第13話
翌日、日が昇るのを待って宿から出た。
ディアは頑なについてきたがったが、頼みこんで別行動としてもらった。今はとにかく時間が惜しい。ロレンソの報告先が予想通りフェリシダ教会ならば、警戒される前に調査を進めておきたかった。一人でできる確認は可能な限り並行してやってしまう、ディアにはディアの仕事をこなしてほしかった。
狭い町だ。人夫相手に情報収集して、開いている酒場を巡ると、すぐに目当ての人物は見つかった。
カウンターに大男が腰かけている。広い背中を猫背に丸めて、うつむいていた。
澱んだ空気が満ちている。客の姿は少ない。初老のマスターが倦んだ眼差しを向けてきた。
ミゲルは無言のままカウンターに赴き、大男の隣に腰かけた。太い二の腕に圧迫されつつ銅貨を差し出す。
「彼が今飲んでいるものを二つ、僕と彼の分」
大男は怪訝そうに顔を上げて、眉を寄せた。
「おい、てめぇ」
「そう邪険にするなよ。酒を飲みに来たらたまたま知った顔が見えただけだ」
ミゲルは運ばれてきたエールを大男――ガスパルの前に滑らせた。
「初めての店で勝手が分からないんだ。つきあってくれよ」
ガスパルは当惑気味に口を歪めたが、降って湧いた幸運を逃す気はないのだろう、カップをつかみ、あおるように中身を飲みこむ。アルコールのうまさには抗えないのか、酒臭い息を漏らした。
「……礼は言わねぇからな」
「もちろんだよ。僕が勝手に奢った酒だからね。見返りは求めないさ。ちなみに食い物は何がいける? よかったら一緒に食べないか」
ガスパルは躊躇しつつも「仕方ねぇな」とぼやいた。カウンター上のメニューを見上げてマスターを呼ぶ。
調子に乗ってものすごいものを頼まれるのではと危惧したが、ガスパルのオーダーは意外と控え目だった。エールもちびちびと大事に味わっている。してみると司祭の言う通り、根は善人なのかもしれない。
「役人さんが昼間から酒かっくらっていいのかよ」
料理が運ばれてきたタイミングでガスパルがつぶやいた。カップが空なのを見てとり二杯目を頼んでやる。
「私用で来たって言っただろう。いくら公僕だからって、非番の時まで品行方正を強いられる理由はないよ。こう暑くちゃ酒でも飲まなきゃやっていられない。違うかい?」
「まぁな」
「そういう君はどうなんだ。司祭様はお役目に戻れ的なことを言ってたけど」
「あんなものはただの雑用だ」
面白くもなさそうに手を振る。
「朝と晩に教会からゴミを運び出してるだけだ。使えるものは職人どもにさばいて、どうしようもないものは町外れのゴミ捨て場に持っていく。あわせて一刻もかからねぇよ。やることがねぇから、昼間はこうして酒場でくだを巻いてるわけだ」
「物足りない感じだね」
「あたりめぇだろ。鉱山が元気な時は、朝から晩まで一日中働いてたんだ。仕事はきついが、その分実入りもよかった。いつかは一財産稼いで自分の組合を持とうと思ってたんだ。それが今じゃどうだ。何日働こうと、この生活から抜け出せる気がしねぇ」
「……」
「あんたはいいよな。その若さで王都の役人になれて、どこにでも行けて」
嫉妬と羨望の入り交じった視線に「いやいや」とマグカップを揺らす。
「役人と言ってもピンキリだよ。上の人間は確かにきらびやかだけど、僕らみたいな下っ端は薄給で国中走り回らされているのが現実だ。誰かにいいように使われているのは、君と大して変わりない」
「……」
「どこにでも行けるってのは国が認めたところならどこにでもってことだ。逆に言えば、プライベートで行けるところは限られる。別に禁じられてるわけじゃないけどね、経済的・時間的な制約は確かに存在する。今回はたまたまアンティロペで仕事があったからフェリシダに立ち寄れたけど、私用となればなったで、今度は誰にも尊重されなくなる。〈聖勇者〉様との面談もままならないし観光ガイドもつかない、挙げ句に君らみたいな一市民から因縁をつけられたりする」
「……悪かったよ」
ガスパルはバツ悪げに視線を逸らした。汚れた爪が鼻の頭を掻く。
「俺にしてみれば役人ってのは、いきなりやってきて、偉そうに命令してくる連中だったからよ」
「まぁ、お互い被害者ってわけだ。理不尽な社会の、その中でもうまくやっている連中のね」
杯を差し出す。ガスパルは一瞬虚を突かれた様子になったが、おずおずと乾杯に応じてきた。コンと乾いた音が響く。
「神の恩寵に」
「あんたの気前のよさに」
二杯、三杯と杯を交わしていくうちに、ガスパルの険はどんどんと取れていった。もとより裏表のない性格なのだろう。とろんとした目つきで愚痴り始める。
「……っつーかよ、あの司祭、何様のつもりなんだ。偉そうに上から目線で仕切りやがって、奇跡を起こしてるのは〈聖勇者〉様だろ。おまえじゃねーっつーの」
初めより随分早いペースで酒をあおる。
「古株の聖職者もどんどん追い出してよ。よその教会の連中連れてきてやりたい放題よ。勝手に祭儀の中身も変えてるらしいし」
「ふぅん?」
ミゲルは片目をすがめた。
「サーラス司祭はよそものなのかい」
「ああ。一年くらい前に赴任してきたんだ。最初からいけすかない感じだったけど、半年くらい前か? ぐいぐい前に出だしてよ。町の顔役とか味方につけて、気づいたらこんな有様よ」
「でも〈聖勇者〉様を見つけたのは彼なんだろう? だったら少しくらい偉ぶっても仕方ないんじゃないか?」
「今の〈聖勇者〉様を一発で見つけたのなら確かにな」
ん?
