55話 白帝の都ソラリス、そして最後の潜入
翌朝。
俺たちの旅立ちは、静かだった。
魔王城の、固く閉ざされた裏門。そこには、魔王様と、俺の両親、そしてひいおじいちゃんだけが見送りに来てくれていた。これは、民衆に希望を示すための華々しい出陣ではない。敵国の中枢を突き、戦争の根源を断ち切るための、極秘の特殊任務なのだから。
「スタン」
魔王様が、一つの、白銀に輝くお守りを俺に手渡した。
「人間の王都ソラリスは、大陸最強の魔法障壁『神の天蓋』で守られています。それは、あらゆる魔力を検知し、弾き返す絶対的な守り。ですが、このお守りは、我が魔王家に古くから伝わるもので、ほんのわずかな時間だけ、その魔力探知を中和する力があります。……決して、無茶は、しないでくださいね」
その声は、一国の王としてではなく、娘のパートナーを案じる、一人の親としての響きを持っていた。
俺は、そのお守りを、確かに受け取った。
父さんと、母さんと、最後の抱擁を交わす。言葉は、いらない。その温もりだけで、俺が守るべきものの全てが、そこにはあった。
「行くぞ」
俺の言葉に、パティと、六人の眷属たちが、静かに、しかし、力強く頷いた。
俺は、人間の王都ソラリスの郊外、古文書に記された古の森の座標へと、意識を集中させた。
「『テレポート』」
七人の仲間たちの体を、俺の魔力が包み込む。次の瞬間、俺たちの姿は、魔王城から、完全に消え失せていた。
俺たちが、再び目を開けた時。
そこは、人間の王都ソラリスを、遥か彼方に見渡すことができる、広大な古代樹の森の中だった。
「……すごい……」
パティが、息を呑む。
森の切れ間から見えるその都市は、もはや、都市というよりは、一つの巨大な芸術作品だった。
どこまでも続く、純白と黄金で彩られた城壁。天を突くようにそびえ立つ、幾何学的な尖塔群。そして、その全てを、巨大な、黄金色の光のドームが、まるで卵の殻のように、優しく、しかし、絶対的に、守っていた。
あれが、『神の天蓋』。
だが、その完璧な美しさとは裏腹に、街から感じられるのは、異様なまでの緊張感と、規律という名の、冷たい圧迫感だった。
『兄者』
ダークが、既に偵察から戻り、俺の影の中から、その調査結果を報告する。
『王都は、勇者カインの死を受け、最高度の警戒態勢にあります。街の内部は、太陽騎士団の残存兵力と、王都直属の近衛騎士団によって、蟻一匹這い出る隙間もなく、警備されています』
ダークが見た光景が、俺たちの脳裏に、直接、映像として映し出される。
『そして、あの結界は、王城の地下にある動力炉と、都市を囲む、四つの『アンカー』によって維持されています。動力炉を直接破壊するのは不可能。ですが、四つのアンカーのうち、一つでも、同時に、機能不全に陥らせることができれば……』
『……ほんの数秒だけ、結界に、穴が開く、か』
ダークの報告を、俺は引き継いだ。
作戦は、決まった。
陽動と、潜入。
聖都ヴェリタスで、一度、成功させた作戦。だが、今度の相手は、遥かに、手強い。
その日の夜。
月が、雲に隠れた、その瞬間。
作戦は、開始された。
「――行け!」
俺の号令と共に、四人の眷属が、四方へと散る。
イフリートが、東の監視塔の真下で、大地を溶かす。
ゴームが、西の城壁の土台を、その拳で粉砕する。
シルが、南の水門を、暴風でこじ開ける。
そして、ダークが、北の兵舎を、影の中から、無力化していく。
四つの地点で、同時に、寸分の狂いもなく、行われた、完璧な破壊工作。
王都中に、けたたましい警報が鳴り響く。
「敵襲!敵襲だ!」
「東の監視塔が、沈んでいくぞ!」
「西の城壁に、穴が!」
街は、一瞬で、大混乱に陥った。
そして、俺たちが待っていた、その瞬間が訪れる。
四つのアンカーへの同時攻撃によって、都市全体を覆っていた『神の天蓋』の黄金の輝きが、一瞬だけ、大きく、揺らいだのだ。
「今だ!」
俺は、残ったパティ、ディーネ、レイの手を掴むと、その揺らぎの中心点へと、短距離テレポートを発動させた。
凄まじい魔力の抵抗を感じる。だが、魔王様から預かったお守りが、白銀の光を放ち、俺たちの体を守ってくれた。
次の瞬間、俺たちは、王都の城壁の内側、貴族たちが住まう、静かな地区の路地裏へと、その姿を現していた。
潜入は、成功した。
だが、それと同時に、街全体が、ロックダウン状態に入ったのが、気配で分かった。
俺たちが、次の行動に移ろうとした、その時だった。
穏やかで、しかし、どこまでも深い、一人の男の声が、俺たちの脳内に、直接、響き渡った。
『……ようこそ、ソラリスへ。イレギュラー、そして魔王の娘よ』
その声は、俺たちが展開していた、あらゆる魔法的防御を、いとも容易く、すり抜けてきた。
声の主は、俺たちの潜入を、完全に、予測していたのだ。
『――お待ちしておりましたぞ』
俺とパティは、顔を見合わせた。
俺たちは、罠に飛び込んだのではない。
この戦争の、本当の黒幕が待つ、その舞台のど真ん中へと、招き入れられたのだ。
最後の戦いが、始まろうとしていた。




