第15話
ガスパルとの情報交換は一日一回、例の酒場でと決めた。
払った金額に比例してガスパルの口はどんどん滑らかになっていった。教会の内情、出来事、人間関係をつぶさに報告してくる。訊かれていないことまで喋るので、たまに脱線をたしなめる必要もあった。
意外にも彼は祭儀で使われる典礼言語を読むことができた。どうやら父親が教会出入りの業者だったらしい。簡単な文書や帳簿の見方、契約書の作法まで身につけていた。もちろんサーラス達はそんな彼の教養を知るよしもなく、無造作に書類や伝票を置きっぱなしにしていた。おかげでミゲルはかなりこと細かにフェリシダ教会の取引先を知ることができた。今後、金や人の動きを押えるのに重要な情報となるだろう。
ただ肝心の証拠物はというと、これがなかなか手に入らなかった。さすがにペテンの道具を放置していないらしい。廃棄も別の人間にやらせているようだった。
ガスパルは忍びこんで盗み出せば、と主張したが言葉を尽くして止めさせた。悪いが痕跡も残さずに犯罪ができるタイプには見えない。身柄を押えられて、芋づる式にこちらの存在が浮かんだら目も当てられなかった。とにかく慎重を期して、何かあれば相談してと言っているうちに日が過ぎていった。
変化があったのはフェリシダ滞在、一週間目のことだった。
いつものように酒場を訪れたガスパルは満面の笑みを浮かべていた。
「やっと飲み代の礼ができそうだぜ。今晩、空いてるか?」
「何があったんだい」
とりあえず話の続きを促す。ガスパルは横のカウンター席にどしんと腰を下ろした。
「州の教会の偉いさんを集める会議があるみたいでな。フェリシダ教会の面々もアンティロペまで出かけるんだと。侍者連中も付いてくようだから家捜しにはもってこいだ。多少手間取っても、さすがにアンティロペからは駆けつけられないだろ」
「全員がいなくなるのかい?」
「ってわけじゃねぇけど、留守番は最低限らしいぜ。使用人も俺みたいなゴミ捨て係以外は暇を出されてるし」
「ふぅん」
「なんだよ、喜ばねぇのか」
反応の悪さが意外だったのか、ガスパルの顔が歪む。「いやね」とミゲルは前髪をいじった。
「苦労して手に入れたいものがある時、向こうからさぁどうぞって来られると、どうにも疑ってしまうんだ。何かの罠じゃないかってね」
「はぁ? 司祭どもが俺を嵌めるために、わざわざアンティロペまで行くって言うのかよ」
別に本当にアンティロペを目指す必要はない。そういう噂を流して、誰が動くか見極めればいいだけだ。
ただガスパルは、自分の行動をただの『記念品確保』だと思っている。そのために教会全体が罠を張るのは明らかに妙だろう。では異端の件を明かす? 相手は想像以上に危険な集団だから注意しろと。……いや、だめだ。そこまで彼の口の硬さを信用できない。
「確かに、心配しすぎだね」
表向き相づちを打ちつつ考える。果たして、ロレンソの報告はフェリシダ教会に届いたのだろうか。サーラスはその件をどうとらえたのだろう。見たところ彼らの行動は変わっていないが、泳がせられているのか、あるいは本当に気にされていないのか、判断がつかない。
「ただ、今晩はやめよう」
「あ?」
ガスパルが目を剥いた。
「なんでだよ、あんた今、自分で心配すぎって言ったじゃないか」
「うん、でも実は連れの体調がかんばしくないんだ。今は宿の人に様子を見てもらってるけど、夜はさすがに、僕がついていてやらないと」
「あの、能天気そうな嬢ちゃんか? 風邪でも引いたのか」
「どうかな、慣れない土地で水が合わなかったのかもしれない」
「そうか」
さすがに食い下がれないのか、ガスパルは押し黙る。だが目にはまだ不満そうな光が残っていた。
「もう次の機会はないかもしれねぇぞ」
「大丈夫だよ。州の教会関係者を集めるなら、多分、教区会議だ。あれは一週間以上続く。僕らの用意が整うのを待っても十分間に合うさ」
「……そうなのか?」
「そうだよ、だからまた明日相談しよう」
二、三日様子を見てからでも遅くはない。万全には万全を期そう。そろそろ本部への応援要請も出しておきたかった。仮に踏みこむとなったら証拠はもちろん、相応の人手が必要になる。
