第17話
失敗した。
そう思ったのは、サーラス退室後、すぐに席を立つよう促された時のことだった。
能面の侍者は慇懃に、だが断固たる態度でミゲルをもといた部屋に放りこんでしまった。扉はがっちりと施錠されて、呼べど叫べどなんの反応もない。今までのもてなしは何かの間違いですと言わんばかりだった。
囚人を相手にする者としては至極当然の対応。ただ現実問題、こちらは話に集中しすぎて食事が取れていない。せめてパンの一切れでも置いていってくれと叫びたかった。
こんなことなら適当に相づちを打って、あとは栄養補給に専念するべきだった。果実汁よりもパンや肉を優先するべきだった。
まったく、悪い癖だ。腹の探り合いとなるとつい熱が入ってしまう。
嘆息しながらベッドに横たわる。綺麗な漆喰塗りの天井を見つめた。
(まぁ)
今更悔やんでも仕方がない。なるべく体力を温存して今後に備えよう。
さて――どうするか。
ディアの安否は気になるが、まずは当初の目的を果たしたい。偽〈勇者〉と奇跡のトリックを暴く。自分の仮説が正しいか確かめる。
そのためには、建物内部を自由に動き回る必要がある。
鍵のかかった扉を抜けて、誰にも見つからず、場所も分からない目的地を探す――
うん、なかなかハードルが高い。
ただあまり悩んでいる余裕もなかった。情報漏洩の疑いを持った以上、サーラスは早々に行動を起こすだろう。ケチがついたと撤収してくれるならまだよい。問題は彼らの計画を前倒しされた場合だ。
〈聖勇者〉の存在を大々的に押し出して、王都の教会権力に挑戦する。我々には伝説の〈勇者〉の生まれ変わりがついている。偽りの救いを捨てて、彼女に帰順せよ!
大騒ぎになるだろう。いや、正直言えば既存の教会がどうなろうとあまり興味がない。問題は『伝説の〈勇者〉発見』と聞いた時の世間の反応だ。ただでさえ無駄金使いと見なされている勇者認定局は、即座に存在価値を疑われるのではないか? いいじゃないか、目当ての〈勇者〉が見つかったんだから。あとは彼女を守り育てていこう。既知の〈勇者〉? 登録抹消して保護を打ち切ればいいだろう。伝説の〈勇者〉さえいれば〈魔王〉は倒せるのだから――そんな風に思われるのでは?
アリアドナに世界の命運が託される。
まずい。
どう考えてもまずい。
ことが起きて、やっぱり偽物でしたではすまないのだ。
荷物を探る。脱出の助けになりそうな物を一通り眺めてみた。
水筒、帽子、書類入れ、財布、火打ち石。ナイフは……ない。どうやら事前に危険物は抜き取られているようだ。火打ち石で放火することも考えたが、まきこまれる可能性の方が高い。だめだ。
視線を巡らせる。ベッド以外の家具は椅子、キャビネ程度だ。起き上がってキャビネを漁ってみたが中身は空だった。椅子の方は大した重さではない。扉に叩きつければ、簡単に砕けてしまうだろう。
(待てよ)
この部屋の出口は扉だけではない。外に面したところに窓がある。多分はめ殺しにされているのだろうが、あっちはまだ破りやすそうだ。椅子を叩きつけて、破片を取り除いて、アリアドナよろしくロープ降下する。ロープはないから別の物で代用するとして。外に出たあと、再侵入をどうするかも別で考えて。ああ、もちろんすごい音がするから人が飛んでこないかも検討するとして。……うん、既に現実味が薄いが一考の価値はあるだろう。
椅子から手を離して窓に向かおうとする。
ノックの音が響いた。
ぎょっと動きを止める。荷物はベッドの上にぶちまけられてキャビネは開いている。左手はまだ椅子の背もたれにかかったままだ。全てをもとに戻している余裕はない。まずい、不自然すぎる。
言い訳のネタを探しかけて静止する。違う、これはチャンスだ。何も行動を起こさずに扉が開く。あとはそこから出て行けばいい。さて問題。扉を椅子にぶつければ椅子が壊れる。窓にぶつければ大音がする。だけど人にぶつけたら?
椅子の足をつかんで持ち上げる。そのまま扉の陰に隠れて息を潜めた。暴力沙汰は苦手だが、今は手段を選んでいられない。大丈夫、落ち着いて狙いをつければ。
カチリと鍵が開いた。
レバーが回る。重々しい音を立てて戸が開いていく。扉板が分厚いせいだろう。廊下に何人いるかまでは分からない。複数人ならアウトだが、そこは幸運を祈るしかない。
息を潜めてタイミングを図る。
床の軋む音、それが一歩、二歩と室内に入ってくる。影が絨毯に落ちた。ぬっと上体が扉の陰から進み出てくる。
今だ。
……!
「っ!」
全身の動きを止めるのに、かなりの努力がいった。無理な姿勢で踏みとどまったので、あちこちの筋肉が悲鳴を上げる。振り下ろしかけた椅子が危ういバランスで震えていた。
それを見た侵入者は、今更のように「ひゃっ」と悲鳴を上げた。
「な、何してるんだが、ミゲルさ」
訛りのある口調で問いかけられる。
「それは僕の台詞だよ。いいから早くどいてくれ。手の筋肉が限界だ」
いつ椅子が落ちてもおかしくない。
侵入者はぱちくりとまばたきした後に、慌てて飛び退いた。扉が音を立てて閉まる。そこそこ大きな音がしたが気にしていられない。最後の力を振りしぼって椅子を軟着陸。肩の力が抜けた。ぶわっと全身の毛穴から汗が噴き出す。
「だ、大丈夫だが?」
心配そうにのぞきこんできたのは間違いない、亜麻色の髪の娘、アリアドナだ。ただ服装は胴衣とエプロンを合わせた粗末なものになっている。腰紐には円形の鍵束。〈聖勇者〉や村娘というよりは下女の趣だった。
「大丈夫だよ、主に君がね」
皮肉っぽい言葉にアリアドナは「は?」と首を傾げる。事態がよく飲みこめていないのか、ミゲルは「なんでもないよ」と手を振った。
「それより、どうしたんだい。こんなところに来て。僕が今どういう状況にいるか知っているのかい?」
「捕まってるんだべ?」
こともなげな台詞に、今度はこっちが意表を突かれた。
アリアドナはミゲルを見つめながら、にっと口角を持ち上げた。
「助げに来だ」




