第45話 龍の試練、そして世界の選択
本日3話目です
俺たちが立つ黒曜石の浮島が、ゆっくりと虚空へと上昇していく。
そして、目の前で、竜人族の賢帝ヴァレリウスの体が、眩い白金の光に包まれた。その人型は急速に膨張し、変貌を遂げていく。
天を衝くほどの角、星々を砕く牙、山脈のごとき巨躯。やがて、光が収まった時、そこにいたのは、もはや竜人ではなかった。
山のように巨大な、一頭の、白金の古龍。
その鱗の一枚一枚が、夜空の星々のように輝き、その双眸には、宇宙の深淵そのものが渦巻いていた。
神。
俺の脳裏に、その一言だけが、浮かんだ。
『――来たか、理を歪める者よ』
賢帝ヴァレリウスの思念が、俺たちの魂に直接響き渡る。俺たちがいたはずの聖域は、完全に掻き消え、代わりに、星々が流れる、無限の宇宙空間のような、異次元が構築されていた。
『これより、貴様らに『龍の試練』を課す』
古龍の思念は、絶対的な静けさを保っていた。
『この試練は、三つの問いで構成される。一つは過去、一つは現在、一つは未来。貴様の魂が、その問いにどう答えるか。それを見極める』
それは、力と力をぶつけ合う、野蛮な戦いではなかった。俺という「イレギュラー」が、この世界の理を背負うに値するかどうかを問う、神聖な儀式だった。
【第一の試練:過去】
ヴァレリウスが、その巨大な翼を、ゆっくりと一度だけ羽ばたかせた。
瞬間、俺たちの周囲の宇宙空間が、まるで水面のように揺らめき、全く別の景色を映し出した。
それは、数百年前。燃え盛る平原だった。
おびただしい数の魔族と人間が、憎悪を剥き出しにして殺し合っている。人魔大戦。その、最も凄惨だったと言われる、最後の戦いの光景だった。
俺たちは、まるで幽霊のように、その戦場の中心に立たされていた。
そして、俺たちは見た。
一人の、若き人間の英雄が、血の涙を流しながら、禁忌の術を発動させる瞬間を。
彼の背後には、魔族の軍勢に蹂躙され、息絶えた、彼の妻子や仲間たちの姿があった。彼の瞳に宿るのは、正義ではない。ただ、これ以上、誰も失いたくないという、悲痛なまでの愛と、絶望だった。
その絶望が、世界の理を歪める、あの忌まわしい「呪い」を生み出したのだ。
『過去は変えられぬ』
ヴァレリウスの思念が響く。
『この憎しみの連鎖、この悲劇の螺旋。貴様ならば、どう断ち切る?』
俺は、その光景を、ただじっと見つめていた。
やがて、静かに口を開いた。
「憎しみを、力でねじ伏せても、新たな憎しみが生まれるだけだ。断ち切るべきは、その原因そのもの」
俺は、血の涙を流す若き勇者を、真っ直ぐに見据えた。
「この戦いの原因は、互いへの恐怖と、無知。そして、その二つが生み出した、世界の理を歪める『呪い』だ。俺は、その呪いを、完全に破壊する。そして、全ての種族が、偽りなく、互いを見つめ直すための、始まりの『機会』を作る」
俺は、言葉を続けた。
「その後の未来をどうするかは、俺が決めることじゃない。その時代に生きる者たちが、自らの意思で決めるべきことだ」
俺の答えに、古龍は何も言わなかった。ただ、目の前の悲劇の光景が、すっと霧のように晴れていった。
【第二の試練:現在】
『良かろう。では、現在の問い』
ヴァレリウスの双眸が、星雲のように、ぎらりと輝いた。
『貴様は、その身に余るほどの力を持つ。その力、果たして、正しく振るうことができるのか?』
次の瞬間、古龍の巨大な顎が開かれ、そこから、世界そのものを無に還すかのような、純粋な破壊エネルギーの奔流が、俺たちに向かって放たれた。
