50話 勝利の代償、そして囚われの聖者
朝日が、白亜の墓標と化した聖都ヴェリタスを、静かに照らし出していた。
俺たちは、街を見下ろす丘の上で、ただ黙って、その光景を見つめていた。勝利の歓声も、達成感もない。あるのは、あまりにも大きすぎる代償を払ったという、ずしりと重い実感だけだった。
「……帰りましょう、スタン」
パティが、静かに俺の袖を引いた。彼女の顔からは血の気が引き、その瞳には、目の前の破壊に対する恐怖と、それでも前に進まなければならないという、悲痛なまでの決意が宿っていた。
俺は、静かに頷いた。
「……ああ。報告しなければならないことが、山ほどある」
俺はテレポートを発動させた。
空間が歪み、次に目を開けた時、俺たちは魔王城の、見慣れた作戦司令室の中央に立っていた。
粉塵と死の匂いに満ちた戦場から、活気と、復興への熱気に満ちた故郷へ。そのあまりの落差に、一瞬、眩暈がした。
「スタン!?パティ!?」
司令室にいた魔王様と、ひいおじいちゃん、そして父さんが、俺たちの唐突な帰還に、驚愕の表情を浮かべた。
「無事であったか!一体、どうなって……」
ひいおじいちゃんが駆け寄ろうとするのを、魔王様が、その鋭い視線で制した。彼女は、俺たちの、ただならぬ様子を見て、事の重大さを瞬時に察したのだ。
「……報告を、聞きましょう」
俺は、意識を失ったグランドマスター、ヘリオスを床に降ろすと、淡々と、昨夜起こったことの全てを報告した。
聖都ヴェリタスへの潜入。仕掛けられていた罠。太陽騎士団との死闘。そして、汚染された龍脈を再生させるために、俺が大聖堂ごと、その力を一度「無」に還したこと。
俺の報告が進むにつれて、司令室の空気は、水を打ったように静まり返っていった。
父さんは、口を半開きにしたまま硬直し、ひいおじいちゃんは、その百戦錬磨の顔から信じられないといった表情で、ただ俺を凝視している。
「……首謀者である、グランドマスター、ヘリオスは捕縛。以上です」
俺が報告を終えても、しばらく、誰も口を開かなかった。
やがて、魔王様が、長いため息と共に、その沈黙を破った。
「……聖都を、一夜にして、事実上、壊滅させた、と……。スタン、あなたという子は、本当に、私の想像を、常に遥か彼方に超えていきますね……」
その声には、呆れと、そして、それを遥かに上回る、畏怖の念が込められていた。
その後、意識を取り戻したヘリオスは、城の地下深くにある、魔法的に完全に隔離された牢獄へと移された。
尋問は、魔王様とひいおじいちゃん、そして俺の三人だけで行われた。
鎖に繋がれたヘリオスは、もはや戦場で見せた狂信的な覇気など、欠片も残っていなかった。彼は、神に仕える聖者から、己の信仰そのものを、目の前で木っ端微塵に砕かれた、ただの抜け殻のような老人に成り果てていた。
最初は、頑なに口を閉ざしていた。だが、俺が、彼の前に、一つの幻影を見せた時、その心の壁は、完全に崩壊した。
俺は、レイの光の力を借り、彼に、エリアドールで見た「灰色の病」に蝕まれた精霊たちの姿を見せたのだ。
「あんたたちの『計画』が、この世界に何をもたらしているか、その目で見るがいい。これが、あんたたちの信じる、神の御業か?」
「……あ……あぁ……」
ヘリオスは、その光景に、絶望の声を漏らした。彼らは、ただ魔を浄化しているつもりだった。その行いが、世界の生命そのものを、内側から腐らせていたなど、思いもしなかったのだ。
彼の、一万年の信仰が、崩れ去った瞬間だった。
そして、彼は、全てを話し始めた。
人間たちの『計画』の最終目的は、やはり、魔力の根絶だった。彼らは、魔力こそが、この世界に、争いや、不浄なる亜人種を生み出す元凶だと信じていた。そして、魔力のない、人間だけが支配する、清浄な世界を作り上げようとしていたのだ。
そして、『イレギュラー』。
それは、人間たちの最も古い預言書に記されていた、世界の「安全装置」とも言うべき存在。世界が、呪いや戦争といった、人の手による理不尽な力によって、その均衡を大きく崩された時、世界そのものの意思が、その歪みを正すために、稀に生み出す、世界の理の外にある者。
本来、人間が生み出した「勇者」の血統こそが、人間にとって都合のいい「イレギュラー」となるはずだった。
だが、俺という、魔族の、そして、完全に予測不可能な「イレギュラー」が現れたことで、彼らの計画は、根底から覆されようとしていた。
「……次の、龍脈の在処は、どこだ」
俺の問いに、ヘリオスは、もはや魂の抜け殻となったような目で、答えた。
「……大陸中央……『沈黙の砂海』……。勇者カイン様率いる、本隊が、既に、そこへ……」
尋問は、終わった。
俺たちは、新たな、そして、あまりにも重大な情報を手に入れた。
再び、作戦司令室。広げられた大陸地図の上で、獣人王ガル・ラオウ率いる大連合軍が、西方の戦線で、人間たちの主力を引きつけ、見事な攻防を繰り広げているのが、報告されていた。
だが、それは、陽動だったのだ。
人間たちの真の狙いは、勇者カイン率いる精鋭部隊による、第二の龍脈の汚染。
大連合軍では、到底、間に合わない。
魔王様の、そして、その場にいる全員の視線が、俺に集まる。
誰もが、分かっていた。
この世界の命運を賭けた競争に、間に合う者がいるとすれば、それは、唯一、俺たちだけだということを。
「スタン。聞こえての通りです」
魔王様が、静かに、しかし、有無を言わせぬ力強さで、告げた。
「勇者カインが、次の龍脈へ向かいました。もはや、一刻の猶予もありません」
俺は、地図に記された「沈黙の砂海」という地点を、じっと見つめた。
そして、背後に控える、疲労困憊でありながらも、その瞳に、揺るぎない覚悟を宿した、俺の仲間たちを、振り返った。
俺は、静かに、頷いた。
「……分かってる。俺たちが、行く」
聖都を巡る戦いは、終わった。
だが、それは、本当の戦いの、序章に過ぎなかった。
次は、勇者カインとの、直接対決。
世界の心臓を巡る、神々の競争が、始まろうとしていた。




