第16話
古来、素性がバレた内偵の末路ほど悲惨なものはない。
非合法活動故に国は守ってくれず、敵はあらゆる手段を使って情報を引き出そうとする。追放や監禁ですめば御の字だ。やってもいないことをやったことにされて、言ってもいないことを言ったことにされて、満足のいく回答をしない限り、尋問は続く。それでもし味方の機密を盛らせば今度は裏切り者扱いだ。
絶望的すぎる。
公務員としてのキャリアはおろか、人としての未来も奪われかねない。
夢の中でミゲルは必死に抗弁していた。
――いいかい君達。僕はこう見えてなかなか口が硬いんだ。話せる内容は今すぐ話す。でも話せないことは頑として黙秘する。具体的には(自主規制)とか(自主規制)くらい血なまぐさいことをやらないと、口を割らないよ。さて君達にそこまでの覚悟はあるかな? どうせ仕事だろう? 今後寝覚めの悪い思いをしないためにも、当座の証言で満足するべきじゃないかな。僕はね、君達のことを思って喋ってるんだよ――
なんてことを主張しながら、現実家のミゲルは諦めにも似た思いを抱いていた。
多分、自分は今気を失っているのだろう。ロレンソにゼロ距離で雷撃を受けて、身体の自由を失った。で、教会かどこか、人気のないところに運ばれているのでは? サーラスも目撃者は少なくしたいだろうし、自分の悲鳴が外に漏れないところを選ぶはずだ。
つまり次に目を開けるとそこは十中八九、地下の拷問部屋だ。尋問役は自分の戯言など聞く耳も持たずに、仕事を始めるだろう。なんなら既に取り返しのつかないことになっているかもしれない。
ああ。
ああ、失敗した。
暗澹たる未来予想図に浸っていたせいだろう、覚醒して最初に覚えたのは違和感だった。
世界が明るい。窓から豊かな朝陽が差しこんでいる。空気は清涼で、牢獄特有の息苦しさはまったくない。何より寝床が柔らかかった。石や土の床ではありえない。ベッドだ。貴族や大商人の寝室もかくやというような寝具に横たわっている。
寝返りを一回。背筋や腹筋が痛みを訴えるも、想像していたほどではない。よく見ると首や手には包帯が巻かれていた。まさか〈刻印〉のある上体まで、と身構えたが、肌着は乱れていない。どうやら最低限の手当で寝かされようだ。ベッド脇の荷物も荒らされた形跡はない。
部屋は宿屋のものより二回りは大きかった。
漆喰の壁と木目の柱、梁が上品な印象を与える。床には浅葱色の柔らかそうな絨毯が敷き詰められていた。大きな窓から見える町並みはフェリシダのものだ。家々の屋根を見下ろせるから、ここは山の中腹――教会の建物か。
(ふむ?)
ディアの姿はない。なので二人仲よく招待されたわけではなさそうだ。ただ、最悪の予想は実現していなかった。
トントン。
ノックの音に振り向く。
開いた扉の向こうにローブ姿の侍者がいた。起き上がったミゲルを認めて一礼する。
「朝餉の支度が整っています。用意ができ次第、ご案内いたします」
「そうかい、僕は朝の用意に二時間くらいかかるから、一度引き揚げてもらっていいよ。場所さえ教えてもらえれば、自分で食堂に向かう」
「……」
「冗談だよ。すぐ行ける」
にこりともしない。人形みたいな相手だ。
侍者はミゲルがついてくるのを待って歩き出した。無人の廊下を進んでいく。年代物の照明が頭上に連なっていた。建物自体は古いが、こまめに修繕されている様子だ。窓や床にも目立った傷はない。
階段を下りて再度廊下を進む。三、四分ほど行くと大きな扉の前にたどりついた。侍者が頭を下げて「お連れしました」と呼びかける。「どうぞ」と答えた声には聞き覚えがあった。
案の定、中にいたのはサーラスだった。長テーブルの向こうに、聖画を背にして腰かけている。テーブルの上には大小の皿が並べられていた。
「おはようございます。よく眠れましたか」
屈託のない問いかけだった。柔和な笑みを浮かべたまま、手を差し伸べてくる。
「どうぞ、おかけください。王都のものとは比べものにならないでしょうが、それなりの朝食を準備しました。モリノ産のチーズはなかなかいけますよ、アレナ羊の燻製も、まぁ田舎料理にしては上等です」
侍者が一礼して引き揚げていく。ミゲルは嘆息して向かいの椅子に腰かけた。席を動かすと同時に、別の侍者が料理を運んでくる。グラスに果実の絞り汁が並々と注がれていった。
「もてなす相手を間違ってるんじゃないかな?」
ミゲルは果汁の滴りを眺めながら言った。
「君達は昨日、僕を黒焦げにして拉致したと思うんだけど」
「非礼は重々お詫びいたします。ロレンソが、あなた方はちょっとやそっとのことではつかまえられないと言い張るもので。ただ私の真意はあなたとお話をしたかっただけです。物の道理が分かる者同士、真摯に語り合えればと」