ミゲルはつとめて朗らかな笑みを浮かべた。
「心配するなよ。日延べした分、手当ははずむ。酒代は引き続き僕持ちだ」
「……そういうことを気にしてるんじゃねぇよ」
ガスパルの顔にわずかな後ろめたさが過った。病人を置いて金や自分の都合を優先していると気づいたのだろう。しかつめ顔で温くなったエールを見つめる。
「なぁ、〈聖勇者〉様に頼んでみようか?」
「ん?」
「連れの嬢ちゃんを見てやってくれって。司祭どもがいないなら巡礼の相手もねぇだろうし」
「面識があるのかい?」
驚いて訊ねるとガスパルは首を振った。
「ねぇけどよ。身の回りの世話をしてる奴らは何人か知っているから」
「ああ」
「素直に事情を話して、顔を繋いでもらえば」
「……」
底抜けの善意というのはたまに相手を弱らせる。この場合、余計なことをされて困るのは他でもないミゲル達だった。
「大丈夫だよ。少し食が細くなってるだけなんだ。寝てれば治る」
「そうか?」
「うん、だから気にしないでくれ。あまり大騒ぎされると彼女も気恥ずかしいだろう」
遠慮に遠慮を重ねると、ようやくガスパルはうなずいてくれた。「分かったよ」と身を引く。
「じゃあ仕事が終わったら見舞いにでも行ってやるよ」
だから、そういうお節介が不要だと言ってるんだけどな。
ミゲルは曖昧に微笑みながら、次の断り文句を探した。
* * *
念のため教会に赴き、ガスパルの話の裏を取ってから宿に戻った。
気づけば日が落ちかけていた。夕闇に沈む道は軒先の灯りにぼんやりと照らされ、開いた二階の窓から夕餉の声が降り注いでいた。
滞在期間が長引いたせいで、宿の人間にも大分顔が知られている。店番の少年が「あ、おかえりなさい」と頭を下げてきた。
ミゲルは懐を探って銅貨を取り出した。指で弾いて少年に渡す。
「連れの体調が思わしくなくてね。今日は食事を部屋まで持ってきてくれないか」
「はい、何をお持ちしましょう」
「簡単に食べられて消化によさそうなものを。お勧めはあるかい?」
「でしたらマンサナ亭の豆スープがいいと思います。具だくさんな割りに味つけも薄めですし」
「じゃあ、それで頼むよ。あとこのお願いは今朝したことにしてもらえるかな。おつりは取っておいてもらっていい」
少年は一瞬まばたきしたが、やがて意を汲んだようににやりとした。
「お連れさんは朝から調子が悪かったんですね」
「ああ、気の毒にもね」
合わせられる口裏は合わせた方がいい。こういう用心の積み重ねが、いざという時に身を救うのだ。
片手を振って客室に向かう。
扉を開けると、ディアがぴょこんとベッドから立ち上がってきた。
「おかえりなさい、ミゲル様! お待ちしてました! さぁ今日はどこに食べに行きましょう?」
「悪いけど今日は部屋で食べるよ。色々あってね、君は病人ってことになってる」
「え? ディアは病気じゃありませんよ?」
どうだろう、この察しの悪さ。店番の少年の方が旅の仲間に向いているかもしれない。
「教会で動きがあってね。彼らの意図を見極めるまでは息を潜めていたいんだ。で、その理由として君を使わせてもらった」
「はぁ」
「まぁ深く考えなくていいよ。それより何をしてたんだい? 灯りも点けずに」
日よけのシェードが下ろされて、ただでさえ乏しい陽光を遮っている。わだかまる影が白いベッドシーツをくすませていた。
ディアはきょとんとした様子になり、それから笑った。
「特に何も。ミゲル様から指示がなかったので」
あ。
(しまった)
室内を見渡す。食器、椅子、荷物、その他全ての物が朝に出た時と位置を変えていない。シェードも朝陽を防ぐ目的で下ろしたままだ。何が起きたか、いや起きていないかは明白だ。ディアは十時間以上、この部屋で静止していた。次の指示がもたらされるまで、ベッドに腰かけて。
「ごめん、うっかりしてた」
部屋にいてほしいならほしいで、『留守番を頼む』と言うべきだった。そうすれば彼女は指示の枠内である程度、行動しただろう。だが『すぐ戻る』や『行ってきます』ではダメだ。許可がない限り、彼女は一歩たりとも動けない。動こうとしない。『ミゲル様の言うことを聞く』とは、つまりそういうことだ。
