49話 無への回帰、そして白亜の墓標
「――この聖堂ごと、龍脈を、一度、『殺す』」
俺の、あまりにも常軌を逸した言葉に、パティたちが息を呑んだ。だが、彼女たちが問いを発するよりも早く、俺は行動を開始していた。
汚染され、どす黒い脈動を繰り返す世界の心臓――龍脈のコアに、俺は自らの手のひらを押し当てる。
そして、その内部に、俺という存在の根幹を成す、全てを無に還す「無」の魔力を、一滴残らず、注ぎ込んだ。
瞬間。
時間が、止まったかのような錯覚。
龍脈の、ドクン、ドクン、という不気味な脈動が、ぴたりと止んだ。
俺の無の魔力は、まるで乾いた砂が水を吸い込むように、龍脈の内部へと、音もなく、際限なく浸透していく。
それは、破壊ではなかった。爆発でも、消滅でもない。
もっと、根源的で、恐ろしい現象。
「回帰」。
龍脈を蝕んでいた、人間たちの作り出したおぞましい「負の魔力」も。
龍脈が、本来宿していた、神聖なる「正の魔力」も。
その両者が、俺の「無」の魔力の前では、等しく、その意味を、その存在価値を、失っていく。有は、無へ。色は、透明へ。全てのエネルギーが、その属性と方向性を失い、ただの、純粋な、生まれたての可能性へと、還っていく。
「な……なんだ、これは……!?」
「龍脈の力が……消えていく……!」
龍脈を汚染していた黒ローブの魔術師たちが、狼狽の声を上げる。だが、もう遅い。彼らが拠り所としていた負の魔力が消え失せ、次の瞬間、彼らの存在そのものが、俺の無の奔流に飲み込まれ、悲鳴を上げる間もなく、塵となって崩壊していった。
龍脈の光が、完全に、消えた。
世界の心臓は、その鼓動を、止めた。
そして、その影響は、即座に、地上にも現れた。
この大聖堂を、神の領域たらしめていた、全ての力が、失われたのだ。
俺たちを閉じ込めていた黄金の結界が、しゃぼん玉のように、音もなく弾けて消える。壁や柱に宿っていた神聖な加護が失われ、ただの、重い、石の塊へと戻っていく。
一万年の歴史を誇るこの巨大な聖堂は、もはや、自らの重みを支えることすら、できなくなっていた。
ゴゴゴゴゴゴゴゴ……!
凄まじい地響きと共に、大聖堂全体が、まるで生き物のように、激しく身悶えを始めた。
「まずい!ここが、崩れる!」
パティが叫ぶ。
俺たちの頭上から、巨大な天井の石材が、次々と剥がれ落ちてくる。
「ゴーム!道を作れ!」
「御意、主!」
ゴームが、地上へと続く最短ルートの壁を、その拳で、豆腐のように打ち砕いていく。
「ディーネ、レイ、援護を!」
ディーネが作り出した水のドームが、降り注ぐ瓦礫を優しく受け止め、レイの光が、粉塵で満たされた暗闇の中の、唯一の道しるべとなった。
一方、地上。
中庭で、ヘリオスと死闘を繰り広げていたイフリートとゴームもまた、聖域の崩壊を肌で感じていた。
「な……にが……起こって……いる……!?」
グランドマスター、ヘリオスが、呆然と、崩れ始めた天を仰ぐ。自らが生涯を捧げた信仰の象徴が、今、目の前で、ただの瓦礫の山へと変わっていく。
その絶望は、やがて、狂信的なまでの、最後の怒りへと変わった。
「おおおおおおおおおおおおっっ!!」
彼は、自らの生命力の全てを、その手に持つ太陽の杖へと注ぎ込んだ。
「貴様ら、魔の眷属ども!我がサンクチュアリと、共に、滅びるがよい!!」
杖の先から、本物の太陽にも匹敵する、巨大な光熱の球体が生まれ、イフリートとゴームに向かって放たれる。
「―――させん!」
「―――無駄だ!」
イフリートの紅蓮の炎と、ゴームの不動の大地が、最後の神罰の前に、立ちはだかる。
光と、炎と、大地が激突し、凄まじいエネルギーの奔流が、崩壊する中庭で、全てを薙ぎ払った。
その、閃光と轟音の、真っ只中。
ヘリオスの背後に、俺たちは、地下から姿を現した。
彼の全神経が、目の前の二体の巨神に集中している。俺たちの存在には、全く気づいていない。
俺は、音もなく、その背後へと回り込む。
そして、神の祝福を受けたとされる、その白金の鎧の、背中に、そっと、手のひらを置いた。
「――終わりだ、ジジイ」
俺の『フィックストアタック』が、その内部で、静かに、しかし、確実に、炸裂した。
パキィィィィィンッ!
ヘリオスの白金の鎧が、まるで卵の殻のように、内側から、無数の亀裂を走らせ、粉々に砕け散った。
「……が……は……?」
彼は、自らの身に何が起きたか理解できないまま、その場に崩れ落ち、意識を失った。
「スタン様!」
「殿!」
イフリートとゴームが、駆け寄ってくる。
俺は、気絶したヘリオスを、小脇に抱えた。こいつは、人間たちの『計画』を知る、重要な情報源だ。
「全員、集まれ!ここから、離脱する!」
俺の号令で、七人の仲間たちが、俺の周囲に集結する。
パティは、目の前で、天を突く尖塔が、スローモーションのように、ゆっくりと傾き、崩れ落ちていく光景を、ただ、呆然と見つめていた。
「……今は、見るな。行くぞ」
俺は、彼女の肩を抱き寄せ、最後の力を振り絞った。
「『テレポート』!」
俺たちの姿が、空間から消え失せる。
それと、ほぼ同時に。
グランド・サンクチュアリの、最も高く、最も美しい中央尖塔が、轟音と共に、地上へと墜落した。
白亜の聖都ヴェリタスが、自らが上げた、純白の粉塵の中へと、完全に、沈んでいった。
――俺たちが、再び姿を現したのは、聖都から数キロ離れた、静かな丘の上だった。
夜が、明けていた。
東の空から昇る朝日が、俺たちの目の前に広がる、信じがたい光景を照らし出していた。
そこにあったはずの、神々しいまでの白亜の都は、跡形もなく消え失せている。代わりに、そこにあったのは、巨大な、巨大すぎる、瓦礫の山。かつて、大聖堂があった場所からは、まるで墓標のように、巨大な粉塵の柱が、静かに、天へと立ち上っていた。
だが、俺の「魔力感知」は、その瓦礫の山の下で、新たな生命が生まれつつあるのを、確かに捉えていた。
俺の無の魔力によって、一度、完全に「殺された」龍脈。
その、汚染も、神聖も、全てがリセットされた、まっさらな魂の器に、世界の生命力が、再び、清らかな泉のように、湧き出し始めていたのだ。
俺は、龍脈を破壊したのではない。汚染という病に侵されたそれを、一度、無に還し、そして、再生させたのだ。
仲間たちは、皆、言葉もなく、その光景を見つめていた。
俺たちは、勝ったのだ。人間たちの計画の、その根幹の一つを、完全に、打ち砕いた。
だが、その勝利と引き換えに、俺たちは、一つの、美しい都市を、この地上から消し去ってしまった。
その、あまりにも大きすぎる代償が、俺たちの心に、ずしりと、重くのしかかっていた。
朝日を浴びる、白亜の墓標。
それは、これから始まる、本当の戦いの、過酷さと、悲しみを、静かに、俺たちに告げているかのようだった。