「お話」
鼻で笑ってしまった。
「生殺与奪の権はそっちにあるんだ。力ずくなら力ずくで初志貫徹すればいいだろう。それとも何か? 世間話につきあえば、それでお役御免になるとでも?」
「残念ながら、そうはまいりませんな。ただ、これは持論なのですが、恐怖や苦痛は尋問の手法としては下策です。窮地から逃れるためなら、人はどんなことでも口にしますからね。聞きたい台詞を言わせるのには向いていても、真実を引き出せるとは限らない」
「うまい食事と清潔な寝床なら、違う結果になると?」
「少なくとも嘘をつく理由はなくなるでしょう。何、時間はたっぷりあります。話したくなるまでごゆるりと滞在なさればいい」
パンが運ばれてきた。焼きたてのよい香りが鼻孔をくすぐる。今更ながら空腹が意識されてきた。冷笑家を気取っても身体は正直だ。格好をつけているうちに胃が鳴ってもしまらない。諦めて手をつける。
一口、二口、三口。徐々に人心地ついてくる。意を決してサーラスを見つめた。
「まず僕から確認してもいいかな」
「どうぞ」
「ディアはどこに?」
「別のところでお休みいただいています」
サーラスの笑顔は曇り一つなかった。
「大丈夫、丁重にもてなすよう申しつけてありますよ」
「ガスパルは?」
「神は背信者を嫌います」
「なるほど」
利用価値のある者だけ残したということか。であれば、自分がおかしなことをしない限り、ディアの身柄は保証される。ガスパルに関しては……まぁ最悪の事態になっていないことを祈ろう。
「もう一つ」と言葉を継ぐ。
「君らはいつから僕を疑っていたんだい。さっき『ロレンソが僕らを知っている』みたいなことを言っていたけど」
ひょっとしてトロ村時点で動向がバレていたのでは、この一週間、泳がされて監視されていたのでは。そう思ったがサーラスは肩をすくめた。
「まぁ最初からおかしな方々だなとは思っていましたよ。王都の役人がわざわざ足を延ばすには、ここは僻地すぎます。ただ、どちらかと言えば警戒していたのはガスパルの方でしてね。最近明らかに挙動不審でしたから、餌を与えて黒幕をつきとめようと思ったわけです」
「教会を空けると触れ回ったり、偽の手紙で尻を叩いてみたり」
「ええ。柄にもなく慎重なので焦りましたが、結果的には無事食いついてくれました。丁度ロレンソも報告に戻っていましてね、尾行についてきてもらったところ、あなた方に見覚えがあると。そこで色々繋がったわけです。いやはや、トロ村では随分な大立ち回りをされたようですね。まったくただの役人には思えない」
「前回も今回も、僕は彼の魔法にやられただけだけどね」
平静を保ちながら、果実の絞り汁を飲む。なるほど、であればほぼ想定の範囲内だ。今の話ならアリアドナの脱走はバレていない。彼女に尋問の矛先が向く心配はない。
会話が途切れる。
沈黙を待っていたように他の料理が並べられ始めた。目の前のテーブルを皿と食材が埋めていく。
「随分豪勢だね」
正直な感想を漏らした。
「これが宿の食事なら支払いが心配になるところだ」
「教会というのは、なかなかよい商売でしてね」
サーラスがグラスを揺らした。
「ご存じかもしれませんが、教会領には免税特権というものがあります。たとえば町外れの牧場主が我々に牧場を寄付すると、その土地の売り上げには一切税がかからなくなるんです。もちろん彼らも生きていかなければなりませんから、生業自体は続けていただく。ただ儲けの一部を教会に寄進してもらう。そんな関係を増やしていくと、かなりの浄財が集められるんです。それこそ食事代などどうでもよくなるくらいに」
「だから既存のフェリシダ教会を乗っ取ったのかな? プエルタ派の看板じゃ同じような金集めはできないから」
投げこんだ火薬玉は、さほどの効果をもたらさなかった。サーラスは静かに首をひねった。
「金だけじゃありませんよ。人脈、信用、情報。教会組織というのは宝の山です。ただ、こちらのフェリシダ教会は疾うの昔に朽ちかけていましてね。所与の財産をあたら無駄にしていました。ですから我々が有効活用しようと思ったわけです」
「もとからいた聖職者はどうしたんだい? ガスパルやトロ村の人達みたいに排除したのか」
「まさか、他の土地の教会にちゃんとポストを準備しましたよ。我々もそれなりにコネクションを築いているんです。目立たないように色々と苦労しながらね」
「結構な盛況ぶりじゃないか」
皮肉たっぷりに睨みつける。
「なら、別に妙なことをしなくても稼げるだろう。各教会からの寄付・寄進だけでもかなりの額になるはずだ。この上〈聖勇者〉なんて見世物を準備しなくてもいいだろうに」