「――全員、構えろ!」
俺の号令一下、仲間たちが、俺を中心に、完璧な六芒星の陣形を組んだ。
「「「「「「はあっ!!」」」」」」
ディーネの静水、イフリートの烈火、ゴームの不動、シルの烈風、レイの聖光、そしてダークの深淵。六つの元素の力が、一つの巨大な盾となって、龍の吐息の前に立ちはだかる。
「私を忘れてもらっては、困りますわ!」
パティもまた、その魔力の全てを、盾の強化に注ぎ込む。
だが、足りない。神の放つ一撃は、あまりにも、強大すぎる。
盾が、ミシミシと軋み始める。
「――俺が、繋ぐ!」
俺は、その六芒星の中心で、自らの無限の魔力を解放した。
俺の無属性の魔力が、接着剤となって、六つの元素の力を、より強固に、より完全に、一つへと束ねていく。
盾は、七色の光を放ち、神の破壊の奔流を、正面から、完全に受け止めてみせた。
俺の答えは、言葉ではなかった。
俺は、一人では戦わない。この力は、仲間を、家族を、守り、そして、彼らと共に振るうためのものだ。
その、揺るぎない事実そのものが、俺の答えだった。
やがて、龍の吐息が止む。
俺たちは、誰一人傷つくことなく、そこに立っていた。
【第三の試練:未来】
『……見事。では、最後の問い。未来の問いだ』
ヴァレリウスの思念に、初めて、感嘆のような響きが混じった。
俺たちの周囲の景色が、再び変わる。
そこは、輝かしい未来の世界だった。
戦争は終わり、呪いは解け、人間たちは、魔王城の前で、ひれ伏している。
そして、その玉座には、王冠を戴いた、成長した俺の姿があった。
パティも、俺の家族も、そして、獣人や精霊たちも、誰もが、俺を、救世主として、新たな世界の神として、崇め奉っていた。
『これが、貴様の力がもたらす、一つの未来の形だ』
ヴァレリウスが、問うてくる。
『貴様は、神にでもなるつもりか?古の神々が去りしこの世界で、新たな支配者となることを、望むか?』
それは、究極の問いだった。
俺は、玉座に座る、神となった自分の姿を、冷めた目で見つめた。
そして、一言、吐き捨てるように、言った。
「馬鹿言うな。俺は、神様になんて、なりたくない。俺は、ただの、スタンだ」
俺は、その輝かしい未来の幻影に背を向け、今、俺の隣に立つ、本物の仲間たちに向き直った。
「俺が欲しいのは、誰もがひれ伏す玉座じゃない。家族と、仲間と、一緒に笑って、馬鹿な話をして、飯が食える、ただの温かい食卓だ」
俺は、不敵に笑って見せた。
「そのために、邪魔なものを、全部、掃除する。ただ、それだけだ」
その言葉が、最後の答えだった。
瞬間、俺たちを包んでいた異次元が、ガラスのように砕け散った。
気づくと、俺たちは、元の、静かな聖域の黒曜石の浮島の上に、立っていた。
目の前には、巨大な龍ではない、再び、古の竜人の姿に戻った、賢帝ヴァレリウスが、玉座に静かに座していた。
彼は、その銀河の瞳を、穏やかに細めると、言った。
『……合格だ、異物よ。いや――スタン』
その声には、確かな、温かみが宿っていた。
『貴様の言う通り、我らは、ただの傍観者であったかもしれぬ。だが、それも今日で終わりだ。我ら竜人族は、貴様の示す『新たな均衡』に、この世界の未来を、賭けよう』
最後の同盟は、成った。
魔族、獣人族、精霊族、そして、竜人族。
分断されていた、この世界の真なる住人たちが、今、一つの旗の下に、再び集結する。
人間たちの、偽りの支配を終わらせるための、本当の戦いが、始まろうとしていた。




