第34話 陽動の咆哮、そして静かなる潜入
夜明け前。王都サウナハウルが、まだ深い静寂と闇に包まれている中、俺たちは石造りの牢獄で、その時を待っていた。
俺は、作戦の要となる二人の眷属に向き直る。
「イフリート、ゴーム。頼んだぞ」
「はっ。殿の武威を、この地の者共に見せつけましょう」
「御意。主の憂いは、この俺が全て薙ぎ払う」
炎の眷属は静かに、土の眷属は獰猛に、それぞれ頷いた。
そして、東の空が、わずかに白み始めた、その瞬間。
作戦は、開始された。
ゴゴゴゴゴゴゴゴッ!!
轟音と共に、城の一角が、まるで地震に襲われたかのように激しく揺れた。俺たちがいた牢獄の、分厚い石の壁が、内側からの圧倒的な力によって、蜘蛛の巣のように砕け散る。
ゴームが、ただ拳を一度、壁に叩きつけただけだった。
「な、なんだ!?敵襲か!?」
「牢獄の方が崩れたぞ!」
城の静寂は打ち破られ、警鐘がけたたましく鳴り響く。慌てふためいた衛兵たちが、崩れた壁の穴へと殺到する。
その彼らの頭上で、第二の衝撃が走った。
「―――グルオオオオオオオオオッ!!」
凄まじい咆哮と共に、崩れた牢獄から、巨大な紅蓮の鳳凰が、天へと舞い上がったのだ。
イフリートが作り出した、純粋な炎の化身。それは、城の上空を旋回し、その翼から灼熱の火の粉を撒き散らす。それは、直接的な被害は出さない、威嚇のためだけの、あまりにも美しく、そして絶望的に巨大な陽動だった。
「ひ、火の鳥だ……!」
「総員、出撃!何としても、あの化け物を撃ち落とせ!」
城の実権を握る宰相ギツネが、自室から飛び出し、ヒステリックに叫んでいるのが遠くに見えた。城中の衛兵たちが、その声に呼応し、二人の「脱獄囚」を捕らえるために、一斉に城の中庭へと集結していく。
そして、その大混乱の裏で。
俺たちの、本当の作戦が始まっていた。
『兄者、こちらへ。衛兵の配置、思考、全て読み取っています』
闇の眷属ダークの先導で、俺たち六人は、まるで影の中を歩むように、城の内部を疾走していた。
衛兵たちの意識が、全て中庭のイフリートとゴームに集中しているため、城の内部は驚くほど手薄だった。
「『サイレントミスト』」
ディーネが作り出した濃霧が、俺たちの姿を廊下の監視の目から隠す。
「きゃはっ!風さん、ちょっとだけ静かにしててね!」
シルが、俺たちの足音を、優しい風でかき消していく。
そして、レイが放つ柔らかな光が、俺たちの周囲の光を屈折させ、完璧な光学的迷彩を作り出していた。
俺とパティは、その完璧な連携の中心で、ただひたすらに、王の寝室を目指す。
やがて、俺たちは、ひときわ豪華な装飾が施された、巨大な扉の前にたどり着いた。
『兄者。この奥です。扉の前には、宰相の息のかかった近衛兵が十名』
「……ご苦労様」
俺たちの前に、最後の障害が立ちはだかる。だが、
「『フリーズ・フロア』!」
「風さん、武器を借りるよ!」
ディーネの一言で、近衛兵たちの足元の床が一瞬で凍りつき、シルが巻き起こした突風が、彼らの手から武器を弾き飛ばす。
そして、彼らが悲鳴を上げるよりも早く、ダークがその背後の影から現れ、十人の首筋に、寸分の狂いもなく手刀を叩き込み、その意識を刈り取った。
完璧な、無音の制圧だった。
俺は、重い扉を、ゆっくりと押し開けた。
その先にあったのは、かつては豪華絢爛だったであろう、しかし今は、埃をかぶって薄暗い、王の寝室だった。
そして、その部屋の隅、窓から差し込む月明かりの下で、一人の巨大な獣人が、玉座に座ったまま、虚空を見つめていた。
百獣の王、ライオンの獣人。この国の王、ガル・ラオウ。
だが、その姿には、王としての威厳など、欠片も残っていなかった。その黄金の鬣は色褪せ、艶を失い、かつては国中の魔物を震え上がらせたであろうその瞳は、今は、何も映さない、ガラス玉のように虚ろだった。
俺たちが部屋に入ってきたことにも、気づいていないようだった。
「陛下……。なんと、おいたわしいお姿に……」
パティが、悲痛な声で呟いた。
俺は、そんな彼女を制し、一人、王の前へと進み出た。
俺は、彼の絶望に同情しない。彼の境遇を憐れまない。ただ、事実を、そして、俺の意思を告げるだけだ。
「あんたが、獣人族の王か」
俺の静かな問いに、王は反応しない。
俺は、続けた。その虚ろな瞳を、真っ直ぐに見据えて。
「俺の親父は、ただの兵士だ。それでも、家族を守るために、国を守るために、死ぬ気で戦ってた。……王様」
俺の声に、わずかに、力がこもる。
「あんたは、何を守るために、そこで死んだような顔をしてるんだ?」
その言葉は、刃となって、王の閉ざされた心の殻を、貫いた。
ぴくり、と。
ガル・ラオウの、その虚ろだった瞳が、かすかに、動いた。
その瞳の奥底で、忘れ去られていたはずの、かつての王の誇り。その小さな、小さな残り火が、ゆらりと、揺らめいた。
その瞳が、初めて、俺の姿を、はっきりと捉えた。