畜生、と胸の中で毒づく。この粗忽者め、一体何度目の失敗だ? いくら調査で頭がいっぱいだったとはいえ、彼女を扱う者としての自覚が足りなさすぎる。
悄然としているとディアは不思議そうに首をひねった。
「なんで謝るんですか?」
「いや、身動き取れなくて大変だっただろうと思って」
「そうでもないですよ。頭空っぽにしていると、色々昔のことが浮かんできたりして」
「昔のこと」
「ミゲル様と出会った時のこととか」
心臓が跳ねる。だが同時に興味深くもあった。共通の思い出を彼女はどうとらえているのか。
「懐かしいね、あの時は色々大変だった」
「大変でしたか? ディアはあまりその前のことを覚えてなくて」
「思い出さなくていいよ。終わったことだし、どうせ正確なところは誰も覚えちゃいない」
「はぁ」
「忘れてるなら幸いだ。あえて考えないことをお勧めするよ。僕も君も、あの頃とは随分違う立場になったんだから」
ディアはこくりとうなずきつつ、少しして上目遣いに見上げてきた。
「でもですねー、ディアにとっては大事な思い出なんですよ。ミゲル様と会った時、ディアは『ああ、運命の人だ』と思ったんです。ディアはこの人と離れられない関係になるんだなーって」
「……」
「ミゲル様は違いましたか?」
どういう顔をしていいか分からず、固まってしまった。多分、ひどく歪んだ表情になっていたのだろう。溜息を一回、「そうだね」と視線を逸らした時だった。
ノックの音が響いた。
救われたと思う自分が少し嫌だった。本心を覆い隠したところで現状は何一つ変わらないのに。それでも呼び出しを無視する理由もなく「今行くよ」と振り返った。
「食事かな、思ったより早いね」
チップを追加で弾む必要があるかもしれない。巾着を取り上げて玄関に向かう。ドアを開けた瞬間、ミゲルは虚を突かれた。そこに立っていたのは宿番の少年ではなく、筋骨隆々の大男だった。
「ガスパル?」
返ってきたのはほっとしたような笑みだった。
「ああ、よかった、部屋を間違えていたらどうしようと思ったぜ。なんせ受付に誰もいなかったからよ。前に聞いた話を思い出しながら部屋を回ってたんだ」
確かに、緊急時の連絡先は教えてあった。だから彼がこの部屋にたどりついたこと自体は不思議ではない。問題は、なぜ今ここにいるのかということだった。
「まさか、本当に見舞いに来たのかい」
咎めるような声音に、だがガスパルは眉をひそめた。
「あぁ? 何言ってるんだ。あんたが呼んだんだろう。すぐ来いって」
「は?」
「手紙を渡されたぞ。『頼んでいた件を今すぐやってくれ』『滞在先で待つ。大至急』って。ったく、言ってることが二転三転するからいい迷惑だぜ」
ぞくりと背筋が震える。
見ればガスパルは手に布袋を持っていた。中に器物がいくつも入っている。おそらく陶器や硝子、金属細工の類いだ。
ぎりっと歯がみする。
やられた、嵌められた。
「ガスパル、今すぐ逃げろ」
「あ? なんでだよ」
「いいから言うことを聞け! ディア、窓の外を警戒。退路を確保して――」
警告はおそらく十秒ほど遅かった。
雷鳴のような轟音とともにガスパルが吹き飛ぶ。光の刃が廊下を埋め尽くして、壁と天井を切り刻んだ。網膜が焼かれる。予想はしていたが、目を閉じるのが間に合わなかった。世界が真っ白になる。ディアは、出口は、どこだ。
瞬間、背中の真ん中に手の感触を覚えた。ぞっとして振り返る。なんとか身をよじって逃れようとしたが、
バリッ!
全身に激痛が走った。肌が焼ける。目と口、鼻の穴から炎が噴き出したような感覚。気づけばすぐそばに床があった。倒れている。全身を痙攣させて廊下に伏せっている。
足音が響いた。
黒い人影が二つ、のぞきこんでくる。
一人は髪を逆立てた立て襟コートの男。片手に稲光をまとい、歪んだ笑みを浮かべている。魔術師、〈煤かぶり〉のロレンソだ。
そしてもう一人は、
「勇者認定官がなぜスパイのような真似を? 是非納得のいく説明をいただきたいですな」
ローブ姿の司祭、サーラスはそう言って柔和に笑った。




