで来たら、もう僕一人で調査を進められるけど」
「んにゃ」
かすれ声に迷いはなかった。瑠璃色の目がまっすぐに見つめ返してくる。
「全部教えでぐれ、ミゲルさ。オラを何も知らねぇ可哀想な娘のままにしねぇでぐれ」
犯した罪の責任は取る。共犯者としての責めを負う。小作りな顔がそう語っていた。
ミゲルはふっと息を抜いた。薬瓶を置き、うなずいてみせる。
「分かった、じゃあ行こう。答えは多分、そう遠くないところにある」