「我々が商人であれば、確かに」
サーラスは諭すように手を編んだ。
「ですが我々は教団なのですよ。信徒を集め、信仰を厚くして、正しい神の教えを広める必要がある。その時、不可欠なのは教会に負けない権威です。従来の神とは違う威光を、目に見える形で示さなければならない」
「それが伝説の〈勇者〉?」
「ええ、聞いたこともない聖人よりは、よほど身近な存在でしょう?」
「まぁ、ね」
内心で舌打ちする。随分と壮大な計画だ。現行教会権威の転覆、その旗印としての〈聖勇者〉擁立。正直予想のはるか上をいっている。そして、ここまで赤裸々に話す以上、少々のことでは解放しないつもりだろう。
なんと迷惑な。勘弁してほしい。
渋面のミゲルに、サーラスはすっと身を乗り出してきた。
「さて、今度はこちらからうかがいましょう。あなたの本当の所属はどこですか」
「? というと?」
「この期に及んで勇者認定官を名乗れるとも思っていないでしょう。異端審問局ですか、それとも教区監査部ですか?」
一瞬きょとんとしてしまった。目をぱちくりするミゲルに、サーラスは初めて苛立ちを見せた。
「とぼけるのもいい加減にしてください。あなたは国教会の指示で動いているのでしょう? 何がきっかけかは知りませんが、フェリシダ教会の異変に気づき状況を確かめに来た。違いますか?」
「ああ」
分かった。
情報漏洩を気にしているのか。教会内部のコネクションが摘発されて、その先にフェリシダが浮かんだと思っている。疑惑の目が向けられたと考えている。だとすれば彼の知りたいことはシンプルに三つ。
どこから、
どのように、
どの程度、情報が漏れたのか。
確かにそのあたりが分からないと今後の行動計画が立てられないだろう。やってきたスパイを始末して、はい終わりにはさせられない。
だから生かされている。表向き丁重にもてなされている。
「ただで証言しろとは言いませんよ」
サーラスの目に狡猾な光が宿った。手を上げて合図すると、侍者が皮袋を持ってきた。机上に置いた瞬間、金属の擦れ合う重い音がする。
「ドナリア銀貨で百枚あります。情報の内容によってはもう少し色をつけましょう」
ミゲルは路傍の石でも眺めるように皮袋を見つめた。
「これは今回の証言に支払われる対価かな? それとも今後続くであろう二重スパイの代金も含んでいるのかい」
「別料金と考えてもらっていいですよ。あなたにその気があるなら、教団にポストを準備してもいい」
随分高く買ってもらったものだ。まぁ一度証言させれば、彼らは自分の弱みを握ることになる。脅しで言うことを聞かせられるのなら、以降の約束を守る必要もない。すっとぼけるのも踏み倒すのも思いのままというわけだ。では実際問題、いくらくらいが正当な対価か? 銀貨二百枚? 三百枚? それとも金貨の支払いにしてもらうか?
なんて皮算用はともかく。
「悪いけど、ご期待には添えそうにないな」
皮袋から視線を外す。椅子にもたれかかって足を組んだ。
「サーラス司祭、あなたはさっき、耳心地のよい嘘よりは真実を聞きたいと言った。だったら僕の答えは一つだ。ミゲル・イバルラは王国勇者認定官で、他の何者でもない。よって教会内部で君らがどう思われているか、知りようもない」
「……分かりませんな」
サーラスの顔には戸惑いがあった。眉間に皺を刻んだまま片眉を持ち上げる。
「仮に仰る通りだとしましょう。だったらなぜこんな僻地の教会を探ろうとするんですか。〈聖勇者〉の存在に興味を引かれたから? ですが我々は王国に何も求めていないんですよ。認定も保護も支給金も何一つ必要としていない。なのにどうして、危険を冒してまでくちばしを挟んでくるんですか」
「……」
「私は王都の役人の性質をそれなりに知っています。彼らは必要のない仕事はしない。少しでも面倒事から遠ざかろうとする。ましてや認定官の仕事は〈勇者〉手当の適正支給で、金をばらまくことではないはずです。だったらあなたは何をしにフェリシダへ来たんですか? 一体どういう職業意識で動いていると言うんですか」
「それは――」
答えかけた途端、ノックの音が響いた。扉が開く。ここまで案内してくれた侍者が顔を出した。
「サーラス様、そろそろ会合のお時間です」
咎めるように侍者を見つめたのも一瞬、サーラスは肩の力を抜いた。
「分かりました。行きましょう」
口を拭き立ち上がる。ストールを羽織り、少し高い位置からこちらを見下ろしてきた。陽光に照らされた顔は、いつもの仮面めいた笑顔に戻っていた。
「なかなか楽しい朝餉でしたよ。また夜にゆっくりと語り合いましょう。ああ、今度はもう少し胸襟を開いていただけると嬉しいですね。では、よい一日を」




