第43話 均衡を砕く者、そして開かれし門
本日1話目です
絶対零度の吹雪が、牙を剥いた。
それは、もはや自然現象ではなかった。門番である古の竜人が、その身に宿す龍脈の力を解放し、世界の法則そのものを捻じ曲げて作り出した、魂を凍てつかせるための奔流だった。
ゴオオオオオオッ、と、空気が引き裂かれるような轟音と共に、全てを白に染め上げる絶望が、俺たちに襲い掛かる。
「スタン様!」
「殿!」
眷属たちが、咄嗟に俺の前に立ちはだかり、盾となろうとする。イフリートが紅蓮の炎を、ゴームが不動の岩壁を、ディーネが絶対防御の氷壁を展開する。だが、
パリン、と。
彼らが作り出した防壁は、龍の吐息が触れた瞬間、あまりにも呆気なく、まるで薄いガラスのように砕け散った。
「ぐっ……!?」
「これは……!我らの魔力が、根源から凍らされていく……!」
イフリートの炎が掻き消され、ゴームの体に霜が降りる。この吹雪は、ただ冷たいだけではない。それは、魔力という概念そのものの活動を、強制的に停止させる「停滞」の理を具現化したものだった。
「みんな、下がってろ!」
俺は、仲間たちを背後にかばい、たった一人、その絶対的な奔流の前に立った。
瞬間、俺の世界から、音が消えた。
視界が白く染まり、思考が、まるで冷たい泥の中に沈んでいくかのように、鈍くなっていく。皮膚の感覚が麻痺し、体の芯から、魂そのものが凍りついていくような、抗いがたい感覚。
門番の言う通りだ。これは、ただの魔力攻撃ではない。俺という「イレギュラー」な存在を、世界の理に組み込まれた「無」へと還そうとする、星の意思そのものだった。
門番は、氷の玉座から、その光景を静かに見つめていた。
(やはり、異物よ。世界の理に逆らうことはできぬ。ここで凍りつき、永劫の時を過ごすがよい)
その古の竜人の瞳に、憐憫の色はない。ただ、自らの役目を果たすだけの、絶対的な静寂があるだけだった。
だが。
俺の魂は、この世界の理だけで、できているわけじゃない。
(――面白い。これが、龍の力か)
凍てつく意識の深淵で、俺は、冷静に、自らに襲い掛かる奔流を分析していた。
スキル『鑑定』が、その力の構造を、根源から解き明かしていく。
そして、スキル『完全耐性』が、俺の魂を凍らせようとする「停滞」の理を、ただの「現象」として無効化する。
俺にとって、この魂を殺す吹雪は、もはや、ただの「ものすごく冷たい風」でしかなかった。
俺の全身が、みるみるうちに分厚い氷に覆われていく。だが、その氷の鎧の内側で、俺の体は、その心臓は、何一つ変わることなく、力強く脈打ち続けていた。
(耐えるだけじゃ、駄目だ。あいつに、見せつけてやらなきゃならない)
俺は、自らの無限の魔力を、解放した。
それは、炎でも、氷でも、光でも、闇でもない。ただ純粋な、何の色も持たない、無属性の魔力。
俺の存在そのものが、力の奔流。
俺の体を覆っていた氷の鎧が、内側からの魔力圧によって、音もなく昇華していく。
そして、俺は、一歩、また一歩と、全てを凍てつかせる暴風の中を、歩き始めた。
俺が踏み出した足元の雪は溶け、俺に叩きつけられようとする氷の刃は、俺に触れる寸前で、塵となって霧散する。
俺は、この世界の理が作り出した地獄の中に、俺だけの法則で成り立つ、小さな聖域を作り出し、その中を、ただ、静かに歩いていった。
その、あまりにも異様な光景に、背後で戦っていた仲間たちが、息を呑んだ。
「……歩いて……いる……?」
パティの、震える声が聞こえる。
「あの、龍の吐息の中を……?」
そして、何よりも、驚愕したのは、門番の竜人だった。
その、何千年も動くことのなかったであろう表情が、初めて、明らかに「動揺」の色を浮かべた。
彼の瞳に映っているのは、試練に抗う挑戦者ではなかった。
世界の理そのものを、ただ己が存在するだけで、平然と書き換えてしまう、異物。
神々の悪戯か、あるいは、世界の選択か。
彼は、自らの理解を、常識を、そして守るべき「均衡」そのものを、根底から覆す存在を、目の当たりにしていた。
やがて、俺は、荒れ狂う吹雪の向こう側へと、たどり着いた。
そして、門番が座す、氷の玉座の、すぐ目の前に立った。
「……試練は、これで終わりか?」
俺が尋ねると、俺が通り過ぎた後方の吹雪が、すっと、嘘のように掻き消えた。
門番は、玉座から、ゆっくりと立ち上がった。その巨体は、まるで山脈そのものが動き出したかのような、圧倒的な威圧感を放っていた。
だが、その瞳に、もはや敵意はなかった。代わりに宿っていたのは、畏怖と、そして、計り知れないほどの、深い好奇心だった。
「……お前の名は」
「スタン」
俺がそう答えると、竜人は、重々しく、一度だけ、頷いた。
「スタン……。世界の理を、己が身一つで歪める者よ。……よかろう」
「――門は、開かれた」
その言葉に呼応するように、ゴゴゴゴゴゴ……と、地鳴りのような、重い音が響き渡る。
何千年も、何万年も、閉ざされていたはずの、巨大な氷の門が、ゆっくりと、その内側へと、開かれていった。
門の向こうには、どこまでも続く、水晶のように輝く氷の道と、その遥か彼方にそびえ立つ、天衝の山々の姿が見えた。
竜人族の聖域。世界の理の監視者たちが住まう、禁断の地。
その入り口が、今、俺たちのために、開かれたのだ。




