51話 沈黙の砂海、そして勇者の足跡
魔王城の作戦司令室。俺が、次なる任務を受諾したことで、その場の空気は、決戦前夜の、張り詰めた、しかしどこか熱を帯びたものへと変わっていた。
魔王様は、ひいおじいちゃんが集めた、大陸中央に位置する「沈黙の砂海」に関する、数少ない古文書を俺に手渡した。
「……気をつけて、行くのですよ。スタン、パティ。あなたたちは、もはや、我ら三種族同盟の、希望そのものなのですから」
その言葉は、王としての命令ではなく、一人の母としての、切実な祈りのように聞こえた。
父さんと母さんとの、短い別れ。
「スタン。必ず、帰ってくるのですよ。あなたの好きなものを作って、待っていますから」
母さんは、涙を見せず、ただ、強く、俺を抱きしめた。その腕の温かさが、俺が何のために戦うのかを、改めて思い出させてくれた。
仲間たちのもとへ戻ると、全員が、既に覚悟を決めた顔をしていた。
疲労の色は、隠せない。聖都での戦いは、それほどまでに、俺たちの心身を消耗させていた。だが、その瞳の奥には、これから始まる、より大きな戦いへの、揺るぎない闘志が燃えていた。
「……行くぞ」
俺は、古文書に記された、おぼろげな座標だけを頼りに、テレポートを発動させた。
次に目を開けた時、俺たちを包んだのは、魔族領の涼やかな空気とは全く違う、全てを焼き尽くさんとするかのような、灼熱の息吹だった。
「……うっ……!」
思わず、腕で顔を覆う。目の前に広がっていたのは、地平線の彼方まで続く、純白の砂の世界。
太陽は、白く、巨大で、まるで空に穴が開いたかのように、無慈悲な光と熱を、地上に降り注がせていた。
砂の一粒一粒が、魔力を帯びてキラキラと輝き、巨大な砂丘は、まるで白い山脈のように、どこまでも、どこまでも、連なっている。
そして、何よりも異様なのは、「音」が、一切ないことだった。
風の音も、虫の声も、生き物の気配も、何もない。まるで、世界から、音という概念だけが、綺麗に抜き取られてしまったかのような、絶対的な、そして、圧迫感すら覚える、完全な沈黙。
「……ここが、『沈黙の砂海』……」
パティが、乾いた唇で、呟いた。
『兄者、こちらです』
ダークの思念が、俺の脳内に響いた。彼は、この何もない砂漠の中から、敵の痕跡を、正確に捉えていた。
『勇者の聖なる気の残滓が、まだ新しく残っています。半日……いや、それも経っていません。彼らは、我々のすぐ先にいる』
レースは、既に始まっていた。俺たちは、ダークが示す方向へと、灼熱の砂漠を、ひた走る。
この砂漠は、ただ暑く、静かなだけではなかった。
「スタン様、お気をつけください!前方に、魔力を吸い取る砂地が!」
ディーネの警告と同時に、俺たちの目の前の砂地が、まるで沼のように、渦を巻き始めた。不用意に踏み込めば、魔力も、体力も、全てを吸い尽くされてしまう、恐ろしい罠だ。
「ゴーム!」
「御意!」
ゴームが、その場に巨大な岩の橋を創造し、俺たちは、その上を駆け抜けていく。
時には、砂の中から、水晶でできた巨大な蠍の魔物が、その大群で襲い掛かってきた。
「焼き払え、イフリート!」
「はっ!」
イフリートの炎が、その全てを、ガラスの彫像へと変えていく。
灼熱と、沈黙と、そして、次々と現れる障害。それは、並の冒険者であれば、数時間で心を折られてしまうほどの、過酷な行軍だった。
だが、俺たちは、足を止めない。
勇者カインに、龍脈を汚染させるわけには、いかない。
何時間、走り続いただろうか。
太陽が、西の空へと傾き始めた頃、ついに、ダークが、その足を止めた。
『兄者。この先の、巨大な盆地の底……。二つの、巨大な魔力反応。一つは、龍脈。そして、もう一つは……勇者カインです』
俺たちは、巨大な砂丘の頂上へと駆け上がると、その先を見下ろした。
盆地の底。
その中央に、天を突くほどの、巨大な、水晶の柱が、大地から突き出ていた。あれが、第二の龍脈。
そして、その周囲には、既に、巨大で、複雑な、禍々しい魔法陣が展開されていた。
魔法陣の中心には、勇者カインと、彼が率いる、十数人の聖騎士たちの姿があった。彼らは、まさに、汚染の儀式を、始めようとしているところだった。
俺たちの存在に、カインが、気づいた。
彼は、ゆっくりと顔を上げると、砂丘の上の俺たちを、真っ直ぐに見据えた。
その瞳には、もはや、驚きの色はない。ただ、全てを予測していたかのような、冷たい、硬質な覚悟だけが、宿っていた。
カインは、その声を、魔力で増幅させ、灼熱の砂漠全体に、響き渡らせた。
「――来たか、『イレギュラー』」
「聖都での借りは、ここで、きっちりと返させてもらう。この聖なる砂漠が、貴様らの墓標となるのだ」
俺は、眼下の、宿敵を見据える。
そして、背後の、疲弊しながらも、その瞳に、揺るぎない闘志を宿した、俺の仲間たちを、振り返った。
レースは、終わった。
ここからは、ただの、力と、意思の、ぶつかり合いだ。
「……始めるぞ」
俺の、静かな号令と共に、俺たち七人は、砂丘の頂上から、決戦の地へと、一斉に駆け下りていった。
世界の心臓を巡る、最後の戦いが、今、始まろうとしていた。




