第33話 誇りと隷属の王都
俺たちの奇妙な旅は、獣人族の斥候隊に先導される形で始まった。
隊長であるライオンの獣人――彼が「レオガート」と名乗ったのは、半ば呆然と、半ば感心したような声だった――を先頭に、十数人の獣人たちは、俺たちと付かず離れずの距離を保ちながら、広大なサバンナを黙々と進んでいく。
その雰囲気は、決して友好的なものではなかった。彼らの背中は、俺たちという得体の知れない「力」に対する、明確な警戒心と、拭いきれぬ猜疑心を物語っていた。
「レオガート殿」
沈黙を破ったのは、大使としての役目を果たそうとするパティだった。
「あなた方の民は、皆、あれほど好戦的なのですか?我々は、古の盟約に従い、友好を結ぶために参りましたのに」
その言葉に、レオガートは歩みを止めることなく、吐き捨てるように言った。
「友好、だと?笑わせるな」
彼の声には、深い、深い侮蔑が滲んでいた。
「人間どもが、我らの同胞を奴隷として狩り、その魂までをも弄んでいた永い間、貴様ら魔族は、一体どこで何をしていた?安全な結界の中で、高みの見物を決め込んでいただけではないのか」
「それは……!」
パティが反論しようとするが、言葉に詰まる。事実だったからだ。呪いに縛られていたとはいえ、俺たち魔族が、彼らの苦しみに寄り添ってこなかったのは、紛れもない事実だった。
「我らは、もはや誰も信じん。人間は言うに及ばず。かつて、我らを見捨てた魔族もだ」
レオガートの言葉が、この国の現状を何よりも雄弁に物語っていた。彼らの誇りは、長きにわたる隷属と絶望の中で、内向きの、排他的なものへと歪んでしまっていたのだ。
やがて、平坦だったサバンナの景色は、巨大な岩が乱立する荒涼とした大地へと変わっていった。俺たちは、天を衝くようにそびえ立つ、巨大な二つの岩山の間に刻まれた、一本の巨大な渓谷へと足を踏み入れる。
その光景に、俺たちは息を呑んだ。
渓谷の、垂直に切り立った断崖絶壁。その壁面を、まるで蟻の巣のように無数に穿ち、一つの巨大な都市が形成されていたのだ。
天然の洞窟を住居とし、断崖から断崖へと無数の吊り橋が渡された、まさに天然の要塞都市。あれが、獣人族の王都「サウナハウル」。
だが、その威容とは裏腹に、都から感じられるのは、不思議なほどの「静けさ」だった。
活気がない。城門を守る兵士たちの目には力がなく、その鎧はところどころ錆びついている。都大路を行き交う民の数もまばらで、その誰もが、まるで何かに怯えるかのように、俯きがちに足早に歩いていた。
伝説に謳われた、誇り高き戦士の国の首都。その姿は、俺たちが想像していたものとは、あまりにもかけ離れていた。
レオガートは、俺たちを王城――渓谷の最も高い場所に穿たれた、ひときわ巨大な洞窟――の前まで案内すると、それきり一言も発さずに部下と共に去っていった。
代わりに、城の中から現れたのは、狐の顔を持つ、痩身で、やけに身なりの良い一人の獣人だった。
「これはこれは、魔族の御一行様。長旅、ご苦労様です」
その声は丁寧だが、蛇のように冷たい響きがあった。
「私が、宰相を務めさせていただいております、ギツネと申します」
パティが、魔王からの親書を差し出し、国王への謁見を求める。
だが、宰相ギツネは、その親書にちらりと目をやっただけで、くつくつと喉を鳴らして笑った。
「生憎ですが、ガル・ラオウ陛下は、今、ご病気でしてな。とても、客人とお会いできる状態ではございません」
「病気ですって!?ですが、我らは魔王の全権大使として……!」
「ああ、存じておりますよ。ですが、病気の者に無理はさせられんでしょう?」
その目は、全く笑っていなかった。
「遠路はるばるお越しいただいたところ、まことに申し訳ないが、お引き取り願おう。……衛兵!魔族の方々を、丁重に『客室』へとお通ししろ。明日の夜明けと共に、国境までお送り申し上げるのだ」
有無を言わせぬ、一方的な通告。