不可解な台詞に首を傾げる。ガスパルは酒焼けした笑顔を寄せてきた。
「アリアドナ様はよ、二人目なんだ。最初に司祭が連れてきたのは別の娘でよ。町の連中にもそいつこそ〈聖勇者〉だと触れ回っていたんだ。ところがこいつが呆気なくくたばっちまった」
「死んだってことかい」
「ああ。奇跡らしい奇跡を起こす前にな、当の本人が神の恩寵から見放されちまった。だからサーラスの見立てなんて大したことねぇんだよ。たまたま二人目でうまくいっただけで、巡り合わせが悪ければ、今でもまだ〈聖勇者〉を探し続けてたんじゃねぇか」
「……」
ガスパルはサーラスの無能をあげつらいたいだけだったのかもしれない。だがミゲルは別のことが気になった。
「前の〈聖勇者〉様は、どういう風に死んだのかな」
「どうって……別に変な死に方はしてねぇよ。病気で亡くなっただけだ」
「どんな病気だい」
「知らねぇよ。熱が出て咳が止まらなくなって、息が苦しいとか言い出して、風邪でもこじらせたんじゃねぇか」
発熱と咳、それに呼吸困難。
「他に症状は?」
「そういや顔色がおかしいとか言ってたな、妙に黄色っぽいというか、土気色って感じで。あと身体の節々が痛むとも」
ふむ。
ガスパルがやや不安そうにのぞきこんできた。
「なぁ、なんかまずい話なのか、これ」
「いや、そうじゃない。まだ若かっただろうに、気の毒にと思ってるだけさ」
「はぁ」
それより、と懐を探り銅貨を取り出してみせる。
「ガスパル、君、酒代を稼ぐ気はないか」
「なんだよ、やばい話はごめんだぜ」
「そんなんじゃない。実は〈聖勇者〉様との面会はもう諦めようと思ってるんだ。さすがに時間がかかりすぎるからね。ただ、このまま帰るんじゃあまりにも味気ない。だから記念品でも手に入れられないかと思って」
「記念品?」
「〈聖勇者〉様が儀式で使った品とか、身につけていたものとかさ。何、別に盗みをお願いしているわけじゃない。壊れて捨てるものがあったらもらえないかって話だ。どうせ職人に売りさばくんだろう?」
「売り上げは教会に渡すことになってる」
「だから多目に払うよ。差分は君のポケットに入れればいい」
ガスパルの目にやや小ずるそうな光が宿った。共犯者を見るような笑みになって、
「まぁいいだろう。ただ俺は儀式の品なんて分からねぇぞ。ゴミ捨て場に置かれた物を運び出すだけだからな」
「じゃあ今から言うものを探してくれよ。もし既に見たことがあれば、職人達に譲ってもらう感じで」
「お、おう」
「いいかい。漏斗、油の缶、ガラスの管、小皿、すり鉢にすりこぎ、あと香料の類い」
「……そんなものが儀式の品なのか?」
「多分ね、教会の秘儀はどれも似たようなものだから」
さらりとかわして視線を向ける。
「で? どうだい、見覚えは」
ガスパルは「ううん」と唸った。
「ねぇな、いや待てよ。それっぽいものを侍者連中が運んでいるのは見たな。変なものを扱っていると思っていたんだ。あれはどこだっけ……えーっと」
ああ、と呻き声を上げる。
「そうだ、地下の倉庫だ。坑道跡を物置に使ってるんだよ。祭具や儀式用の酒も保管されている」
「へぇ」
ミゲルは目を細めた。
「だけどそこにあるものはまだ使ってるだろう。持ち出すことはできないよね」
言いながら銅貨を更に差し出す。ガスパルはふんと鼻を鳴らした。大きな手で銅貨をつかみ取りながら、
「何、片づけ中に壊しちまったらそりゃもうゴミだろう。ゴミ処理は俺の仕事だからな。誰かにとやかく言われる筋合いはねぇよ」