それは、外交使節に対する態度ではなかった。まるで、厄介払いをされたかのような、屈辱的な扱い。
俺たちが反論する間もなく、屈強な衛兵たちが現れ、俺たちを城の奥深く、窓の一つもない、冷たい石造りの一室へと「案内」した。
ガチャン、と重い錠が下ろされる音が、無機質に響く。
俺たちは、事実上、この王城に軟禁されたのだ。
「なんなのですか、あの態度は……!」
パティが、悔しそうに拳を握りしめる。
力で扉を開けるのは、容易い。だが、それをすれば、俺たちはただの侵略者となり、同盟への道は完全に断たれてしまう。
「まあ、落ち着けよ、パティ。どうせ、こうなることは、ある程度予想できてただろ」
「それは、そうですけど……!」
俺は、静かに目を閉じた。
(……ダーク)
『はっ、兄者』
俺の影から、音もなく、闇の眷属が姿を現す。
「この城の『本当』の姿を探ってこい。病気の王様の、お見舞いに行く準備だ」
『……御意に』
ダークは、再び影の中へと、音もなく溶けて消えた。
それから、およそ半日。
俺たちが、携帯食料で味気ない夕食を済ませていた頃、ダークが戻ってきた。
『兄者、報告します』
その報告は、俺たちの予想を、遥かに上回るものだった。
『第一に、国王ガル・ラオウは健在。しかし、病気というのは偽り。王は、自らの寝室に幽閉され、外部との接触を一切断たれていました』
「幽閉ですって!?」
パティが、驚きの声を上げる。
『第二に、この城の実権は、宰相ギツネと、彼が率いる一部の貴族たちが完全に掌握。衛兵たちも、ほとんどが彼らの息のかかった者たちで固められています』
つまり、これは、クーデター。王族から実権を奪い、国を乗取った、ということか。
『そして、第三に……』
ダークは、わずかに、その声のトーンを落とした。
『宰相ギツネは、人間と密約を結んでいました。定期的に、若い獣人を奴隷として人間に引き渡す代わりに、国としての最低限の存続と、彼ら自身の地位を保証させる、という内容です』
「……なんだと?」
俺の声が、低く、地を這うようになった。
獣人たちの誇りを、同胞の命を、自らの保身のために、人間に売り渡していた。
あのレオガートとかいう、ライオンの男の絶望。都に満ちていた、あの淀んだ空気。全ての謎が、今、一本の線で繋がった。
この国の王は、病気なのではない。心が、折られてしまったのだ。
「……許せない」
パティの、震える声が響いた。
「同胞を売って、生きながらえるなど……。それは、誇り高き獣人族のやることではありませんわ!王は何をしていたのですか!なぜ、そんな裏切り者を、放置していたのです!」
『……国王は、一度だけ、抵抗したようです。しかし、その結果、見せしめとして、彼の最も信頼していた側近たちが、彼の目の前で処刑された、と』
「…………」
パティは、言葉を失った。
抵抗すれば、仲間が殺される。沈黙すれば、民が売られる。その地獄の選択の中で、王は心を壊し、自らの殻に閉じこもってしまったのだろう。
「……スタン」
パティが、俺の顔を、決意の瞳で見つめた。
「私は、やはり、王に会わなければなりません。たとえ、どんな姿になっていようとも。魔王の娘として、そして、同じ王族として、彼と話をしなければ」
「ああ、そうだな」
俺も、頷いた。
「そのために、まずは、あのクソ狐を、黙らせる必要がある」
俺は、立ち上がった。
「イフリート、ゴーム」
「はっ、殿」
「御意、主」
「明日の朝、俺たちが『脱走』したように見せかけ、城で派手に暴れて、衛兵たちの注意を引きつけてくれ。ただし、殺すな。半殺しでいい」
「「承知」」
「ディーネ、レイ、シル」
「はい、スタン様」
「うん、兄ちゃん!」
「お前たちは、俺とパティ、そしてダークと共に、王の寝室へ向かう。途中の邪魔者は、眠らせてやれ」
「「「かしこまりました!」」」
作戦は、決まった。
これは、もはや外交ではない。腐りきった国の中枢を、内側から破壊する、電撃作戦だ。
俺たちの、本当の戦いが、今、始まろうとしていた。




